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草原演義  作者: 秋田大介
巻五
284/785

第七 一回 ④

ミクケル北に敗れて宿将策計を語り

カントゥカ南に戦いて鋭鋒腹背に迫る

 が、そのとき(にわ)かに一人の侍者(コトチン)がミクケルの眼前に平伏すると、必死の語勢で言うには、


「お待ちください! ツォトン様は長年の宿将、今少しその言葉(ウゲ)を信じてお待ちください。我が軍は優勢な(ブルガ)と互角に戦って(アヤラクイ)います。ツォトン様がウラカン軍を率いて後背よりこれを襲えば、瞬時(トゥルバス)に勝負は決します。今、退却すれば途端に崩れましょう。ここはもう少しご辛抱を!」


 見ればフワヨウの甥であるシャギチであった。


「賤臣の身で無礼(ヨスグイ)であろう! 大カンの意志(オロ)に逆らうか!」


 チンサンが面罵したが、シャギチはじっと平伏したまま動こうとしない。ミクケルは日ごろこの少年を寵愛すること(はなは)だしく、さらに戦況を(かんが)みるに、たしかに退却するべきときではなかったので、


「待て、チンサン。シャギチの言にも採るべきところがある。ウラカンなど(たの)みとせぬが、退くにはまだ早い」


 そう言われてはチンサンも黙さざるをえず、シャギチは涙を流して拝謝した。


 さて、カントゥカの本営ではボッチギンが焦りの色を濃くしていた。じっと前線を見据えながらしきりに首を(かし)げて、


「なぜ敵は持ち(こた)えているのだ。援軍(トゥサ)もないのに」


 傍ら(デルゲ)には妖豹姫ガネイがあったが、相変わらず(ソオル)を見物にでも来ているような様子。ボッチギンの独り言を聞きつけて、呑気な調子で言うには、


「こっちも援軍がないのは一緒だよ。どっちかに援軍が来たら、すぐに勝負がつくねえ」


 ボッチギンは聞き(とが)めて、


「どういうことだ?」


 詰め寄れば、びっくりした様子で、


「だってそうでしょ? みんな前ばかり見てるんだもの。後ろからどんと攻められたらどうしようもない」


 これを聞いて青ざめたが、すぐに言うには、


「敵にそれがあるというのか。まさか! ミクケルは孤立無援のはず。天地のどこを探しても援兵などない。妖豹姫の戯言だ」


 強く否定すると、ヒラトに伝令を送って後軍(ゲヂゲレウル)の残り四千騎も投入することにした。(カラ)を受けると即座に号令し、カオエン軍は列を成して乱戦に飛び込む。


 疲れはじめていたネサク、ダマン両軍はこれで息を吹き返し、俄かに攻勢を強めた。対するミクケル軍も無傷の三千騎を注ぎ込んで戦線を支えた。


 ミヤーンはずっと中軍(イェケ・ゴル)にあって黙考していたが、ふと思い立つとチルゲイに(ささや)いて、


「なあ、今考えついたのだが、ツォトンが(ホイン)にあるウラカン氏のアイルへ直に赴けば奴らはどうするだろうか」


 チルゲイはみるみる青ざめて、急いでアサンにこれを告げる。すると言うには、


「そうですね。ツォトン自身が行けば、ウラカンは再びミクケルに付くでしょう」


「しまった! 私としたことが、カトメイの命令を携えてくるのをすっかり忘れていた!」


 ミヤーンが慰めて、


「やむをえまい。あのときはすっかり動転していたからな。カトメイも何かできる状態ではなかったし……」


 ちょうどそのときである。(にわ)かに後方で銅鑼が鳴り響いてみなを驚かせた。振り返れば(ドブン)の上に五千騎ほどの軍勢が現れる。


 チルゲイが(ニドゥ)(みは)って呟く。


「ウ、ウラカン……!!」


 だが驚きはカントゥカ、ボッチギンらのほうが大きかった。


「な、なぜここにウラカン軍が……!?」


 そこに真っ先に平静を復したアサンが駆けつけて言った。


「今、まさに向こうで話していたのですが、ツォトンが引き連れてきたに違いありません!」


「ツォトンだと!?」


 さしものカントゥカも二の句が継げない。そうするうちにも、ウラカン軍は続々と丘を下って攻め寄せてきた。


「まずい、防げ、防げ!」


 ボッチギンが(ダウン)を大にして叫ぶ。軍鼓が狂ったように打ち鳴らされたが、あわてるばかりで戦列(ヂェルゲ)はおおいに乱れる。前線で戦っていた将兵も、後方の変事にどっと浮足立つ。


 ミクケル軍はこの(チャク)を逃さず、一挙に反攻に転じる。フワヨウが、ムカリが、ボロウルが、勢いを得て駆け来たる。


 ウラカン軍は先にボッチギンらに騙されたという恨みが強く、またここで奮戦してミクケルの信頼(イトゥゲルテン)を取り戻そうと、凄まじい戦意で突撃してきた。


 不意を衝かれた叛乱軍(ブルガ)はこれを支えることができず、四分五裂の様相を呈した。中軍がその有様では前線にあるシン、サチもとても戦線を維持するどころではなく、徐々に後退した。


 カントゥカは怒髪テンゲリを衝き、呪い(ドム)言葉(ウゲ)を吐き散らしたが、いかなる武勇をもってしても敗勢を(くつがえ)すことはできなくなっていた。ボッチギンは退却を進言して己の不明を謝したが、答えて言うには、


「渾沌郎の責任ではない。ツォトンが上を行っただけのことだ。次に遭ったときに八つ裂きにして今日の恨みを報じてくれよう」


 二丁の戦斧を(つか)んで怒号を挙げるや、周囲の制止も振りきって駆けだす。あわててボッチギンらがこれを追う。


 (クラ)のごとく降り注ぐ矢も意に介さず、猛然と駆け抜けてウラカン軍に突き入れば、当たるを幸い()で斬りにする。麾下の軍勢はそのあとからついていく格好となった。


 カントゥカは声を大にして言うには、


()()()()()()退け! 離脱(アンギダ)することは許さぬ! 我が軍の退却は敵を避けては行わぬ! 自ら道を開かぬものはここで死ね!」


 全軍はその猛勇(カタンギン)に煽られて最後の(クチ)を振り絞ると、勇躍(ブレドゥ)して突撃する。麒麟児、花貌豹、急火箭らも合流(ベルチル)し、道を開くべく一個の(ヂェベ)と化して立ち向かう。


 しかし敵はまだ疲れを知らぬ新手の軍勢、さらに後方からはミクケルが総力を挙げて追撃にかかっており、カントゥカらは莫大な損害を(こうむ)らずにはいられない。


 まさに敵を侮れば一朝形勢は(くつがえ)り、昨日の勝利も水泡に帰すといったところ。果たしてカントゥカらはこの危機(アヨール)を逃れうるか。それは次回で。

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