3 呪芸屋のオネエさん
用が済んだのだから、居座っていては表の商売の邪魔になるだろう。
倒れたままうめくタロを起こしてお暇しなければ、と思っていると。
「ちょっと待ってなさい」
麟太郎のほうから呼び止められて、朝陽は首をかしげた。
言い置いた麟太郎は、再び部屋のすみをごそごそと探り出す。
──鱗を入れる用の袋でもあるのだろうか。
先日の紫陽花に染まった石を思い出しながら待っていると、向き直った麟太郎がタロをつつく。
「ほら、起きなさいな」
「んええ?」
「アナタ、これ持ってなさい」
麟太郎が開いた手からひらんとぶら下がったのは、ピンク色をした平たいもの。
この店の看板によく似た派手派手しさである点からそっと目をそらして見れば、どうやらそれはお守りであるようだった。
金と銀のビーズで縫い取られたきらびやかな文字を信じるならば、だが。
「なにこれ」
「お守りよ。アナタ、心だか何かに隙間が多いせいで憑かれやすすぎるのよ。たぶん今後もこういったことがあると思うから、アタシ特製のかっわいいお守りで守られちゃいなさい」
「か、かわいい……?」
おろおろしながら振り返ったタロが、助けを求めるように朝陽を見た。
「……中には何が?」
「お守りの中身を知ろうなんて、無粋な子ねぇ。大したものじゃないわよ、ただいざというとき、アナタの身代わりになってくれるだろうものよ」
「持ってるだけで良いのですか」
「そうよ。アタシのお守りは効くって、人気なのよ?」
麟太郎が分厚い胸を張ったところで、タロが眉毛をへにょりと下げた。
「俺、あんましお金ないからそんな人気があるやつ買えないや」
「アナタの鱗を買い取るんだから、それでチャラにしたげるわよ」
麟太郎は大根から引き抜いた鱗を片手に、茶目っ気たっぷりなウインクをタロに送る。
「それに人気商品っていったって、ネットで売ってるから送料だとか梱包の手間賃が乗っかってるだけで、材料費は大したことないのよ」
「でも、タダでもらうの悪いよ……こんなにすごいお守り、俺見たことないもん」
「確かに、ものすごく手のこんだ作りをしているな」
「あらっ」
朝陽も同意してお守りの作りを誉めれば、麟太郎はまんざらでもなかったのだろう。
この部屋に入ってはじめて、きらっと輝く笑顔を見せた。
「うれしいこと言ってくれるじゃない! ネットだと『効果は絶大なのに見た目が』とか『センスはないけど効き目はばっちり!』なんて書かれちゃって。売れるのはただ呪具を入れて縫っただけのお守り袋ばっかりなのよ。まったく、かわいくないったらありゃしない!」
ぷりぷりと怒る麟太郎に、同意することも否定することもできず朝陽とタロは静かに視線を交わした。
いま、タロに差し出したお守りと表の看板はよく似ている。
それはつまり麟太郎が好むデザインが、こういった系統なのだということを示していた。
──麟太郎さんには悪いが、あまり大多数に支持されるデザインではなさそうだ。
そんなことを思っていたせいだろうか。
麟太郎が「そうだわ」と両手を打ち鳴らし、タロの分とは別に新たなお守り(蛍光イエローと蛍光ピンクのストライプ模様。色の境目には虹色にきらめくビーズが縫い付けられている)を取り出し、朝陽に差し出した。
「アナタにもあげちゃう! アタシ渾身のデザインを施したほうはそんなに注文が入らないから、そうね……ふたつセットで千円でどうかしら?」
「買いましょう」
「え、朝陽、欲しかったのか!?」
タロが驚きの声をあげるが、欲しかったわけではない。むしろちょっと遠慮申し上げたい。
だが、タロの身を守るために有効なのだとしたら、買っておいて損はないだろう。
それに恐らく、麟太郎がセット売りをしてくれたのは、タロが遠慮や躊躇をしないよう、仕向けてくれたのだろうから。
──できればシンプルなデザインのものが良かったが、こちらは譲ってもらう身だ。文句は言うまい。
驚くタロをそのままに、朝陽はさっさと財布を取りだしお札一枚とお守り二つを交換した。
朝陽から「ほら、タロの分」と渡されれば、さすがに断らずにタロも受け取る。
それを満足そうに見て、麟太郎は朝陽とタロの背中を押して店の外へ見送りに出てきた。
「お守りだから、肌身離さず持って歩くのよ。とくにアナタ。ええと、名前はなんだったかしら?」
「タロ、佐藤タロ! 麟太郎お兄さん、よろしく!」
「オネエさんとお呼び。あるいは、りんちゃんよ」
びしり、呼び名を訂正する麟太郎に、タロは「はあい、りんちゃん!」とけらけら笑う。
「俺は寺子朝陽です。今度は手芸について話を聞きに来ます」
「あらっ、良い心がけね。手芸は良いわよ~、心がほっこりかわいくなれるんだから。今度と言わず、いまからどう?」
「え、俺やあだ! ちまちましてると眠くなっちゃう」
目をきらめかせた麟太郎から、タロが一目散に逃げだした。
まったくもって子どもじみたしぐさに笑ってから、朝陽はふと麟太郎に向き直る。
「あの、ちょっと聞きたいのですが。守護霊のような存在が消えてしまうことは、あるのでしょうか?」
朝陽が思い出していたのは、紫陽花の件でタロの髪が青く染まったときのこと。
あのとき「花に気をつけろ」と言った白い人影のことだ。
お面様のときにも表れ、もの言いたげにしていた人。おぼろげにかすんで消えてしまうなど、明らかに人ではない。
恐らくタロの危険を知らせるものなのだろう、と思っていたのだが、今回、鱗が生えた際には姿を見ていないことが気になっていた。
「守護霊? なあに、アナタ見えるひと?」
「いえ、まったく。ただ、タロに厄介ごとがあるときは白い人影を何度か見ていたものですから。今回は現れないので、どうしたのだろうかと」
「うう~ん、見ていないから何とも言えないけど……消えちゃったのかもしれないわね。あの子をうっすら覆ってる香り、ずいぶん薄いもの。守り手の残り香って感じよ」
「守り手、というのは消えるものですか」
「あら、この世に消えないものがあるとでも?」
そう言われてしまえば、なるほどと納得せざるを得ない。
──そうか、消えてしまったのか。
白い人影、守り手と遭遇した時に香った、あの甘さを含んだ爽やかな匂いが失われてしまったのかと思うと、ひどくもったいないような心地になった。
タロの最後の鱗がぽろりと取れたのは、それから数日後の金曜日。
大学からの帰り道、夕焼けに照らされながら神社へ向かっているときのことだった。
「あ! 今とれた!」
「ああ、これですっかり元通りか。じゃあ、次の休みには麟太郎さんのところへ行かないとな」
落ちた鱗を瓶に取って、そんなことを話していると、不意にタロが顔をあげた。何かをさがすようにきょろきょろとする。
「どうした?」
「猫の声がする」
「猫?」
耳をすませてみるが、朝陽には聞こえない。
せいぜいが、あたりの民家から聞こえる物音や遠くの道路を走る車のエンジン音ぐらいなもの。
聞き間違いじゃないのか?
そう言おうとしたとき、すぐそばの暗がりで声があがった。
「お兄ちゃんにも聞こえるの!?」
子どもの声だ。
夏の夕日があんまり赤々と燃えるために建物の影が濃くなって、そこにいる子どもに気が付かなかったらしい。
タロの片足が踏み込んだ先の暗がりに、小さな影があった。
「あのね、ボクの猫なの。ずっと何日も探してるのに、見つけられないんだ」
「きみ、ひとりで探しているのか?」
影に立つ子どもの顔はよく見えなかったが、シルエットから大きく見積もっても小学校低学年だろうと思われた。
そんな子どもが、まだ日が落ち切っていないとはいえ夕暮れ時にひとりで猫を探している。
幼い弟妹を持つ身として、朝陽が子どものことを心配したとき。
影からにゅっと伸びてきた細い腕が、タロの手を取った。
「ねえ、お兄ちゃん。いっしょに探してよ!」
「あ、うん。えっと」
ぐい、と影に引き込まれそうになったタロが勢いに押されて了承の返事をする前に、朝陽は彼の肩を掴んで引き戻す。
子どもの手はあっさり離れ、影にするりと引っ込んだ。
「今日はもう暗い。明日の午前中なら一緒に探せるから、今日は君を家に送っていこう」
「それじゃ駄目だよ。僕、出てこられないもの。夕方じゃなきゃ」
──朝は習い事か何か、用事があるのだろう。あるいは、親に猫を探しに出るのを止められている場合もあるか。
「タロ、猫の声はまだ聞こえるか?」
「え、ううん。もう聞こえないみたい」
猫はどこかへ行ってしまったらしい。ならば暗い中、闇雲に探しても見つけられる可能性は低いだろう。
タロが聞いたという猫の声が子どもの探している猫のものだという証拠もない。
そもそも、何日も探しているのならば、どこか遠くへ行ってしまっている可能性のほうが高いだろう。
「それなら明日の夕方、ここで待ち合わせして猫を探そう。探すのはすっかり陽が落ちてしまうまで。陽が落ちたら、君を家まで送っていく。いいね?」
猫を探すことより、子どもの気持ちに寄り添うことが重要だと、朝陽は判断した。
「……いいよ、それで」
ごねられるかと思っていたが、子どもはしぶしぶといった調子ながらも了承する。
「タロも、明日の夕方は用事なかったよな?」
「うん。昼から清春いっしょに試験勉強するけど、そんだけ」
「清春は夕方から用事があると言っていたからな、時間的にもちょうど良いだろう」
互いの予定を確認して、朝陽は子どもに目を向けた。
「それじゃあ、今日はもう帰りなさい。家まで送るから」
いっしょに帰ろう、と言うよりさきに、子どもの影がひらりと駆け出した。
家の影から塀の影、あるいは木の影へ。
いつの間にか広がっていた濃い夕闇のなか、ひときわ暗い小さな影が走り抜けていく。
「じゃあね、明日。きっとだよ! ぜったいきてね!」
「おう!」
遠ざかっていく子どもの影に手を振るタロの横で、朝陽は最後まで子どもの顔がはっきりと見えなかったことを思い出していた。




