9 試食いろいろ
「ラケルくんラケルくん、あれもほしい!」
ノアがショーウインドウに飾られた大きなくまのぬいぐるみを指さすと、ラケルは律儀に足を止める。
ふかふかの茶色の毛並みと、首に巻かれたビロードの赤いリボンが目を引いた。椅子に座っているが、抱え上げればノアの背丈の半分ぐらいはあるかもしれない。
「お店に飾ろうよー。可愛いよ?」
「ノアさんが言うなら間違いねぇな」
ラケルはノアに激甘だ。
「ノアさん考案のメニューからして、客層は女性客多めの想定。店主が厳つい分、内装で入りやすさを担保するのはいい選択だ」
それはそれとして商売人なので計算はできている。
「そもそも、ノアさんにとって居心地のいい店が、俺の理想の店なんだし」
やっぱりただの聖女全肯定男かもしれない。
カフェの内装を整えるために調度品を探しに街へ出た二人だが、ずっとこの調子なので購入予定のリストはすっかり少女趣味のファンシーなものに染まりつつある。
さすがにまだ検討の段階で後回しにした家具や小物も多いが、それでも乙女らしさ全開だ。
「あんまし内装がとっちらかってもよくねぇから、統一感は持たせてぇけど……この感じなら、上流階級に憧れてる子達に受けそうだな。ちょうど俺らの制服も使用人っぽいし」
「ノア知ってるよ、コンカフェっていうんだ」
メディアやSNSで聞きかじっただけの知識しかないから何かが微妙に違う気もするけれど、異世界なので正確な情報は手に入らない。AIもインターネットもここにはないのだから。ノアの知ったかぶりは訂正も注釈も入らず、「ノアさんはなんでも知っててすごいな」と純粋な眼差しで言われるものだから、ノアも嬉しくなってにこにこだ。
「お店の名前も決めないとね。前はなんて名前だったの?」
「歌う人魚亭。……お袋が歌うの好きでさ」
親父はお袋にべた惚れだったから、とラケルは照れ臭そうにそっぽを向く。本人は気づいていないのかもしれないが、その父親の血はしっかり息子に受け継がれていた。
「そうなんだ。素敵な名前だね。せっかく可愛い名前なんだし、元の名前は残しておきたいかも」
ノアは考えながら空を見上げた。海とは違う青色が広がっている。
「……マーメイドとか?」
「どういう意味だ、それ」
「そのまんまだよ。人魚のお姫様。人魚姫っていうおとぎ話があってね、悲しいからノアはあんまり好きじゃないんだけど」
「へぇ。どんな話なんだ?」
小さいころ、祖母が買ってくれた絵本の中身を必死になって思い出す。
溺れた王子を助けた人魚姫。人魚姫は王子を追って、陸の世界にやってきた。
だけど王子は、命の恩人を人魚姫ではなく他の女性だと思い込んでしまう。
別の女性を王子が選んだことで、何者にもなれなかった人魚姫はそのまま消えて、死んでしまった──
そんなうろ覚えのあらすじを語るにつれて、ラケルの表情がだんだん険しくなっていった。
「ノアさん。俺はノアさんを、人魚姫にさせるつもりはねぇからな」
「どしたの急に」
「恩人を見誤るような奴なんざクソ食らえだ。ノアさんはその話、嫌いなんだろ。じゃあ結末を変えてやろうぜ」
ラケルは何かのスイッチが入ったようだ。きょとんとするノアを置いてけぼりに、ラケルは何やら息巻いている。
「なんで人魚姫は死んじまうんだ?」
「えーっと……確か、泡になっちゃうんだ。一人で海に帰って、泡になって消えちゃうの」
「じゃあこうだ。泡になって消えそうだった人魚姫を掬い上げた漁師達がいたんだよ。で、すんでのところで人魚姫を助けた。人魚姫はそのまま、そいつらの暮らす漁村で幸せに暮らした。これでどうだ」
ラケルは大真面目な顔で、童話の新しい結末を考えてくれる。ラケルが聞かせてくれた物語の続きは、確かにあの悲しい話よりよっぽどノア好みだ。
「いいじゃん。ノア、そっちの終わり方のが好きだよ」
ノアが笑うと、ラケルもふっと眉間のしわを緩めてくれる。
「幸せになった人魚姫がいる店、マーメイド。うん、いいんじゃねぇの? せっかくノアさんが考えてくれた名前だしな」
「採用? やった!」
「名前が名前だし、もうちょっと海モチーフに寄せるか。全体的に白系でまとめて、爽やかかつ幻想的に……制服ももうちょい手を加えたほうがいいか?」
ぶつぶつ呟くラケルの目つきはこだわり商人モードだ。
旅の間、この眼差しで食料品を巧みに目利きしたり値切りしたりする彼の姿はよく見てきた。こういう時、ノアはまったくの専門外なのでおとなしくするに限る。
「よし! 考えがまとまってきた!」
購入予定の品々をまとめたリストとしばらくにらめっこしていたラケルだが、ついに納得のいく答えを掴んだらしい。
「店の備品は今日注文しちまうか。家具も工房に発注しとこう。届くまではメニューの研究だな。ノアさん、試食よろしく頼むぜ」
「うん!」
それから二人は食料品をたっぷり買い込んで店に戻った。
それからの食事は毎回、カフェメニューの試食会を兼ねたものだ。
魚介のリゾットやピザ、パスタにグラタンまで。おいしいおいしいと食べ尽くすノアを前にすると、ラケルのやる気もみなぎるらしい。
モーニングセットに続き、ランチセットも数種類考えた。ランチのメインは魚介か鶏かを選ぶことができるし、サラダとデザートも付いてくる。
おやつの時間も試食の時間。アイスを添えたワッフルが特に美味しかったけど、マドレーヌも捨てがたい。バターとはちみつをたっぷり乗せたラケル特製ホットケーキは、薄くてしっとり柔らかかった。忘れてはいけないのは、いちごのパフェとチョコレートのパフェだ。どちらも甲乙つけがたい美味しさだった。
マーメイド風フレンチトーストは、パンと卵を使うことしか知らないノアの曖昧な知識をもとにしてラケルが編み出した特別メニューだ。料理人の勘が冴えたおかげできちんと牛乳が加わっていて、焼き加減もちょうどいい。仕上げにかけるココアパウダーはノアの案だ。
こうして、美味しいものをお腹いっぱい食べたいノアの夢が詰まったメニューブックができあがった。
「ラケルくんってもしかしなくても天才?」
「や、やめろよ。ノアさんに褒められると照れるじゃねぇか……」
ノアは目を輝かせながらメニューのページをめくる。メニューの絵を描いたのはノアだ。一品一品丁寧に、少しでも美味しさが伝わるように一生懸命描いた。中々の出来栄えだと自負している。ページの端に海の生き物の絵を描いたのはちょっとした遊び心だ。
メニューの完成とほぼ同時に、注文した家具や小物も揃った。内装工事もだ。一週間ほどの出来事だったが、これは魔法使いの職人達が腕利きばかりだかららしい。
つやつやの白いテーブルセットは貝殻を加工して作られているらしく、見る角度によっては虹色に輝いているように見える。金縁の白い食器にも同じ工法が使われているそうだ。
「パーレイ加工って言ってな、この街の伝統技法なんだぜ」
「すごい。綺麗だねぇ」
窓には涼しげなレースのカーテンがかけられた。何かを一緒に織り込んでいるのか、キラキラと控えめに光っているおかげで、風が吹くとまるで寄せては返す波のように見える。
カウンターは元の木製のままだが、ぴかぴかに磨いて色も塗り直した。ここは客席としては使用しない予定だ。
ちょっと寂しかったので、近くの浜辺で拾ってきた貝殻を綺麗に並べてみたところ、思いのほかラケルから高評価をもらったことがきっかけだった。料理の受け渡し場所以外にも、ディスプレイとして活用することにしたらしい。
「まだ改善の余地はありそうだが、ひとまず店としての形にはなったな」
「じゃあ、もうすぐオープン?」
「ああ。食材業者にも話をつけたし、いつでも店を開けるぜ」
「やった! ノア、お仕事がんばるね!」
「頼りにしてるぜ、ノアさん」
そして、ノアの欲しいものがあふれたカフェができあがった。
「お客さん、たくさん来てくれるといいな」
ノアが安心して過ごすことができて、ノアの心を満たしてくれる場所。他の誰かにとっても、そんな場所であれたらいい。そんな願いを込めて、ノアは白いテーブルをそっと撫でた。
なお、以前ノアが欲しがった大きな茶色のくまのぬいぐるみは、無事にノアの部屋に置かれることになった。ふかふかである。




