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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
709/785

第一七八回 ①

インジャ雄族を併せて遂に八圏営整い

ハレルヤ大君を討ちて(まさ)に南征軍発す

 さて、義君インジャに(まみ)えた奇人チルゲイは、東西の兵を中原に集めて再度南征を敢行するよう献策した。幸いにも容れられて、衛天王カントゥカを説得するべく西帰する。


 実はチルゲイは兵略のみならず、部族(ヤスタン)を保つための思いきった籌策(ちゅうさく)(オロ)に秘めていた。すなわち神箭将(メルゲン)ヒィ・チノに(なら)って、ウリャンハタ部もことごとくインジャに投じようというもの。


 まず聖医(ボグド・エムチ)アサン、潤治卿ヒラト、神道子ナユテにこれを(はか)る。三人とも同意したので、揃ってオルドに伺候する。当初、カントゥカはしばらく無言だったが、やがて決断して言った。


「義君に降る。俺はひとたび決めたら迷わぬ」


 すぐに諸将が集められた。断乎として告げれば、みな(ニドゥ)を白黒させながらも従った。しかし麒麟児シンが言うには、


「神道子、吉凶を占え。もうひとつ何かに(ノロウ)を押してもらいたい」


 喜んで占えば、吉祥(クトゥクトゥ)ある卦が(あらわ)れる。さらに言うには、


「義君の下に集うべき宿星(オド)は、総じて九十九。我らウリャンハタの将領二十五人は、みなそのうちの一星」


 何とすべてはテンゲリの定め、宿星の導きであった。そもそもテンゲリには、西(バラウン)に五十五の善神、(ヂェウン)に四十四の悪神があり、併せて九十九の神があるとされている。のちにナユテの卦を聞き知ったインジャは嘆声を漏らして、


「何と我らは生まれる前よりテンゲリにて(イル)であり、それがこの乱れたエトゥゲンに降ったものであったか。テンゲリに替わって道を行うことを掲げてきたが、それも当然のこと」


 改めて乱世を終わらせることを固く誓ったが、それはまたのちの話。




 チルゲイはナユテとともに中原に返る。インジャはあまりに早くチルゲイが戻ってきたので、おおいに驚き、かつ喜ぶ。


「西の大カンはもう南征を承諾されましたか」


はい(ヂェー)。策戦の骨子をたちどころに看破して、即断されました」


 インジャは感心することしきり、言うには、


「さすがは草原(ミノウル)一の猛将(バアトル)(うた)われる衛天王。これほど心強いことはない。私もあれから軍師らと(はか)って、ちょうど東原に早馬(グユクチ)を遣ったところです」


「すばらしいことでございます。神箭将も雀躍して駆けつけることでしょう」


「このたびの南征では、必ずや四頭豹を討ち滅ぼさねばなりません。神箭将に衛天王、そして超世傑、獅子(アルスラン)、盤天竜と、まさに綺羅星のごとく名将が(くつわ)を並べることになります。夢のようではありませんか」


 それからチルゲイは、留守陣(アウルグ)についての考えを()べる。すなわち東原は(アルタ)(ン・ガ)(ダス)ケルン・カンと司命娘子ショルコウに、西原は胆斗公(スルステイ)ナオルと百万元帥トオリルに守らせるという案である。


 さらに中原について意見を求められたので、答えて言うには、


「通天君王マタージ・ハンと霹靂狼トシ・チノに、然るべき輔翼を附けて託せばよろしいかと存じます」


好い(サイン)。しかし奇人殿、西原のことはそれでよいのですか」


はい(ヂェー)。我がカンはほぼ全軍を挙げて参ります。留守はハーンの信頼(イトゥゲルテン)ある胆斗公に委ねる所存」


「ううむ、しかしそれでは……」


 インジャが逡巡する風だったので、チルゲイは居住まいを正して言うには、


「我らにご配慮いただく必要はありません。余の僚友(ネケル)と同じように、勅命(ヂャルリク)を下されれば何ごとも従いましょうぞ」


 インジャは目を円くして、


「何と奇人殿には珍しく道理(ヨス)のないことをおっしゃる。西の大カンは盟友(アンダ)であって、家臣(アルバト)ではありません」


()()そのとおりですが、ひとつハーンにお許しいただきたいことがあります。私は特に我がカンより使命を与えられて参ったのです」


 インジャは(いぶか)しげな(ヌル)で言うには、


「使命とはいったい何でしょう? 私にできることであれば、どんなことでも協力は惜しみません」


 チルゲイは莞爾と笑って、


「ならば我がカンの願いは叶ったも同然です。ハーンはただ『諾』と仰せになればすむこと」


「伺いましょう」


 と、俄かにチルゲイとナユテは平伏叩頭する。そしてついに言うには、


「これまでの数々の非礼(ヨスグイ)、お(ゆる)しください。我がカンは、部族(ヤスタン)を挙げて偉大なるミノウル・ハーンの傘下に加わることを望んでおります。どうか『諾』と仰せられますよう、伏してお願い申し上げます」


 これを聞いたインジャは、あっと驚いて瞠目する。すぐには言うべき言葉(ウゲ)も知らない。そこでナユテが(アマン)を開いて、


「我がカンはかねてよりハーンを仰慕(注1)すること誰よりも(あつ)く、常々超世傑や神箭将を羨んでおりました。西原の僚友たちも、今は帰投が許されるのをひたすら待ち望んでおります。寇難に(さら)され、喪家の(ノガイ)のごとく疲弊(ハウタル)した我らを哀れ(ホールヒー)(おぼ)し召し、どうかお聞き容れくださるようお願いいたします」


 さらにチルゲイが言うには、


「ついては兵馬、人衆(ウルス)牧地(ヌントゥグ)をすべて献上いたします。来たるべき南征においては諸将に先駆け(ウトゥラヂュ)、犬馬の労を(いと)わずはたらいてご覧に入れましょうぞ」

(注1)【仰慕】偉大な人物を尊敬し、仰ぎ慕うこと。

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