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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
718/785

第一八〇回 ②

タクカ戦地を挙げれば(ことごと)く雪辱を期し

スブデイ帰投を偽るも(かえ)って反間と()

 そうして待ち構えているところにスブデイが現れる。本営(ゴル)に集うインジャをはじめ、百策花セイネンも鉄鞭(テムル・タショウル)アネクも飛生鼠ジュゾウも、果ては長旛竿(オルトゥ・トグ)タンヤンまで、面には出さぬが内心では、「ははあ、これが軍師の言った『()()()()()()()()』か」とて、じろじろと眺め回す。


 その顔色は真っ青、視線は右顧左眄(うこさべん)して一向に定まらぬ。細かく震えるのを拳を固く握って(こら)えている。何とか跪拝して挨拶に及ばんとしたが、(アマン)を開くなり(ダウン)が裏返って、あわてて言い直す。


「お初に、……失礼しました。お初にお目にかかります。ス、ス、スブデイにございます。前非を悔いて、大ハーンのご寛恕に(すが)ろうと、こ、こうして参りました。四頭豹は、草原(ミノウル)仇なす(オシトゥ)姦悪の徒、あのような男の、あんな酷い奴の下には寸刻もいられず、それでハーンに縋るべく参りましたもので……」


 話すうちに混乱したものか、語尾は曖昧に消え入らんばかり。(マグナイ)に汗の粒を浮かべながら、ただただ平伏する。インジャたちはおかしくてしかたなかったが、努めて謹厳な表情を作る。サノウがわざと言うには、


「スブデイ殿と云えば、かの僭帝ヒスワの従弟で、かつて神都(カムトタオ)で大元帥だったものではないか。先にハーンに弓を引いておきながら、何という厚顔。ハーンよ、このような無恥の輩は首を()ねるべきです」


 スブデイはおおいにあわてて、


「お待ちください! 私はかねてよりハーンを敬仰しており、弓を引く気など毛頭なく、常々従兄を諫めておりましたぞ! 四頭豹のもとにあったのも偶々(たまたま)……、そう、偶々です!」


 汗を飛ばして、わけのわからぬ釈明をする。目の前にあるものが、神都(カムトタオ)で会った()()()()()()(注1)とは気づきもしない。


「そ、それに、私は深く四頭豹を怨んでおります! お聞きになったか判りませぬが、彼奴は諸将の前で、私を酷く侮辱し、笑いものとしたのです。私はあのものを(ゆる)しませぬ。そこで、ハーンに彼奴の本心(カダガトゥ)を伝えんとて、危険(アヨール)を冒して長躯してきたのです」


「本心?」


 興味を惹かれたふりをしてインジャが問えば、


はい、はい(ヂェー ヂェー)! 我が計策を用いれば、必ずや四頭豹を(とら)えることができますぞ!」


 必死に言い募る。インジャは莞爾として言った。


「貴殿が辱められたことはすでに聞き及んでいる。まったく四頭豹は人を遇する術を知らぬと、密かに(セトゲル)を痛めていたところ。きっと怨み骨髄に達していよう。我らは仇敵(オソル)を同じくする、言わば同志。喜んで(チフ)を傾けようぞ」


 スブデイはあからさまに安堵の色を浮かべる。居住まいを正すと、


「然らばお聴きくださいませ。四頭豹がもっとも恐れているのは、ハーンが大軍の利を活かして兵を東西に分け、援兵との間に(くさび)を打つことでございます」


 先ほどとは一転して、流れるがごとき弁口。さては与えられた筋書きを懸命に覚えて披露に及んでいるに違いないとて、居並ぶものは笑いを(こら)える。そんなこととは知らぬスブデイはますます得意げな様子で、


「そもそも兵法においては『倍すればこれを分かつ』と謂います。ハーンの兵はまさに四頭豹のそれに倍しておりますれば、存分に活用されるとよいでしょう」


 インジャはほうと嘆声を漏らして見せると、


「貴殿が万巻の兵書に通じているとの噂はまことだったか。で、兵を分けてどうする?」


はい(ヂェー)。まず(ヂェウン)に一軍を()いて光都(ホアルン)を窺い、悪くともあの目障りな橋を焼き、好ければ都城(ゴト)を奪還なさるとよい。梁軍は増強されていると聞きましたが、ハーンの精兵に(かな)うものではありません」


 さらに続けて、


「また西(バラウン)に良将を()って亜喪神を(はば)みなされ。四頭豹は亜喪神との合流(ベルチル)を切望しております。それが成らなければ勝算これなく、自縛してハーンの膝下に身を投げだし、命乞いするほかないとまで申しております」


 いよいよ(ヘル)は滑らかに、


「そうして左右の翼を()がれた上に、堂々()()()()()に兵を進められては、もはや手の打ちようがないとのこと。四頭豹は、ハーンがヴァルタラを縁起の(ベリクウ)悪い(ダイ・)(ガヂャル)看做(みな)して(モル)()えてくれないかと願っています」


 インジャは深く頷いて、


「なるほど、よく教えてくれた。きっと貴殿の策に(したが)って兵を分け、私は(みずか)らヴァルタラを押さえよう。貴殿こそ稀代の名軍師。『(はかりごと)帷幄(いあく)の中に(めぐ)らし、勝を千里の外に決す』とはまさに貴殿のことだ」


 セイネンもまたスブデイを褒めそやして、


神都(カムトタオ)(ソオル)では貴殿は奸人に(うと)まれて、兵権を与えられなかったとか。奸人が貴殿をもっと重んじていたら、我らの勝利も(あや)うかったことだろう」


 またチルゲイが言うには、


「四頭豹の(おそ)れる策を知ったからには、勝利は疑いありませぬ。早速勅命(ヂャルリク)を下して、東西に兵を送りましょう。まったくスブデイ殿は天王様(フルムスタ)(つか)わした神人に違いない!」


 アネク・ハトンも嫣然と微笑みつつ、


「無事に四頭豹を破ることができたら、貴殿の功績が一等。ハーンはきっと重く用いてくださるでしょう」


 だんだんスブデイもその気になってきて、(チェエヂ)を反らすと、


「何の、たいしたことではありませぬ。形勢を(かんが)みて当然のことを申したまで。栄達など望みません。ただ憎き四頭豹を滅ぼすことこそ我が願いであります」


 得々として述べたものだから、居並ぶ好漢(エレ)たちはまた吹きだしそうになる。ともかく酒食を供してこれをもてなすことになり、一丈姐(オルトゥ・オキン)カノンや、黒曜姫シャイカといった佳人が左右に侍ってあれこれと気遣う。スブデイは幸福のあまり、テンゲリにも昇る心地であった。

(注1)【あのアルビン】サノウは神都(カムトタオ)でアルビンと名乗って、密かにインジャのために暗躍していた。第一六二回④参照。スブデイとの会見については、第一五九回③参照。

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