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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
705/785

第一七七回 ①

チルゲイ(さか)んに兵法を引いて雄略を弁じ

カントゥカ(たちま)ち叡裁を下して天命に沿う

 さて竜騎士カトメイは、やむにやまれずイシを棄てて敵中突破を図る。奇人チルゲイたち僚友(ネケル)はもちろん、全軍挙げて城門(エウデン)から飛び出す。


 西域(ハラ・ガヂャル)軍を率いる吸血姫ハーミラは、兵法に「帰師は(とど)むるなかれ」とあるのに(したが)って退路を空ける。カトメイたちを通してから、おもむろに追撃に転じた。


 さらに殺人剣ことカーに、チルゲイを討つよう命じる。凶刃が迫ったが、意を決した白日鹿ミアルンが迎え撃つと、なぜかカーは戦意を喪失して(ノロウ)を向ける。おかげで揃って逃れることができた。


 カトメイらは亜喪神ムカリの襲撃を恐れ、中原を迂回してオルドへ帰還した。チルゲイと雪花姫(ツァサン・ツェツェク)カコは、援軍を派遣した義君インジャに返礼(カリラ)するべく(モル)を分かつ。


 イシを手中に収めたハーミラは、三日間の略奪を許し、色目人を重用して、人衆(ウルス)を虐げる。怨嗟の(ダウン)を封じるために、圧政をもって臨む。


 ひととおりの差配を()えると、カーを召しだす。


「殺人剣、ひとつ(ただ)したいことがある」


「何でしょう?」


「とぼけるんじゃないよ。なぜ呼ばれたか、身に覚えがあるだろう」


「はて、何のことだか……」


 カーは首を(かし)げる。ハーミラは、ふんと笑って、


「先にお前には、チルゲイを殺せと命じたはずだ。しかし寸前まで迫ったにもかかわらず、急に追跡を止めたとか。なぜ奴を見逃した?」


 たちまち(ニドゥ)(そむ)けて、素知らぬ(てい)で言うには、


「あああ、それは……。思わぬ抵抗を受けて、追いつけなかっただけです」


 ハーミラは何も言わずに疑わしそうな目を向ける。カーは身を縮めて、天窓(エルゲ)など眺めながらじっと堪える。やがてハーミラが冷眼のまま言うには、


「……まあよい。次の機会に挽回するんだな」


「承りました」


 一礼して退出せんとすれば、その背に射る(ハルワフ)ようなひと声、


「私は()ているぞ。忘れるな」


 カーは無言で再拝するや、倉皇(注1)として(はし)り出る。ハーミラは、房室の隅に立てた屏風にちらりと目を()って言った。


「クィアーム。どう思う?」


 すると屏風の(エチネ)から一人の男が歩み出る。異名は「黒智嚢(こくちのう)」。奸謀に()けたハーミラの頭脳(タルヒ)である。答えて言うには、


「あのものは常に韜晦(注2)して、本心を(さと)らせませぬ。剣の腕こそ見るべきものがありますが、決して重く用いてはなりません」


「まったく。あいつは阿呆なのか、慧敏なのか判らない。気色の悪い男だよ」


「どこまで忠順にはたらくか、まるで信が置けませぬ。警戒なされよ」


「ま、大兵を与えることはない。さて、殺人剣の話はここまでだ」


 ハーミラはそう言って話題を変えたが、くどくどしい話は抜きにする。




 いよいよ大地(エトゥゲン)は凍りつく。インジャとその黄金の僚友(アルタン・ネケル)は、四頭豹ドルベン・トルゲの遠大な策謀の前に手を(こまぬ)くばかり。草原(ミノウル)は南北に二分されたまま、新年を迎える。(マングス)(ヂル)である。


 正月(ツェゲン・サラ)を祝って、好漢(エレ)たちはオルドに伺候したり、祝賀の使者を送ったりしたが、いずれの顔色も冴えない。


 そこへまた憂悶を深くする報せがもたらされる。ムカリが、ついにミクケルの遺児ヂュルチダイをカンとして擁立したのである。


 帝号はウネン・カン(正統合罕)。すなわち自らを正統として、衛天王カントゥカを(おとし)める心算である。さらにその国家(ウルス)を「正統ウリャンハタ部」と称した。


 ムカリは大将軍に任じられて、兵馬の大権を預けられる。丞相(チンサン)となったのはヤクマン部のウルイシュ。司法官(ヂャサウル)には、やはりヤクマン部から小スイシ。


 叛将フフブルは、討逆将軍の(ツォル)を得た。ずっとヂュルチダイに従っていたシャギチは、近衛大将に補せられた。


 ハーミラは代官(ダルガチ)となり、イシの統治を託される。カムタイは正式に梁に割譲されて、そのまま石元正が治める。


 四頭豹はジャンクイ・ハーンの名で、すぐに慶賀の使者を送る。梁もまたこれを西原の支配者と認めて王に封じる。西域諸蕃も次々と入朝する。


 仔細が明らかになるにつれてカントゥカはもとより、インジャや東原の神箭将(メルゲン)ヒィ・チノまで、切歯扼腕して悔しがる。何とかして東西の(ブルガ)を駆逐し、憎き四頭豹を滅ぼさねばならない。


 チルゲイとカコは、そのまま中原にある。獬豸(かいち)軍師サノウと(しき)りに話し合う。また太師エジシが逗留していると知って会いに行く。そこで碧睛竜皇アリハンや黄鶴郎セトに()って、初めてファルタバン朝のことを聞き及んだ。


 チルゲイは慨嘆して、


「ずっとイシに籠もっていたからなあ。すっかり世の趨勢に(うと)くなってしまった」


 彼はずいぶんとアリハンを気に入ったらしく、たびたび(ボロ・ダラスン)を携えて訪ねる。一丈姐(オルトゥ・オキン)カノンや嫋娜筆(じょうだひつ)コテカイも交えて宴に興じる。まだ互いに言葉(ウゲ)は通じないところもあったが、片言隻句を繋いで交歓する。ついに言うには、


「ここで碧睛竜皇を知らなければ、私は色目人を憎まずにはいられなかったろう。そりゃ頭では、色目人にも善悪さまざまなものがあることは解っている。しかし実際に善い色目人をほとんど見たことがなかったからな。まことに幸いだった」


 そうするうちに(ハバル)が近づく。ある(ウドゥル)、チルゲイはインジャに(まみ)える。揖拝(ゆうはい)して言うには、


「一度、西原に帰ってきます。向後についてちょっと考えがあるので」

(注1)【倉皇】あわてふためくさま。落ち着かないさま。


(注2)【韜晦(とうかい)】自分の本心や、才能、地位、行為などを包み隠すこと。人の目を(くら)ますこと。

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