第一九三回 ①
神風将ダナ・ガヂャルに征きて輒ち姦婦を囚え
慕兼成ドルベンを軽んじて二たび上申を却ける
さて、ツァビタル高原から数十里もの撤退を余儀なくされた義君インジャは、軍議を開いて継戦の可否を諮った。席上、獬豸軍師サノウは梁軍を分析して、その「三過」を列挙してみせる。改めて並べれば、
一、梁兵の過半は歩卒である
一、梁軍は草原に常駐することはできない
一、四頭豹は寡兵に過ぎて梁軍を主導することができない
さらにそれを率いる梁将が、兵の温存に心を砕くばかりで草原の民を軽んじ、これを相争わせることを喜ぶものだと喝破する。また実地に梁軍と戦った獅子ギィに印象を問えば、
「決して難敵ではありません。突貫は速く強いが、それを永く保つことはできません。騎射に巧みとは言えず、何より騎馬を自在に運用する術に欠けています」
蓋天才ゴロが補足して言うには、
「多彩な機動については、ほとんど調練されていません。玄妙な運用が求められる策戦に用いることはできないでしょう」
サノウは頷くと、諸将を鼓舞して言った。
「これで梁軍について歩騎ともに対処の方策を得ることができました。歩兵は騎兵と分断して、まともに戦わない。騎兵は突貫を逸らして、勢いの衰えたところを撃つ。となれば、これを避けることはありません。むしろ誘きだして叩くべきです」
誰もが勇躍したが、独り碧睛竜皇アリハンだけが険しい表情で尋ねて、
「兵馬が疲れている。戦うには寡い。どうする?」
するとサノウはおおいに喜んで、
「さすがは碧睛竜皇。だが、懸念は無用。早ければ数日のうちに新鋭の将兵が増強され、陣容を整えることができるでしょう」
居並ぶものは半信半疑で顔を見合わせたが、サノウは自信満々、涼しい顔で端座している。そこで漸くインジャが口を開いて、
「今まで軍師は妄言を口にしたことはない。そう言うからには、きっと何か根拠となる道理があるのだろう。陣容さえ整えば、戦うことをどうして躊躇おうか。我が黄金の僚友よ、来るべき日に備えよ!」
ついに誰もが雄心勃々、一斉に「承知」の声を挙げる。それぞれ自陣に戻って麾下の将兵を励ましたが、くどくどしい話は抜きにする。
サノウはアリハンに答えて、機が熟すことを植物の生長に喩えた。まさにその萌芽となったのは、奔雷矩オンヌクドと活寸鉄メサタゲの合流である。彼らは千騎を率いて、メンドゥ河の東岸を哨戒していた(注1)。
なぜ任地を離れたかと云えば、吸血姫ハーミラと亜喪神ムカリが西原に渡ったことを伝えるためである。二人はそれを阻止できなかったことを謝したが、もとより寡兵ゆえ責めるべきことでもない。インジャはこれを労って休ませた。
次いで至ったのは、妖豹姫エミル・ガネイと牙狼将軍カムカ・チノの三千騎。こちらは、亜喪神が陽動のためガハイン丘陵に置いた叛将フフブルを討つべく残ったもの(注2)。ガネイが喜色満面で言うには、
「エミルがやったよ! 河を渡って、ずっと追いかけたよ。だってみっともなく逃げ回るんだもの。でもちゃんと討ったよ! 首は重いし汚いから、うち捨ててきたけど……」
カムカがあわてて押し止めて、
「たしかに妖豹姫がフフブルを討ち果たしました。彼奴がしぶとく逃げたために予定より時がかかったのも、そのとおりでございます」
衛天王カントゥカはじめウリャンハタ部の好漢はもちろん、みな口々にこれを褒め讃える。ガネイはしきりに照れて顔を真っ赤にしたので、一同大笑い。
さらなる朗報が届いたのは、その翌日。迅速をもって鳴る二人の驍将、すなわち神風将軍アステルノと麒麟児シン・セクが、大功を挙げて凱旋(注3)したのである。揃って伺候すると、まずシンが意気揚々と告げて、
「ダナ・ガヂャルを制してまいりましたぞ!!」
本営はどっと沸き立つ。なぜならそれは、敵人のオルドを制したということだったからである。そこには、ヤクマン部のキタド・ハーン(※ジャンクイのこと)と梁公主、さらに正統ウリャンハタ部のウネン・ハーン(※ヂュルチダイのこと)があった。
シンがやや昂奮しつつ言うには、
「オルドにあった権貴(注4)のものは、ことごとく殺すか擒えるかいたしました。下々のものについては、使えぬものは放逐し、使えるものは奴隷としました」
サノウがぴくりと眉を動かして、
「殺すか擒えるかと申したな。キタド・ハーンと梁公主はいかがした?」
答えたのはヤクマン部出身のアステルノ。
「よほど首を刎ねてやろうと思いましたが、ぐっと堪えて檻車に入れましたよ。あの妖婦め、哭いたり喚いたり、そうかと思えば色目を使ったりと煩わしいことこの上ないので、手足を縛って猿轡を噛ませてあります。ジャンクイはこれと引き離して別の檻車に入れました」
「おお、それは好い! その二人だけは生きて連れ帰ってほしかったのだ」
するとシンが俄かに瞠目して、ほうと溜息を漏らす。言うには、
「それを聞いて安堵しましたよ。殆うい、殆うい」
「おい、麒麟児。何かあったのか?」
ヒラトが訝しげに問えば、舌をぺろりと出して、
「いやさ、ヂュルチダイのほうは見るなり打ち殺してしまったんでね。今さら生きたまま出せって言われたらどうしようかと」
屈託ない返答に、やはり好漢たちは大笑い。
(注1)【メンドゥ河の東岸を~】第一八四回③参照。
(注2)【ガハイン丘陵に置いた~】同じく第一八四回③参照。
(注3)【大功を挙げて凱旋】二将は道を分かって、敵のオルドへ向かった。第一八五回④参照。
(注4)【権貴】権力があり、身分や地位が高いこと。またその人や一族。




