第一八八回 ③
ナユテ理を用いて林孟辰の妖術に対し
ハレルヤ力を奮いて尸解兵の機巧を暴く
ドクトとオノチはいかなる難敵をも恐れぬ歴戦の猛者であったが、それも相手が人であればこそ。今しも眼前で起こったできごとをどう判断したものか、おおいに惑って顔を見合わせる。
「……斬られた腕がすぐに再生するなど、聞いたことがあるか?」
オノチが問えば、
「そんなもん、あるわけないだろう! 蜥蜴じゃあるまいし」
「だよな。ではこれはどうしたことだ」
「知るか! また神道子を恃むほかないわ」
麾下の兵衆はすでに逃げ散っていたので、あとは己が馬首を廻らすばかり。いざ手綱を操らんとしたとき、
「待て、待て!」
声をかけるものがある。見れば何と隼将軍カトラが息せき切って駆けてくる。
「どうした?」
ドクトの問いに答えて、
「見ていたぞ。蓋天才にひとつ試してくるよう頼まれて参った!」
「試す? 何を」
オノチが首を傾げる。カトラは答える代わりに、すらりと剣を引き抜いて、
「こういうことよ!!」
言うや否や、猿臂(注1)をいっぱいに伸ばして、手近な巨人の頸筋に斬りつけた。すると草でも薙ぐように易々とその首を刎ね飛ばす。あまりの手応えの無さに、カトラは殆うく鞍から落ちそうになる。あわてて平衡を保つと、得意げに言うには、
「蜥蜴の類といえども、頭を飛ばされて平気なものはあるまい!」
「おお!」
ドクトとオノチは同時に嘆声を漏らす。が、次の瞬間、それは驚愕の声に変わった。巨人は何ごともなかったかのように歩みを止めない。そればかりか、
「うおぉぉぉん!!」
頭を失ったというのに、どこからか声を発したかと思えば、みるみるうちに肩の上が盛り上がってもとの異形を復す。
「何と、こいつはいかん!」
カトラは目を剥いて、逸散に馬首を廻らす。
「蓋天才の予想は外れた! いよいよ命あるものではないらしい」
叫びつつ風のごとく遠ざかる。ドクトとオノチもはっと我に返って、やはり退却に転じる。戻ってみれば、先に返った兵衆の口から口へ噂が広まり、動揺は覆うべくもない。箝口(注2)しておくべきだったと悔やんだが、時すでに遅し。手を拱いている間にも、巨人の群れは確実に近づいてくる。
前線の狼狽は徐々に広がる。後方の兵衆の目に巨人の姿が顕になるころには、耳にもその怪異の性質が伝わる。いくら将領が制しても、やれ悪魔だ、やれ冥府の使者だと囁き交わす。矢も剣も役に立たず、どこを斬ってもまた生えてくるというのでは、いかに勇猛を誇る北軍の精鋭たちも恐懼を禁じえない。
一丈姐カノンが蛾眉を吊り上げて言うには、
「ハン! このままでは亜喪神の突撃を禦げませんよ! 神道子からはまだ何も言ってこないのですか?」
ところがヒィ・チノは独り泰然とした様子で、
「そうだな、お前の言うとおりだ。だが、あわてるには早い」
「ハン!」
「敵の道士がどう思っているかは知らぬが、あの巨人たちは先の風の術に遠く及ばない。ほどなく神道子が破ってみせるはず」
この答えにカノンは唖然として、
「何を根拠にそのような」
「ふふふ。まあ、見てろ。兵衆には決して退かぬよう、強く命じておけ」
たちまち命令は行き亘り、みな恐怖に震えながらも辛うじて踏み止まる。
一方、南軍の林孟辰は得意の絶頂にあった。ドクトたちが驚いて退くのを遠望すると、手を拍って拓羅木公に言うには、
「見たか、矮飛燕。我が尸解兵は無敵よ。このまま敵を蹂躙してくれようぞ! ここは貴公に託す。わしは相国のもとに参る」
返辞も待たずに雀躍して馳せる。いざ四頭豹に見えるや、
「いかがです? 憎き敵軍は、我が尸解兵の前に為す術もありませんぞ!」
しかし案に相違して四頭豹は喜色すら見せずに、
「そうだと好いがな。試みに問うが、尸解兵とはいかなるものどもか」
林孟辰はいよいよ得意満面、嘯いて言うには、
「あれこそ魂魄の去った尸を、我が道術によって甦らせたもの。尸ゆえ、情念もなく痛みも感じませぬ。頭や腕を斬られても瞬く間に再生し、ひたすら突き進みます。まさに無敵の兵団と云うべきもの」
それでも四頭豹は感心するでもなく、冷眼を向けて言った。
「ふうむ、お前の道術でな」
「いかにも! さあさあ、勝機は今ですぞ。全軍に攻勢の命を!」
鼻息も荒く言い募ったが、
「まあ、考えておこう。下がってよいぞ」
追い払うように手を振る。林孟辰は内心不満だったが、やむなく自陣へ戻る。それを見送った四頭豹は、近侍していた混血児ムライを顧みて、
「もう少しおもしろいものを見せてくれると思ったのだがな」
ムライは無言で頷く。途端に四頭豹は呵々と笑って、
「お遊びはここまでだ。やや誤算はあったが、勝敗を決するのはこれからよ」
そう言ってあれこれと命令を下す。
(注1)【猿臂】猿の腕。転じて、そのように長い腕。
(注2)【箝口】発言を封ずること。また、言葉に出さないこと。




