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草原演義  作者: 秋田大介
巻一二
702/785

第一七六回 ②

カントゥカ死地を逃れて紅火将と合し

ミアルン東城を棄てて殺人剣と競う

 沈鬱な場を破ったのは、カントゥカ。


「イシのことは竜騎士や奇人に委ねている。()く守ればそれで善し。たとえ失陥しても責めぬ。丞相(チンサン)の言に(したが)って退く」


 そもそも季節はもうすぐ(オブル)。となれば(ソオル)は続けられない。退くほかに(モル)はなかった。キレカたちももちろん同意して、ともに北行する。


 かくして満を持したはずの親征は、散々の結果に()わった。


 留守陣(アウルグ)に戻った彼らをヒラトらが迎える。早速、鳩首(きゅうしゅ)(注1)してあれこれ協議する。やはり軍を解くことはできず、そのままオルドの冬営地(オブルヂャー)移動(ヌーフ)して、クリエンを形成することに決まる。


 僅かに良い報せもあった。百万元帥トオリルが、再編したボギノ・ジョルチ軍一万騎(トゥメン)を率いて到着する。


 またタムヤの通天君王マタージから、数多の糧食(イヂェ)や物資が届けられる。インジャの言葉(ウゲ)を伝えて言うには、


威徳(エルケトゥ)ある盟友(アンダ)のために、近く必ず援軍を送る。決して屈してはならぬ」


 ウリャンハタの諸将はおおいに勇を得てテンゲリに捲土重来を誓ったが、くどくどしい話は抜きにする。




 イシは、カントゥカが北帰したために敵中にすっかり孤立する。四面数百里に(わた)って友軍(イル)なき有様。


 いまだ城内のものはそのことを知らない。ひたすら援軍が来ることを信じて固守している。しかし籠城しておよそ半歳、いよいよ糧食も乏しくなりつつあった。


 ある(ウドゥル)雪花姫(ツァサン・ツェツェク)カコが真っ青な(ヌル)で内廷に現れる。何やら決意を秘めているらしく、(オロウル)を固く結んでいる。


「どうした、怖い顔をして」


 カトメイが狼狽(うろた)えつつ問えば、


責務(アルバ)はたしかに重いものですが、拘泥するあまり大事を失ってはなりません」


「どういうことだ」


 カコは、深く息を吸い込んで言うには、


「イシを放棄することを検討すべきです」


 吃驚して(ニドゥ)を見開くと、


「何と! それはできぬ。堪えていれば必ず大カンの援けが来る。もう半歳も(しの)いできたというのに、ここで(ほう)りだしてはすべて徒労というものだ」


 カコはよほど熟慮を重ねてきたらしく、小さく首を振って、


「有為の将兵をこの(バラガスン)に閉じこめておくことこそ徒爾(とじ)(注2)というもの。せめて亜喪神を引きつけておければ良かったのですが、それもならず……。今の我らは、ただ座して時日と糧食を浪費しているに過ぎませぬ」


 カトメイは(おどろ)いて言葉を失う。というのも、カコには珍しく辛辣な意見だったからである。代わって(アマン)を開いたのは、蒼鷹娘(ボルテ・シバウン)ササカ。


「雪花姫の言うこともわからなくはないけど、イシを棄てるって言ったって容易(アマルハン)じゃないわ。すっかり包囲(ボソヂュ)されているんだからね」


ええ(ヂェー)。ですから、今こそ最も少ない損耗で脱出(アンギダ)する方策を建てるべきだと思うのです」


 素蟾魄(そせんぱく)ヤザムが遠慮がちに言うには、


「もうイシを守り抜くことはできないとお考えですか」


「……はい(ヂェー)


 カコは小さく、しかしはっきりと肯定する。カトメイはううむと唸りながら座を見回したが、俄かにはっとして一人の男に目を留める。


「おい、奇人! お前は先から黙っているが、どう考える?」


 問われて何と答えたかと云えば、


「雪花姫が正しい。ここが限度というのもそのとおりだ。躊躇していると(ツァサン)で動けなくなるぞ。そして砂塵吹き荒れる(ハバル)が来る。その間、いずれ援軍は得られない。孤立無援であと半歳も戦えるか?」


「た、たしかに……」


 カトメイは青ざめて呟く。そう聞けば、余のものも(ようや)く得心する。白日鹿ミアルンが不安げに言うには、


「退避するとしても、いったいどうすれば」


 チルゲイはひとつ頷くと、なぜか呑気な調子で言った。


「それよ。挨拶ひとつで黙って看過ごしてくれればいいんだが、まあそうもいかんだろうな」


 ササカがどんと(シレエ)を叩いて、


「当然でしょ!! 何か考えなさい! 考えるのは浪蕩子の責務なんだから!」


「おいおい、無理を言うな。だがまあ、美人(ゴア)の依頼とあらば喜んで承ろう。(ブルガ)を欺いて九天の上を翔ける方途を……」


 言いかけたところで、どーんと轟音が(チフ)(つんざ)く。みなびくりとして一斉に立ち上がる。


「今のは何だ!?」


 カトメイが問うが、誰も答えられない。また轟音が連なる。がらがらと何かが崩れる音が続く。


「いかん!」


 チルゲイが真っ先に内廷を飛び出していく。みなあわててあとを追う。そこに鉄将軍(テムル)ヤムルノイから急を告げる伝令。言うには、


北側(ホイン)城壁(ヘレム)が砲撃されています! 早く前線にて指揮を!!」


「何だと!? 奇人よ、これは……」


 駆けながらカトメイが問う。答えて言うには、


「さては敵人(ダイスンクン)め、カムタイから紅火砲を運んできたに違いない」


 走り出て北門を望めば、すでに黒雲の地を(めぐ)り、紅燄(こうえん)の天に飛ぶ有様。衛兵(ケプテウル)は混乱の極み、右往左往するばかり。火砲はいよいよ猛威を振るい、榴弾は続々と宙を飛んで降り注ぐ。


 チルゲイが俄かに立ち止まって言った。


「もはやこれまで。死戦あるのみ」

(注1)【鳩首】人々が集まって、顔をつき合わせて相談すること。


(注2)【徒爾(とじ)】無益であること。無意味。むなしいさま。

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