逢魔が時
──黄昏時は、逢魔が時。
なんて、言葉が頭をよぎるくらい、見事な夕日だった。
大きなビルとビルの間にある橋。その橋を渡る途中で空を見上げると、一面が真っ赤に染まっていた。
「明日は満月だから喫茶店はお休みだし。お店のお掃除してたら、遅くなっちゃったなあ」
満月の日は店休日。だから毎月、その前日に店内の大掃除をしている。
お店には地下の貯蔵庫もあるらしいが、地下室はマスターが掃除することになっているので、毎回一足先に上がらせてもらっている。
帰りにはいつも、パンケーキやサンドウイッチ、クッキーなどの軽食が入った紙袋を持たせてくれるので、わたしはお掃除の日が好きだった。
「うぶッ!?」
綺麗な夕焼けを見ながら、早く帰ってパンケーキを食べたいな、なんて考えていたら急に何も見えなくなった。
「え、なにこれ……」
ビル風と一緒にわたしの顔へダイレクトアタックしたのは、真っ赤な布地に金の刺繍が入った、ド派手な布だった。
イランイランとサンダルウッドを足したような、華やかで少し落ち着く香りがする。
「もしかして、ストール?」
ストールが飛んできた方向を見ると、視界にとんでもないものが映りこんでくる。
「あら~~、いやだわあ。いたずらなビル風ちゃんね!」
野太い声の主は、お尻を左右に振り、カツカツカツと小気味の良いヒールの音を響かせながら近づいてくる。
風になびくたっぷりとした金髪は大変ゴージャスであるし、背も高く、足も長い。
おそらく特注だろう深紅のドレスは、デコルテが大変綺麗に見えるであろう、シンプルながらも品のあるデザインだった。
しかし、だ!
ドレスのスリットから見える足は骨太で、筋骨隆々たる男の足である。
波打つ金髪に挟まれた顎は大変たくましく、二つに割れていた──いわゆる、ケツ顎というやつだと思う。
ちなみに肩はいかつい逆三角。綺麗なデコルテかと問われれば、ある意味そうかもしれない。
「小さなお嬢ちゃん。アタシのストールをキャッチしてくれて、あ・り・が・と・う」
うふ、と笑って彼女…いや、彼? はストールを受け取り、天女が羽衣をまとうかのような、優雅なしぐさで羽織った。
長い金色のまつ毛に縁どられた青い瞳は、きらきらと輝いて、とても……きれい……。
「お嬢ちゃん、しっかりなさいな。アタシの目をそんなに見つめちゃダーメ!」
「──ッ!?」
個性的な顔がずいっと近づいてきたかと思うと、鼻先を指で弾かれてハッとした。
なんだか少しぼんやりしていたみたい。
落としそうになった紙袋を、目の前の大きなオカマさんがつかんでくれた。
「はい、これ。大事なものなんでしょ」
紙袋を両手で支えながらウインクをした、オカマさんのお腹がぐうとなる。
大きな茶色い紙袋の中にはサンドイッチやパンケーキ、クッキーなどがたくさん入っていて、食欲をそそる匂いがした。
「あら、嫌だわ。アタシったら、はしたない」
「あの。よかったら半分どうぞ。わたし一人じゃ、今日中に食べきれませんし……今日食べたほうが美味しいですので!」
「うーん、そうねえ。折角の好意だもの、いただくわね」
オカマさんは少し悩んだようだったが、ニカッと笑って受け取ってくれた。
そして、反対側の手に持っていた、光沢のある、赤い紙袋を私に差し出す。
「甘い香りがするお菓子のお礼に、アタシからのプレゼントよお」
「え!? 良いんですか!? 見たことのない名前のお店ですけど……お菓子ですか?」
なんだか高そうな赤い紙袋をしげしげと眺めながら受け取ると、何がツボだったのか、オカマさんは豪快に口を開けて笑った。
「オホホホホ! お嬢ちゃんも食い意地が張っているのねえ! お菓子のお礼に、お菓子は渡さないわ。それは明日役に立つ、アタシからの贈り物よん」
「はあ」
「ちょっと! 真面目に聞きなさいなシュガーガール!」
「しゅ、しゅがーがーる?」
「明日はサーウィン……じゃ通じないわね。ええと、ハロウィーンでしょ?」
「そういえば、そうですね」
「だからね、これはアタシからの親切な忠告よ。──明日、外を出歩くのなら、必ずそれを着なさい」
いいわね? なんて、念押しをして、キャラの濃すぎるオカマさんは去った。
この町に来てしばらくたつが、あんなあからさまなニューハーフ(?)を見たのは初めてである。
明日はハロウィンだし、駅前の広場で何か催し物をやるのかもしれない。
んでもって、あのオカマさんは催し物の出場者なのかも。
そんなことを思いながら、わたしは家に帰った。
ある意味、わたしの予想は的中していたのだけど、この時のわたしはそれを知るよしもなかったのだった。




