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草原演義  作者: 秋田大介
巻一四
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第一九六回 ③

ムジカ僅かに三語を唱えて急戴白を誘い

サノウ(すみ)やかに両翼を(うなが)して慕兼成を(おとしい)

 ハレルヤは、迫り来る敵軍(ブルガ)平然(ガイグイ)と見つめながら呟いた。


「まったく超世傑たちはよくやった。華人(キタド)どもは陥穽に落ちたことに気づいてすらない」


 おもむろに大刀を掲げると、命じて言うには、


「斉射」


 たちまち無数の矢が放たれて、突っこんできた梁軍は瞬時(トゥルバス)に数百騎を失う。これぞ本来あるべき「()()のごとき」草原(ミノウル)の斉射。梁兵は驚倒して、どっと浮足立つ。


「突撃」


 すかさず命じれば、第五翼の前衛(アルギンチ)が整然と動きだす。自身も大刀を引っ()げて疾駆(ツォギォ)に移る。左右を固めるのは、活寸鉄メサタゲと白日鹿ミアルン。喊声とともに突き入って存分に暴れ回る。


 すっかり足を止められた梁軍の戦列(ヂェルゲ)千々(ちぢ)に乱れる。趙粲は怒り(アウルラアス)心頭に発して、


「みすぼらしい蛮族どもが! 敵の兵装は脆弱ぞ! (ひる)むな、押し返せ!」


 おおいに罵り散らしたが、戦況は一向に好転しない。個々の兵士は敢闘すれども、刻一刻と劣勢に追いこまれていく。これにはもちろんそうなるべき道理(ヨス)がある。


 そもそも草原(ミノウル)(ソオル)では、万騎(トゥメン)なら万騎が、千騎(ミンガン)なら千騎が一体となって戦う(アヤラクイ)ことを良しとする。その最小の編制が「十騎(アルバン)」である。十人長の責務(アルバ)は、これを巧みに連携せしめることに尽きる。まず麾下の九騎(ユスン)みっつ(ゴルバン)に分け、そのひと組ごとに一人の敵人(ダイスンクン)を襲わせる。つまり常に三対一の形を作らんとするのである。


 一部の人知を超えた猛将(バアトル)(注1)を除けば、決して単騎では戦わない。たとえ僚友(ネケル)を欠いても、十人長の指揮に従って隊伍を組み直し、十人長を失えば直属の百人長の下に駆けて瞬く間に再編される。


 かつて趙粲が、草原(ミノウル)(イルゲン)は「形名分数を知らぬ」と(あざけ)ったことがあったが(注2)、実は彼らほどこれに精通している民族(ウンデス)はない。むしろこの五十年に及ばんとする乱世を通じて、用兵の術は長足の進歩を遂げていた。


 ゆえに彼我ともに草原(ミノウル)の民であれば、一個が数の優位を得んとしても、一個が必ずそうはさせじと手を打つので、戦況は目まぐるしく変化する。ところが梁軍には、こうした戦法について発想そのものがない。よって個人でいかに奮戦しようと、三騎に囲まれて翻弄されるうちにいつか討ちとられるほかない。


 超粲の困惑は、次第に焦燥に変わる。梁騎の長所たる突貫の威力は、すでに失われて久しい。望まぬ乱戦に身を投じてしまった今、迂闊に退くこともままならぬ。いたずらに怒号を挙げて眼前の敵に相対するばかり。


 あわや潰乱という危機を救ったのは、あとを追ってきた聞隆運。わっと乱戦の中に躍りこめば、梁軍は何とか(こら)える。


 しかし聞隆運も(ぬぐ)いがたい違和感を覚えている。突入寸前、俄かに自軍の勢いが減衰したからである。やはりここまでの長躯と傾斜の変化によるものだったが、聞隆運の知る(よし)もない。悠長に原因を探っている局面でもなく、ただただ(ダウン)を荒らげて兵衆を叱咤する。


 もちろん北軍とて手を(つか)ねているわけがない。アリハンの号令一下、第五翼を挙げて前進させる。指揮を(たす)けるのは、黄鶴郎セトと一丈姐(オルトゥ・オキン)カノン。増強された梁軍は第五翼の兵力を大きく上回っていたが、あわてる風もない。


 そのころ互いの中軍(イェケ・ゴル)においても動きがあった。まずはインジャ(ひき)いる北軍第一翼。前軍が交戦(カドクルドゥアン)に入ったのを知るや、サノウは満足げに頷いて、


「梁騎が『(くちばし)』の中に入りました。()()()()に第一の合図を」


 応じて銅鑼が轟き、盛んに旌旗(トグ)がうち振られる。サノウの言う「上下の嘴」とは、平原(タル・ノタグ)の東西に待機せる両翼のこと。すなわち西(バラウン)には神箭将(メルゲン)ヒィ・チノの第二翼が、(ヂェウン)には衛天王カントゥカの第四翼があって、中央(オルゴル)からの指示を今か今かと待っていた。


 いざ合図を耳目に(とら)えたヒィ・チノは雀躍して、


「おお、来た! 『(ゴルミ)』を拡げろとの合図だ!」


 (カラ)を下せば、第二翼の二万騎は陣形(バイダル)()えて、するすると(ウリダ)へ伸びていく。東の第四翼でも、麒麟児シンが同様に兵を移しはじめる。


 一方の南軍はと云えば、慕兼成が戦場を遠望しつつ言うには、


「何だ、あっと言う間に押しこんでしまったな。愚かなものよ。大兵を擁しながら前に出ることもなく、無策に急戴白の突入を許すとは」


 洪施が迎合して、


「蛮族とは常に愚かなものです」


 また崇浩が進言して言うには、


「我らも兵を進めましょう。急戴白の攻勢凄まじく、現状ではやや騎兵が突出しすぎているようです。ここは中軍も加わって蛮族を一掃するべきです」


 慕兼成はおおいに喜んで、


「善きかな! まずは四頭豹に前進を命じよ。続いて我らも順次平原に展開する」


 これを聞いた諸将は大喜び。たちまち前面の四頭豹および左右の(ドブン)を占める梁軍に命が伝えられる。


 四頭豹は伝令に接すると(フムスグ)(しか)めて、傍ら(デルゲ)の大スイシに言った。


「いまだ後続も至ってないというのに、有利な(トイ)を棄てて決戦する必要(ヘレグテイ)がどこにある」


「……兵勢優位と看たのでしょう」


 力なく答えれば、四頭豹はますます険しい(ヌル)で言うには、


「優位? 私には急戴白らがうっかり誘いだされたようにしか見えぬ。ならば進むよりもむしろ、突出した騎兵を速やかに退かせるべきではないか」


「…………」


 もはや大スイシは答えない。彼もまた同感だったからである。四頭豹も(アマン)を閉ざして、しばし黙考に入る。


 と、幾許(いくばく)もしないうちに銅鑼が打ち鳴らされ、頻々(ひんぴん)と伝令が至って出陣を(うなが)す。ついには梁軍がこちらの進発を待たずに丘を下りはじめて、中腹に布陣する四頭豹軍に圧力を加えてきた。四頭豹は舌打ちすると、


「やむなし」


 吐き捨てて、しぶしぶ重い腰を上げる。こうして四頭豹率いるヤクマン軍は、梁軍に押し出されるようにして平原に進出した。

(注1)【一部の人知を超えた猛将(バアトル)】例えば、衛天王カントゥカ、盤天竜ハレルヤ、亜喪神ムカリなどを指す。ちなみに呑天虎コヤンサンなどは、我を忘れて単騎独行してばかりいるように見えるが、概して周囲には多くの十人長があってともに戦っているのである。


(注2)【草原の民は「形名分数を……】形名分数は、軍の指揮系統、統制、編制のこと。第一九四回③参照。

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