番外編・手紙の行方
春の午後。
葵は机の引き出しを整理していた。
春休みの静かな部屋に、風がカーテンを揺らし、外の街路樹の葉がサラサラと音を立てる。
引き出しの奥から、白い封筒がひょっこりと現れた。
少し曲がった文字で「陽介へ」と書かれている。
卒業式の前日に書いたまま、渡せずにしまい込んでいた手紙だった。
卒業アルバムには書けなかった言葉。
最後のチャイムのあとに伝えられなかった想い。
葵は封筒を手に取り、しばらく見つめた。
淡い光が窓から差し込み、封筒の白が温かく輝いて見える。
胸の奥にずっと引っかかっていたものが、指先にじんわり重く伝わる。
呼吸を整え、彼女は意を決して封を切った。
取り出した便箋に、震えるような文字でこう綴られていた。
『陽介へ。
私、本当はずっとあなたのことが好きでした。
でも言えなくて、書くこともできなくて、ただ隣にいるだけで精一杯でした。
もし未来でまた会えたら、ちゃんと伝えたいです。
その時まで、この手紙はしまっておきます。 葵』
読み返すたび、頬が熱くなる。
胸がぎゅっと締めつけられるような痛みと、同時に温かい幸福感が押し寄せた。
もうこれをしまい込むのはやめよう。
葵は封筒にそっと入れ直し、深呼吸してからポストへ投函した。
未来に託すように、少し震える手で。
数日後、陽介の部屋。
窓の外には、少し遅れて咲いた桜が枝先でひらひらと揺れている。
彼の手元には、ポストに届いた白い封筒がある。
文字を見るだけで、胸の奥に懐かしい温かさと、切ない痛みが同時に押し寄せた。
「……葵?」
思わず声に出す。
中身を開くと、あの日の放課後、最後の放課後に伝えられなかった想いが、紙の上で再び息を吹き返していた。
胸が高鳴り、言葉にならなかった感情が押し寄せる。
あの日、俺も同じことを思っていた。
でも、言えなかった。
陽介は窓の外の桜に視線を移す。
青い空に、淡いピンクの花びらがふわりふわりと舞い落ちる。
桜の柔らかな色合いが、胸の中のざわめきをそっと包み込むようだった。
「……バカだな」
思わず笑いながら、目に涙が浮かぶ。
それは悲しみの涙ではなく、胸を温かく満たす安堵の涙だった。
机の上に新しい便箋を広げる。
彼はしばらくペンを握ったまま、言葉を探していた。
心の中で何度も、葵の顔や笑い声を思い浮かべる。
そして、ゆっくりと、確かにペンを走らせた。
『葵へ。
手紙、ありがとう。
俺も同じ気持ちだった。
言えなかったけど、ずっと大切に思ってた。
また会った時、ちゃんと伝える。 陽介』
書き終えると、陽介は封筒に丁寧に入れる。
手紙を握る手には、少しの緊張と、でも確かな決意があった。
この手紙の行方が、二人を再びつなぐ未来への道標になる。そう信じて。
窓の外で舞う桜の花びらが、春風にのって部屋に入り、便箋の上にひらりと落ちる。
その光景を見つめながら、陽介は小さく息を吐き、目を細めて微笑んだ。
「……すぐに会いに行くよ」
春の午後。手紙は静かに、しかし確かに、二人の距離を縮めていく。
過去の想いも、未来への約束も、すべてがこの瞬間に繋がったように感じられた。




