第一七九回 ②
ドルベン元帥を嘲罵して奸謀に任じ
サノウ籌画を披瀝して大鵬に擬う
顧みれば、一人の文官が拱手して佇んでいる。スブデイは首を傾げて言った。
「お前は相国様の計略とか何とか言ったようだが」
答えて言うには、
「然り。軍議が終わったら、迎えに上がります。みなには内密に策を授けるとの仰せ。それまではなるべく人目に触れぬようお待ちください」
スブデイは混乱するばかりであったが、何とか諾う。言われたままにゲルでじっと待っていると、夕刻になって先の男が訪ねてくる。
「さあ、相国様がお待ちです」
半信半疑で順えば、幕舎にたしかに四頭豹が独り残ってこれを迎える。慇懃な態度で先の非礼を詫び、手を取って席を勧める。言うには、
「言われなき辱めを加えたのも、すべて敵を欺くため。先の顛末はすでに軍中に知らぬものはなく、みな大元帥殿が私をはじめ諸将を深く怨んでいるに違いないと思いなしております」
「ええ、まあ……」
四頭豹はぐっと顔を寄せると囁いて、
「そこで大元帥殿は、かくかくしかじか……」
後段は風の音に搔き消される。四頭豹がこの小人にどんな策を授けたかはまもなく判ることゆえ、くどくどしくは述べない。
一方、十五万の大軍をもって進軍を続けるインジャのもとには、諸方からの早馬が続々と至る。その多くは友軍からの連絡であったが、そのうちには真とも偽ともつかぬ胡乱な報せも雑じっていた。
曰く、遠方で叛乱が起こった、あるいは留守地が襲われた、またあるいは新参の神箭将や衛天王には叛意がある、そういった類のことどもである。
もとより奸智に長けた四頭豹との戦なれば、あれやこれやと奸計の網を投げてくることは想定のうち。
そこで獬豸軍師たちは、事前に諮って割符を刷新し、旧来のものは使わぬことにしていた。それが功を奏して幾十もの偽伝令を発見、捕縛することができた。
さすがの四頭豹もこのたびばかりは窮したと見え、易々と看破される姑息な小計のほかに手がないのだ、と好漢たちは快哉を叫ぶ。
ところがある日のこと、やはり早馬が至って告げて言うには、
「西原指してファルタバン朝の軍勢が接近しております。どうやら亜喪神と兵を併せて、ウリャンハタとボギノ・ジョルチを窺う形勢。胆斗公様はハーンの援軍を一日千秋の思いで待っております」
告げたことは先の偽伝令たちと変わらないが、割符を検めれば、紛れもなく新しく定めたそれ。サノウが早馬に尋ねた。
「ご苦労であった。ほかに言うべきことはないか」
「ありませぬ。ともかく急ぎ応援を」
即答したので、インジャが答えて言うには、
「承知した。西原の地理に明るい衛天王に備えを命じよう」
早馬は喜んで去る。その後、本営に第五翼の、すなわちウリャンハタの主な将領を呼んであれこれと話し合う。
また日が変わると別の早馬が来て言うには、
「北原にて叛乱が勃発しました。金杭星様が懸命に喰い止めておりますが敗色濃厚にて、急ぎご加勢を!」
それとはまた別に、
「新たに梁軍五万騎が光都に入った模様。東原を北上するのか、渡河して中原へ向かうのかはまだ不明です」
そしてまた、
「亜喪神はやはり四頭豹との合流を図っている様子。西原を窺うファルタバン軍は、西域諸藩の兵を併せて、今や数万に達しようとしています」
さらには、
「留守地が何ものかに襲われました! 霹靂狼様が負傷、通天君王様は本営を移してタムヤ付近まで退かれました」
ついに、
「神箭将の動向にお気をつけください。かつて群臣に語ったところによれば、『義君に従うのは版図を回復するまでの話。東原を得れば、その後背を襲って草原に覇を唱えよう』とのこと。臣はたしかなものからこの話を聞き及びました」
このような報告が連日連夜もたらされる。まるで思いつくかぎりの災難が一度に降って湧いたかのよう。いずれかひとつが真でも南征を頓挫せしめかねない凶事ばかり。何よりいずれの早馬も、その所持せる割符は真正のものにしか見えぬ。
常にインジャの傍らにあるサノウは、知らせを受けるたびに必ず、
「ほかに言うべきことはないか」
と尋ねたが、凶報を伝えたものはみな異口同音に、
「ありませぬ!」
そう言って足早に去る。だが中にはこの問いに違う答えを返すものもあった。例えば、
「神都の大元帥だったスブデイが四頭豹の下に逃れております。しかし先日の軍議においておおいに辱められたために、深くこれを怨んでいるとか。将兵はみなこれを侮蔑しながら、善からぬことをするのではないかと気にしている様子」
サノウはぴくりと眉を動かして、
「ほう。ほかに言うべきことはないか」
すると答えて言うには、
「おお、本日もハトンは実にお美しい。まさに天下に冠たる絶世の美女!」
高き座にインジャとともにあるアネクは、これを聞いて嬉しそうに頬を赧める。早馬ごときが何の脈絡もなく歯の浮くような褒辞を述べたのは、決してふざけているわけではない。もちろん理由がある。




