2 うろことり
店の営業時間は十時からとなっていた。
本来であれば講義が入っていたが、幸いなことに試験問題作成のため本日はどれも休講。
──試験問題を作るために講義を休むなんて、大学は本当に高校までとは違うものだな。
講義を休まなくて済むのは運が良いのか悪いのかわからない、と思いながらも、ゆったりと朝食を済ませて身支度をした。
鱗を隠すため、タロは長ズボンを履く。二人揃ってかぶった帽子は日よけのため。
そして並んで歩き出す。
──人魚姫のように歩けない、なんて言われなくて助かった。
足取りはいつも通りで、本人が言うように痛みなどは無いらしい。
しかし油断は禁物。あとから症状が出る場合もあるのだと学んだ紫陽花の記憶は、まだ新しい。
陽射しの熱さに汗をぬぐいながら名刺に書かれた住所をたずねれば、その店は思いのほか神社から近い住宅街に建っていた。
「『あなたのための手芸屋さん(ハートマーク)』……ほんとにここなの? 朝陽ぃ」
民家の玄関脇につけられた看板を読みあげて、タロが首をかしげる。
「ああ、そのはずだ」
「でも、呪いとか相談できそうな感じしないよ。看板の色、すっごい明るいし」
「まあ、それはそうだが」
タロの言うとおり、いや。タロは控えめに表現したけれど、看板は派手だった。
濃いピンク色の一メートル四方の板に、白いペンキで書かれた店名は角がなく丸い。それだけにとどまらず、一文字一文字にきらきらと光を跳ね返すスパンコールが貼り付けられていて、どの角度から見ても目に眩しい。
装飾がほどこされているのは文字だけではなく、看板のふちはそれぞれの辺ごとに素材の違う布で彩られていた。ある一辺は蛍光ピンクと蛍光イエローのストライプ模様。またある一辺はやわらかな紫色の生地に銀糸、金糸でハートマークが描かれたもの。また他の一辺は布で作られているらしい花が色とりどりに咲き誇っている。
そして最後の一辺、看板を地に立てるための棒が生えた辺には、七色にきらめく紐の束がぶら下げられていた。
──どれも目立つせいで、むしろどこに目をやっていいかわからない看板だな。
端から端まで主張の強い看板に対して、その先に建つ民家はあまりにも普通。
クリームがかったやさしい色の外壁に、やや色の褪せたような瓦は臙脂色。玄関扉はきつね色をしていて、絵に描いたような平屋の一軒家によく似合っていた。
「……インターフォンがあればよかったんだが」
ピンポーンと押して、ここが目的の場所でないとわかれば退散もたやすい。
けれど残念なことにこの家の玄関回りには、ど派手な看板以外は何もなかった。
しかし悩んでいたところでどうしようもない。
「よし、行くか」
意を決して、朝陽は玄関扉に手をかけ、引いた。
扉の向こうは確かに、店舗になっていた。
六畳ほどの室内に膝の高さの台が四つ、隙間を開けて並べてある。そのうえには色とりどりの布や毛糸玉、ビーズの入った小瓶やカラフルな布で縫われた鞄などが並べられていた。
奥へと続く襖の横に、作業もできそうな広めのカウンターがある。
部屋の左右に大きな窓があるけれど、その両方にフリルとレースたっぷりのピンク色をしたカーテンがかけられているのは、商品の日焼け防止なのか店主の趣味なのか。
どちらにせよ、布越しの明るい光が室内をやさしい桃色に染めていた。
「あらん、いらっしゃ~い! ちょっと待ってねえ〜」
出迎えた野太い声にほっとする。
──間違いない。あの日会った人だ。
店主の麟太郎は開店準備中だったのか、カウンター内で玄関に背をむけてごそごそと物を漁っていた。
本日、身につけているのは白から赤へのグラデーションがきれいなひらひらとしたシャツと、同色のマーブル染めチノパンだ。
「なあに、なあに? 今日はずいぶんはやいお客さんねえ。りんちゃんに会いたくって来ちゃったのかしら? そんなかわいいお客さんはだ〜れだ!」
浮かれた声に似合いの満面の笑みで振り向いて、麟太郎はぴしりと固まった。どうやら、紫陽花の件で会った朝陽の顔を覚えていたらしい。
玄関に立つ朝陽と、その背中に隠れるようにして立つタロ。
客観的に見て、かわいいお客さんではないだろう。
──手芸屋の客だと思わせて、落胆させただろうか。
朝陽はちょっと罪悪感を抱いたのだが。
麟太郎はにいっと唇を引き上げて、ますます笑みを強めた。
「あ〜ら、若い男! 良いわよ、うちはウェルカムよお。手芸男子ってやつでしょ。ひとりじゃ入れなくって、お友達と連れ立って来た感じかしら? その心意気がかわいいわあ」
どうやらあくまで手芸屋の客として扱うことにしたらしい。
うふふ、と笑いながら立派な体躯をくねらせて、麟太郎が迫り来る。
「手始めに編み物なんてどうかしらぁ? 細かくて難しそうだなんて、身構えなくって良いのよぅ。このりんちゃんが手取り足取り、教えてあげるんだからっ。それに今はこーんな太い編み紐もあるから、指でだって編めるのよ。そもそも、ヨーロッパでは長らく、編み物は男性の手仕事だったんだから」
両手に極太の紐の塊を持った麟太郎はもうすぐ目の前だ。
上背があるせいで室内の照明が逆光になり、凛太郎の笑みにおどろおどろしい影を落とす。
「ほら、遠慮しないで触ってみなさいな。くせになるわよぉ」
朝陽は背中にしがみつくタロの震えを感じて、感心した。
──すごい迫力だな。思わず受け取ってしまいそうだ。
だが今日の目的は手芸ではない。
「麟太郎さん」
そんな思いを込めて麟太郎の笑っていない目を見つめて彼の名を読んだ。
「りんちゃんて呼んで」と言われたほうではない、胸に忍ばせてきた名刺に記された名前のほうを。
「はあ」
麟太郎がため息をつき、笑顔をぽいと投げ捨てた。
やさぐれた仕草で回れ右をしておいて、商品の紐の玉を戻す仕草だけはひどく丁寧だ。
きっと心底から手芸が好きなのだろう。
「わーかってるわよ、わかってる。手芸屋じゃなくて呪芸屋のほうに用があるんでしょう、まったく……」
ぶつくさ言いながら、麟太郎は商品の間を抜けて奥の間へ続く襖に手をかけた。
そして肩越しに振り向いた顔には、笑いのかけらもない。
「何してんの、はやく着いてきなさい。そんなぶすくれた顔の野郎どもがいたら、表の店のかわいさが減るでしょ」
襖の向こうは、ほんの四畳の狭い部屋だった。
窓はなく、光が入らないせいで昼間だというのに薄暗い。天井に吊るされた裸電球がぱちり、と音を立てて明かりを灯したけれど、いっそう部屋が寒々しく見えるようだった。
うす明かりに照らされた部屋の隅には、何やら紙の束が積んであったり、謎の藁束が置かれている。
赤黒い糸を通した針がぶっすりと突き刺してあるのは、きっと気づかないふりをしたほうが良いのだろう。
「で?」
畳敷きの部屋にどっかりと腰を下ろし、麟太郎が頬杖をつく。
あぐらをかいた自身の膝を肘置きにした姿勢で片眉をあげるその仕草は、たいへんに貫禄があってお似合いだ。
おかげで後ろのタロの振動具合も増すばかり。
けれど朝陽はそんなタロの背中を押して、麟太郎の前に進ませた。
「びゃっ! 朝陽なにすんの!」
「相談したいのはこいつの脚のことで」
「脚ぃ?」
タロのズボンのすそを引き上げれば、無数の鱗が見えたのだろう。麟太郎が身を乗り出した。
「……鱗ね。どこの沼に行ったの?」
「えっと、大学から北の方に行ったところの、なんか山のそばにあるやつ……家がなくて木がいっぱいあってちょっと怖い感じの……」
「で、魚を捕まえたの?」
「うん、みんなで魚釣り……」
しどろもどろ、タロが答えれば、麟太郎は頭を抱えて「はあ〜……どうしてあそこに入ったの。」と長いため息を吐く。
「そこは元々、放生池よ」
「ほうじょうち?」
聞き慣れない言葉に朝陽とタロが顔を見合わせると、呆れたように麟太郎がじろりとにらんできた。
「供養のために捕まえた魚なんかを離すための池。昔はすぐそばの山に昔は寺があったんだけど、地域住民が減って寺がなくなって、池だけが残ってるのよ。そんなとこで魚を釣るなんて、心霊スポットで肝試しするくらい愚かだわ」
「お、俺そこの魚に呪われちゃったの……!?」
もはやタロは涙目。
麟太郎に怯えていたことも忘れたらしく、彼のたくましい腕にしがみついてぷるぷる震えだした。
「あら、そうしていれば少しはかわいいわね、あなた」と麟太郎が表情を緩める。
「呪いなんて大層なもんじゃないわ。ちょっとかぶれたくらいのものよ」
ひらひらと手を振ってタロを引きはがした麟太郎は、体をねじって部屋のすみをごそごそ。
「塩で清めても落ちるでしょうけど、それだとせっかくの鱗が傷ついちゃうから、そうねえ。今日はこれでいきましょ」
「え、それって、大根じゃ……」
出てきたのは、タロの言う通り大根だった。しかもちょっとしなびてきている。
一人暮らしを機に料理を作るようになった朝陽は「ああ、なるほど」と納得する。
「え、え? 大根をどう使うの? あ、もしかしてその大根、なんか神さまの力が宿ったすっごい有難い大根だったりとか?」
「しないわよ。普通にこうやって使うのよ」
立ち上がり、さらに奥の部屋へ行った麟太郎が戻ってきたときには、大根は斜めに切られていた。
そして麟太郎は、その大根をタロの足首にひたりと据えて上へ滑らせる。
「あ!? い、たたたたたたたっ!」
「我慢なさい。考えもなしに行動した罰よ。痛い目を見てすこし懲りたら良いのよ」
鱗が生える時はくすぐったいくらいだが、鱗を剥がすのは痛いらしい。
逃げようと畳に這いつくばってもがくタロが、朝陽に手を伸ばしてくる。
「た、助けて朝陽ぃ!」
眉をさげて涙目になったタロはかわいそうだが、朝陽は両手をばってんにしてタロの要請を断った。
「今回はタロが悪い。あまりにうかつだ。いま麟太郎さんが助けてくれているところだから、おとなしく耐えろ」
「そんなあ……あ、いたっ、そこすっごい痛いぃ!」
そうして、ほとんどの鱗が取れるまで、そう時間はかからなかった。
大根には見事に鱗がびっしり刺さり、タロの脚にはぽつぽつと数枚の小さな鱗が残るばかり。
──料理本に乗っていた『鱗は大根でとれる』というのは事実だったんだな。今度、魚を買ってきてやってみよう。
朝陽は次の料理素材について思いを馳せている横で、タロはぐったりと力尽きていた。
麟太郎の手から解放されたが、騒ぎすぎて動く元気も残っていないらしい。
「あとは時間が経てば治るものなんですか? そうだ、タロの他にも沼に行った人がいるらしいんですが、そいつらも同じような症状が出ている可能性は」
「他の子は大丈夫でしょ、たぶん。あの場所にそんなに強い念は残っていないもの。この子はちょっと影響を受けやすすぎるのね」
麟太郎の言葉に、朝陽は先ほど聞いた草の例え話を思い出す。
──同じ植物に触れても平気なものもいれば、そうでないものもいる。そういう感じだろうか。
想像してみる朝陽に、麟太郎が「あと、まだ治ったわけじゃないわよ」と続けた。
「また沼に近づかなければこのままおさまっていくでしょうけど、しばらくはまだ鱗が生えると思ったほうがいいわ。生えた鱗は適宜はがしてしまうことね。放っておくと全身に広がって、水に帰りたくって仕方なくなるわよ」
「なるほど。取る時はやはり大根で?」
「う〜ん、お塩で清めてもなんとかなるはずだけど、そうすると鱗の形が崩れてもったいないわよね。かわいいのに……そうね、きれいに取れたら持ってきてちょうだい。買い取ってあげるわ」
「それで今回の相談料とチャラにしましょ」ということになったのだった。




