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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
704/785

第一七六回 ④

カントゥカ死地を逃れて紅火将と合し

ミアルン東城を棄てて殺人剣と競う

 白刃を(ひらめ)かせつつチルゲイに迫るカー。その異名たる殺人剣が示すとおり、(ガル)にした(ウルドゥ)がまるで意思(オロ)を持つかのごとく自在(ダルカラン)に走って、確実に敵騎を(ほふ)っていく。


 チルゲイも(ようや)く異状に気づく。周囲にはカコ、ヤザムという二人の賢婦人と、ササカ、ミアルンという両個の女丈夫がある。ちらりと顧みて、


「おいおい、危ない奴が追ってきているぞ」


 もちろん武勇に優れたササカとミアルンはすでに察している。ミアルンが硬い表情で言うには、


蒼鷹娘(ボルテ・シバウン)殿は、みなを護ってください。私が留まって時を稼ぎましょう」


 ササカは勃然として柳眉倒豎(りゅうびとうじゅ)(注1)するや、


「何を言ってるの、あれは尋常のもの(ドゥリ・イン・クウン)じゃない。一人では危険(アヨール)だわ」


「しかしそれではこの先、雪花姫(ツァサン・ツェツェク)殿たちを護るものがなくなります。心配は要りません。決して(アミン)は粗末にいたしません」


 ササカは、先にミアルンがヤムルノイの無謀を諫めたことを思い出して、


承知した(ヂェー)。待ってるよ、必ず生きて(オスチュ)追いつくんだよ」


 そこで別れて、ササカはチルゲイたちの後背を護って進み、ミアルンは独り馬首を返す。見れば敵影は指呼の間に迫る。剣を掲げると、馬腹を蹴って立ち向かう。


 カーはと云えば、まっすぐに近づくミアルンを一瞥して、ふふんと笑うと、


「少しはできるようだが、俺には勝てぬ」


 余裕綽々、得物を握り直して相対する。そこへミアルンがものも言わずに斬りかかれば、笑みを浮かべたまま身を(かわ)す。続く二撃、三撃も巧みに避ける。


「なかなか鋭い。だが人を(あや)めるには、正直(ツェゲン・セトゲル)に過ぎる」


 ミアルンは一瞬、虚を衝かれる。すかさずカーの右手が(ひるがえ)る。


「きゃああっ!」


 悲鳴を挙げつつ自然と手が動けば、辛くも頸筋(クヂェラン)への斬撃を(はじ)き返す。はっとして身構えたが、次の攻撃が来ない。


 (いぶか)しんで見遣(みや)れば、なぜかカーは呆然自失の(てい)で佇立している。なおも怠りなく構えていると、カーが言うには、


「お、お前……。女か……?」


「だとしたら何です!?」


 カーは困惑した様子で右顧左眄(うこさべん)(注2)していたが、やがてふうと息を吐いて、


「……行け(ヤブ)! 俺は女は斬らぬ」


「えっ?」


「行け、と言ったんだ。迅く失せろ!」


 言い捨てると馬首を(めぐ)らして遠ざかる。ミアルンはわけがわからずにいたが、言うまでもなくここは戦場、ゆっくりと考えている暇もない。あわてて僚友(ネケル)のあとを追ったが、くどくどしい話は抜きにする。




 イシを去ること数十里。(ようや)く逃れて、(アクタ)を休める。敗兵を収容すればおよそ五千騎。いくら(ブルガ)が、兵法に謂う「帰師は(とど)むるなかれ(注3)」を踏まえて退路を譲ってくれたとしても、やはり損耗は(まぬが)れない。


 カトメイが言うには、


半数(ヂアリム)も助かったのだ、善しとせねばなるまい。早く大カンに合流(べルチル)しよう」


 しかしチルゲイが異を唱える。言うには、


「焦ってはならない。一旦、中原に渡って迂回するべきだ。いわゆる『(みち)()らざるところあり(注4)』さ」


 ヤムルノイが憤然と反駁して、


「今は一刻も早く馳せ参じるべきだ。もたもたしているうちに(ツァサン)で動けなくなったらどうする」


 ヤザムがおずおずと間に入って、


「よろしいでしょうか。畏れながら奇人殿は、亜喪神の襲撃を懸念しているものと拝察します。きっと途上にて待ち構えているに相違ありません」


 チルゲイは雀躍して、


「さすがは素蟾魄(そせんぱく)! そういうわけだ。雪花姫はどうだ?」


 間髪入れずに答えて、


「奇人殿に(したが)うべきです。それから大カンと義君に早馬(グユクチ)を。大カンにはイシの失陥と我らの無事を伝えなければいけません。また義君には、版図(ネウリド)を侵す許しと、もしものときの助力(トゥサ)を請いましょう」


 みな得心したので、即日出立して(ヂェウン)を指す。これが功を奏したか、敵に遭うことなくメンドゥ(ムレン)を渡る。さらに河岸(エルギ)を離れてしばらく進んでから、やっと(モル)()える。


 幾日か経ったところで、癲叫子ドクトと雷霆子(アヤンガ)オノチが率いる二千騎に出合う。これは早馬を得たインジャが援護のために派遣したもの。


 一同はおおいに喜ぶ。チルゲイとカコは返礼(カリラ)などのため、西原には帰らずインジャのオルドに寄ることにした。余のものは道中何ごともなくカントゥカの冬営(オブルヂャー)に至ることができたが、この話もここまで。




 カトメイを()ったハーミラと紅百合社(ヂャウガス)の一党は、西域(ハラ・ガヂャル)軍を率いてイシへの入城を果たす。三日間の略奪を許したので、城内には怨嗟の(ダウン)が満ちたが、気にする風もない。人衆(ウルス)を使役して、城壁(ヘレム)などを(つくろ)い、また紅火砲を壁上に設置する。


 ハーミラは内廷を収めると、城主然として高き座(オンドゥル)を占める。麾下を四門に配し、もともとあった役人(ドゥシメット)を追放して色目人ばかりで固める。一朝にしてイシは碧眼紅毛の徒の(ゴト)と化す。


 かくして衛天王はついに双城を失ったが、これはさながら四肢を()がれたようなもの。手も足も出ぬまま(オブル)となり、ますます逼塞(ひっそく)を余儀なくされてしまった。


 冬はもとより雪害(ゾド)こそ恐るべきなれど、よもやそれをも凌駕する害毒に冒されようとは、誰が予測(ヂョン)できたであろうか。果たして、好漢(エレ)たちはいかにして再起を図るか。それは次回で。

(注1)【柳眉倒豎(とうじゅ)】容姿の美しい女性が眉を吊り上げて怒るさま。


(注2)【右顧左眄(うこさべん)】右を見たり左を見たりして、決断できずに迷うこと。


(注3)【帰師は(とど)むるなかれ】帰ろうとしている敵軍を無理に留めて戦ってはならない、という意味。


(注4)【(みち)()らざるところあり】道には通ってはいけないものもある、という意味。

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