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草原演義  作者: 秋田大介
巻四
209/785

第五 三回 ①

エジシ難を逃れて山塞に凶報を(もたら)

インジャ令を発して堂上に派兵を決す

 さて、チルゲイ、ナユテ、チャオ、ミヤーンの四人はおおいに歓迎され、連日好漢(エレ)の招きに応じて飲み語らっていた。


 そんなある(ウドゥル)、山塞に新たな客人(ヂョチ)がやってきた。山麓で家畜(アドオスン)を預かるのはナオルからマタージに替わっていたが、彼はその客を見るや吃驚した。


 (フル)(もつ)れさせんばかりの勢いで本塞に走り込んだマタージは、(アミ)を切らしながらインジャの姿(カラア)(もと)めた。タンヤンがその様子を見て大笑い。


「ハーンともあろうお方が、いったい何をそんなにあわてているんだね?」


「これがあわてずにおれようか。下に凄い方が見えたぞ!」


中華(キタド)皇帝(グルハーン)が来たわけじゃなし、おたおたすることはなかろう。で、誰なんだい、凄い方ってのは?」


「お前もよく知っている方だ、早く義兄上を! エ、エジシ様がお見えだぞ!」


 これにはタンヤンも驚くまいことか、八尺の身体(ビイ)をおよそ四尺ばかりも跳び上がらせて、


「た、た、大変だ! あ、義兄上、義兄上!」


 あわてふためいて奥へ駈け込む。


「騒々しい。何の騒ぎだ?」


 インジャはナオルらと会議(クラル)をしていたが、タンヤンが躍り込んできたので(フムスグ)(しか)めて尋ねた。


「そんなくだらない会議などおやめなさい! 客が、客が……」


「くだらないとは何だ。何を言わんとしているのかさっぱり判らぬぞ。誰か来たのか?」


 そこへ()れたマタージまで飛んできて叫んだ。


「おお、義兄上! エジシ様が、今、下に!」


 それから辺りは蜂の巣を(つつ)いたような騒ぎとなった。インジャもあわてて立ち上がると、


阿呆(アルビン)め、何をしている。早く案内しないか。それならそうと早く言え!」


 各塞に伝令が飛び、酒食が用意され、ムウチにはインジャ自ら知らせに走った。マタージとタンヤンは、エジシを迎えるべくともに転がるように山道を下った。


 賓客が本塞に入るころには、僚友(ネケル)の多くが(ヌル)を揃えて待っていた。エジシは端座して好漢たちと礼を交わすと、


「お久しぶりです。インジャ様が族長(ノヤン)になったときにムウチ殿を迎えに来て以来(注1)ですから、もう六年になりますか。ご立派になられました。盛名は辺境にも轟いておりましたぞ」


 インジャは再会の感動ですぐには言葉(ウゲ)が出なかったが、やがて言うには、


「先年、ウリャンハタ軍がタムヤを攻囲(ボソヂュ)したときには、案ずるばかりで何もできずまことに申し訳ありません。再び無事に(まみ)えることができて、これに勝る喜び(ヂルガラン)はありません」


 ムウチも微笑を浮かべて挨拶する。


遠い(ホル)ところを訪ねてくださってありがとうございます」


 エジシは頷くと、居並ぶ諸将を満足げに見渡した。いずれも非凡な風貌(ガタル)のものばかり。そこで言うには、


「ナオル殿と旗揚げしたころには数人の将がいるだけでしたな。それがこの活況はどうでしょう。今やフドウの宿星(オド)は数多の将星を従えて、より明るく輝いております。昨秋は連丘で難儀をされたと伺いましたが、星の(きら)めきはまったく衰えておりませんぞ」


「今、山塞には二十九人の僚友と四人の客人がおります。連丘では死を決意しましたが、テンゲリの加護を得てやっと生き長らえております」


 エジシは終始莞然(かんぜん)(注2)としていたが、よくよく観れば胸中(オモリウド)に何か言いにくい事情をしまっているように見える。(いぶか)しく思ったが不躾(ぶしつけ)に問うわけにもいかないので、みなを紹介しながらそれとなく様子を窺う。


 諸将はフドウ存亡の危機(アヨール)を救ったのがエジシであることを聞き知っていて、またその深い学識と先見の明にかねがね敬意を抱いていたので、当人の優雅な所作を眼前に見ていよいよ尊敬の念を深くした。


 インジャは僚友たる二十九人を上席から順に紹介していったが、エジシもよく知るナオルから始まり、トシ・チノ、サノウ、セイネン、マタージと進み、ついに末席のタンヤンに至った。


「……最後に、我が中軍(イェケ・ゴル)にて大将旗を護持するタンヤンです。彼はエジシ様やクウイの期待に(そむ)かず、いついかなるときも傍ら(デルゲ)にあって私を護ってくれています」


 そう言うや否や、それまで微笑を絶やさなかったエジシが(にわ)かにはっとして面を伏せる。顔は一時に土気色となり、(ニドゥ)はあらぬ方を泳いでいる。その驚くばかりの変貌にインジャはあわてて腰を浮かすと、


「どうしました? ご気分でも悪いのですか?」


 その(ダウン)で我に返ると、しばらく呼吸(アミ)調(ととの)えていたが、


「……いえ(ブルウ)、そうではありません。実は、はるばる山塞を騒がせたのにはわけがあるのです」


 僅かに沈黙が流れる。誰もがそのただならぬ様子に息を呑んで続きを待つ。インジャもごくりと(シルスン)を呑み込むと、恐る恐る尋ねた。


「良い報せでは、ないのですね?」


 エジシは面を伏せたまま、小さく頷くと言うには、


はい(ヂェー)。報告が遅れて申し訳ないのですが。……タンヤンの(エチゲ)、クウイ殿が亡くなりました」

(注1)【ムウチ殿を迎えに来て以来】インジャがナオルとともに独立を果たしたあと、自らタムヤへムウチを迎えに行ったこと。第 五 回②参照。


(注2)【莞然(かんぜん)】にっこりと笑うさま。莞爾。

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