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草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
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第一九五回 ③

インジャ平原に精騎を(つら)ねて罔罟(もうこ)を張り

ドルベン死灰(しかい)余焔(よえん)を焚いて掣肘(せいちゅう)を試む

 毛可功は帰陣するや、慕兼成に謁見を請う。これを(いぶか)しんだのは、先の四頭豹と同様である。よもやあの槁木死灰(こうぼくしかい)が自ら上申に及ぶとは慮外のことだったからである。不審に思いつつ聞いてみれば、敵軍(ブルガ)は「()()()()」をもって梁軍を(おとしい)れんとしていると言う。慕兼成は瞬時(トゥルバス)激怒(デクデグセン)して、


「わけのわからぬことを言って勝勢にある軍を惑わそうとは、それでも軍師か!」


 たちまち毛可功は萎縮したが、なおも雄心(ヂルケ)を振り絞って言うには、


「い、いかに我が軍が精鋭とはいえ、塞北の兵があれほど弱いはずがありません。きっと奸策があるに相違ないと……」


(やかま)しい!!」


 慕兼成は最後まで言わさず、手近にあった木椀(アヤガ)を投げつける。鈍い音がして、毛可功は(テリウ)を押さえて(うずくま)る。愕然として(ホロー)の隙間から見上げれば、


「何だ、その眼は。妄言を(しりぞ)けられたのがそれほど不服か?」


 答えられずにいるところへ、騒ぎを聞きつけて駈けこんだものがあった。歩卒の将の一人、玄望熹(げんぼうき)である。経緯(ヨス)を知ると、何ごとか得心したらしく幾度も頷いて、


「先ほど軍師があの()()()()()の陣に入っていくのを見ましたぞ!」


 臆病な蛮人とは、もちろん四頭豹のこと。慕兼成はますます怒って、


「いったいあれに何を吹きこまれた? いやしくも中華の軍師ともあろうものが、蛮族ごときに(たぶら)かされようとは……」


 玄望熹もこれを(なじ)って、


「蛮人の妄想に冒されるくらいなら、これまでどおり何も言わぬほうがましだ」


「いや、わ、私は、軍師として、我が軍の危機を看過するわけには……」


「それが妄想だと言っているのだ!」


 決めつけられて毛可功は(ニドゥ)を白黒させる。慕兼成は(シレエ)をどんと叩いて、


「もうお前なぞに用はない。軍師の任を解く。檻車の中で我が勝利を見ておれ。処断は蛮族を伐ったあとだ!」


 左右に命じれば、抗弁する暇もなく捕縛される。毛可功は慕兼成に恨めしげな視線を送ったばかり。気はすっかり萎えて、何やらぶつぶつ言いながら連れ出される。その場にいるものは誰も聞いていなかったが、いったい何を呟いていたかと云えば、


「ああ、ここであんな奴にさえ遭わなければ……。決して忘れまいぞ、今に……」


 胸中に深く怨みを結んだが、このことは覚えておいてよい。




 それはさておき、毛可功捕縛の報はすぐに全軍の知るところとなる。多くのものはせせら笑ったのみだったが、四頭豹独りはテンゲリを仰いで長嘆息する。槁木死灰の余焔(よえん)(きら)めきは、慕兼成に掣肘(せいちゅう)(注1)を加えるどころか、これを怒らせてより固陋蠢愚(ころうしゅんぐ)(注2)に追いやったに過ぎない。


 落胆すること(はなは)だしかったが、持ち駒の少ない四頭豹にとってはあれでも繋ぎ止めておきたい人材の一人。そこで密かに大スイシを()ってこれを慰めんと図る。しかし復命した大スイシの報告を聞いて、さらに失望することになった。


「あの軍師殿はすっかり己の殻に籠もったようで、こちらが何を言っても応えることなく、膝を抱えて延々とよく判らぬことを呟いておりました」


「いよいよまことの死灰(ウンセン)と成り果てたか……」


 やはり(たの)むべきは己の才覚(アルガ)のみと思い定めた四頭豹は、さらに斥候(カラウルスン)の数を増やして北軍を(とら)えんとする。と、ほどなく敵のほぼ全軍がウチュマグ平原に在ることを突き止めた。その地勢や敵情について仔細に知ると、あれこれと考究する。


 そしてついに(オロ)を決して慕兼成の本営(ゴル)を訪ねた。四頭豹は(こば)まれこそしなかったが、当然歓迎されるわけもない。慕兼成は眉間に深い皺を刻んで、不快げにこれを睨みつける。かまわず北軍がウチュマグ平原に集結していることを告げれば、


「よし。ただちにその()()()平原とやらに向かおう。もう下がってよいぞ」


「お待ちください!」


 四頭豹はひとたび(オロウル)を湿すと、ここぞとばかりに()べて言うには、


「敵人は何か意図があって、かの地で待ちかまえているのです。兵を進めるにおいては慎重の上にも慎重を期すべきかと」


 慕兼成はうんざりした様子で、


「またそれか。もう聞き飽きたわ。もはや蛮族は我ら中華の敵ではない。四の五の言わずに黙ってついてくればよい!」


 四頭豹は湧き上がる怒り(アウルラアス)を抑え、()(ひく)くして言うには、


「閣下の武威についてはもとより承知しておりますが、勝利を確実なものにするためにもぜひお聴きください。敵人の布陣をつらつら観るに、あまりに用兵の常道から外れております。いくら道理に(くら)い蛮族とはいえ、一人としてそれに気づかぬわけもなく、あえてそうするからにはきっと何か思うところがあるのです」


 慕兼成は(ハツァル)(ゆが)めただけで一向に興味を示さない。代わって洪施が尋ねて、


「布陣が? ふん、一応は聞いてやろうではないか」


「ありがとうございます。よろしいですか。かの平原は、南北数里ほどの細長い回廊のような地勢。その外側は複雑に起伏して、大軍を展開するには不向きです」


「それで?」


「平原の南端にはみっつの丘があり、城門のごとく南からの侵入を(はば)んでいます」


 洪施もまた次第に苛々して、


「だから何だ?」


 語気を荒らげて問えば、


「然るに敵は、有利なその丘を占めることなく、その先の平原に陣を()いています。これでは易々と南軍の侵入を許すばかりか、みっつの高陵すべてを奪われ、かつ騎兵の突貫にわざわざ道を空けてやっているようなもの。これはどうしたことでしょう?」


 すると(にわ)かに慕兼成が呵々と(わら)って、


「お前が兵法を(かじ)っているのはよく判った。……が、いたずらに小賢(こざか)しい。ああ、まさに無用の(さか)しら(注3)よ。すべては魯鈍な蛮族らしい錯誤というだけのこと、何ら()とするに足りぬ。ならば望みどおり、かの地を蛮族の墓所に変えるのみ」

(注1)【掣肘(せいちゅう)】わきから干渉して、人の自由な行動を妨げること。


(注2)【固陋蠢愚(ころうしゅんぐ)】他人の意見を聞くことなく、視野が狭いために柔軟で適正な判断ができないこと。「固陋」は他人の考えを聞かず、視野が狭いこと。「蠢愚」は愚かで知識がないこと。


(注3)【(さか)しら】利口そうに振る舞うこと。物知りぶること。また、そのさま。

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