第一七九回 ④
ドルベン元帥を嘲罵して奸謀に任じ
サノウ籌画を披瀝して大鵬に擬う
喧噪が収まったところで、サノウが言うには、
「我らが四頭豹が放つ虚報について看破していることは、悟られぬほうがよろしいでしょう。ハトンを讃えぬものがもたらすものは、ことごとく偽言。しかし咎めてはなりません。むしろこれを労い、賞して返すべきです」
一角虎スク・ベクが意外そうな面持ちで、
「なぜだ?」
「もちろん敵人を欺くため。こちらがまるで奸計に気づいていない、そう思わせておけば、それを利用することができる」
ボッチギンがにんまりと笑うと、
「そいつはいい。四頭豹はかつて奸計を企てれば必ず成就して、一度も外れたことがない。我らが欺かれた風を装えば、きっと信じる」
サノウは頷くと続けて、
「四頭豹に疑いを抱かれぬよう、まずは旧い割符、偽の割符を携えたものをすべて擒えて見せる。そのうちに新たな割符の存在に気づき、これを偽造して持参するものが現れよう。話はそこからだ」
紅火将軍キレカが感心したように、
「なるほど、ひとつこちらの備えを破ったと思わせるのだな」
「然り。我が軍を分散させるべく、あらゆる虚報が至るだろう。このとき割符が真ならば、それについては疑わぬふりをして返す。そうして彼をして我を欺いたと信じさせた上で、……あえて兵を分ける」
ヒィ・チノは何ごとか軍師の意図を察してふふんと笑ったが、石沐猴ナハンコルジが異を唱えて、
「そんなことをしたら、敵の策に嵌まったと同じことではないか!」
ちらと一瞥すると、
「あわてるな。必要があってそうするのだ。我らが東西に兵を分ければ、四頭豹はこれ幸いとばかりにハーンを討たんとして、全軍を挙げて突出してくる。それこそ千載一遇の好機。広げた翼を瞬時に畳んで敵軍を囲み、一挙に殲滅する」
ゆっくりとインジャに向き直ると、揖拝して言うには、
「これぞ私の建てた計策。名付けて『大鵬の翼』でございます」
インジャは頷くと言った。
「善し。雄大な策である。しかしそううまくいくものだろうか」
動じることなく答えて言うには、
「もちろん今述べたのはあくまで骨子のみ。敵の奸計に陥ったふりをしてこれを誘いだし、一度は分けた兵を即座に集めてこれを討つ。言うのは容易ですが、実際に行うためには緻密に算を立てねばなりません。そうでなければ、いたずらに兵を分けて敵に機を与えるだけに終わるでしょう」
ヒィ・チノがまたふふんと笑って、
「それでは天下の笑いものだ。軍師の策を為すにあたって重要なことはみっつ。戦いの地、戦いの日、そして将の配置だ。違うか?」
「さすがは神箭将。すっかり解っておいでのようだ」
たまらず超世傑ムジカが声を挙げて、
「私には何のことやらさっぱり解りませぬ。どうか愚鈍な私にも解るよう、詳らかに教えていただけないでしょうか」
「ご謙遜を。しかしながら、みなのために述べましょう。まず『戦いの地』と『戦いの日』について……」
一同はひと言も聞き漏らすまいとて耳を傾ける。サノウは座をぐるりと見廻すと言うには、
「これについては四頭豹に合わせる。というのは、我らは彼奴の奸計に罹った体で決戦に臨むからだ。『戦いの地』は措いて、『戦いの日』のことを言えば、いずれ四頭豹の命を受けた間者が来て示してくれるだろう」
獅子ギィが眉をぴくりと動かして、
「間者?」
「然り。四頭豹は、我らが虚報に惑わされていると看れば、それを確かなものにするべく必ず人を送り込んでくる。おそらくは四頭豹に背いてこちらに投じるという形を取る。だが実は四頭豹の意を汲んだもの。その勧める策はことごとく彼が喜ぶものであり、その戒めるところはことごとく彼が憎むもののはず」
みなふむふむと頷く。サノウは再び口を開いて、
「……その間者を、反間(注1)として利用する」
「反間……」
幾人かが思わず呟く。
「然り。このものに、我らが敵の意のままに動くと思わせて返せば、四頭豹は雀躍して『戦いの地』に出てくる。そこにはきっと四頭豹の撒いた餌がある。それに我らが喰いつくのを待って、襲ってくるはずだ。すなわちそれが『戦いの日』」
「おお……」
諸将は期せずしてざわめく。癲叫子ドクトが興奮を抑えきれぬ様子で、
「軍師! それで『戦いの地』とは……」
「四頭豹にとっても、我らにとっても、大軍を投じて勝敗を争うに相応しい地はひとつしかない。……知世郎、そなたなら解るであろう」
指名されたタクカは身震いして、
「ええ。南原広しといえども、十万になんなんとする大軍を縦横に配して戦えるところと云えば……」
諸将は何やら予感を覚えたか、ごくりと唾を呑んで目瞬きもしない。
ここでタクカが発した言葉から、好漢たちは俄かに発奮し、智勇のかぎりを尽くして雪辱を期すということになるのだが、まさしく嫡子の名に留めてまで忘却を戒め、九年に亘って刻苦精励してきたのはこのときのためである。果たして知世郎は何処の地を挙げたか。それは次回で。
(注1)【反間】敵の内部に入り込んで、敵情を味方に知らせたり、敵を混乱させたりすること。また、敵の間者を逆に利用して、敵の裏をかくこと。ここでは後者の意。




