第一八七回 ③
ナユテ鮮やかに予言して神箭将大いに喜び
ドクト巧みに弾奏して白夜叉妖しく舞う
まずナユテはゾンゲルに命じて三台の車を用意させると、尸解道士のものに似せて天蓋をかけ、縁を白い布で覆って体裁を整えた。また前線からドクトを招いて言うには、
「君の馬頭琴の腕を借りたい」
「そりゃかまわんが、なぜ馬頭琴?」
怪訝な表情を浮かべる。ナユテはくすりと笑って、
「兵衆の蒙を啓くためさ。眼に見せるだけでなく、耳にも聴かせれば、より心を捉えようというもの」
ドクトはふうむと唸ったきりで、もうひとつ意図が把めぬ風だったが、それでも言うには、
「まあ、いいだろう。で、どうすればよい?」
ナユテは微笑を含んだまま答えて、
「私が合図を出したら、演奏を始めてくれ。誰も聴いたことがない妖しい旋律を頼む。衆の心を騒がせるような、おどろおどろしいものが良い」
ドクトは思わず吹き出して、
「ずいぶん漠然とした話だ! だが、よし、よし。万事委せておけ。何だか胸が躍ってきたわ」
ドクトが上機嫌で去ると、次にミヒチを呼ぶ。そして言うには、
「やあ、白夜叉。君にも助力してもらいたい」
「あまり面倒なことでなければ、やらなくもないけど」
やや警戒する様子。対して何と言ったかと云えば、
「君の外貌は、実に巫女に向いている。そこで、癲叫子の演奏に合わせて舞ってもらいたい」
「お断りだよ!!」
目を剥いて即答する。ナユテは苦笑して、
「そう言わずにひとつ頼まれてくれ。妖術を破るためだ」
「それなら一丈姐に言えばいいじゃないか。きっと喜んで舞うよ」
「ただ美人が舞うだけではいけないのさ。さあさあ、我が軍の勝利のためだ。そんなに難しいことを求めているわけではない。白夜叉の不思議な魅力を恃んでのことなのだから、是非にも頼む」
「魅力ねぇ……」
なおも渋っていたが、あれこれと説得して漸く首肯する。かくして、あとはそのときを待つばかりとなった。
翌日。朝のうちは心地よい涼風が微かに頬を撫でるほどだったのが、昼を過ぎるころから次第に吹きすさぶ。ついにはひゅるひゅると音を立てて峻烈を極める。旗はばたばたと震え、一部の天幕はどっと宙へ飛ぶ有様。
軍馬も進むどころか前を向くのも嫌がって、ともすれば馬首を廻らせる。騎手たちはあわてて手綱を操って、その場でぐるぐると足踏みさせることで何とか戦列を保たんとする。
敵陣を望めば、先頭には尸解道士。車上にあってテンゲリを仰ぎ、ときに両腕を振り回しつつ一心に祈りを捧げている。後方には鼓手が列を成して、たむたむたむたむ……と低く太鼓を連打している。暴風いよいよ凄まじく、道士の身ぶりも何ものかが憑いたように烈しさを増す。
北軍の兵衆は漸く怖気づき、青い顔で互いに視線を交わしあう。黄金の僚友が陣中を巡って盛んに鼓舞したが、もうひとつ気勢が上がらない。
独り本営に在るヒィ・チノだけは意気軒高、傍らのカノンに言うには、
「何から何まで神道子の言ったとおりではないか。幸先がよいぞ」
「そういうものですかねえ。妖術なんか信じちゃいませんが、それにしたってこの強風じゃ、友軍は苦戦を免れませんよ」
「それも神道子が風を鎮めるまでだ。どうとでもなる」
ヒィ・チノの確信は揺らがない。実は今日の戦に先立って、北軍は一部陣容を改めている。前軍のモゲトを右翼に移し、その右翼からムジカを抜いて最前列に配した。右翼は碧水将軍オラルに率いさせる。より守禦に長じた名将ムジカを置くことによって、序盤の猛攻を凌ぐ心算である。
と、南軍の陣から金鼓が轟く。わっと喊声が挙がって、やはり亜喪神ムカリを先駆けに攻め寄せる。左右両翼も呼応して、一斉に押しだす。駆けながら手に手に弓を構えて次々と矢を放てば、追い風に乗って、速く、遠く、飛び来る。
対する北軍の矢は、あるいは逸れ、あるいは落ち、まるで役に立たない。ムジカは命じて早々に弓を捨てさせ、鞍上に伏せて堪えながら敵の接近を待つこととする。その間にも多くの人馬が斃れたが、じっと踏み止まる。
「はっはっは。彼奴らめ、手も足も出ぬようだぞ! 蹴散らせ!」
ムカリが哄笑とともに号令すれば、麾下の強兵はおおいに昂り、猛り狂って突入する。北軍はその勢いに抗うべくもなく、瞬く間に数十歩も押し込まれる。
しかしそこで潰乱しないのが名将の名将たる所以。ムジカが幾つか合図を下すと、巧みに陣形を変じて、いつの間にか膠着に持ちこむ。その強勢を躱し、僅かな綻びあらば必ず衝いて、決して敵人の自由にさせない。そのため、ムカリは優勢に戦を進めながらも、勝ちを収める道筋を見出せなかった。
ヒィ・チノはいまだ動かずムカリの用兵を注視していたが、やがて嘆声を漏らして言った。
「さすがは超世傑、期待以上のはたらきだ。相変わらず兵の運用においては彼の右に出るものはない」
激しく闘い合うこと、およそ一刻。卒かに北軍の陣中から大音声の銅鑼が鳴り響いて耳を驚かす。誰もがはっとして彼方を見遣れば、さっと戦陣が分かれて、三台の車が堂々と前進してくる。
中央の車上には、もちろん神道子ナユテ。侍衛として盤天竜ハレルヤ。右の車には癲叫子ドクト、侍衛は雷霆子オノチ。左の車には白夜叉ミヒチ、侍衛は病大牛ゾンゲル。みな白い薄衣の長袍を身に纏っている。
再び銅鑼。南北の将兵は、何ごとが始まるのかと目を瞠った。




