00-03.美郷
「紗矢、おーはよっ♪」
声とともに肩を叩かれ、紗矢は思考の海から無理やり引き上げられる。
顔を上げると、いつの間にか中学時代からの親友である星野美郷が紗矢の席の目の前に立っていた。
「どした?今日なんか元気ないね?」
紗矢のすぐ前の他人の席に座って、美郷はやや怪訝そうな顔をする。
「あ…おはよう、美郷。
その、何でもないわ」
「何でもないことないっしょ。
言うてみ?なんか嫌なことでもあったんでしょ?」
「何でもないったら」
昔からこの親友はなんでも正確に見抜いてくる。彼女にはなぜか隠し事ができない。
だけど、待って?嫌なこと?
私、もしかして彼にきらわれるのを嫌がっているの?
「ダメダメ。紗矢ってば昔からすーぐ顔に出るんだから隠してもムダだよ?ほら、美郷ちゃんに話してみ?親友のよしみで聞いたげるからさ♪」
隠しているというか、自分でも整理がつかないだけなのだが、美郷のニマニマ顔を見ているとなぜかそういうところまで全部見透かされているような気になってくるから不思議なものだ。
結局、逡巡した挙げ句、紗矢は今朝のことをそのまま話してしまう。
話を聞いた美郷は声を上げてケタケタ笑う。
笑われるから紗矢は面白くない。
「私、そんなに面白い話したかしら?
私が避けられてるのがそんなに面白いのかしら?」
ムッとしながら抗議する紗矢に、目尻の涙を拭いながら美郷が言う。
「いや~それ考え過ぎだって♪絢人ってああ見えてけっこうおバカだからさ、深い事なんてほとんど考えてないと思うよ?」
「そ…そうかしら?」
「そうそう♪アタシこれでもアイツとは付き合い長いからさ、アイツが何考えてるかはだいたい分かるもん♪」
美郷は紗矢の親友であり、同時に絢人の幼なじみでもある。もとは本町に生まれ育って、親の仕事の都合で新町に引っ越すまでは毎日のように絢人たち幼なじみと遊んでいた、と紗矢は聞いている。
紗矢と知り合ったのは中学に上がってからで、聞けば紗矢が両親ともどもドイツから帰国して新町のミッション系私立小学校に転入したのと、美郷が引っ越して同じ小学校に転校してきたのがほとんど同時期なのだという。美郷はその頃から紗矢と仲良くなりたいと思っていたのだそうだ。
そしてエスカレーター式の中学校に上がって同じクラスになったのを機に、美郷は紗矢に声をかけたのだ。
それ以来、適度な距離感で、でもその割にグイグイ来る美郷に押し切られる形で、いつの間にかふたりは仲良くなっていたのだった。だからそういう意味で紗矢は美郷が苦手だ。何でも上手を取られ、まるで勝てる気がしないのであった。
「でも、私には彼に避けられてる意味がちっとも分からないわ。あなたは分かるの?」
「それはね、避けられてるんじゃないよ。むしろ逆かな~」
「逆?どういうこと?」
「ほら、紗矢ってばウチの学校イチの美少女じゃん?フツーの男子は眩しくて近寄りがたいもんなのよ♪」
「び、美少女って…。
そんな事もないと思うけど…」
口ではそう言いながらも、紗矢は自分の容姿には自信があった。少なくとも去年の学園祭でミス沖之大島に選ばれたのは事実だったし、ここ数年で告白を受ける回数は増える一方だ。そもそも小さい頃からドイツでも日本でも可愛い、美しいと周囲から言われ、それに慣れてしまってもいた。言われ飽きている、と表現した方が正しいかも知れない。
「じゃああなたは、彼が私のことを意識してるとでもいうのかしら?」
「そ。絢人の反応ってああ見えて割と分かりやすい方だから、まず間違ってないと思うよ~?」
そう言って美郷はまたニマニマ顔をする。そのやらしい顔がやけに心に引っ掛かる。美郷だって自分が数多くの好意を向けられている事を見てきて知っているはずであり、よく知った幼なじみが親友に好意を寄せているというだけでこんな顔をするとは思えなかった。
と、そこまで考えて紗矢はある可能性に思い当たる。
「…まさかあなた、私の方でも彼を意識してると思ってるんじゃないでしょうね?」
「あれ、違うの?」
即答で肯定されて紗矢は鼻白む。
そして慌てて否定する。
「そっ、そんな事ある訳ないじゃない!な、何とも思ってないわよ彼のことなんて!」
「ムキになって否定するのはそーゆー事だよ♪」
そしてまた即答で肯定されて、困ってしまって黙り込む。
「まあ去年のアレがあったからさ、アンタたちがお互いに意識し合うのもある意味当然っちゃ当然だと思うけどな~アタシは」
「そっ、そんな事言ったらあんたはどうなのよ!?彼とはあんたの方が付き合いずっと長いじゃない!」
「アタシは、ん~なんて言うかさ~兄弟みたいな感じ?付き合い長すぎて恋愛感情ってイマイチ湧いてこないのよね~」
ニマニマ顔をやめて、やや苦笑するように美郷が言う。それを見て紗矢の方も色々と察してしまう。おそらくこのふたりはお互いが一緒にいることに慣れすぎて、もうそういう関係を超えてしまっているのだ。
そうと分かれば色々と納得もいく。紗矢にだってそういう相手がいるのだから。ドイツで生まれ育った約10年間、片時も離れなかった歳上の従兄の姿を思い浮かべて、あーあれとは確かに恋愛できないわよねえ、と紗矢は納得するのだった。
ちなみにその従兄は、今はシュヴァルツヴァルト本家の当主を務めている。紗矢から見ても天才と呼べる魔術師で、文字通り『ケタが違う男』だったが、紗矢とは腐れ縁と言ってよかった。
「…要するに腐れ縁なのね、あなたたちは」
「そーゆー事。だから、紗矢がアイツを好きならアタシは応援するよ♪」
「残念だけど、それは無いわ」
一気に冷めてしまった目を伏せて、静かに紗矢は宣言する。
「およ?向けられる好意は数あれど、紗矢ちんの方から好意を向けるのはアタシの知る限り初めてなんだけどな~?」
「確かに彼には感謝してるし、嫌いじゃないのも多分当たってる。
でもそれまでよ。前にも言ったでしょう?私が恋愛する相手はそのまま黒森の婿になるんだから、相手は自ずと決まってくるの」
伏せたまま目も合わせなくなった紗矢の様子に、美郷は押してはいけないスイッチを押してしまったと気付く。あちゃ~失敗したかあ~、と思っても後の祭りである。
美郷だって紗矢の家庭の事情は色々と聞いている。古い家柄で、本家のたったひとりの娘で、父が再婚しない限りは自分が唯一の跡継ぎだから結婚も恋愛も自分では選べないのだと、そう紗矢は語ったことがある。まだ高校生の身で一族の将来まで背負わなければならないというのは、一般のサラリーマン家庭で生まれ育った美郷にはなかなか想像しづらい事だった。
「…そっか。じゃあ仕方ないね」
「そういうことよ。
さ、この話はもうおしまい」
話している間に教室にも登校してきた生徒が増えてきていた。じゃあそろそろアタシもクラスに戻るわ、と言い残して美郷は教室から出て行った。
太刀洗くんにはきっと美郷が一番いい相手なのだろう、と紗矢は思う。腐れ縁とは言うけれど、お互いに一緒にいるのが当然と思えるほどの相手こそが一番気兼ねなく長く付き合えるのだから。魔術師なんかに関わるよりも、その方がずっとふたりにとって幸せになれるに違いなかった。
でもそうなると、私に相応しい相手はどこにいるのだろう。魔術師で、それも自分に見合うだけの実力を備えていて、黒森の次期当主としても申し分のない相手。
紗矢には今のところそんな相手の心当たりはない。自分で見つけられなければ、本家が一族の中から適当な相手を見繕ってきて押し付けられるのだろう。長い歴史のある魔術貴族の家系では、それもやむなしかも知れなかった。
解ってはいるけれど、やはり少し寂しい気持ちになる。せめて好きになれる相手と一緒になれればいいのだけれど。




