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図書館の約束


 翌日の放課後、校舎の一角にある図書館は、昼間の喧騒をすべて忘れたかのように静まり返っていた。

 窓際のカーテン越しに差し込む夕陽は、棚に並んだ本の背表紙を淡く照らし、金色の光の帯を作っていた。

 教室や廊下の騒がしい声はすでに遠ざかり、この空間だけが別世界のように、時間の流れさえ緩やかに感じられた。

 葵は返却カウンターに本を置き、周囲を見回す。

 この場所は、自分が心を落ち着けていられる居場所だった。

 放課後に絵本をめくって過ごしたこと、好きな詩集を隅で読み耽ったこと。ページの匂いと、木の床の感触、窓から差し込む光……ひとつひとつの記憶が、静かに重なって心を満たす。


 背後から、ゆっくりとした足音が近づく。

「……やっぱりいたな」

 振り返ると、陽介が鞄を肩にかけたまま立っていた。

 図書館の静けさに似つかわしくない彼の姿に、思わず葵は小さく笑う。

「珍しいね、陽介がここに来るなんて」

「お前がいると思ったから」

「……なんでわかるの?」

「だって、いつも放課後にここで絵本読んでただろ」

 思いがけない言葉に、葵の目が大きく瞬いた。

 自分が誰にも気づかれず過ごしてきた時間を、陽介はちゃんと見ていたのだ。

 その事実に胸がじんと熱くなる。

「……もしかして、ずっと見てたの?」

「たまにな」

 陽介は照れ隠しのように本棚に目をやった。その横顔は夕陽に照らされ、影が本の背表紙に重なって揺れている。


 葵は勇気を出して、一冊の絵本を手に取った。

 小学生の頃から好きだった、色鮮やかな挿絵のある一冊。

 ページをめくると、広がる白いキャンバスに筆で描いたような景色が現れ、空気まで柔らかくなるように感じた。

「この本ね、ずっと好きなんだ。未来は真っ白だから、自由に描けるって書いてあるの」

「未来は、真っ白……」

 陽介は低くつぶやき、指先でページの端をそっと押さえた。

 その仕草が、まるでこれから自分の未来に触れようとしているかのように見える。

「俺は……未来が真っ白って言われても、どう描けばいいかわかんねえな」

 声には迷いが混じっていた。

「サッカーやめてから、夢とか目標とか、そういうの考えるのが怖くなった。描いたって、どうせ消えるんじゃないかって思っちまう」

 葵は本を閉じ、静かに陽介を見つめる。

 屋上で初めて弱さを見せた彼の言葉が、ふっと頭をよぎった。

 その延長線上に、いま目の前の彼がいる。静かに、でも確かに心を打つ存在として。

「……真っ白だからこそ、失敗してもやり直せるんだと思う」

 自分でも驚くほど、自然に言葉が出た。

「うまく描けなかったら、また別の色を重ねればいい。消えるんじゃなくて、変わっていくんだと思う」

 陽介はしばらく黙っていた。

 やがて、ふっと笑う。

「……葵って、たまにすげえこと言うよな」

「そんなことないよ」

 照れくさくて目をそらしたけれど、胸の奥では小さな灯りがともったようだった。

 二人は窓際の机に並んで腰を下ろし、同じ本を見ながら時間を過ごす。


 図書館の時計の針が静かに進む音が、やけに鮮明に聞こえる。

 外の空は群青色に沈み、窓ガラスに校舎の明かりが映り込んでいた。

 最後に葵は、自分のノートの余白にそっと鉛筆で小さな文字を書いた。

「未来は白紙だからこそ、自由」

 その言葉は、二人だけの約束のように、静かに心に刻まれた。

 外の風がそよぎ、紙の匂いを運ぶ。

 この瞬間も、夕陽も、窓際の静けさも、すべてが未来の自分たちに残る記憶になるのだろう。

 小さな約束が、確かに二人の心の中で輝き始めていた。

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― 新着の感想 ―
しとやかで柔らかな空気感の中で進行する。 二人の会話。 少しずつ絡まった糸をほぐす様に。 互いを慕う意図を見え隠れしながら、時を刻むさまが。 その一瞬一瞬を切り取ったような文章と、色を使った情景に郷愁…
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