第六 五回 ④
カントゥカ吏を殺して敵地に兵馬を奪い
アサン理を示して諸将に計策を陳べる
シンが嬉しそうに言った。
「なるほど、いいぞ! 敵の策を読めばいいってわけだ。……で、最初の策はいったい何だ?」
アサンは莞爾として、静かな調子で言った。
「最初ですか? 実はすでに破っています」
好漢たちは一様に驚く。アサンは笑って言うには、
「みなさんもご存知です。ミクケルは自らのアイルに出兵を命じましたが、カントゥカとボッチギンが七千騎を奪ってしまいました。つまりここでもミクケルの打つ手は外れたということです」
サチが感心して言うには、
「まさかスンワの兵衆が叛するとは思わなかっただろう。ことの容易ならざるを察してあわてているに違いない」
「はい。ミクケルは威信に懸けて我らを討とうとするでしょう。すぐにウラカン、シモウルの両大族に出兵を命じるに相違ありません」
ヒラトがあとを受けて、
「では次に為すべきは、ミクケルと両氏の合流を妨げることだな」
「そのとおりです。思うに、戦意旺盛な近衛軍よりもまだ事情を把握しかねている両氏のほうが御しやすいでしょう。近衛軍と戦えば相当の被害が出るでしょうが、両氏なら威嚇するだけで戦果があるはずです。ここは『その実を避けて虚を撃つ』べきです」
シンが快哉を挙げて、
「さすがは知恵者! 大事は成ったも同然だ。我らにはアサンがあるが、敵にはアサンがいないのだからな」
ヒラトが戒めて言うには、
「そう浮かれるな。まだことは始まったばかりだぞ。ともかくウラカン、シモウルに兵を向けよう。アサンの言うとおり、常に敵に先んじてミクケルを孤立させればよい」
「そうです。『先んずればすなわち人を制し、後るればすなわち人に制せらる』と古の名将も云っています」
シンがおおいに感嘆して言うには、
「おお、どうもセチェンというのは得だな。ここぞというときに、これという言葉が出てくる」
これを聞いてみな大笑いすると、気力充溢して軍を動かすことにした。すなわちここにある軍をシモウルへ、カントゥカ率いる軍をウラカンへと向けることになった。先にカントゥカから送られた使者に意を含めて送り出す。
もちろん兵を向けると言っても、アサンの進言どおり交戦に及ぶことなく、これを牽制するのが狙い。ともかくシン・セク率いるネサク軍を先鋒に任じて、カオエン軍を中軍に、ダマン軍を後軍として進発した。
その日は雲ひとつなく晴れていて、月の光は煌々と辺りを照らし、灯を用いなくとも遠くまでよく見わたせた。明るい夜の平原を、一万二千騎の軍勢が駆けていく。
途中、僅かな休憩を挟んだが格別なこともなく、早朝シモウル氏のアイルを望むところまでやってきた。軍馬の荒い息遣いのほかは何も聞こえない。シン・セクは不敵な笑みを浮かべると、傍らのタクカに言うには、
「ふふ、大事に気づかず眠りこけているようだ」
「無用な殺戮はしてはならぬぞ。この戦は牽制が目的だ」
「解っている。一直線に族長のゲルを目指す」
答えると、手を挙げて突撃を命じた。もの言わぬ三千騎は、薄明るく照らされた大地を蹴った。俄かに地響きが起こり、幾人かの敵人が目を擦りながらゲルから飛び出してきたが、かまわず側を駆け抜けて中央を目指す。
「てっ、敵襲! 敵襲っ!」
あわてて叫んだ男を斬り捨てて、シンは咆哮する。応じて三千騎が一斉に喊声を挙げれば天地に響きわたる。
シモウル氏の族長マクシ・ヂェーは、ときならぬ喧騒にあわてて起き上がると、槍を携えて飛び出した。見れば麒麟児シンを先頭に大軍が疾駆してくる。青ざめて叫んで、
「いったい何のつもりだ! ただですむと思うなよ!」
シンは口を歪めて笑うと、罵って言った。
「ただですまないのはお前のほうだ! テンゲリの裁きを喰らうがいい!」
言うや否や白刃一閃、これを斬り下げる。自慢の槍の腕を見せる暇もなくどっと倒れる。ばらばらと姿を現したシモウルの人衆は混乱して、何が起こったのかも判然としない有様。
「理に昏い奴は前に出ろ! ことごとく斬り捨ててテンゲリに捧げてやるぞ!」
シンが叫べば、タクカが進み出て言うには、
「我らネサク氏は、カオエン、ダマン両氏の人衆とともに非道のカンを討つべく起った! シモウルはかの暴君に従うこと幾歳、その悪政に荷担して罪を重ねてきた。よって族長であるマクシ・ヂェーを誅殺した。異議はあるか!」
これを聞いて初めて事態を覚ったシモウルの民は内心あっと驚く。しかし声を挙げるものはない。シンは満足して、
「我らは非道を討つために起った。カンに助力せぬと誓うなら、もとより同じウリャンハタの民、どうしてその命を奪う必要があろう」
そこへヒラトらも漸く到着する。言うには、
「アイルはすでに包囲した。ともに大義に起つものは厚く遇しよう。あくまで不義に殉ずるものは望みどおり冥府に送ってやろう」
シモウルの民はすっかり恐れて恭順を誓うと、進んで馬や糧食を差し出した。ヒラトらはおおいに喜んで包囲を解いた。そうこうするうちに陽が昇り、辺りはすっかり明るくなった。
そこにやっとミクケルの使者が到着したが、知らずアイルに入った途端に捕らえられてヒラトの前に突き出された。これをおおいに罵ると、馬を奪い、袍衣を剥いで徒歩のまま放逐した。これは草原の民にとって最大とも言える侮辱であった。
こうしてアサンの示した計略は半ば成った。ミクケルは一方の翼を失っておおいに怒り、また焦ることになるわけだが、もとよりことを成すにおいては「終わりあること初めあるがごときは稀なり」との俚諺もある。
ミクケルを討ち果たすまでは、いささかも気を緩めてはならぬのは言うまでもないこと。シモウル氏は制したが、ウラカンへ向かったカントゥカらは果たして首尾よく成果を得ることができるか。それは次回で。




