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草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
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第一九四回 ④

ムジカ釣魚之計に任じて三たび背走し

ドルベン首鼠両端を持して常に遅疑す

 四頭豹からの伝令を受けた慕兼成は、やはりこれを重んじようとしない。それどころか、新たな敵将が(ブスクイ)と知るや、あからさまに侮蔑の色を浮かべて、


「はっはっは、聞いたか。塞北は()()()()()()()と云うが、まことに人がおらんのだな。女まで戦に駆りださねばならぬとは!」


 周囲の幕僚や武官たちはどっと(わら)って、いよいよ敵軍(ブルガ)を侮る。独り毛可功だけは(うつむ)いて笑わなかったが、そもそも話を聞いていたかどうか。


「まあよい、愚かな蛮族どもを驚かせてやろう。どうせ彼奴らはすぐに退く。が、今日は少し深めに追ってやれ。歩兵も前進させる」


 各処に(カラ)が伝わり、軍中は俄かにあわただしくなる。慕兼成自身も馬上の人となり、中軍(イェケ・ゴル)を率いておもむろに発つ。それを知った四頭豹は唖然として、唯一残った幕僚である大スイシを顧みて言うには、


「警戒するどころか、本営(ゴル)を軽々しく前に出すとは……。私にはあの大将軍の考えていることがさっぱり解らぬ。お前はどうだ?」


相国(サンクオ)様に解らぬことが、どうして私ごときに解りましょう」


 老いた謀臣は(クチ)なく首を振る。四頭豹は一瞬(ニドゥ)(みは)っておもえらく、


「おや、この男もずいぶん()けたものだ。もしや(クウ)を失ったせいか?」


 もちろん(アマン)には出さない。何となれば、小スイシが死んだのは、四頭豹の計策に因るものだったからである(注1)。


 それはさておき、両軍相対して金鼓轟く。喊声が挙がり、例によって梁軍の騎兵が突貫に移る。四頭豹もそれを横目に突撃を命じたが、


「ゆえなく紅火将軍(アル・ガルチュ)と花貌豹を替えるはずがない。さては対面する急戴白(きゅうたいはく)のほうが御しやすいと看たか」


 たしかに急戴白超粲は、そろそろ老境に入らんとするも血気に(はや)る猪突猛進の心性(チナル)。聞隆運のほうが(ナス)若い(ヂャラウ)が、沈着で存外堅実である。よって超粲のほうが計略に()めやすいには違いない。


「ふん、さては連日の不可解な遁走(オロア)は、両将の気質を見極めるためだったか。ならば今日はきっと異なる(アディルグイ)動きを見せるはず。この四頭豹を欺こうとてそうはいかぬ」


 左右両翼を睨みながら兵を進める。ところがまたも予想(ヂョン)は裏切られる。趙粲、聞隆運が突進すると、北軍は判で押したようにあっさりと崩れた。試みに(あらが)おうともせず、片端から(ノロウ)を向ける。四頭豹は愕然として、


「なぜだ! そんなはずがない!」


 思わず(わめ)いたが、眼前で起こっていることが(くつがえ)るわけもない。四頭豹は信じられぬ思いで戦況を眺める。(こと)にあの花貌豹が容易(たやす)く撃ち破られるなどということがあろうか。かのものは、かつてドゥルガド台地(注2)でもヴァルタラ平原(注3)でも寡兵をもって大敵と合し、()く持ち(こた)えることによって勝利に貢献した名将である。


「いったい何が、何が起きている……。それとも認めたくはないが、梁騎の突貫とは対手から見ればそれほど強力(クチュトゥ)なのか……?」


 迷ううちにも梁軍は総力挙げての追撃に入る。騎兵を率いる聞隆運と趙粲は、遥かに先行している。先に慕兼成が命じたとおり、歩卒も得物を抱えて走る。これを率いる黄小二、杜幹、崇浩、玄望熹、岑芳(しんほう)らは、馬上から盛んに督戦(注4)する。


 しかし北軍の逃げ足は思いのほか速く、またもたいした戦果は挙げられない。それでも梁将たちはおおいに満足して(ようや)く兵を収める。岑芳が昂奮しつつ言うには、


「なるほど、塞北の将は兵法に通暁しているぞ! 『()()()()()()()()()()()()』というわけだ。はっはっは」


 本営はどっと沸いて、口々に敵軍を嘲弄する。四頭豹の危惧などとても言いだせる雰囲気ではない。慕兼成は諸将を(ねぎら)うと、もとの陣地には戻らず、十里ほど進んで野営するよう命じた。


 その夜。南軍の将兵は、日中の(ソオル)に紅火将軍の姿(カラア)が見えなかった理由を知ることになった。


 深更、暗中にぽつぽつと(オト)(とも)ったかと思うと、たちまち無数に増える。(いぶか)しんだ途端に、一群(スルグ)の怪火は一斉に天空(テンゲリ)高く舞い上がった。次の瞬間には、南軍の陣営(トイ)にどっと降り注ぐ。次々と天幕(マイハン)やら幕舎(チャチル)やらに突き刺されば、あちこちで火の手が上がる。


 南軍の将兵はしばし目を白黒させていたが、やっと何が起きたか察して、


「火矢だ! 敵襲、敵襲!」


 叫び、喚き、わけもわからず駈け回る。陣中は大混乱に(おちい)って、上を下への大騒ぎ。歩卒の中には味方(イル)馬蹄(トゥル)(にじ)られて(アミン)を落とすものまで出る有様。そこへ数千の騎兵が紅火将軍キレカを先頭に突き入った。縦横無尽に暴れまくって、さらに行く先々で火矢を放つ。


 漸く梁軍が態勢を整えたころには、北軍は(サルヒ)のごとく駆け去ったあとであった。梁将たちは切歯扼腕、ぎりぎりと歯噛みして悔しがる。


 損害を(しら)べれば総じて軽微ではあったが、何としたことか、杜幹が穀物倉(サン)の傍で焼死していた。消火の指揮を()るうちに、焼け崩れた穀物袋の下敷きになったもの。もとより愚将だったが、智慧のみならず運もなかったのである。


 敵襲について知った慕兼成の怒るまいことか、まさに怒り(アウルラアス)心頭に発して幾度も(コセル)を踏み鳴らし、また(シレエ)()って、(とが)なき従臣(コトチン)を罵り散らす。激昂(デクデグセン)してついに言うには、


「蛮族ごときが何と小癪な。後悔させてやるぞ。全軍挙げて侵攻し、必ずこれを覆滅してくれん!」


 このことから南海の大魚は猛然と巣を離れ、大海(ダライ)に張られた大網(ゴルミ)に知らず導かれることとなる。蔑視は目を曇らせ、忿怒は(タルヒ)(にぶ)らせるとはまさにこのこと。


 近くの四頭豹には皆目解らぬ華将の肚裡(とり)も、遠くの獬豸(かいち)軍師にはかえって一目瞭然、これを(もてあそ)ぶも操るも自由自在(ダルカラン)といったところ。果たして、北上する梁軍を好漢(エレ)たちはいかにして迎え撃つか。それは次回で。

(注1)【小スイシが死んだのは……】小スイシは第二次ヴァルタラの役で戦死した。四頭豹に捨て駒にされたためである。第一八一回①~②参照。


(注2)【ドゥルガド台地】カントゥカがミクケルを破って西原の覇権を確立した会戦。サチは三倍の敵軍を相手に退かず、友軍に勝利をもたらした。第七 五回①~③参照。


(注3)【ヴァルタラ平原】第二次ヴァルタラの役。サチは数で勝る三色道人ゴルバンの軍勢と伍して、「大鵬(ハンガルディ)の翼の計」を成就せしめた。第一八一回③~④参照。


(注4)【督戦】部下を監視、監督、激励して戦わせること。

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