表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻一三
756/785

第一八九回 ④

オノチ火竜を飛ばして尸解兵を殄戮(てんりく)

インジャ三傑を立てて四頭豹と会戦す

 紅百合社(ヂャウガス)の軍勢が退却しはじめたことに、ムジカたちが気づかぬはずもない。気丈(クルグ)なムジカの(エメ)、打虎娘タゴサが(フムスグ)を吊り上げて、


「色目人め、逃げるつもりだよ!」


 今にも(ウルドゥ)()って駆け出さんとするのを制して、ムジカが言うには、


「放っておけ。それよりも亜喪神、何より四頭豹だ」


「でも!」


「ここを逃れても、西(バラウン)には花貌豹らが(ゴルミ)を張っている。軍師の布陣は万全(ブドゥン)、我らは我らの責務(アルバ)を果たすべし」


 そこで命令(カラ)を発して無用な追撃を戒め、すばやく陣形(バイダル)を整えた。また「紅き隷民(アル・ハラン)」を(たば)ねるジョシ氏のゾルハンを召して、


(チャク)が至らば、(きり)のごとく敵陣を穿(うが)って、どこまでも進め(ヤブ)。我らはその踏み跡(カウルガ)を辿って、これを押し広げん」


承知(ヂェー)!!」


 かくしてムジカ軍は、(ガヂャル)を蹴立ててチンラウト軍を襲う。すでにして潰走寸前だった弱卒どもが堪えられるわけもない。鎧袖一触、どっと崩れ立つ。


「討て、討て!」


 マクベンが叫びながら(ヂダ)を振り回す。兵衆は俄然勇躍(ブレドゥ)して、いずれも一騎当千のはたらき。いつの間にか、タゴサもハトンたる身分を忘れて大暴れ。ムジカは戟を掲げると、


「さあ、このまま亜喪神の側背を突いて、一挙に勝ちを収めてくれようぞ」


 とて(アクタ)を進め、戦況に応じて次々と指示を出す。もとより兵の運用にかけては、黄金の僚友(アルタン・ネケル)随一の名将。いずれの手も(バイ)を外すことなく、確実に急所を(えぐ)る。


 その後方を支えるのは碧水将軍(フフ・オス)オラル。ムジカたちが存分に戦えるのも彼のおかげ。四方に(ニドゥ)(くば)って、(こと)に四頭豹の中軍(イェケ・ゴル)に備える。


 ついにチンラウト軍は撃破される。逃げ惑う兵士の一部は、隣接する亜喪神の(トイ)に雪崩れこんだ。それは、攻勢に(あらが)って懸命に保ってきた規律ある(ヂャルチムタイ)戦列(・ヂェルゲ)を、おおいに乱すことになった。


 ムカリは怒り(アウルラアス)心頭に発して罵詈(ばり)を吐き散らしたが、どうすることもできない。ひたすら督戦に努めるばかり。


 対するヒィ・チノは(ガル)()って喜ぶと、


一丈姐(オルトゥ・オキン)! 超世傑に助力(トゥサ)せよ」


承知(ヂェー)!」


 打てば響くとはまさにこのこと。カノンは、くどくどと説かれずとも即座に(オロ)を汲んで、千騎(ミンガン)ほどを連れて駆けだす。突き入ったのは、(ブルガ)左翼(ヂェウン・ガル)の付け根とも云うべき箇所。チンラウト軍とムカリ軍が入り雑じって混乱しているところに、さらなる一撃を加える。


 これによって、戦列を再復することはおよそ不可能となった。指揮は届かず、いたずらに悲鳴と怒号が行き交う。恐慌は次第に全体に拡がり、善く戦っていたムカリの兵衆までもが、すっかり浮足立つ。


 カノンは戦場を駆け巡っているうちに、右往左往するチンラウトに出合った。


「あれは敵の大将の一人じゃないか。何たる僥倖、テンゲリのお導きに違いない」


 雀躍して呼びかけて言うには、


「おい、首を置いていきな!」


 チンラウトはちらと顧みたが、鞍上に身を伏せて逸散に逃げだす。カノンはひとつ舌打ちして、


逃がしはしないよ(ブー・チウデウルス)!!」


 ぐんと馬を()かして、みるみる肉薄する。指呼の間に迫ったところで、


「臆病者め、(ブスクイ)(ノロウ)を向けるか!」


 とて挑発すれば、本来は武勇をもって知られた豪のもの、かっとして馬首を返す。槍をしごきつつ目を(いか)らせて言うには、


「ほざくな、小娘(オキン)! わしを誰だと思っている」


 カノンはせせら笑って、


「知らないよ。ただ、戦場でいつも逃げ回ってる宦者(かんじゃ)(注1)がいるって聞いたけど、あんたのことかい?」


 チンラウトの怒るまいことか。俄かに赫怒(かくど)(注2)して、顳顬(こめかみ)にぶくりと血管を浮き上がらせる。


「この淫売が! 冥府(バルドゥ)で悔いても遅いぞ!」


 甲高い(ダウン)で言い放ったが、カノンに(おそ)れる色もない。ただ嫣然と笑って言うには、


「何それ、己に向けて言ってるの? 冥府に行くのはあんただよ」


 チンラウトは激昂(デクデグセン)のあまり(オロウル)をわなわなと震わせて、言葉(ウゲ)も出ない。顔色は(フラアン)を越えて、(カラムバイ)と化す。むふう、むふうと鼻息荒く、ぎょろりと目を()いて、ただただ睨みつける。


「何だい、その(ヌル)は。話にならないね、お(しゃべ)りは終わりだよ!」


 カノンは手にした槍をぶんとひと振り、馬腹を蹴った。チンラウトもまた咆哮を挙げて槍を掲げる。すれ違いざまに刺突を交わせば、があんと鈍い音が響く。くるりと馬首を(めぐ)らして再び向き合い、互いに必殺の一撃を繰りだす。


 カノンのそれは飛鷹(シバウン)のごとく、速く(クルドゥン)鋭い(クルチア)。チンラウトのそれは野猪(ガハイン)のごとく、猛く(カタンギン)強い(クチュトゥ)。槍法はまったく違えど、いずれ劣らぬ名手。虎尾竜筋のごとく、竜鬚虎爪(りゅうしゅこそう)に似たりといったところ。


 しかし次第にチンラウトの槍が乱れはじめる。攻める余裕を失い、必死に防ぐ。汗は噴きだし、顔は青ざめ、気息奄々(えんえん)、辛うじて(アミン)を保つ。兵書に謂う「()()()()()()()」とは、まさにこのこと。


 かつては英王の寵臣として権勢を振るった佞者も、「亢竜(こうりょう)悔いあり」(注3)と云うべきか。今や(ソオル)に敗れたのみならず、一個の女丈夫の前に己の命数(ヂヤー)まで()きんとしている。


 果たしてカノンは、首尾よくチンラウトを討ち取ることができるか。それは次回で。

(注1)【宦者(かんじゃ)】宦官のこと。カノンは、宦官であるチンラウトを揶揄したのである。


(注2)【赫怒(かくど)】激しく怒ること。


(注3)【亢竜(こうりょう)悔いあり】天に昇りつめた竜は、あとは下るだけなので悔いがある。栄達を極めたものは、必ず衰えるという譬え。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ