卒業式
体育館には、春の光が高い窓から柔らかく差し込んでいた。
白い壁に反射した光は、椅子に座る生徒たちの顔をやさしく照らし、ひとつひとつの表情に微かな影を落としている。
壇上には卒業証書が積まれ、マイクを通した先生の声が体育館の空気にゆっくりと染み渡った。
葵は胸の奥で、鼓動のひとつひとつを数えていた。
そのリズムは、いつもより重く、熱を帯びている。
今日で終わる。
この校舎、この時間、そして“放課後”の日々が。
名前を呼ばれて壇上に立つ同級生たちの背中を見ながら、目頭がじんわり熱くなる。
笑顔の中に、寂しさや不安、そして希望が混ざり合っているのが伝わってきた。
隣の席の陽介は、前を見つめて背筋を伸ばしている。
いつもより少し大人びた雰囲気に見える横顔を、葵は無意識に追っていた。
その姿を見るだけで、胸の奥がぎゅっと締めつけられるようだった。
ついに自分の名前が呼ばれる。
小さな心臓の高鳴りを感じながら、壇上に上がり、卒業証書を受け取る。
一礼した瞬間、視界がにじみ、こらえていた涙がゆっくりあふれ出す。
肩越しに見えるクラスメイトの笑顔や、静かに拍手を送る先生方の姿が胸に迫る。
式は進み、在校生の送辞、卒業生の答辞が順に響く。
響く合唱の声が体育館全体に満ち、音の波に心が揺れる。
自分の声は震えていたけれど、隣で陽介の声が確かに重なっていたことを感じる。
その重なりに、葵は少しだけ安心した。
式が終わると、校庭には花束を抱えた生徒たちであふれ、笑い声や泣き声が入り混じった混沌が広がる。
葵も友人たちと抱き合い、涙をこぼしながら笑った。
けれど、心の奥ではずっと陽介を探していた。
視線の先、昇降口の影に彼の姿を見つける。
慌てて友人たちに「ちょっと行ってくるね」と告げ、駆け寄った。
「……陽介」
彼は振り返り、少し驚いたように目を見開く。
「おう。……卒業、おめでとう」
「……うん。陽介も」
言葉にしたい気持ちは山ほどあった。
ありがとう。
好きでした。
これからも隣にいたい。
でも言葉は喉に絡まり、ただ「ありがとう」が零れ落ちた。
「……ありがとう。今まで、一緒にいてくれて」
陽介は一瞬目を伏せ、それから小さく頷く。
「俺のほうこそ。……葵がいたから、ここまで来れた」
その一言だけで、胸がいっぱいになった。
風が吹き、桜のつぼみが小さく揺れる。
まだ咲ききらない蕾は、これからの季節を約束するように見えた。
「今日が、本当に最後の放課後だな」
陽介の声は、少しだけ寂しさを含んでいた。
「……また会おう」
葵はようやく言葉を絞り出す。
陽介は目を細めて笑った。
「ああ。絶対」
握手でも抱擁でもない。ただ、その言葉だけが二人を結びつけていた。
「ありがとう」と「また会おう」が、春の風に溶けていく。
周囲の喧噪から少し離れた場所で、二人はしばらく黙って空を見上げた。
青い空の向こうに、それぞれの未来が広がっている。
どこまで道が続くかはまだわからない。
けれど、この瞬間だけは、同じ空を見ていることが確かだった。
風に混ざる桜の香り。太陽の光に照らされる校庭。
人々の笑い声や遠くの車の音、校舎の壁に反射する光。
すべてが、この日を彩る一瞬の輝きになっていた。
葵は胸の奥でそっと陽介の存在を感じながら、未来に思いを馳せる。
どんな道を歩むことになっても、この記憶だけは、永遠に色あせないだろう。
二人は手を振り、互いの背中を見送りながら、心の中で小さく誓った。
また会おう。
ありがとう、そして……さよならじゃない。
春の光と風が、二人の卒業の日をそっと包み込み、放課後の思い出を静かに空に刻みつけていった。




