01-10.遭遇戦(2)
八重刃雉は人をめがけて飛んでいき、その身を切り刻むという。通常は人の命令を聞く類のものではないとされ、召喚魔術師でもこれを召喚し使いこなせる者はさほど多くはない。そして留玉臣命とは、かの桃太郎こと吉備津彦命に随身して鬼を退治した雉の神のことである。動物霊の昇華とはいえ地神の一柱であり、おいそれと召喚できる類のものではなかった。
「クク、見せつけてくれる……!」
死霊魔術師は仄暗い笑みを浮かべて、いや髑髏なので嗤っているかすら定かではないのだが、小さく手早く詠唱し地面に何かを撒いた。
するとそれはたちまち長い口と角、それに尻尾を持った人型の骸骨の群れとなって立ち上が………
「ムダよ。気付いてないの?」
「なに……?」
いつの間にか、公園の地面いっぱいに魔術陣が浮かび上がっていた。それが光ると同時に、今まさに立ち上がりかけていた骸骨の群れが土くれに還ってくずおれていく。
「今の竜牙兵がダメってことは、貴方の魔術は私の[還解]には及ばないってこと。解るわよね?」
特に勝ち誇った風もなく、紗矢が淡々と言葉を放つ。
ザラになりすまして奇襲をかけようとしたこと、それが見抜かれたと見るや強襲に変えたこと。いずれも紗矢が想定していた敵の実力をはるかに下回っていた。昼の対面では、少なくとも奴は紗矢をいつでも殺せると脅してみせたのだ。それだけにリヒトを除く三人がかりでもどうかと警戒していたというのに、この生温さはどうだ。
「もしかして遠慮してるの?本気出さないと死ぬわよ、貴方」
腰に手を当てて紗矢が言い放つ。さんざん警戒させておいてこれでは、紗矢の方が面白くなかった。
だがそうは言いつつ、紗矢は全く警戒を解いていない。戦況としては一見優勢に思えるが、敵は先にこの戦場で待ちかまえていて、紗矢たちはまんまとそこに引きずり込まれた形なのだから、それがこんな程度で終わるとは到底思えなかったのだ。
「クク……ククク……」
死霊魔術師がくぐもった嗤いを漏らす。
そらきた、と思う間もなく[還解]の魔術陣が跡形もなく消された。
「この程度で勝ち誇るとは、所詮は初陣もまだの小娘よな」
死霊魔術師の身体を覆う暗黒の魔力が急激にその濃さを増していく。
それはあっという間に地を満たし空を覆い、公園とその上空を暗黒の濃霧となって埋め尽くした。
「紗矢様!これは、〈邪術〉です!」
遠くでドゥンケルの声が聞こえた。
だがもうその姿はどこにも見えない。
邪術。
それは悪魔や吸血魔など闇の眷族が使うとされる暗黒の術式だ。魔術はあくまでも人の技であってそれは死霊魔術であっても変わりはなく、魔術で対処が可能だが、邪術となると話が変わる。
世界には7つの術式が存在すると言われている。
神々の力の発現とされる〈神術〉。
神の信徒たる法術師の使う〈法術〉。
人の身である魔術師の用いる〈魔術〉。
魔術師と並ぶ人間の術師である呪術師の〈呪術〉。
魔力に拠らぬ人の肉体の技である〈躯術〉。
人の叡智の結晶である〈智術〉。
そして、闇の眷族の操る〈邪術〉。
このうち神術と邪術は人の身では修めることが叶わないとされていて、ゆえに人間が修得できるのは5つの術式だけだ。つまり今のこの暗黒の濃霧が本当に邪術なのだとすれば紗矢たちに対抗する手段はなかったし、そもそも死霊魔術師だと思っていた存在は人間ですらなかったということになる。
「ウソでしょ、ちょっと振れ幅大きすぎないかしら!?」
悪態を吐いてみるものの、本気を出せと言ったのは自分自身なのでどうにもならない。そして紗矢はすぐに自らの霊力が吸い出される感覚があるのに気付いてゾッとする。
まずい、このままこの中にいたら力を喪うばかりだ。もしも万が一霊炉が枯渇するまで霊力を吸われてしまったら、霊核が維持できなくなるとともに生命すら保てなくなる。
「ドゥンケル!リヒト!どこなの!?」
暗黒に向かって叫ぶが、もはや返答はない。
これはいよいよまずいことになった。まずザラと分断され、次いでドゥンケルたちとも離されてしまった。各個撃破されるのだけは避けなければならなかったのに、またしても敵の術中に嵌まってしまったのだ。
だが悔やんでも嘆いてももう遅い。せめて何とかこの暗黒からだけでも逃れなければ。できることならドゥンケルたちも助け出したいが、まず自分の身を守らなければ話にならない。それにきっとザラなら使用人など捨て置けと言うに決まっている。
少し逡巡したが、もはや出し惜しみしていられる状況ではない。紗矢は口の中で詠唱を開始し、霊炉を回して霊力を生成する。幸い、これらの魔術師としての回路はまだいずれも無事だ。だったら魔術師としてやれることをやるだけだ。
詠唱が完了し、彼女は天に向かって右掌を突き上げる。
「召喚、〈雷霆〉⸺!」
成功したとの感触を得るより先に、天から一筋の稲光が公園の中央に轟音と衝撃波とともに突き刺さる。自然界で最大級のエネルギーの塊、つまり魔力の塊である稲妻は、果たして暗黒の濃霧を半ば吹き飛ばしていた。
「クッ、ぐあぁっ!?」
すぐ目の前で死霊魔術師の呻き声がした。闇に紛れて紗矢に止めを刺そうと、すぐ近くまで寄ってきていたのだ。
伸ばした太い腕が見え、紗矢は身をよじってそれを躱すと、稲妻の落下点に向かって思い切り腕の主を蹴り飛ばした。そしてすぐさま公園の外へと走り出す。
「ドゥンケル!リヒト!公園から出なさい!」
紗矢が公園の敷地の外に転がるように駆け出すと、すぐにその後を追ってドゥンケルがリヒトを抱いて出てきた。何とか三人とも無事だったようだ。
「紗矢様、ご無事で!?」
「私はいいわ。貴方たちは平気?」
「は、紗矢様のおかげでございます」
「そう。じゃあ今度こそ死になさいな」
跪いて礼を言うドゥンケルに向かって紗矢が至近から[投射]を放つ。さすがに近すぎて彼は躱すことができず、左肩に直撃を食らって吹っ飛んだ。
「だから真似るならもっと上手くやれっつの!」
「クッ…!」
ドゥンケルの姿だったものは、ローブ姿の骸骨になっていた。そしてリヒトの姿はない。つまり先ほど紗矢が蹴り飛ばした者こそが本物のドゥンケルだったのだ。
紗矢はドゥンケルとはほぼ初対面だったが、それでも死霊魔術師との体格差に気づかぬほど鈍感でもないし、先ほど無言で自分を庇って前に出た様子からしても、彼が助けられて礼を言うなどとは思えなかった。きっと彼ならば、『お手を煩わせて申し訳ありません』とでも言うはずだと思ったのだ。
「紗矢様!ご無事で!?」
そして今度こそ本物のドゥンケルが、本物のリヒトを片腕に抱いて公園から逃れ出てきた。死霊魔術師は[投射]で吹っ飛ばされて無様に転がったままなのだから、今度こそ間違いなかった。
長らくお待たせしました。
次回から、ようやくあらすじ部分の話に入ります。




