番外編 あの夏の日の買い物日和
夏真っ只中。
霧子と東雲は夏季休暇を利用し、買い物に出掛けた。
東雲はすっかり夏の装いだ。肩まで伸ばされた、明るいグレージュの髪は結わえられ、崩した三つ編みがキャップからその姿を覗かせていた。彼女が醸し出す、元気印のような雰囲気は可愛らしい。
変わって、霧子はいかにも大人の女性といった装いだった。スタイルの良さを生かし、白のワイドパンツに水色のペプラムブラウス、前で結ばれたリボンと折り重なった裾のプリーツが綺麗なスタイルの中にも女性らしさを際立させている。
二人が訪れたのは、事務所から遠く離れた郊外の地。俗に言うアウトレット、屋外型のショッピングモールだ。
東雲は到着するや否や、伸びをしながら声を上げる。
「やーっと、来られましたね!」
「そうね。にしてもこの人混みは、ちょっと暑すぎるわ……」
霧子の言う通り。様々な店が軒を連ねるモールには、夏休みを利用して多くの人の往来があり、大変混雑していた。ただでさえ、屋外型の店舗が主だというのに、日照りは容赦なく差し込む。
店舗の前を通り過ぎると屋内の冷房がそよぎ、その空気の冷たさに一喜一憂するほどだ。
人よりも少し体温が低い霧子には、この暑さは堪えるようだ。普段は下されている長く艶やかな黒髪も一つに纏めあげられ、うなじを晒している。しかし、暑いと言いつつも、額や首筋には汗ひとつかいていない。
東雲はちらりと霧子を見上げる、霧子の長身は目を引く。そして、スタイルの良さも。
(霧子さんの隣に立つ見藤さん、凄いなぁ……。私やったら自信なくすわ……。いや、見藤さんも、きちんとした格好したら――)
そう思い至り、溜め息をつきたくなった。
見藤の隣に立つのは霧子、霧子の隣に立つのは見藤。二人の間には誰も入れない、まるでそう言われているかのようだ。
東雲の見藤への恋心は確かなものだ。だが、霧子を前にすると違った気持ちが芽生えてくる。それを表現する言葉を、まだ少女である東雲は持ち合わせていない。
すると、霧子は困った様子で、東雲にしか頼めない相談事をする。
「日よけの帽子が欲しくて」
「あ! それなら、こっちに白くておしゃれなやつ、ありましたよ」
そういうことであれば、東雲の出番だ。
いつも使い古されたスーツ、休日はラフな普段着。これと言って変わり映えのない服装の見藤とは違い、霧子の要望を叶えられるのは東雲だけ。――霧子に頼られている。それは東雲にとって、とても嬉しいことだ。
意気揚々とモール内を闊歩していく二人。気になる店を見つけては、お互いに好きなものを見て、相手に似合いそうな物を勧める。とても楽しい時間を過ごす。
「東雲ちゃん、これは? ふふっ、とても可愛い」
「いやぁ、えへへ」
途中、東雲は買おうと悩んでいる物があった。だが、値札を目にした途端。目を見開き、そっと陳列棚に返す。――学生では到底手の届かない代物だ。
すると、霧子が横からすっとその品を取り上げる。東雲は困惑したまま、どうするのか眺めていると――、なんと会計しようとするので慌てて止めた。
霧子は満面の笑みを浮かべながら、財布を手にしている。
「大丈夫、請求は全部あいつの所にいくから」
「そんなキリっとした顔で言われると、なんも言えへん……」
なんとも決めた表情をする霧子。
東雲は笑いを堪えながら、想像する。――来月の決済請求額を見て驚く見藤の姿だ。しかし、霧子からの思わぬプレゼントに、東雲は目一杯の感謝と喜びを伝えるのであった。
◇
そうして、二人は敷地内のカフェに立ち寄った。しばらく休憩しようと、それぞれ好きなものを注文して席に着く。
霧子はブラックのコーヒーとクロワッサンロール。東雲はカフェオレにチョコクロワッサン、二人でシェアしようと購入したカラフルなドーナツが卓上に並んでいた。どれも美味しそうだと二人は顔を見合わせて笑う。
お喋りに花を咲かせると、それは必然のように話題は二人に共通するものとなる。
初めに口を開いたのは東雲だ。
「それにしても見藤さんって、戒律の厳しい修行僧ですか」
「え?」
「霧子さん。こんなに可愛いし美人なのに、なーんもそういう雰囲気がない。自分で言ってて腹が立ってきました」
「あ、あの……っ」
「霧子さん! 押せるときに押しておかないと、見藤さん、爺になっちゃいますよ!」
頬杖をつきながら愚痴をこぼす東雲に、思わず動揺した様子を見せる霧子。まさか、見藤との関係が与太話にされると思ってもみなかったのだろう。
霧子と東雲はこうして買い物に出掛ける仲だ。しかし、見藤という不器用でしがない男に恋慕の情を抱いている、共通点を持つ。――言わば恋敵。
違う点があるとすれば、霧子は怪異だ。見藤という人間を魅入った、人ならざる存在。
霧子は恐る恐る、東雲に尋ねた。――見藤のことをどう思っているのか。
東雲は少し考える仕草をした後。そっと口を開く。
「えーっと……まぁ、俗に言う一目惚れだと思います」
「そ、そう……」
「まぁ、ただ好みなんです……憧れみたいな。あの柔らかい物言いとか、顔とか。実は昔、私のお守りを拾ってくれた、お兄さんなんです。見藤さんは覚えていないみたいですけどね」
あっけらかんと話す東雲。彼女にとって、見藤は理想であり、男性像としての憧れだった。それは霧子が抱く恋慕の情とは程遠く、とてつもなく純粋な感情だ。
東雲は霧子がほっと胸を撫で下ろした仕草を見逃さなかった。だが、彼女の心情を窺い知ることはできない。
すると、霧子は優しくも、どこか冷めた瞳を東雲へ向けた。それは、怪異としての存在感を認識するには十分で。ぞくり、と東雲の背筋を悪寒が走った。しかし、それは一瞬のことで、霧子はすぐさま柔和な笑みを浮かべる。
「東雲ちゃんはそのままでいてね」
「はい……? もちろんですよ!」
霧子の言葉の意味を理解する前に、東雲は元気よく返事をしたのだった。
すると、二人の会話に割って入る不届き者が現れる――。男二人組、格好も一般人と比べると派手、その口調も軽々しい。要するにナンパだ。
「お姉さん、モデルさんか何か?」
「……どなたかしら」
冷え切った声音で霧子が尋ねる。しかし、返ってきた答えは要領得ないものだった。
あまりの不快感に、霧子と東雲は眉を寄せる。逆上されて何をされるか分からない怖さから、東雲が男たちに丁寧に断りを入れても、その言葉を拒絶だと認識できないほどの頭の持ち主。
執拗に話し掛けてきては、これからどこかへ行こうと誘う。更には、下卑た笑みを浮かべながら霧子を品定めするように見るその男二人。
東雲はさらに眉を寄せた。――不愉快極まりない。その視線が、そのにやけた口角が、霧子をどのような目で見ているのか想像がつく。
見藤が彼女を見つめる、慈しみや愛おしさに溢れた視線の足元にも及ばない。東雲は力強く拳を握った。
「あんたら、ええ加減に!」
「えー、つれないじゃん、ね。お姉さん」
東雲の言葉を無視した、片方の男の手が霧子へ伸びようとした瞬間。東雲が思わず立ち上がり、怒りを露にしようとした。
――だが、それを制止したのは霧子本人だった。
「いい加減にしてもらえないかしら? せっかく、可愛い子とのお出掛けなのよ」
冷え切った、とても低い声。普段の澄んだ声とは程遠い。霧子がすっと立ち上がる。もちろん、ぎろりと睨みつける。
すると、霧子の長身が顕著に目の前に現れる。その威圧感に耐えきれず、男達はそそくさと逃げ出してしまった。背丈が大きいというだけで逃げ出してしまうとは、なんとも器の小さい男達だ。
霧子は大きく鼻を鳴らした。
その光景を目にした東雲は、ほっと胸を撫で下ろした。――霧子は見藤と一緒に買い物へ出掛けた時にも、こういった絡まれ方をされたことがあるのだろう。その時には必ず見藤が追い払ってしまうと、想像に容易い。
東雲が霧子を守ろうとしたのと同じように、東雲を守るのは私だと霧子は息巻いていたようだ。
「後でどんな不幸が待っていても、知らないわよ」
ぽつり、と呟いた霧子の言葉を聞いたのは、東雲だけだった。すると、霧子は大きな溜め息をつく。
「はぁ……、せっかくの楽しいお喋りが台無しよ」
「ほんまですね。もう行きましょうか」
「そうね」
二人は立ち上がり、カフェを後にした。――その時、東雲は視た。霧子の影が彼女の身長よりも高く、亭々たる大きさに見えたのだ。
東雲は思わず目を擦ったが、それは現実だ。長く伸びた影が霧子の後をついて行く。影はしばらくすると、霧子の足元に吸い寄せられるように長さを変えた。
――東雲は知らなかった。怪異と言う存在が気に入った者を庇護しようと、力を振るう時。多くの場合、その者が望まぬ結果となることを。
遠くの方が騒がしい――。
東雲は不思議に思い、足を止める。すると、霧子は「どうしたの?」と、きょとんとした顔でこちらを見ている。
「霧子さん……。ううん、なんでもないです」
「そう」
東雲の返事を聞いた霧子はにこりと笑ってみせた。そんな彼女の表情を目にした東雲が、思うこと。
(多分、私は子どもだから――、霧子さんに許されとるんやろうなぁ……)
視えたくないモノが視え、俯きがちだった東雲を救ったのは見藤だ。そんな彼に恋心を抱くには十分だった。
――大学進学をきっかけに、自分を変えようと外見を変え、言葉を直した。だが、それも不要だと感じている。こうして自分が自分らしく在れる場所がある。
その場所に「霧子」という、少しおっちょこちょいで、可愛らしい怪異の存在がいても、何ら不思議ではないのだ。
東雲が後ろを振り返ることはなかった。
◇
霧子は見藤に自分以外の怪異の痕跡が憑くことを極端に嫌悪する。それは少なからず、見藤に対して愛欲の情を抱いた人間も当てはまる。――しかし、東雲は例外的だった。幼い少女の憧れは不変。故に、そのいじらしさから霧子という怪異に気に入られたのだ。
それから、時刻はすっかり夕刻間近。
二人は最後に、部屋着やインナー類を取り扱う専門店へと足を運んでいた。東雲たっての希望だ。
そこには霧子が馴染みのない物が多く、比較的若い女性向けの店舗の様子だった。
あまりに可愛らしい作りとなっている品々。霧子は思わず、場違いだと叫んで逃げ出したくなった。見藤と一緒に買い物に出掛けたとしても、こうした女性特有の店には寄らない。また、互いに気まずく、寄る訳にもいかない。
霧子はじっと商品棚に陳列されているものを見た。刺激的過ぎる。現代の洋装を楽しむことは大好きだ。だが、まさか肌着にまで気を遣わなければならないなんて現代人は大変だ、と半ば現実逃避をしかけていた。
「……透け透けレース。紐……」
「あぁ、こういうのは下着ラインが出ないようにするための実用的なデザインですよ。女子も大変なんです、色々と!」
「そう……。今の子は大変ね」
女子大生の東雲からすれば、それは当たり前のデザインなのだろう。だが、霧子にはどうにも奇抜なデザインに見えて仕方がない。思わず恥ずかしくなり、そっと、下着を陳列棚に戻した。
東雲は自分の用事を済ませると、今度は霧子に勧めたいものがあると言う。彼女は陳列されている商品を吟味している。すると、お眼鏡に叶う品があったようだ。
「お! これは、なかなか。霧子さん!」
「はい!?」
「これなんて、どうですか? 凄く可愛いですよ、これ!」
不意に名前を呼ばれ、不自然にも声が裏返ってしまった。そして、見てみると、東雲が手にしているは淡い紫色のネグリジェだった。
「うっ、それはちょっと私には派手じゃない……?」
「えー、そんなことないですよ! 寧ろ、普段は綺麗目な服装ばかりなので、部屋着は可愛い方がいいですって!」
「そういうものなの……?」
「そうです!! 今度、一緒にパジャマパーティーしましょうよ!」
「それは……、いいわね」
「私もこれを着た霧子さんが見たい」
まんまと東雲の口車に乗せられている霧子。
そうして、東雲の思惑と期待を背負ったそのネグリジェが、見藤にお披露目される日はそう遠くない。
女性陣がショッピングできゃっきゃしてるのが書きたかったんです……。




