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草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
759/785

第一九〇回 ③

ムカリ耶律老頭を拐引(かいいん)して必生を期し

オノチ三色道人に肉迫して死命を制す

 ムカリ主従は(ついでに云えばムライも)、命数(ヂヤー)いまだ()きることなく、混乱に(まぎ)れてまんまと主戦場を脱した。斜面を駆け下って、一路西原を指す。途上、ハーミラ率いる「紅百合社(ヂャウガス)」との合流(べルチル)すら果たし、付近を哨戒していた北軍第六翼(※花貌豹サチの兵)の追撃をも振りきった。


 このとき、たちまち耶律老頭の技能(エルデム)が活きた。ムカリたちは当然ながらファルタバン語はおろか、西域(ハラ・ガヂャル)言語(ウゲ)も解さない。耶律老頭の通辯(つうべん)がなければ、どうして()く色目人と連携できたであろう。


 シャギチは主君(エヂェン)先見(デロア・オルトゥ)におおいに感服したが、ムカリ自身もこれほどすぐに役に立つとは思っていなかった。西帰したのちに味方(イル)になりえるものを数えれば、東城に拠る紅百合社、西城を占める梁軍、そして西域諸蕃やファルタバン朝など、言葉の解らぬ異族(カリ)しかないことに想到したに過ぎぬ。


 これをもってこれを()れば先見というほどのこともなく、言わば直感の類ではあった。何はともあれ、テンゲリはこの猛将(バアトル)をもうしばらく生かしておくことにしたらしい。まったく天意とは人智の及ばざるものと云うほかない。


 ムカリが難を逃れえたのには、もうひとつ理由があった。ヒィ・チノはじめ北軍諸将が、四頭豹が撤退しつつあることに気づいたことである。すでに崩れたムカリ軍よりも、かの仇敵(オソル)の追撃を優先するのは当然のこと。


 しかし殿軍を(まか)された三色道人ゴルバンが、押し寄せる大軍の前に立ち(ふさ)がる。盛んに矢を放ち、敵軍(ブルガ)接近(カルク)してくれば一列ずつ突撃する。彼らが(アミン)(バイ)にしている間に、僅かに後退して再び迎え撃つ。そしてまた一列が(ハルハ)となって散っていく。


 こうして兵を()り減らしながら、友軍(イル)のために(チャク)を稼ぐ。もちろん甚大な損害は(まぬが)れない。みるみる数を減じて、ほどなく北軍の猛攻を支えきれなくなる。


 最初に突破の道筋(モル)を見つけたのは、右翼(バラウン・ガル)の超世傑ムジカ。


紅き隷民(アル・ハラン)よ、行け(ヤブ)!! 四頭豹を逃がすな(ブー・チウデウルス)!」


 待ってましたとばかりに、ジョシ氏のゾルハンが軽騎二千を率いて駆けだす。先に命じられた「時」がついに至ったのである(注1)。撃ちかかる敵人(ダイスンクン)もあったが、瞬時(トゥルバス)に退けて疾駆(ダブヒア)はいささかも緩まない。


 三色道人に制止する余力のあるはずもなく、「紅き隷民」はその傍ら(デルゲ)を鮮やかに駆け抜ける。そのころには四頭豹の中軍(イェケ・ゴル)は、いよいよ撤退の途に就きつつあった。先駆ける(ウトゥラヂュ)部隊は、高原の上段に達しはじめている。


「逃がすものか!」


 ムジカは号令を発して、第三翼の総力を挙げて紅き隷民のあとを追わしめる。それを中央(オルゴル)から望んだヒィ・チノは快哉を叫んで、


好し(サイン)、超世傑が行った! さあ、我らは三色道人を葬らん」


 左翼(ヂェウン・ガル)から攻め(のぼ)るギィもまた、


「我らは左方から回り込む。超世傑独りに行かせるな!」


 応じて迅矢鏃(じんしぞく)コルブが、まさに矢のごとく飛びだす。隼将軍(ナチン)カトラ、(えん)将軍タミチも遅れじと馬腹を蹴った。それを察した三色道人は(フムスグ)(しか)めて、


「超世傑はやむをえないとしても、獅子(アルスラン)まで通すわけにはいかぬ」


 そこで飛天道君トウトウに命じて、その進路を断たんとする。しかし敵軍約一万(トゥメン)に対して、()けられた兵力は僅かに千騎(ミンガン)。得意の奇兵を用いるべくもなく、ただただ(ネグ)をもって(アルバン)に当たる気概(ヂルケ)があるばかり。


 だが(ソオル)とは、気概あらばどうにかなる、というものでは()()()()()()。どっと繰りだしてはみたものの、獅子の爪牙に掛かって瞬く間に霧消(ブレルテレ)する。トウトウは真っ青になっておもえらく、


「今は敵将の一人でも二人でも冥府(バルドゥ)に伴わん」


 いざ(ウルドゥ)を掲げて咆哮とともに敵中に躍りこむ。さあ、討つべきは隼将軍か、蓋天才かとおおいに昂奮する。そこへ悠然と(アクタ)を進めてきたものがあったので、きっと見遣(みや)れば、


「げっ、あ、あ、あれは、盤天竜!?」


 見て(はく)散り魂離れ、会って心驚き肝裂けるとはまさにこのこと。命数が竭きるときは、概してかくのごとし。すっかり窮したトウトウは、何やら(わめ)きつつ撃ちかかったが、ハレルヤは眉ひとつ動かさない。ただちらと一瞥して、


退()け」


 呟くと同時に大刀一閃。あわれ飛天道君は、乳酪(注2)のごとく両断されてあっさりと逝った。ハレルヤは涼しい(ヌル)で、そのまま跑足(ハティラー)にて去る。寸刻どころか、たった一歩の足止めもかなわない。おそらくハレルヤは、たった今(ほふ)ったものが一軍の将だったことにも気づいていなかっただろう。


 かくして、三色道人麾下の済々(せいせい)たる勇将たちは、ことごとく命を落とした。こうなってはいかな三色道人といえども打つ手がない。戦列(ヂェルゲ)千々(ちぢ)に寸断されて敵中に孤立する。東原南半に君臨した河東公(注3)の栄耀も今は昔、己の身を保つことも(あや)うい有様。


「もはやここまでか」


 呆然として言うのを幕僚の一人が聞き(とが)めて、


「何をおっしゃいます! 生きて(オスチュ)退けば、相国(サンクオ)様にきっと策がおありのはず」


「であるか」


 辛うじて戦意を復して、退却(オロア)に転じる。群がる敵兵を斬り伏せ、薙ぎ倒し、全身に返り血を浴びつつ血路を開かんとする。周囲はすっかり包囲(ボソヂュ)されている。悪戦苦闘していると、どこからか一矢の飛び来たって(にわ)かにその(ムル)突き刺さった(カドゥグタダアス)


「うぐっ!」


 (うめ)き声を漏らして顧みれば、一人の驍将が二の矢を(つが)えつつ一直線に疾駆してくる。三色道人は顔を歪めると、苦々しげにその異名を口にした。


「……雷霆子(アヤンガ)!」

(注1)【先に命じられた……】ゾルハンはムジカから、「時が至らば、(きり)のごとく敵陣を穿(うが)って、どこまでも進め」と命じられた。第一八九回④参照。


(注2)【乳酪】牛や羊の乳を加工してつくる食品のこと。バター、チーズなど。


(注3)【河東公】三色道人ゴルバンはヒィ・チノから東原南半を奪って幕府を開き、のちに河東公に任じられた。第一六五回③参照。

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