第一七八回 ①
インジャ雄族を併せて遂に八圏営整い
ハレルヤ大君を討ちて方に南征軍発す
さて、義君インジャに見えた奇人チルゲイは、東西の兵を中原に集めて再度南征を敢行するよう献策した。幸いにも容れられて、衛天王カントゥカを説得するべく西帰する。
実はチルゲイは兵略のみならず、部族を保つための思いきった籌策を心に秘めていた。すなわち神箭将ヒィ・チノに倣って、ウリャンハタ部もことごとくインジャに投じようというもの。
まず聖医アサン、潤治卿ヒラト、神道子ナユテにこれを諮る。三人とも同意したので、揃ってオルドに伺候する。当初、カントゥカはしばらく無言だったが、やがて決断して言った。
「義君に降る。俺はひとたび決めたら迷わぬ」
すぐに諸将が集められた。断乎として告げれば、みな目を白黒させながらも従った。しかし麒麟児シンが言うには、
「神道子、吉凶を占え。もうひとつ何かに背を押してもらいたい」
喜んで占えば、吉祥ある卦が顕れる。さらに言うには、
「義君の下に集うべき宿星は、総じて九十九。我らウリャンハタの将領二十五人は、みなそのうちの一星」
何とすべてはテンゲリの定め、宿星の導きであった。そもそもテンゲリには、西に五十五の善神、東に四十四の悪神があり、併せて九十九の神があるとされている。のちにナユテの卦を聞き知ったインジャは嘆声を漏らして、
「何と我らは生まれる前よりテンゲリにて友であり、それがこの乱れたエトゥゲンに降ったものであったか。テンゲリに替わって道を行うことを掲げてきたが、それも当然のこと」
改めて乱世を終わらせることを固く誓ったが、それはまたのちの話。
チルゲイはナユテとともに中原に返る。インジャはあまりに早くチルゲイが戻ってきたので、おおいに驚き、かつ喜ぶ。
「西の大カンはもう南征を承諾されましたか」
「はい。策戦の骨子をたちどころに看破して、即断されました」
インジャは感心することしきり、言うには、
「さすがは草原一の猛将と謳われる衛天王。これほど心強いことはない。私もあれから軍師らと諮って、ちょうど東原に早馬を遣ったところです」
「すばらしいことでございます。神箭将も雀躍して駆けつけることでしょう」
「このたびの南征では、必ずや四頭豹を討ち滅ぼさねばなりません。神箭将に衛天王、そして超世傑、獅子、盤天竜と、まさに綺羅星のごとく名将が轡を並べることになります。夢のようではありませんか」
それからチルゲイは、留守陣についての考えを陳べる。すなわち東原は金杭星ケルン・カンと司命娘子ショルコウに、西原は胆斗公ナオルと百万元帥トオリルに守らせるという案である。
さらに中原について意見を求められたので、答えて言うには、
「通天君王マタージ・ハンと霹靂狼トシ・チノに、然るべき輔翼を附けて託せばよろしいかと存じます」
「好い。しかし奇人殿、西原のことはそれでよいのですか」
「はい。我がカンはほぼ全軍を挙げて参ります。留守はハーンの信頼ある胆斗公に委ねる所存」
「ううむ、しかしそれでは……」
インジャが逡巡する風だったので、チルゲイは居住まいを正して言うには、
「我らにご配慮いただく必要はありません。余の僚友と同じように、勅命を下されれば何ごとも従いましょうぞ」
インジャは目を円くして、
「何と奇人殿には珍しく道理のないことをおっしゃる。西の大カンは盟友であって、家臣ではありません」
「今はそのとおりですが、ひとつハーンにお許しいただきたいことがあります。私は特に我がカンより使命を与えられて参ったのです」
インジャは訝しげな顔で言うには、
「使命とはいったい何でしょう? 私にできることであれば、どんなことでも協力は惜しみません」
チルゲイは莞爾と笑って、
「ならば我がカンの願いは叶ったも同然です。ハーンはただ『諾』と仰せになればすむこと」
「伺いましょう」
と、俄かにチルゲイとナユテは平伏叩頭する。そしてついに言うには、
「これまでの数々の非礼、お恕しください。我がカンは、部族を挙げて偉大なるミノウル・ハーンの傘下に加わることを望んでおります。どうか『諾』と仰せられますよう、伏してお願い申し上げます」
これを聞いたインジャは、あっと驚いて瞠目する。すぐには言うべき言葉も知らない。そこでナユテが口を開いて、
「我がカンはかねてよりハーンを仰慕(注1)すること誰よりも篤く、常々超世傑や神箭将を羨んでおりました。西原の僚友たちも、今は帰投が許されるのをひたすら待ち望んでおります。寇難に晒され、喪家の狗のごとく疲弊した我らを哀れと思し召し、どうかお聞き容れくださるようお願いいたします」
さらにチルゲイが言うには、
「ついては兵馬、人衆、牧地をすべて献上いたします。来たるべき南征においては諸将に先駆け、犬馬の労を厭わずはたらいてご覧に入れましょうぞ」
(注1)【仰慕】偉大な人物を尊敬し、仰ぎ慕うこと。




