第七 一回 ④
ミクケル北に敗れて宿将策計を語り
カントゥカ南に戦いて鋭鋒腹背に迫る
が、そのとき卒かに一人の侍者がミクケルの眼前に平伏すると、必死の語勢で言うには、
「お待ちください! ツォトン様は長年の宿将、今少しその言葉を信じてお待ちください。我が軍は優勢な敵と互角に戦っています。ツォトン様がウラカン軍を率いて後背よりこれを襲えば、瞬時に勝負は決します。今、退却すれば途端に崩れましょう。ここはもう少しご辛抱を!」
見ればフワヨウの甥であるシャギチであった。
「賤臣の身で無礼であろう! 大カンの意志に逆らうか!」
チンサンが面罵したが、シャギチはじっと平伏したまま動こうとしない。ミクケルは日ごろこの少年を寵愛すること甚だしく、さらに戦況を鑑みるに、たしかに退却するべきときではなかったので、
「待て、チンサン。シャギチの言にも採るべきところがある。ウラカンなど恃みとせぬが、退くにはまだ早い」
そう言われてはチンサンも黙さざるをえず、シャギチは涙を流して拝謝した。
さて、カントゥカの本営ではボッチギンが焦りの色を濃くしていた。じっと前線を見据えながらしきりに首を傾げて、
「なぜ敵は持ち堪えているのだ。援軍もないのに」
傍らには妖豹姫ガネイがあったが、相変わらず戦を見物にでも来ているような様子。ボッチギンの独り言を聞きつけて、呑気な調子で言うには、
「こっちも援軍がないのは一緒だよ。どっちかに援軍が来たら、すぐに勝負がつくねえ」
ボッチギンは聞き咎めて、
「どういうことだ?」
詰め寄れば、びっくりした様子で、
「だってそうでしょ? みんな前ばかり見てるんだもの。後ろからどんと攻められたらどうしようもない」
これを聞いて青ざめたが、すぐに言うには、
「敵にそれがあるというのか。まさか! ミクケルは孤立無援のはず。天地のどこを探しても援兵などない。妖豹姫の戯言だ」
強く否定すると、ヒラトに伝令を送って後軍の残り四千騎も投入することにした。命を受けると即座に号令し、カオエン軍は列を成して乱戦に飛び込む。
疲れはじめていたネサク、ダマン両軍はこれで息を吹き返し、俄かに攻勢を強めた。対するミクケル軍も無傷の三千騎を注ぎ込んで戦線を支えた。
ミヤーンはずっと中軍にあって黙考していたが、ふと思い立つとチルゲイに囁いて、
「なあ、今考えついたのだが、ツォトンが北にあるウラカン氏のアイルへ直に赴けば奴らはどうするだろうか」
チルゲイはみるみる青ざめて、急いでアサンにこれを告げる。すると言うには、
「そうですね。ツォトン自身が行けば、ウラカンは再びミクケルに付くでしょう」
「しまった! 私としたことが、カトメイの命令を携えてくるのをすっかり忘れていた!」
ミヤーンが慰めて、
「やむをえまい。あのときはすっかり動転していたからな。カトメイも何かできる状態ではなかったし……」
ちょうどそのときである。卒かに後方で銅鑼が鳴り響いてみなを驚かせた。振り返れば丘の上に五千騎ほどの軍勢が現れる。
チルゲイが目を瞠って呟く。
「ウ、ウラカン……!!」
だが驚きはカントゥカ、ボッチギンらのほうが大きかった。
「な、なぜここにウラカン軍が……!?」
そこに真っ先に平静を復したアサンが駆けつけて言った。
「今、まさに向こうで話していたのですが、ツォトンが引き連れてきたに違いありません!」
「ツォトンだと!?」
さしものカントゥカも二の句が継げない。そうするうちにも、ウラカン軍は続々と丘を下って攻め寄せてきた。
「まずい、防げ、防げ!」
ボッチギンが声を大にして叫ぶ。軍鼓が狂ったように打ち鳴らされたが、あわてるばかりで戦列はおおいに乱れる。前線で戦っていた将兵も、後方の変事にどっと浮足立つ。
ミクケル軍はこの機を逃さず、一挙に反攻に転じる。フワヨウが、ムカリが、ボロウルが、勢いを得て駆け来たる。
ウラカン軍は先にボッチギンらに騙されたという恨みが強く、またここで奮戦してミクケルの信頼を取り戻そうと、凄まじい戦意で突撃してきた。
不意を衝かれた叛乱軍はこれを支えることができず、四分五裂の様相を呈した。中軍がその有様では前線にあるシン、サチもとても戦線を維持するどころではなく、徐々に後退した。
カントゥカは怒髪テンゲリを衝き、呪いの言葉を吐き散らしたが、いかなる武勇をもってしても敗勢を覆すことはできなくなっていた。ボッチギンは退却を進言して己の不明を謝したが、答えて言うには、
「渾沌郎の責任ではない。ツォトンが上を行っただけのことだ。次に遭ったときに八つ裂きにして今日の恨みを報じてくれよう」
二丁の戦斧を把んで怒号を挙げるや、周囲の制止も振りきって駆けだす。あわててボッチギンらがこれを追う。
雨のごとく降り注ぐ矢も意に介さず、猛然と駆け抜けてウラカン軍に突き入れば、当たるを幸い撫で斬りにする。麾下の軍勢はそのあとからついていく格好となった。
カントゥカは声を大にして言うには、
「敵に向かって退け! 離脱することは許さぬ! 我が軍の退却は敵を避けては行わぬ! 自ら道を開かぬものはここで死ね!」
全軍はその猛勇に煽られて最後の力を振り絞ると、勇躍して突撃する。麒麟児、花貌豹、急火箭らも合流し、道を開くべく一個の矢と化して立ち向かう。
しかし敵はまだ疲れを知らぬ新手の軍勢、さらに後方からはミクケルが総力を挙げて追撃にかかっており、カントゥカらは莫大な損害を被らずにはいられない。
まさに敵を侮れば一朝形勢は覆り、昨日の勝利も水泡に帰すといったところ。果たしてカントゥカらはこの危機を逃れうるか。それは次回で。




