03-16.三理の法(1)
「あら、意外と早く治まったのね」
紗矢と一緒に絢人がリビングに顔を出すと、メディアが意外そうな顔をして出迎えてくれた。
「ええっと、はい。もう大丈夫、です」
なぜか少し気恥ずかしくなりながら、絢人がそれに返事をする。
「全くもう、人騒がせなんだから」
紗矢がことさらに悪態を吐いてみせるのは、おそらく照れ隠しなのだろう。その証拠に彼女はやや顔を赤らめて絢人の方を見ようともしない。
「で、絢人にはどこまで教えたわけ?
あと教えなきゃいけない事って何かあるかしら?」
「そうね、魔道戦争の大まかな仕組みと魔術系統の概要と、英霊の話と……。ああそう、刻位と楔の話がまだかしら。それと三理の法についても教えておいた方がいいでしょうね」
「ログ?アンカー?さんり?」
紗矢とメディアの会話を聞いて、絢人が不思議そうな顔をする。いずれも耳慣れない言葉だ。ログやアンカーに関しては英単語としての意味合いとしてはもちろん分かるが、この文脈の単語がそれではないこともまた解る。
「ていうか、俺まだ勉強しなきゃダメなのか?」
「当たり前でしょう?まだまだ覚えることたくさんあるんだし、遊んでる時間なんてないんだから」
「うへぇ……」
体調不良から回復したばかりなんだし、ちょっとくらい休ませて欲しいというのが絢人の本音だったりする。別に決して遊びたいわけでもサボりたいわけでもない。
「それとも何?ろくに知識も得ないまま戦場に放り出されたいの?」
「すいませんごめんなさい勘弁して下さい」
というわけで、メディア先生の講義は続く。
「私たち英霊は召喚されて現世に舞い戻る、つまり現界するわけだけれど、召喚される前にどこにいるかというとね、いわゆるデータとして〈刻位〉に刻まれているの」
英霊は常に現世に留まっているわけではない。必要があるとき、出番のときに備えて普段は“データバンク”で眠っているという。それが〈刻位〉であり、現界した英霊はその霊核に〈楔〉が打ち込まれていて、〈刻位〉とは常に繋がっている状態なのだという。
その〈楔〉を通して英霊が現世で見聞きしたものや体験、知識などがリアルタイムで〈刻位〉にアップデートされ続けていき、そうして次の現界の時には、その記憶も保持した状態で新たに召喚に応じるのだ。
だから基本的に英霊は、召喚されて現界している間は他の場所で他の魔術師に喚ばれることがない。英霊となってからも彼らはオンリーワンなのだ。
[契約]に基づく現世での役目を終えたり、あるいは霊核を砕かれるなどして現界を保てなくなったときには、英霊は〈楔〉をたぐって〈刻位〉に戻っていく。そして〈刻位〉に戻って記憶と記録のアップデートを済ませたら、再び召喚に応じられるようになるという。
「ひとつ疑問なんだけど、なんでそんな刻位とか楔とかがあるんだ?」
絢人の疑問はもっともだ。魔術師の存在はまあ分かる。だが過去の偉人や神話・伝承の主役達が魔術師の力をも上回る巨大な魔力の塊である“英霊”として存在し続ける意味とは何なのだろう。
「さあ、何故かしらね?」
その疑問に、紗矢はあっさりと匙を投げる。
「一応、人類史上では『アカシックレコード』と呼ばれるものに該当するわね。でもそんなものが何故あるのか、誰も知らないし分からないの」
「分からないって何だよ。喚び出した英霊に話聞けばいいじゃないか」
「それで済むんならとっくにそうしてるわよ、召喚魔術が成立してもう千年近く経つんだから。
でもね、英霊たちは何も答えないのよ。なぜ刻位なんてものがあるのか、なぜ楔で常にアップデートし続ける必要があるのか、私たち魔術師には一切教えようとしないわ。英霊たちが教えてくれたのはその存在と名称だけなの。ね、メディア?」
そう振られたメディアはといえば、ふふ、と笑うだけで本当に何も語ろうとはしない。
「いやメディアさんも、笑ってないで教えて下さいよ」
「駄目よ、人間の魔術師に私たち英霊が教えられることは何ひとつ無いわ。いいえ、魔術師だけではないわね。一般の人間たちにも化生や付喪たちにも、『誰にも何も教えられることはない』のよ」
「……ほらね、だから言ったでしょう?
ていうか、貴方も魔術師なんだからそれぐらい察しがつくでしょう?」
予想通りのメディアの反応に、予想通り過ぎてさも当然といった紗矢の反応である。
「どうしても知りたければ、自分で研究して解明しなければならない、ってこと。英霊に訊いてそれで終わり、とはならないのよね」
「残念ながらそういうことよ。魔術や神秘に関わる全ての物事は、魔術師が自分の力で解明しなければならないの。
でも、もしも解き明かすことができれば、その時には正式に《魔法》として記録されるでしょうね」
「ま、要するにそれも〈神理〉のひとつ、ってわけ」
「……しんり?」
「そう、神理。〈三理の法〉のひとつよ。三理というのは、この世界を縛る“3つの法則”のこと。絶対不変の法則というか、人の力ではどうにも干渉できない世界のルール、それを俗に“三理の法”と呼ぶの。
これは魔術の世界においては基礎知識というか、根本概念になるから『知らなかった』じゃ済まされないわね。まあ貴方も魔術師になったからには基本的にはすでに理解しているはずだけれど」
紗矢にそう言われるまでもなく、世界の根本概念というのは何となく絢人にも分かる。魔術の世界がその概念の上に成り立っているのだから、魔術師になった以上はそれを体感的に解らないはずはないのだ。
三理とは、神理・人理・邪理の総称のことで、3つ合わせて「三理」という。
神理とは神が定めた理とでも言うべきもので、文字通り人には干渉不能な、絶対不変の真理のことを指しており、大きく分けて時理、運理、命理3つの区別がある。
時理とは“時の流れ”のこと。世界の興りから終わりまで、止まることなく時は進み続けるもので、それは神々がこの世界に顕れる前から存在すると言われている。時が止まるのは世界が終わるときでしかありえず、それまで早くなることも遅くなることもない。
ただし、擬似的な操作で早めたような結果を得たり、遅らせたように見せかけることは可能だ。いわゆるワープの理論、空間魔術師たちの[転移]や[襲歩]などはそういう擬似的操作の結果だと言える。
運理とは、この世の全ての霊体が等しく持つ“運命”のこと。森羅万象の全てにはあるべき運命が決められていて、全てそれに沿った結末が導かれる。それは何人の干渉をも受け付けず、時理と同じく終わりの時まで揺るがずにそこにあるという。
人の言動などで運命を変えたり切り開いたりするような結果が得られる事はあるが、それもまた運命に、運理に導かれた結果だと言えるだろう。
真名の概念もまた運理のひとつと言える。その存在の全てを規定して、知ればその存在の全てを手に入れることが出来るというのは、すなわちそれが運理に定められているからであると言えよう。
そして命理とは、森羅万象全てが持つ“命”のこと。命が生み出され、有限の時を経て死んで無に還ることは、やはり時理や運理と同じく絶対不変の真理である。
命を途中で終わらせることは、その終わりが運理に定められていれば可能だが、特に“生み出すこと”に関しては絶対的に干渉出来ない、世界の理に属する領域である。これに干渉しようとしたのが死霊魔術であり、そのため神理を犯したもの=外道として扱われ、長らく禁忌として忌み嫌われているのだ。
英霊の存在は一見して命理に反しているようにも思えるが、刻位に刻まれて永遠の時を過ごすことはどちらかと言えば運理に属する事柄と考えられているし、そもそも一度人間としての生を終えてからの話でもあるため矛盾はないという。
神理は、神が定めたと言われてはいるが、当の神々でさえ逆らうことも干渉することもかなわない。それほどの根本概念であり、いわば「この世界がこの世界であるために絶対に変えられないもの」とも言える。
「なるほど、これはまあ分かりやすいな。
で、人理は?」
「人理っていうのはね……」




