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草原演義  作者: 秋田大介
巻四
233/785

第五 九回 ①

赤心王ヂャサを制定して民人に(したが)わせ

義武君ハトンを冊立(さくりつ)して兄弟を驚かす

 さて、ボグド・ナランで選挙されて、新生ジョルチ部のハーンとなったインジャは、ジョルチン・ハーンの(ツォル)を採って、本格的な遊牧国家の建設に着手した。


 まず軍律を軸として、人衆(ウルス)の拠るべき規範を定めた(ヂャサ)を制定して公布した。これは文字(ウセグ)で石碑に刻まれ、版図(ネウリド)の各処に建てられた。


 次に混乱した牧地(ヌントゥグ)の確定を行い、衆庶と家畜(アドオスン)のことごとくを宮廷(オルド)で把握した。これに伴って人衆は毎年、家畜百頭につき一頭(ボド)二歳牝羊(ヂョサグ)などを納めることが定められた。


 軍事においては、先に把握した戸数に応じて軍の再編が行われた。すなわちハーン(みずか)千人長(ミンガン)百人長(ヂャウン)を任命して、兵を率いる権限を保証したのである。


 これには氏族(オノル)族長(ノヤン)や好漢諸将が当てられたのは言うまでもない。この処置により今まで各氏がそれぞれ所有していた兵が、(ヂャサ)の上ではハーンに与えられた兵となった。許可なく兵を動かしたり、百人長を任命したりすることはできなくなり、すべてその裁可を仰ぐことになった。


 また中でもナオル、トシ・チノの二人は、それぞれ右王、左王として千人長の上に立つ万人長(トゥメン)に列せられ、ハーンの両翼となった。


 クリエン(注1)、牧地間の連絡網も整備され、その統轄としてジュゾウが重責(アルバ)を担うことになった。各処に早馬(グユクチ)が待機して、有事の際には速やかにオルドに伝達する。アイルを結ぶ要地には替馬(コトル)が用意されたが、これはのちに草原(ミノウル)中に張り巡らされる駅站(ヂャム)の原形となった。


 一方、オルドには「ハーンの番犬」と称する近衛軍(ケシクテン)が設けられた。その母体はセイネン率いる隷民(ハラン)軍である。彼らは輪番でオルドを護り、昼夜の別なく警戒に当たった。その戦袍が赤いことから、人々はこれを称して「紅袍軍(フラアン・デゲレン)」と呼んだ。


 このほかにもさまざまな職掌が定められて、適材をこれに当てた。みなサノウら神都(カムトタオ)出身の賢者(セチェン)と、セイネン、サイドゥら草原(ケエル)の知将が(はか)って生みだしたものである。


 中でもハーンの信頼(イトゥゲルテン)厚きサノウは、断事官(ヂャルグチ)に任命されて司法を中心とした内政に関する巨大な権限を与えられた。


 ジョルチ部最大の盟友(アンダ)であるタロト部のマタージ・ハーンは、タムヤの周囲に版図を築き、旧領に復することはかなわなかったが、これは言うまでもなくそこにマシゲル部の獅子(アルスラン)ギィがあったからである。


 しかし、かつてはジョルチとタロトの間に空隙があって小族が割拠するのに(まか)せていたものを、ことごとくタロトに領有せしめたので、牧地の広さは往時に匹敵するほどになった。


 また今までと同じようにインジャが(アカ)、マタージが(デウ)として(クチ)を併せていくことが再確認された。このハーン同士の盟約は、とりもなおさずジョルチ部を兄、タロト部を弟と格付けしたことになった。




 ジョルチン・ハーンの即位は方々へと伝えられたが、マシゲル部のギィは即座に祝賀の使者を送って好漢(エレ)たちを喜ばせた。小族のうちにはこれを伝え聞いて麾下に加わらんと馳せ参じるものも多く、それらはみなフドウの民となった。


 ウリャンハタ部のヒラトやカントゥカなどには、奇人チルゲイが帰って直にこれを伝えた。クリルタイの様子や、その後の施策について語るところに彼らは深く感じ入ったが、カンであるミクケルに、インジャ即位の報が伝わるのはずっと先のことである。


 ヤクマン部についても、ムジカやアステルノにはギィから密かに報せが届いた。ムジカらはインジャについて伝聞でしか知らなかったが、なるほど噂に(たが)わぬ傑物(クルゥド)だとおおいに感心した。しかしトオレベ・ウルチのオルドで開かれる大会議(イェケ・クラル)では、二人ともあえてこれを伝えなかった。


 東原の雄ヒィ・チノは、インジャ即位を聞いて、


「ついにやったか。俺も不測のこと(注2)がなければ、三年前にこれと交わりを結んでいたはずだったのに」


 とておおいに悔しがった。


 そのころナルモント部は、相変わらずセペート部や神都(カムトタオ)と睨み合っていたが、北伐撤退後は自重して民力の充実に努めた。よって家畜、騎兵の数は以前に倍する勢いとなり、その版図を大族のない南方へと大きく(ひろ)げていた。


 ナルモント部の拡大は東原にある意味で安定をもたらし、ホアルンと神都(カムトタオ)の通商が徐々に回復に向かっていた。僭帝ヒスワも、(ようや)く通商が重要であることを思い出したらしく、少しずつ門戸を開放しつつあった。


 そんなときにジョルチ部統一が果たされた。これによって安全に中原を横断できるようになったので、西方の商人(サルタクチン)たちは再び隊商を組んで神都(カムトタオ)を目指した。


 ジョルチの統一は、宿敵であるヒスワの利にも繋がったのである。ヒスワは西方の商人を介して糧食(イヂェ)軍馬(アクタ)は無論のこと、傭兵(ヂュイン)奴隷(ボオル)まで購入した。


 また兵を動かしては、小族を略奪して家畜などを奪った。それを城塞(バラガスン)(ウリダ)に放牧して、通商のみならず遊牧帝国への志向があることを暗に示した。


 ヒィ・チノは間諜の報告を聞いて、呵々大笑すると言うには、


「百年商売しかしていなかった連中が笑止な。そんな野鼠(クルガナ)(マグナイ)のような牧地で、遊牧の模倣をしているからとて気に病むことはない。遊ばせておけ」


 この時期、どの部族(ヤスタン)も外征を控えて、内政の充実に努めていた。そのため奇妙な平和(ヘンケ)がもたらされたが、それが一時のものに過ぎないことは誰もが承知していた。それでもそのおかげで新生ジョルチは民力の回復を図ることができたのである。

(注1)【クリエン】複数のアイルの集団から成り立つ部落形態。主に軍団の駐屯に際して形成され、遊牧形態から戦闘形態への転換が容易である。圏営、群団などと訳されることもある。単位は「翼」。第三 七回③参照。


(注2)【不測のこと】ヒィの外遊中に、父ダコン・ハーンがセペート部の戦で負傷して()せってしまったこと。第四 一回③参照。

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