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草原演義  作者: 秋田大介
巻四
224/785

第五 六回 ④ <テヨナ登場>

ドルベン義君の影を射て闇中に消え

インジャ侍女の言に(さと)りて妻妾を(ゆる)

 インジャは(フムスグ)(しか)めて、


「しかし、幼子(チャガ)ではないか」


非礼(ヨスグイ)を承知で申し上げますが、かのサルカキタン・ベクはインジャ様を残したがゆえに(たお)れたのです。いかな幼子とはいえ、禍の種を()いてはなりません」


 強く断言する。インジャは困惑した(ヌル)で言い(よど)む。すると、


「お待ちください! 義君とは、そうしたものでしょうか!」


 (にわ)かに高い(ダウン)が挙がった。インジャははっとして声の主を探す。見れば、ボドンチャルの背後に控えていた一人の女が、きっと顔を上げて睨んでいる。


「女、無礼だぞ!」


 コヤンサンが(つか)みかかろうとするのを制して、その女を観れば、


 年のころは二十歳を超えたばかり、浅黒い肌に漆黒の髪、(ニドゥ)(おお)きく央心に光を宿し、(ハマル)は長く通り、(オロウル)は固く結ばれ、手足は小さきも、大なる仁人の心性(チナル)を持した一個の女丈夫。


 インジャは思わず居住まいを正して尋ねた。


「貴女の名は?」


 女は膝を折って拝礼すると、面を伏せて言うには、


「失礼いたしました。私は奥方様の侍女(チェルビ・オキン)で、テヨナと申します」


「先の言葉(ウゲ)の真意を問いたい」


「僭越ながらお答えいたします。インジャ様は仁義に富んだまことに尊い方と聞いておりましたが、先ほどは軍師様の不仁極まる愚言に(セトゲル)を動かされようとしていたように見えました。そもそも(ソオル)男の方々(ブステイ)が始めたもので、婦女子には何の関わりもないはず。戦には加われず、それでいてその勝敗によって命運(ヂヤー)を左右するというのは、いささか(ヨス)に合いません」


 そこで顔を上げて、インジャをその(おお)きな眼で正視しつつ、さらに言うには、


「それに幼子は自ら選んで敗家に生を()けたわけではありません。いったい何の罪をもってその貴い(アミン)を奪おうというのでしょう。とても仁義の君が行うこととは思われません。古の聖王は大罪人を処断するときですら(こく)し嘆いたと謂います。ましてや(とが)を負ったものの家族(ゲルブル)まで罰することなどあったでしょうか。罪の意味も知らぬ幼子の命まで奪うことなどあったでしょうか。それこそテンゲリを恐れぬ傲慢なふるまいとは言えないでしょうか。ゆえに私は()()()()()()()()()()()、とお尋ねしたのです」


「ううむ」


 インジャは唸るばかり。テヨナはさらに続けて、


「そもそもサルカキタン・ベクは、我欲から人を殺し(アラハ)、その(エド)を奪い、暴虐非道を(ほしいまま)にしました。ゆえにインジャ様に誅されたのです。もしサルカキタンが仁義を専らにし、大義のために一家を亡ぼしたとしたらどうでしょう。亡家の子弟がいかに(クチ)を尽くそうとも、テンゲリがそれを許しません。これをもってこれを()れば、サルカキタンは決して復讐されたのではなく、テンゲリに滅ぼされたのです。戦に勝ってその子弟をも惨殺するのは、テンゲリに()じるところのあるものです。ゆえに()()()()()()()()()()()、とお尋ねしたのです」


 テヨナは深々と拝礼して(コセル)に伏した。インジャをはじめ居並ぶ好漢(エレ)は声もない。(ようや)くインジャが言った。


然り(ヂェー)。教えられたぞ。あわや勝利に(おご)り、テンゲリに罪を得るところであった。ウルゲンの妻子は放免いたす。軍師、それで善かろう」


「愚見を()べて、義君の名に傷を付けました。この罪、万死に価します」


「軍師の謝ることではない。テヨナが我らに理を教えてくれたのだ」


 テヨナは(マグナイ)を地に付けたまま、


いえ(ブルウ)、身分をわきまえず暴言を吐きました。いかようにもご処断ください」


 するとインジャはあわてて駈け寄ってこれを助け起こした。好漢たちは唖然とする。当のテヨナも驚いて目を(みは)る。インジャが言うには、


「貴女は仁の理をよく解っている。大志をともにしていただけないだろうか」


 これにはおおいにあわてて、


「何をおっしゃいます! 先の暴言で死罪に問われてもやむをえない身です。みなさまの末席を汚すなど思いも寄りません」


いや(ブルウ)、誰も気づかなかった理に貴女は気づかれた。今、我々は人材を求めています。貴女のような方が必要です」


 そこへもとは同じ氏族(オノル)のナオルが進み出て言うには、


「テヨナ、君が幼少(バガ・ナス)より聡明(ボクダ)であることは、ジョンシでは知らぬものはない。久しく名を聞かないので案じていたが、よもやウルゲンのもとにあったとは知らなかった。ジョンシ氏は今日をもってひとつになったのだ。ともに部族(ヤスタン)のためにはたらいてくれないか」


 これを見て一同得心したので、テヨナは晴れて末席に連なることになった。


 以後、インジャとその黄金の僚友(アルタン・ネケル)は、(ブルガ)を討っても女や子どもを殺すことはなくなった。すべてテヨナの進言の賜物(アブリガ)である。草原の戦では他家を亡ぼせば、その(ツォサン)をことごとく絶やすのが常であったから、大きな変化である。


 四頭豹ドルベン・トルゲは、内外を探索したが(よう)として行方は知れなかった。好漢たちがおおいに悔しがったのは言うまでもない。


 インジャは論功行賞はひとまず()き、二、三日逗留したあとで、マタージとゴルタをタムヤの防衛と復興のために残して山塞に引き上げることにした。チルゲイらも平然(ガイグイ)とこの列に加わる。


 エジシをはじめタムヤの長老(モル・ベキ)たちは、これを城外まで見送った。


 メルヒル・ブカへはジュゾウが勝利を伝えるべく走った。タンヤンは(エチゲ)クウイの墓を作るために残った。


 道中は格別のこともなく山塞に到着した。留守の好漢たちが(ふもと)まで下りて、これを出迎える。負傷して戻っていたシャジ、ドクト、タアバもすでに恢復していた。


 みな再会を祝して大喜び。インジャは軍装を解くと、母ムウチに戦勝を報告した。また諸将を集めて改めてテヨナを紹介すると、盛大な宴を開いた。


 翌日にはトシ・チノら連丘を抑えていた諸将が帰還したので、また宴となった。これはタンヤンが戻ってくるまで幾日にも(わた)って続き、みな勝利の美酒に酔った。


 宴が一段落したところでやっと論功行賞となる。第一の功はナオルであった。以下、コヤンサン、ジュゾウ、オノチなど諸将もれなく賞され、チルゲイら客人(ヂョチ)にも厚く(カリラ)がなされた。


 こうして山塞軍は当面の敵をすべて葬ったわけであるが、これによりインジャの下でジョルチ部はついにひとつになった。部族(ヤスタン)が分裂してから三十四年、フドウ滅亡より二十三年、そしてインジャが族長(ノヤン)になってから八年目の壮挙であった。


 まさしく乱あれば英雄生まれ、その(タショウル)の下、ことごとくその居処を得るといったところ。これはちょうど(オス)の高きより低きに流れるがごとく、天星(オド)に比すべき英傑好漢の数多(つど)い、異能(エルデム)をもって覇業を(たす)くといった格好。


 ことは一歩進んでいよいよ英雄登極ということになるのだが、慶事を控えて新たな事件が巻き起こり、天星は再びその結束(ヂャンギ)を固めることになる。果たして何が起こったか。それは次回で。

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