第五 三回 ①
エジシ難を逃れて山塞に凶報を齎し
インジャ令を発して堂上に派兵を決す
さて、チルゲイ、ナユテ、チャオ、ミヤーンの四人はおおいに歓迎され、連日好漢の招きに応じて飲み語らっていた。
そんなある日、山塞に新たな客人がやってきた。山麓で家畜を預かるのはナオルからマタージに替わっていたが、彼はその客を見るや吃驚した。
足を縺れさせんばかりの勢いで本塞に走り込んだマタージは、息を切らしながらインジャの姿を索めた。タンヤンがその様子を見て大笑い。
「ハーンともあろうお方が、いったい何をそんなにあわてているんだね?」
「これがあわてずにおれようか。下に凄い方が見えたぞ!」
「中華の皇帝が来たわけじゃなし、おたおたすることはなかろう。で、誰なんだい、凄い方ってのは?」
「お前もよく知っている方だ、早く義兄上を! エ、エジシ様がお見えだぞ!」
これにはタンヤンも驚くまいことか、八尺の身体をおよそ四尺ばかりも跳び上がらせて、
「た、た、大変だ! あ、義兄上、義兄上!」
あわてふためいて奥へ駈け込む。
「騒々しい。何の騒ぎだ?」
インジャはナオルらと会議をしていたが、タンヤンが躍り込んできたので眉を顰めて尋ねた。
「そんなくだらない会議などおやめなさい! 客が、客が……」
「くだらないとは何だ。何を言わんとしているのかさっぱり判らぬぞ。誰か来たのか?」
そこへ焦れたマタージまで飛んできて叫んだ。
「おお、義兄上! エジシ様が、今、下に!」
それから辺りは蜂の巣を突いたような騒ぎとなった。インジャもあわてて立ち上がると、
「阿呆め、何をしている。早く案内しないか。それならそうと早く言え!」
各塞に伝令が飛び、酒食が用意され、ムウチにはインジャ自ら知らせに走った。マタージとタンヤンは、エジシを迎えるべくともに転がるように山道を下った。
賓客が本塞に入るころには、僚友の多くが顔を揃えて待っていた。エジシは端座して好漢たちと礼を交わすと、
「お久しぶりです。インジャ様が族長になったときにムウチ殿を迎えに来て以来(注1)ですから、もう六年になりますか。ご立派になられました。盛名は辺境にも轟いておりましたぞ」
インジャは再会の感動ですぐには言葉が出なかったが、やがて言うには、
「先年、ウリャンハタ軍がタムヤを攻囲したときには、案ずるばかりで何もできずまことに申し訳ありません。再び無事に見えることができて、これに勝る喜びはありません」
ムウチも微笑を浮かべて挨拶する。
「遠いところを訪ねてくださってありがとうございます」
エジシは頷くと、居並ぶ諸将を満足げに見渡した。いずれも非凡な風貌のものばかり。そこで言うには、
「ナオル殿と旗揚げしたころには数人の将がいるだけでしたな。それがこの活況はどうでしょう。今やフドウの宿星は数多の将星を従えて、より明るく輝いております。昨秋は連丘で難儀をされたと伺いましたが、星の煌めきはまったく衰えておりませんぞ」
「今、山塞には二十九人の僚友と四人の客人がおります。連丘では死を決意しましたが、テンゲリの加護を得てやっと生き長らえております」
エジシは終始莞然(注2)としていたが、よくよく観れば胸中に何か言いにくい事情をしまっているように見える。訝しく思ったが不躾に問うわけにもいかないので、みなを紹介しながらそれとなく様子を窺う。
諸将はフドウ存亡の危機を救ったのがエジシであることを聞き知っていて、またその深い学識と先見の明にかねがね敬意を抱いていたので、当人の優雅な所作を眼前に見ていよいよ尊敬の念を深くした。
インジャは僚友たる二十九人を上席から順に紹介していったが、エジシもよく知るナオルから始まり、トシ・チノ、サノウ、セイネン、マタージと進み、ついに末席のタンヤンに至った。
「……最後に、我が中軍にて大将旗を護持するタンヤンです。彼はエジシ様やクウイの期待に背かず、いついかなるときも傍らにあって私を護ってくれています」
そう言うや否や、それまで微笑を絶やさなかったエジシが卒かにはっとして面を伏せる。顔は一時に土気色となり、目はあらぬ方を泳いでいる。その驚くばかりの変貌にインジャはあわてて腰を浮かすと、
「どうしました? ご気分でも悪いのですか?」
その声で我に返ると、しばらく呼吸を調えていたが、
「……いえ、そうではありません。実は、はるばる山塞を騒がせたのにはわけがあるのです」
僅かに沈黙が流れる。誰もがそのただならぬ様子に息を呑んで続きを待つ。インジャもごくりと唾を呑み込むと、恐る恐る尋ねた。
「良い報せでは、ないのですね?」
エジシは面を伏せたまま、小さく頷くと言うには、
「はい。報告が遅れて申し訳ないのですが。……タンヤンの父、クウイ殿が亡くなりました」
(注1)【ムウチ殿を迎えに来て以来】インジャがナオルとともに独立を果たしたあと、自らタムヤへムウチを迎えに行ったこと。第 五 回②参照。
(注2)【莞然】にっこりと笑うさま。莞爾。




