表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
772/785

第一九三回 ④

神風将ダナ・ガヂャルに征きて(すなわ)ち姦婦を(とら)

慕兼成ドルベンを軽んじて二たび上申を(しりぞ)ける

 (いぶか)しく思う方もあるやもしれぬので、一応述べておく。四頭豹は相当に華語が操れる。鬼頭児や尸解(しかい)道士との会話にはあえて九声(おう)の通辯を介したが、実はその必要(ヘレグテイ)はない。梁公主を巧みに籠絡(ろうらく)しえたのも、独り華語を()くしたからにほかならない。


 それはさておき、四頭豹の抗議は実らず、梁軍は続々と平原(タル・ノタグ)に下る。歩騎併せて二十万の大軍ともなれば混乱は(まぬが)れない。あれやこれやと惑ったあげく、三日がかりで(ようや)く布陣を()える。


 その有様を眺めながら、四頭豹は暗澹たる思いに駆られる。自身の率いるヤクマン軍はあとから動いたにもかかわらず、早々に任所に就いた。慕兼成が思いつくまま命じたとおり、前軍(アルギンチ)中央(オルゴル)である。


 両翼には、梁の騎兵が勇将とともに配される。(バラウン)には、急戴白(きゅうたいはく)の異名を持つ趙粲(ちょうさん)。「戴白」とは、白くなった頭髪のことである。つまり老いてなお盛んな猛将(バアトル)


 (ヂェウン)には、大刀冠者こと聞隆運。こちらは壮年。卑賤の出自(ウヂャウル)ながら、武芸の(エルデム)ひとつで一軍の将にまで登りつめた端倪(たんげい)すべからざる(注1)豪のもの。その渾名(あだな)が示すごとく、刃渡り三尺の大刀を得物とする。


 大部を占める歩兵を指揮する将は数多ある。しかし辛うじて名を挙げるべきは、黄小二、杜幹、崇浩、玄望熹(げんぼうき)岑芳(しんほう)くらいなもので、あとは()()()()(注2)の類。いちいち記すまでもない。


 慕兼成もまた本営(ゴル)を平原に移した。諸将を集めて軍議を催すと、四頭豹も末席を与えられる。大将軍たる慕兼成は傲然と(チェエヂ)を反らして、諸将を睥睨しつつ言った。


「蛮族どもが、畏れ多くも先帝陛下の公主を(さら)ったとの報告があった。我らは必ずこれを覆滅して、公主をお救いせねばならぬ。何か良い智恵はないか」


 真っ先に(ガル)を挙げたのは崇浩。諂笑(てんしょう)(注3)を浮かべて言うには、


「良い智恵も何も、どうして無知蒙昧な蛮族ごときを恐れましょう。我らには敵に倍する兵があります。一戦してこれを撃ち破れば、たちまち震え上がって公主を差しだし、あわてて和を請うてくるでしょう」


 この答えに慕兼成は内心おおいに満足したが、なおも問うて、


「ほかにはないか」


 すると居並ぶ諸将は先を争うように(アマン)を開いて、慕兼成の武略を褒めそやし、(ブルガ)(おとし)めて、盛んに(おもね)る。最後に副将たる洪施が(うやうや)しく拱手して、


「所詮は蛮勇を振るうだけの愚鈍なものども。いざ中華の軍容に接すれば、自らの卑小を恥じ、伏して助命を嘆願するに違いありません。閣下の名は塞北を征した名将として永久に青史に刻まれることでしょう」


 末席からこの顛末(ヨス)を見ていた四頭豹は、うんざりして(はらわた)が煮える思いだったが、表面上は温顔に笑みすら(たた)えつつ、じっと黙っていた。


 そもそも四頭豹も、梁将がしきりに愚弄している()()である。だというのに、誰一人として一顧だにしない。なるほど、中華(キタド)(イルゲン)からすれば、草原(ミノウル)(ウルス)など(アラアタヌイ)も同然、よもや同じ(アディル・)(セトゲル)()つ人とは思いもしないのだろう。


 慕兼成は大功すでに成ったかのごとく錯覚して、すっかり気を好くする。満悦の(てい)で座を見渡せば、うちに独りつまらなそうな(ヌル)(ニドゥ)を伏せているものがある。慕兼成は(フムスグ)(しか)めて尋ねて言うには、


「軍師には何か異見があるか」


 すると男はおもむろに顔を上げたが、茫乎(ぼうこ)(注4)たる表情で目は虚ろ、俄かには何も言わない。そこで再度(うなが)せば、


「はあ……」


 と、鈍い反応を返したばかり。慕兼成はむっとして、


「この槁木死灰(こうぼくしかい)(注5)が……」


 当人に聞こえぬよう、小さく吐き捨てる。男は何ごともなかったかのように、また目を伏せた。何か考えているようにも、考えていないようにも見える。


 この一風変わった男の名は、毛可功。一応は梁軍の軍師である。今少し若いころには智略縦横、たびたび軍功を挙げたが、近年はどうも気力がないらしく何のはたらきもない。槁木死灰とは、それを揶揄した()しき渾名である。


 毛可功は、鬼頭児の副将として珪州城(※光都(ホアルン)のこと)にある平北将軍江奇成と親しかったが、その江奇成が嘆じて言うには、


「あれは今ではまったく無能扱いされているが、本来は兵法に通じた智者なのだ。ただ順風のときは良いが、少しでも(つまず)くと途端にすべてを(なげう)って(ふさ)ぎこんでしまう癖がある。要するに心が(もろ)いのだ」


 何はともあれ、槁木死灰は今日も覇気がない。慕兼成はもはやこれを顧みず、


「蛮族が退かぬところを看ると、早晩きっと攻め寄せてくるに違いない。それを迎え撃ってから、次の策を決めればよいだろう」


 みな口を揃えて慕兼成を讃える。いよいよ四頭豹は(こら)えきれず、思わず立ち上がって(ダウン)を挙げた。


「お待ちください! やはり高原に拠って守禦(しゅぎょ)を固めるべきです。座して視ていれば容易(たやす)く勝利が得られるのですぞ」


 慕兼成はたちまち激昂(デクデグセン)して、


「お前は先には戦え、戦えとうるさかったではないか。それが今となって戦うなと言う。どうして信用できようか。黙って命じたことだけをやっていればよい!」


 獬豸(かいち)軍師の看破したとおり、いかに四頭豹がセチェン(※知恵者の意)でも、献言がことごとく(しりぞ)けられては用を成さない。(たと)えて謂えば、「賢き猟犬(ハサル)無能(アルビン)(エルキム)の下では野鼠(クチュグル)も見失う」といったところ。


 度しがたきは、華人の草原の民への軽侮の心情(ドウラ)。こればかりは一朝一夕に(くつがえ)るものでもない。とはいえ、梁軍は二十万もの大兵を擁し、武名高き勇将もある。何より()()()()()()()()()()()()()()()()、どんな起死回生の策を秘めているか計り知れない。果たして、インジャたちは梁軍を撃つためにいかにして兵を用いるか。それは次回で。

(注1)【端倪(たんげい)すべからざる】安易に推し測るべきではない。予想が及ばない。計り知れない。端倪は、ものごとの始めと終わりの意。


(注2)【張三李四】ありふれた平凡でつまらない人を指す。張氏の三男と李氏の四男の意。張も李も中華では非常に多い姓であることから。


(注3)【諂笑(てんしょう)】人に媚びて愛想笑いをすること。


(注4)【茫乎(ぼうこ)】広々としているさま。ぼんやりとして、つかみどころがないさま。ここでは後者の意。


(注5)【槁木死灰(こうぼくしかい)】肉体は枯れた木のようであり、心は冷たい灰のようであること。心身に生気、活力、意欲などがないことの(たと)え。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ