第六 四回 ③
ヒラト暴君に正道を説いて恩赦を請い
ヘンケ兵禍に令名を犠として後生に託す
クルドは平伏して言った。
「畏れながら、臣はこう聞いております。『臣の名が君より高ければ、すなわち国毀れ、臣の権が君より重ければ、すなわち宮傾ぐ』と。大カンよ、君を軽んずる輩を討って、後顧の憂いを断つことこそ明君の英断、部族を寧んじ、大カンの威光を保つことになろうというものです」
またフワヨウが拱手して言った。
「臣も『辞を卑くして備を致すものは必ず背き、名を尊んで望を聚める臣は必ず叛く』と聞いております。今、ヒラトを覩るに、まさに古言のとおり! 大カンにおかれましては、禍の至る前にこやつを処断するべきかと存じます。『大患は必ず小禍より生ず』とも謂いますれば、未然に防ぐことこそ賢明かと思われます」
ジャルもまた進んで、
「ヒラトは山塞の役においても命令に背き、独り軍を進めなかった(注1)不忠の臣でございます。撤兵に功あったゆえ不問に付されましたが、本来は処罰されて然るべき大罪にございます。君命を軽んずるものを重用すれば、下々のものはみなこれに倣いましょう。大カンを軽視する風潮は何としても根絶せねばなりません。今こそヒラトの罪過を明らかにし、権威を示すべきです」
ミクケルは思い出したくもない敗戦に触れられて屈辱が甦り、己を尊ぶ心をおおいに傷つけられたので、怒りのあまりすぐには言葉が出ないほどであった。
ヒラトはおおいにあわてて、
「讒言に欺かれてはなりませぬ! このヒラト、大カンのために忠を尽くしてまいったではありませんか!」
チンサンが立ち上がると、指弾して言った。
「黙れ! この期に及んでまだ己の功績を誇り、大カンの恩にすがろうとは。恥を知れ、恥を!」
クルドは声を荒らげることなく、冷たく言い放って、
「いわゆる忠なるものほど不忠と申します。今さらのように忠臣を装うなど言語道断。願わくばかの佞臣の処断、お委せください」
さてミクケルは憤怒のあまり言葉を忘れ、ただ何度も頷くばかり。四姦はそれを見て互いに目で合図を交わし、密かに笑みを浮かべた。
かの四姦にとってはヒラトこそ目の上の瘤、機会を捉えて除こうと耽々と狙っていたのである。ヒラトは、その広げた網にまんまと罹ってしまった。そこであわてて立ち上がると、
「臣はオルドにお仕えすること四年の長きに亘ってまいりましたが、今また大カンのためを思った献言を採り上げていただけず、かえって怒りを得たのはまことに遺憾です。かくなる上は郷里に戻って、謹んで命を待つことにいたします」
そう言い放つや否や、踵を返して小趨りに退出した。フワヨウが驚いて叫んだ。
「待て、逆臣!」
しかし聞く耳も待たず、飛び出す。表には約定どおりタケチャクが待っていたが、青ざめた顔で走り出てきたのを見るとすべてを悟った。黙って馬を指し示すと、やはり無言でそれに騎り、馬腹を蹴って一散に駆け出す。
二騎は大ゲルの裏手に回り込むと、果たしてそこには檻車が並べられていた。衛兵が列を成している。突然ヒラトらが駆け込んできたので、あわててこれを押し止めようとしたが、
「大カンの命令である! ヘンケ父子の罪を減じ、カオエンにて蟄居するようにとの仰せだ! すぐに両名を放せ!」
衛兵の長らしき男が困惑した様子で、
「そのような命は聞いておりませぬが……」
そう言うのを大喝して、
「大カンの執政たる私がたった今、命を受けてきたのだ。早くいたせ! 我が命に逆らうとあとで処罰を受けるぞ!」
これには震え上がって、直ちに檻車を引いてきて鍵を開ける。それを見ているのももどかしく、タケチャクが手を取って父子を助け出すと、連れてきた馬に騎せる。父子はただならぬ事態となっていることを察して無言で順う。
「よろしい。では我ら両名がカオエンまで護送する」
ヒラトは言い捨てるとみなを促して駆けだした。あとに残された衛兵たちは呆気にとられてこれを見送る。四騎はまっしぐらに南へ急いだが、早くも後方で、
「あそこだ! 叛臣が逃げていくぞ、追え、追え!」
「執政ヒラトが造反したぞ!」
声が挙がり、生きた心地もしない。タケチャクがちらと顧みれば、オルドに詰める輪番の侍衛兵が、数十騎ほど追ってくるのが見える。
「ヒラト、来るぞ!」
「かまうな、駆けよ! カンの説得は四姦の妨害で失敗した」
「ふん、これで完全に叛臣というわけだ」
そうするうちにも騒ぎを聞きつけて周囲からわらわらと騎兵が現れ、四人を捕らえようと集まってくる。
タケチャクはそっと背に負った弓を取り出して次々と矢を放つ。弦音が鳴るたびに一騎、また一騎と落馬する。しかし追撃の手は緩むことなく、次第に追い詰められる。十数騎を射落としたところで矢も尽きた。
「ヒラトよ、このままでは捕まるぞ!」
「言ったであろう! 策はない、天運を祈るのみだと」
「まったく知恵者が聞いて呆れるぜ」
笑いながら腰の短剣を抜き放つ。アサンがそれを見て、
「何をするのです!」
「知れたことよ。俺が斬り込んで時を稼いでやる」
「おやめなさい、死ぬときはともに死にましょう」
(注1)【軍を進めなかった】ミクケルが山塞で最後の攻勢に出たとき、ヒラトのみが策に嵌まったことを覚って、命を待たずに己の手勢を退却させたこと。第三 一回②参照。




