第七 五回 ①
サチ寡兵を用いて善く大敵に伍し
シン軽騎を飛ばして其の不意に趨く
さてミクケルは緒戦に利を得なかったことに激昂し、全軍を動員して一挙にドゥルガド台地目指して前進した。これを知った渾沌郎君ボッチギンは、急火箭ヨツチに千騎を与えて先鋒の花貌豹サチに伝えて言うには、
「十里退いてそこを死守せよ。その線を半日保てばあとはこちらに考えがある」
この命令に蒼鷹娘ササカはおおいに難色を示したが、サチのひと言によって併せて六千騎は必死の決意で布陣した。
一方、麒麟児シンと知世郎タクカは、以前に定められていた計を実行するべく中軍を離れた。彼らがいつどこに現れるかはいずれ判ること。
ミクケル軍は地を圧する勢いで攻め寄せた。サチは一斉射撃でその足を止めると、自ら先頭に立って突っ込んだ。手には朱塗りの槍を携え、その表情はいささかも動揺の色はない。
その沈着ぶりに勇を奮い起こされた麾下の兵も、一丸となって三倍の敵に立ち向かう。「勇将の下に弱卒なし」とはまさにこのこと。
当然のごとく戦闘は熾烈を極める。数を恃みにひた押しに押してくるミクケル軍を、サチらは懸命に支え続けた。
サチ、ササカ、クミフ、ヨツチの四将は鬼神が憑いたかのごとき戦ぶり、縦横無尽に駆け巡っては声を嗄らして兵を叱咤した。率いる手勢はさながら一個の獣のごとく互いに連動し、補い合って戦線を維持した。
ミクケル軍の近衛大将フワヨウはおおいに感心して、
「寡兵と侮っていたら、あれはまるで大蛇のようだ。首を撃てば尾が至り、尾を撃てば首が至り、胴を撃てば首尾ともに至る。敵将はよほど用兵に長じているに相違ない」
亜喪神ムカリも最前線で躍起になって敵を追っていたが、サチは巧みにその鋭鋒を避けては騎射をもってこれに当たった。
ムカリはやはり一個の豪傑であって、兵を統べる将器ではなかった。有効な策を見出だすこともなく、ただ執拗に敵兵を追い回しては疲労と鬱憤を蓄積した。
サチはこうした難しい戦を強いられつつも、風上の利を失うことを慎重に避けていた。騎兵を運用してすばやく戦場を移しながら、決して砂塵に向かって駆けることはなかった。
対するミクケル軍はどこを攻めても常に砂塵をまともに浴びなければならなかった。そのためところどころで足が鈍り、サチを助けることになった。
中軍ではクルドが前線を望見しつつ具申して言うには、
「敵の迅速な動きで、大軍の利が活かされておりません。眼前の小敵を追わず、まずは兵を展開して小癪な小娘どもを包囲してしまいましょう」
ミクケルは敵を捕捉できないことに苛立っていたので、この言葉におおいに満足すると、旗を振らせて指示を送った。応じて全軍は左右に展開しはじめる。
それは無論すぐにサチらの知るところとなった。両翼を担うササカとヨツチは敵の意図を察しながら顔を青ざめさせるばかり。為す術もない。独り中央のサチだけが顔色ひとつ変えずにひと言、
「包囲か」
そう呟いて、ふと目を閉じた。周囲は激戦の最中である。次にその目が開かれたとき、両の瞳は鋭い光を帯びてぎらぎらと輝いていた。サチは左右に告げた。
「両翼に伝令。寡をもって衆を囲む」
あまりに定跡にない指示に、すぐには承知の声が返ってこない。一瞥をくれてさらに言うには、
「聞こえなかったのか。両翼に伝えよ。外へ広く展開して敵を包囲せよ」
伝令の兵卒はしどろもどろになりながら反論を試みた。
「し、しかし、衆をもって寡を囲むとは聞いたことがありますが、そ、その逆は、聞いたことがありません」
サチは視線を前方に戻すと、
「今、聞いたではないか。お前と議論している暇はない。疾く走れ」
「……承知!」
二名の伝令が駆け去ると、内心思うに、
「衆に囲まれたらすぐに殲滅されよう。戦線を維持するには賭けるしかない」
さらに旗を使って自らの手勢も横陣に変更した。当然、敵から受ける圧力はその比重を増す。サチは珍しく声を荒らげて兵を叱咤し、ムカリらの猛攻を凌いだ。
そのころ左翼のササカは、命を受けて困惑していた。
「まったく渾沌郎だけじゃなく、サチまで無理を言うなんて!」
憤然としたが、戦況は逡巡を許すような状況になかった。意を決すると令して、
「もうどうなっても知らないわ。……長蛇の陣に形して、敵の右翼を抑えよ!」
ヨツチも似たような経緯を辿って、やはり命に従った。かくして六千のサチ軍は、三倍の敵に対して同じように左右に展開しはじめた。陣は細く長く横に伸び、外に回り込もうとする敵軍を追ってどこまでも広がっていく。
それはまさしく兵の分散を戒める兵法の禁忌に触れているようであったが、中央にあるサチはあくまで平静を保ったままで、押し寄せる敵兵を確実に屠り続ける。
クルドはサチ軍の動きを見て、手を拍って喜ぶと、
「ご覧ください! あわてた敵は堅陣を解いて我が軍に引き摺られておりますぞ!」
「お主はやはり知恵者よ。よし、そのまま囲んでしまえ!」
ミクケルもおおいに燥ぐ。次々と軍を投入して左右に翼を広げると、勝利を見届けるべく中軍を前に進めた。




