雨の日の帰り道
放課後の校舎を出ると、空は厚い灰色の雲に覆われていた。
西の空にはまだわずかに夕陽の名残が見えるのに、ぽつり、と冷たいものが頬に落ちた。
すぐに雨脚は強くなり、校庭の砂を叩く音が一斉に広がっていく。
濡れた地面の匂いが鼻をくすぐり、湿った風が制服を冷たく打つ。
「やば……降ってきた」
葵は思わず足を止め、鞄を胸に抱えた。
傘は持ってきていない。空を見上げながらため息をついたその瞬間、隣で陽介が鞄を開けているのが目に入った。
「げっ、俺も、傘忘れた」
「えっ……じゃあどうするの?」
陽介は覚悟を決めたように空を見上げ、雨粒が髪や肩に当たるのを無視するように立っていた。
「走るしかねーな」
そう言うと、彼はすぐにジャケットを脱ぎ、葵の肩にふわりとかけた。
「ちょ、ちょっと……!」
「いいから。風邪ひくなよ」
不意に触れた布の温もりに、葵の胸が熱くなる。
少し大きめのジャケットは陽介の匂いを含み、雨の冷たさとは対照的に優しく包み込んでくれる。
目の前に広がる校門までの道は、水たまりで鏡のようになっていた。
濡れたアスファルトに街灯の明かりがにじみ、揺らめく光が水面で波打つ。
「行くぞ! 一緒に走れば濡れないから」
陽介が手を差し伸べるようにして声をあげた。
葵は慌てて頷き、ふたりで駆け出す。
靴が水を跳ね上げ、制服の裾が次々と濡れていく。
でも、寒さよりも楽しさが勝っていた。
「ははっ! すごい濡れるじゃん!」
「なんだよ、一緒に走れば濡れないって!」
「意味わかんないよ、それ!」
「そうか? 俺寒くないけど」
雨音に混じって、二人の笑い声が響き渡る。
肩と肩がぶつかり、視界は水しぶきで滲む。
それでも葵には、その一瞬がまるで宝石のように輝いて見えた。
校門を抜け、ようやく軒下にたどり着く。
息を切らしながら立ち止まると、葵の髪はしっとり濡れ、額には水滴がつたっていた。
陽介はそれに気づき、タオル代わりのように自分の袖で乱暴に拭ってくれる。
「……ほんとに子どもみたいだな」
「なっ、陽介だって、同じでしょ」
互いに顔を見合わせ、また笑う。
雨はまだ止む気配もなく、街の灯りは水たまりに映って揺らめき、世界全体が柔らかく光っているかのようだった。
葵はそっと胸に手を当てた。
濡れた制服の下で、心臓がまだ走っているみたいに速く打っている。
(この鼓動は、雨のせい? それとも……)
答えは出せないまま、雨音だけがふたりの間を埋めていた。
軒下に立つ二人の影が、雨に濡れたアスファルトにゆらめく。
その揺れる影を見つめながら、葵は小さな幸せが胸の中で広がるのを感じていた。
やがて、陽介がふっと笑う。
「……なあ、こうやって一緒にいると、雨も悪くないな」
葵も微笑む。
濡れた髪に雨粒が光り、制服は重く冷たい。
でも、その重さも寒さも、陽介と一緒ならどこか心地よく感じられる。
二人の間に、言葉よりも強く、穏やかに流れる時間があった。
風も雨も、街の喧騒も、すべてがふたりを包み込む音楽のようだった。
放課後の雨は、ただ濡れるだけのものではない。
笑い、触れ合い、心が少しずつ近づいていく時間そのものだった。




