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草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
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第一九〇回 ④

ムカリ耶律老頭を拐引(かいいん)して必生を期し

オノチ三色道人に肉迫して死命を制す

 草原(ミノウル)(ウルス)ともなれば誰しも弓射(ハルワフ)に長じているが、(こと)神箭将(メルゲン)ヒィ・チノ、雷霆子(アヤンガ)オノチ、迅矢鏃(じんしぞく)コルブの三名こそ、(バルアナチャ)に抜きんでたものとして世上(イュルトゥンツ)高名(ネルテイ)であった。彼らの渾名(あだな)は、いずれもその(すぐ)れた技量(エルデム)を称揚したもの。


 そのうちの一人であるオノチが、今まさに弓を構えて三色道人に迫っていた。周囲にあった兵衆は、殊勝にも主君(エヂェン)を守るべく前に出て、自ら(ハルハ)となる。


 が、二の矢は躊躇なく放たれる。矢は瞬時(トゥルバス)に兵衆の間隙を縫って、狙い(たが)わず(オモリウド)突き立つ(カドゥグタダアス)。三色道人は、あっと(ダウン)を挙げて()()ったが、何とか(こら)えて落馬は(まぬが)れた。兵衆は驚倒して周章狼狽、さらに密集して(ヘレム)を作り、急ぎ後退せんと図る。


 みすみすそれを許すオノチではない。跳ぶように近づきながら立て続けに矢を放てば、吸い込まれるようにことごとく的中(オノフ)する。人の壁などあってなきがごとし。


「おお……」


 三色道人は僅かに声を漏らして、虚ろな(ニドゥ)で宙を睨んだ。かと思うと、次の瞬間にはぐらりと(かし)いで、どうと落馬する。四頭豹がもっとも信頼する(イトゥゲルテン)宿将であり、東原に広大(ハブタガイ)版図(ネウリド)を得て()()()()()に叙せられた一世の名将も、ここに命運(ヂヤー)尽きた(エチュルテレ)のであった。


 主将を失えばあとは烏合(エレムデク)の衆(・ヂェムデク)、オノチとドクトが散々に追い散らす。これで北軍の進撃を(はば)むものはなくなった。ヒィ・チノは、(チャク)を移さず、さらなる前進を命じる。


 神行公(グユクチ)キセイの報せによって、インジャたちもまた三色道人を討ちとったことを知る。みなおおいに喜んで、やはり四頭豹を追撃するべく兵を進める。あとに続く第五翼の衛天王カントゥカにも伝令を送れば、逃げる四頭豹を追って約九万騎が斜面を駆け上がる。


 先行するのは、「紅き隷民(アル・ハラン)」。敵軍(ブルガ)後尾(セウル)に喰らいついて、執拗に攻撃を加える。そのうちにムジカの第三翼が追いついてくる。先頭を駆けるのは、皁矮虎(そうわいこ)マクベンと笑小鬼アルチン。一万数千騎がこれに従う。


 さらにはギィの第七翼、ヒィ・チノの第二翼、そして碧睛竜皇アリハン率いる第一翼の前軍(アルギンチ)がうち続く。


 好漢諸将は、兵衆とともに続々とツァビタル高原の上段に達した。そこで彼らはありうべからざるものを目にする(ウヂェクセン)ことになる。


 最初に異状に気づいたのはムジカ。(フムスグ)(ひそ)めて呟いて言うには、


「あれは……? 長城(ツェゲン・へレム)?」


 もちろんそんなはずはない。中華(キタド)の築いた万里の長城は、高原の遥か(ウリダ)にある。遠方(ホル)に過ぎて、目に入る道理(ヨス)がない。


 彼らが思い違いをしたのも無理からぬこと。何を見たかと云えば、数里ほど前方に延々と横たわる木製の壁。


「何だ、あれは……?」


 奇異に思いながら、(アクタ)を進める。よくよく観れば、中央(オルゴル)部分に闕所(けっしょ)(注1)があって、敵軍はそこを通って逃げていく。先がどうなっているのか、高さ一丈ほどの壁に遮られて見通すことができない。


 ムジカは一瞬、奸謀を疑って兵を止めるべきか迷ったが、併走する打虎娘タゴサが憤慨して言うには、


「四頭豹ってのは何て姑息(注2)なんだろうね! 少しでも逃げる時を稼ごうって、あんなもの(こしら)えてさ」


「ふうむ。そういうことか……?」


 ムジカの迷いは決して払拭されたわけではなかったが、今の兵勢を()ぐことをより恐れて何も言わなかった。後続のヒィ・チノやギィたちも同様、僅かな疑念よりも回山倒海(注3)の勢いに任じることを(えら)ぶ。


 カトラが(うそぶ)いて言うには、


「あんな薄い(ニムゲン)壁一枚で、我らの(フル)が止まるものか! 見ろよ、ぐらぐらと揺れて今にも倒れそうだぜ」


 タミチが力強く頷いて、


「何も四頭豹の作った(モル)を通らずとも、あれしきの壁、蹴倒して進めばよい」


 そこで第七翼は闕所に回らず、まっすぐ左方の壁に向かう。それを見たヒィ・チノは、第二翼の半数(ヂアリム)長者(バヤン)ワドチャと小金剛モゲトに預けて、右方の壁を破壊するよう命じる。


 一方、黄金の僚友(アルタン・ネケル)のうちでもっとも先を行くマクベンは、険しい表情でおもえらく、


「ふん。奸計があろうとかまうものか。たとえ俺が(たお)れても、続く誰かが四頭豹を討てばそれで善い」


 狐疑逡巡(注4)しているときではない。四頭豹こそ乱世の元兇、この千載一遇の機を(とら)えて討ち果たしてしまえば、きっと平和(ヘンケ)安寧(オルグ)の世が訪れる。そのために戦って(アヤラクイ)きたのである。それに比べれば、己の(アミン)など「鴻毛(こうもう)(注5)より軽し」とすべきもの。


 すでに紅き隷民は、敵軍に(したが)って謎の壁より先へ突入した。マクベンたちも遅れてはならじと馬を()かす。


 (くだん)の闕所に近づいてみれば、ただ壁が途切れているのではなかった。左右の壁ともそこから奥に向かって折れて、ずっと先まで続いている。まるで誘導されているようで好い気分がしない。しかしマクベンは、雄心(ヂルケ)を奮って叫んだ。


「俚諺にも、『()()()()()()()()()()()()()』と謂うではないか。進め、進め!」


 このことから、数多の好漢(エレ)(ソルス)を冷やしたばかりか、(ビイ)まで傷つけることになろうとはいったい誰が知りえよう。そのために大驚失色(注6)、怒髪衝天、悲憤慷慨、切歯扼腕といったありとあらゆる情念(ドウラ)が次々に噴出することになる。


 まことに恐るべきは奸智、憎むべきは外寇と云ったところ。果たして、黄金の僚友たちは無事に四頭豹を討つことができるか。それは次回で。

(注1)【闕所(けっしょ)】欠けているところ。


(注2)【姑息】一時しのぎ。その場のがれ。


(注3)【回山倒海】勢いが極めて盛んな形容。山を転がし海をひっくり返す意から。


(注4)【狐疑逡巡】疑い深くて決心がつかず、ぐずぐずすること。


(注5)【鴻毛(こうもう)(おおとり)の羽毛。きわめて軽いものの(たと)え。


(注6)【大驚失色】おおいに驚いて、顔色が青ざめること。

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