11 つやつやのスイートポテト
調度品も揃い、メニューも決まった。制服の着こなしだってばっちりだ。
メイド服を模した、シックな紺のブラウスとロングスカート。とろみのあるデザインで、肌触りもすごくいい。身体のラインに合わせつつも膝から裾へと広がるフレアの揺れが尾びれのようで気に入っていた。
フリルたっぷりの白いエプロンを纏うのも忘れてはいけない。綺麗なリボン結びができなかったので、後でラケルに結んでもらおう。
今日はとうとうカフェ・マーメイドのオープン初日。
朝食を済ませ、ノアはわくわくしながら階下へ降りる。
ドアにかかった『閉店しました』の下げ札を『営業中』にひっくり返すのは、ラケルから任命された記念すべきノアの初仕事だった。
からんころんと涼やかなドアベルの音。エントランスを映すノアの視界の下のほうに何かがいる。ノアはきょとんとしながら下を見た。
「わ、可愛い!」
一匹のキツネが丸まって寝ていた。つやつやと輝く毛並みはスイートポテトのような色。背筋や手足の先が焼き色めいたこげ茶色だから、余計にスイートポテトに見える。
「近くの山とかから来たのかな」
近くに海があることは知っているが、山があるかどうかは把握していない。完全に適当だ。
街門を通り抜けてその辺の野原から迷い込んできたのかもしれない。
それとも、異世界なら飼い狐もいるのだろうか。周りにキツネを飼っていた人はいないからよくわからないが、首輪の類はついていなかった。
「キツネさん、どうしたの?」
しゃがみこんで話しかける。キツネはまるでノアの声に反応するかのように顔を上げた。
「そういえば、お前は主をキツネと呼んでおったな」
「?」
どこからか声が聞こえた。男性とも女性とも、大人とも子供ともつかない不思議な声だ。
「では、お前の周囲において、主の姿はそれで固定しよう」
丸まっていたキツネは伸びをするように起き上がる。
「久しいな、契約者。罪に問われたと聞いて様子を見に来たが、壮健そうでなによりだ」
ノアは周囲を見渡すが、周りには誰もいない。気のせいだったのだろうか。
「ノアさん、どうかしたか?」
カウンターにいたラケルが、なかなか戻ってこないノアに声をかける。
「ラケルくん、みてみて!」
「なっ、何をする!?」
ノアはとっさにキツネを抱きかかえた。ノアでも捕まえられる程度には人馴れしているようだ。
「キツネさん!」
「は?」
ラケルは怪訝そうな顔で近づいてくる。キツネはノアの腕の中でおとなしく見せびらかされていた。
「ノアさん、野生の動物に素手で触るなっていつも言ってるだろ」
「捕まえられたのが嬉しくってつい」
野営中に野生のウサギやらネコやらを見かけるたびにノアが撫でにいこうとすると、病深に侵されたマモノかもしれないから近づくな、と言われたものだ。
「ほら、さっさと離して手を洗ってこい。店には入れるなよ」
「はぁい」
ノアはおとなしくキツネを地べたに降ろす。キツネは逃げ出さなかった。
「小童、まさか主を穢れ扱いしたのか?」
「ノアさん、なんか言ったか?」
「ううん」
ノアは首を横に振る。でも、声は確かにまた聞こえた。
「……ねえラケルくん、この世界の動物って喋るっけ?」
「喋んねぇよ。二年いたんだから知ってるだろ」
「だよねぇ」
二人の視線の先には、威嚇する小さなキツネ。
「じゃあこの子、なに?」
「どう考えてもコイツが喋ってるよな……」
ラケルはノアを謎のキツネから守るように、ノアを背中に隠す。するとキツネは警戒を緩めた。
「まあよい。主の契約者を重んじているのなら、その心に免じて許してやろう」
「なんか偉そうなヤツだな」
「でも、悪い子じゃなさそうだよ」
ノアはラケルの背中からひょっこり顔を出す。キツネはぴょんっと跳び、ノアの首に巻きついた。まるでふかふかのマフラーのようだ。どこか懐かしくて落ち着くような、いい匂いがする。
「契約者。お前の願いも叶っているようで、主は安心しておるぞ」
「……キツネさん、もしかして前にノアと会ったことある?」
思い出すのは、この世界で初めて目を開ける直前に見ていた夢だ。
喋るキツネと出会う夢。何を話したかまでは覚えていないが、あの時のキツネは今目の前にいるキツネとよく似ているような気がした。
「あるとも。別世界で居場所をなくしていたお前の魂を拾い上げたのはこの主だ。お前は主と契約し、病深を清めてくれただろう。感謝しよう、契約者」
キツネはノアの頬をぺろぺろ舐める。くすぐったい。だが、ムッとした顔のラケルがすぐにキツネを引き剥がした。
「ノアさん、怪しいヤツと喋っちゃダメだぞ」
「ラケルくんノアのこと子供だと思ってない?」
ノアがむくれてみせると、ラケルはうっと言葉に詰まる。その隙にノアはラケルからキツネを取り返した。
「大丈夫。この子、やっぱり怪しくないよ。お稲荷さんだもんね」
「おいなりさん?」
「ノアがいた国の、神様みたいなやつ」
「そうさな、その認識で構わぬ。主に名はなく形もないが、主を形容するのであればその言葉がもっとも近いであろうよ」
ノアがキツネを撫でると、キツネは気持ちよさそうにノアに身を任せた。ぬいぐるみのようでかなり可愛い。
「よくわかんねぇけど、ノアさんの故郷の神様なら確かに大丈夫そうだな」
「……主は人に崇拝を求めぬ。敵意を向けられれば相応に応えるが、敬うことの強制はせぬよ。見るに小童、お前は熱心に神へ祈る質ではないのであろう。そのぐらいの熱量のほうが、主も気楽でよい」
ラケルの態度にキツネは何か思うところがあったようだが、それよりノアに撫でられることを優先したようだ。もっと撫でろとでも言いたげにノアにすり寄るので、ノアも毛並みを堪能する。
「キツネさん、名前ないの? 不便じゃない? ノアが名前つけてあげよっか」
「主に名を? 構わぬ、つけてみよ」
「じゃあ、おいも! スイートポテトみたいでおいしそうだから」
「……ふむ。かつての主の契約者が言っていた。祖国では、酒とパンを神の血肉と呼ぶのだと。彼女の言葉にならうのなら、お前の名付けも的を射ている。よい名ではないか。お前とお前の周囲の者に限っては、主をそう呼ぶことを許そう」
「まあ本人? がいいって言うならいいんじゃねぇかな」
神を自称するキツネ改め、おいもは満足そうだ。ノアも嬉しそうなので、ラケルは考えることをやめた。
「おいも、やっぱりうちの子にならない? 看板キツネさん」
「すまぬがそれはできぬ。主が人に所有されることはないのだ」
「ざんねん。うちの子になれば毎日ラケルくんのごはん食べれるのに」
「主に食事の必要はないのでな。人ではないのだから、人の食むものなど主には何の意味も価値もない」
「あ?」
おいもが何気なく放った一言が、ラケルの料理人としてのプライドに火をつけたようだ。ラケルの抹茶色の目が好戦的に光る。
「よしノアさん、コイツ庭に連れてけ。客第一号だ。料理できるまで逃がすんじゃねぇぞ」
「かしこま!」
おいもを抱き上げ、ノアは裏庭へと走る。庭は家庭菜園になっていて、ハーブや野菜を植えたばかりだ。世話をしているのは主にラケルだが、ノアもたまに水やりを手伝っている。
しばらくおいもと遊んでいると、ほかほかの湯気といい匂いを漂わせる深皿を手にしたラケルがやってきた。薄黄色の中に散らばるオレンジと緑が美しい。
「ほらよ、鮭とほうれん草のクリームパスタだ。客っつっても神様から金は取らねぇから。ノアさんをこの世界に連れてきてくれたお礼だと思って食ってくれ」
「主への供物か。それならば受け取らねばなるまい」
差し出された皿に、おいもは躊躇なくマズルを突っ込む。やけどの概念はないようだ。
パスタに噛みついた瞬間、おいもはぴたりとその動きを止めた。しかしそれは一瞬のことで、はふはふとパスタをちぎっては飲み込みちぎっては飲み込んでいく。
「……認識を改めよう。嗜好品としてはまずまずのようだ」
クリームを綺麗に舐めつくしたぴかぴかの皿をラケルに押し出し、おいもは満足げに毛繕いを始める。ラケルは苦笑して皿を下げ、キッチンに戻っていった。
「主は人に所有されぬ。しかし契約者、お前が望むのであればこれからもここに来るのはやぶさかではないぞ。その際は小童の料理を供物として献上せよ」
「ラケルくんのごはん、おいしいでしょ」
別にノアが褒められたわけではないが、ノアは得意げに胸を張る。おいもは瞳に慈愛を滲ませてノアを見上げた。
「契約者。愛を祈った娘よ。お前はお前の願い通り、無事に愛されているのだな」
「?」
「それならば主の憂いはない。お前の形なき願いも、叶えられていたようで何よりだ」
おいもはしっぽを持ち上げる。まるでノアの頭を撫でるかのように、しっぽがノアの頭の上でゆらゆらと揺れた。
「これからも健やかであれ、ノア。お前を慈しむ者達の愛が、お前の安寧を約束するであろう。しかし案ずるな、その者らの想いは決して作られたものではないのだから」
「う、うん」
「さて。そろそろ主は戻るとしよう。また様子を見に来る」
おいもは煙のように消えてしまった。一人残されたノアは、ぽかんとしながらそれを見送る。
(願い……? そういえばノア、あの時おいもに何かお願いしたような……)
夢現で交わした契約だ。何も思い出せない。そもそもノアは、自分がどうして異世界に来たのかもよくわかっていなかった。
※本物の野生動物には人間の食べ物を与えないでください




