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草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
765/785

第一九二回 ①

サノウ兵書を(ひもと)いて梁軍の三過を(つら)

ゴロ主君を(たす)けて華人の鉄騎を(あげつら)

 さて、ツァビタル高原における十四翼の役は、梁軍二十万の出現によって瞬時(トゥルバス)に形勢が逆転、北軍はたちまち潰走に転じた。まったく恐るべきは四頭豹の雄略。二十万もの伏兵など前代未聞、古今東西に例を見ない。


 これもすべて一戦に義君インジャを討つため。先に大兵あることを知らせてしまえば、勝つことは易いかもしれぬが、きっとインジャは早々に退いてしまう。四頭豹にとって、それでは意味がない。


 ゆえに味方(イル)の将兵を幾人失おうとも、あえてこれを秘匿(ひとく)したのである。果たして、股肱と(たの)んだはずの亜喪神ムカリは西(バラウン)に去り、三色道人ゴルバンに至っては(アミン)を落としたが、それよりもここでインジャを討ちとろうとしたのである。


 しかしインジャは生きて(オスチュ)いる。潰走はしたが、生きている。信頼(イトゥゲルテン)ある黄金の僚友(アルタン・ネケル)たちが人事を尽くし、それをテンゲリが(よみ)したからにほかならない。ともかく四頭豹の企図は外れ、勝敗の帰趨は(よう)として知れなくなった。


 敗残のインジャは、神箭将(メルゲン)ヒィ・チノをはじめ主な将領を集めて、向後を(はか)る。みな再戦を期して雄心勃々(ぼつぼつ)(注1)、というわけにはもちろんいかない。むしろ()く継戦するかどうか、するとしていかなる方略があるか、兢々(注2)として鬱懐(うっかい)(注3)を抱えている。


 まず発言を求められた獬豸(かいち)軍師サノウは、


「先に東西に現れた梁兵は先遣の軍勢に過ぎず、かの二十万こそが本隊。軍には必ず中軍(イェケ・ゴル)があり、両翼のみということはありえません。そこに思い至らなかったのは、まったく我が不明」


 とて謝罪する。諸将はあわてて(ブルウ)(ダウン)を挙げたが、サノウは自らそれを制して言うには、


「しかしながら、我々は先にヴァルタラにて大勝し、ツァビタルでも緒戦は有利に(ソオル)を進めて、三色道人ほか多くの敵人(ダイスンクン)を討ち果たしました。これをもってこれを()れば、南北互いに一勝一負。勝敗が明らかになるのは、これからのことではありませんか」


 一同は僅かに生気を取り戻したが、潤治卿ヒラトが(アマン)を開いて、


「軍師の言うことも解りますが、我が軍は将兵の三分の一を失いました。一方敵軍(ブルガ)は二十万を遙かに超えています。勝算があるものでしょうか」


 サノウはあわてることなく、ゆっくりと頷くと、


「無論、これを破ることは容易(アマルハン)ではない。しかし肝要なのは梁兵の数ではない」


「と、言いますと?」


 サノウは再びみなを見渡して、


「我々の敵は四頭豹。そして彼が率いるヤクマン軍です。ヴァルタラから続く()()でその数は激減し、今や一万騎(トゥメン)は超えても二万騎には及ばぬ程度」


 王大母ガラコが呵々と笑って、


「それはそのとおりだけど、二十万は二十万じゃないか。軍師はそれをどうしようって言うんだい?」


 ガラコの言葉(ウゲ)はまさに諸将の心情(セトゲル)を代弁していたが、サノウは表情ひとつ変えずに、


「梁軍を軽視すべきわけは、概してみっつ。ひとつには、()()()()()()()()()()()()()城塞(バラガスン)なき広大(ハブタガイ)草原(タル・ノタグ)では、歩卒は騎兵の援け(トゥサ)がなければ、ほとんど戦力になりません」


 百策花セイネンが疑義を呈して、


「十数万の歩卒が(コセル)を埋めて押し(きた)れば、これを撃ち破るのは至難の業と思うが……」


「その必要(ヘレグテイ)はない」


「えっ?」


 言下に否定されて、セイネンは(ニドゥ)を円くする。サノウは言った。


「正面から戦う(アヤラクイ)必要がどこにある。歩卒が地を埋めているところにこちらから飛びこんでいくなど愚の骨頂ではないか」


 セイネンはなおも何か言いかけたが、それにはかまわずみなに向けて、


「実は先の敗走に、梁軍に対処する方策が暗示されておりました」


「どういうこと?」


 問うたのは鉄鞭(テムル・タショウル)のアネク・ハトン。答えて言うには、


「四頭豹が追撃を断念したのは、もちろん花貌豹ら三翼の救援の賜物(アブリガ)ではありますが、何より騎兵だけが突出したために大軍の利を失ったことが要因。梁の歩卒は後方に留まっており、追ってきたのは騎兵のみ。それも当然のことで、歩卒が何万いようと疾駆(ダブヒア)して逃げる騎兵をどうすることもできないからです」


「だから、それが何を暗示してるって言うの?」


「つまり梁軍が蝟集(いしゅう)(注4)していれば、これをまともに迎えてはいけません。(いつわ)()げて騎兵を誘いだし、歩騎を分断するのが良策。そうすれば歩卒とは戦わないわけですから、数える必要がないということになります」


 多くのものは唖然としてサノウを見遣(みや)る。あの死に瀕した混乱の中で、このセチェン(知恵者)はそんなことに想到していたのかと驚いたのである。


 と、衛天王カントゥカが重い口を開く。


「戦わぬのは善い。だがそれではいつまで経っても梁軍を退けることができぬのではないか。畢竟、四頭豹を討つことも、乱世を終わらせることもできぬ。『()()()()()()()』のは兵家の理想だが、ただ戦わぬだけでは何にもならぬぞ」


 サノウは珍しくくすりと笑うと、


「ご心配なく。まだ話は終わっておりません。梁軍を軽視すべき理由は、あとふたつあります。衛天王の危惧はもっともですが、それについてはすべて聴いてから判断されよ」


「聴こう」


 カントゥカは腕を組んで、深く腰をかけなおす。

(注1)【雄心勃々(ぼつぼつ)】雄々しい心が盛んに湧いてくるさま。


(注2)【兢々】恐れ慎むさま。びくびくして安心できないさま。


(注3)【鬱懐(うっかい)】心配事などで晴れ晴れとしない思い。


(注4)【蝟集(いしゅう)】多くのものが一箇所に群がり集まること。蝟は、ハリネズミのこと。

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