【七十五丁目】「何事ですの!?」
ここで時間は遡る。
巡達が島に上陸する六日前のこと。
【DAY 1】----------------------------------------------------------------------
「よーやく着いたか」
飛叢(一反木綿)は、船内で固まった身体を解きほぐすように、大きく肩を伸ばす。
飛行能力を有する彼にすれば、自力で飛翔した方が早い道のりだったが、目的地の位置が分からないため、やむを得ず甘んじた海の旅だった。
今回、彼がこうしてこの名もなき島にやって来たのは、訳がある。
いま巷で噂になっている民間企業主催の特別住民向け人間社会適合セミナー「K.a.I」
彼は、その主催企業である「mute」が極秘裏に進めている「プロジェクト・MAHORO」のテストプレイヤーとして、他の妖怪達と共にこの島にやって来たのだ。
ひょんな事から「mute」の幹部である烏帽子と面識を得て、気に入られた彼は「K.a.I」の体験受講者という立場にもかかわらず、異例の抜擢を受けた。
飛叢にしてみれば「mute」の情報を得るために「K.a.I」に潜り込んでいたので、こうした展開はまさに「渡りに船」だ。
行動を共にする仲間達には、詳細を告げる時間もなかったのが気に病むところだが、この際仕方がない。
「…まあ、代わりにちょっとしたオマケが付いてきやがったけどな」
「何か言いまして?」
「いいや、別に」
はぐらかすようにあらぬ方を見る飛叢を、着物姿の和風美人が睨みつけている。
言うまでもなく、鉤野(針女)だった。
「K.a.I」の顧問を務める彼女だが、どういう訳かこうして飛叢同様、テストプレイヤーの妖怪達に混じっていたのである。
最初、それを目にした飛叢は、盛大に驚きの声を上げてしまった。
よもや、こんな場所で鉤野と出会うとは思っていなかったからだ。
「今回、私は、皆さんの監督役として参りました。と!く!に!貴方は目を離すと何をするか分かりませんから、キッチリ監督させていただきます…!」
と、鉤野は驚く飛叢を見上げて、そう指を突きつけてきたのだった。
何が原因かは知らないが、心なし、飛叢を見る目にいつも以上のキツさがこもっている。
(くっそ~、そうと知ってりゃあ、盾役に釘宮あたりをかっさらってきたんだが…)
思わず胸の内でそう呟く飛叢。
思わぬタイミングで天敵が出現したせいで、何ともやりにくい。
(…ま、いざとなりゃいくらでも誤魔化しがきくか。コイツ、単純だし)
「何か思いまして?」
「いーや、別にぃ?………………チッ、そのくせ勘は妙にするでぇんだよな」
こっそりと呟く飛叢。
そんな彼に、鉤野がニッコリ微笑む。
「なら、結構ですわ。テスト終了となる一週間後まで、大人しくしていてくださいましね?何かあれば…」
不意に。
鉤野の美しい黒髪が長く伸び、鉤状に変化する。
そのまま、鉤野は手に持っていた飲み干したばかりのアルミ飲料缶の上へと放る。
それに鉤野の鉤毛針が一瞬で巻き付き、瞬きするうちにズタズタに切り裂いた。
降り注ぐアルミの破片の向こう側で、鉤野が変わらぬ笑顔で続ける。
「こうですわ」
「…おう」
いつも以上の迫力に、思わずゴクリと喉を鳴らす飛叢。
自分は彼女に何かしたんだろうか?…そんな疑問が頭をよぎる。
「ケンカはBADですよー、ご両人」
不意にそんな陽気な声が背後から掛けられる。
見れば、背が高く、手足もスラリとした一人の男が、にこやかに話し掛けてきた。
レザーベストとテンガロンハットで、カウボーイを意識したファッションがえらく場違いである。
「これからしばらく一緒に過ごすんですから、FRIENDLYにいきまショー」
「喧嘩じゃねぇよ。いきなり出てきて話をややこしくするな、駿平」
そう言いながら、飛叢は男…相馬 駿平(馬の足)に内心感謝する。
相馬は、飛叢や鉤野と共に降神町役場のセミナーで学んでいた顔見知りだ。
面長で愛嬌のある容貌と、流暢な英単語と妙なイントネーションを織り交ぜて話す男で、誰にでも気さくに接する陽気者である。
空気を読めないところがあるのがたまに傷だが、基本憎めない性格の好漢だ。
そして、こういうギスギスした雰囲気を仕切り直すには、まさに適任だった。
相馬は気を悪くした風も無く、飛叢に笑い掛ける。
「そうですか?でも、また鉤野サンを怒らせていたでショ?」
「コイツが怒ってるのは、いつものこったろ」
「その原因を作っているのは、いつも貴方でしょう!?」
牙を剥きだす鉤野を、相馬はまぁまぁと宥める。
「落ち着いてください、鉤野サン。ここでのLEADERは貴女なんですから。ホラ、皆も見てますヨ?」
その言葉に、鉤野はぐっと口を閉じる。
相馬の言葉通り、ここには二十人程の特別住民がいる。
彼ら彼女らは、飛叢や鉤野と共に選抜された今回のテストプレイヤーである。
いずれも「K,a,I」の受講生であり、何人かは降神町役場のセミナーから転向した者がいた。
「鉤野さん、全員準備はできております。早速ご指示を」
凛々しい口調でそう申し出たのは弓弦 早矢(古空穂)だ。
黒髪を結い上げた、いかにも武道娘という出で立ちをしている。
愛用の朱塗りの大弓は、今日も片身離さず肩に背負っていた。
「いいですわ…では、これから皆さんにこの『絶界島』で行うべき事をレクチャーいたします」
「『絶界島』?」
「欧州の古典文学で出てくる『最果ての島』の事だよ。ふん、上手い名前を付けるじゃないか」
怪訝そうな飛叢に、傍に立っていたインテリジェンス漂う小柄な若者が眼鏡を押し上げつつ、しかめっ面でそう説明する。
飛叢とは初対面の相手だ。
確か、神無月 翔舞という名前だったように思う。
神無月は“紙舞”という特別住民だ。
“紙舞”は神無月(10月)にのみ起こる怪事で、風も無いのにひとりでに紙が一枚ずつ舞うとされる。
船の中でも無愛想な顔で、一人本を読んでいた変わり者だ。
極度の愛書家なのか、今も鉤野の話を聞きながら、手にした分厚い本をめくっている。
鉤野は居並ぶ特別住民達に向けて続けた。
「レクチャーと言っても、大して伝えることはありません。このベースキャンプには仮設住居がありますから、そこで一週間程自由に過ごしてもらうだけです」
「ええと…それだけ?」
拍子抜けした様に、全員が顔を見合わせる。
「それだけです。それに島内であれば、ベースキャンプの外を自在に散策してもらっても構いません。島の内部は手つかずの自然が残っています。妖怪達にはなじみ深く、懐かしい風景だと思いますわ。現代の日本でもそう残っていない風景だと思いますから、そうした景観を楽しんでいただくのも一興でしょう」
「こいつはいいぜ!随分と楽な内容じゃないか。なあ、太市!」
「…ああ」
大柄でひげを生やした山賊のような風貌の男に、バンと肩を叩かれた“鎌鼬”の青年が、五月蠅そうに応じる。
その拍子に飛叢と目が合う太市。
が、太市は、フイと目を背けて飛叢を無視する。
飛叢は舌打ちした。
テストプレイヤーに選抜され、後日、説明会が開かれた。
そこで飛叢は、太市もメンバーに参加することを知ったのだった。
先日の出来事もあり、二人は意識しつつも言葉を交わす事は無かった。
太市が心優しい性格だったため、これまで飛叢と衝突したことは無かったが、どうやら太市から折れる様子は無いようだ。
かといって、飛叢からも折れるつもりも無かった。
「楽なのはいいんだけどさ…コレはどうにかなんないのかな?何か、微妙に窮屈で…」
妖怪の一人が、首に巻かれた黒いネックバンドを軽く引っ張る。
見れば、鉤野も含め、特別住民全員が同じものを装着していた。
鉤野は苦笑し、
「済みません。不便とは思いますが、これはこの『絶界島』での生活を送る皆さんの体調やバイオリズムをモニタリングするためのセンサーらしいので…辛抱してくださいな」
事前の説明では、入浴や睡眠の際にも外す事は禁じられている。
「フィット感を重視して最新素材で作られたものらしいですので、すぐに気にならなくなると思いますわ」
「ったく、犬コロじゃあるまいし…」
文句を言う飛叢を視線で黙らせると、鉤野は解散を告げた。
「では、今日はこれで。何かあれば、随時私にご相談くださいな」
【DAY 3】----------------------------------------------------------------------
「絶界島」での生活が始まって3日目。
特別住民達は、物珍しい島での生活を各々楽しんでいた。
海や湖でリゾート気分を楽しむ者。
森や滝などの散策を行い、景観を楽しむ者。
運動がてらに、標高の高い山の頂きを目指す者。
ベースキャンプで、読書や勉学に励む者。
当初肩透かしは食らったものの、特に束縛もなく、自由を満喫できる環境に、テストプレイヤーとして選抜された妖怪達はすぐに「絶界島」での生活に順応していった。
島内には、生活に必要な施設は設けられているので、衣食住には基本的に困らない。
が、中には、独自に開拓を進める者も出始めた。
例えば水事情である
元々、井戸は整備されていたが、水量にいささか難があったため、腕力のある妖怪達が中心となり、近くの湧水から水を引き、水周りの改善を行う作業が行われた。
人間にとっては時間のかかる作業だったが、彼ら妖怪にとっては造作もない事だった。
そのため、調子に乗って「温泉を掘ろう」と一部の妖怪が騒ぎ出した時には、鉤野が宥めるのに苦労する事になった。
時に様々な事を語り合い、時に力を合わせ、自由に毎日を送る。
そんな彼らの周囲には、昔懐かしい自然の数々が広がっている。
それは、まさしく妖怪達にとって、失ってしまった古き良き時代の再現に近かった。
「残りの連中も、この島に来れればいいのに」…そんな事すら口にする妖怪もいた。
目的があって潜り込んだ飛叢ですら、そう考える事に違和感を覚えなかった程である。
全てが順調に動いていた。
誰もがそう思っていた。
【DAY 5】----------------------------------------------------------------------
「やる気か、貴様ぁ!」
激しい怒号が突然響き渡る。
どうやら、ベースキャンプの中心にある広場からのようだ。
就寝前だった飛叢は、他の妖怪達と一緒に広場に集った。
そこには二人の特別住民が睨み合っていた。
一人は初日に太市に馴れ馴れしく絡んでいたひげ面の大男だ。
名前は夷旛 大雪。
“鬼熊”という特別住民だ。
“鬼熊”は年を経た熊が妖怪になったもので、二本足で立って歩き、山から人里にやって来ては家畜をさらい、食らうという。
非常に力が強く、力持ちの男が十人がかりでも動かない巨岩も楽々と動かすとされている。
伝承通り、夷旛は怪力の持ち主で、土木作業では頼りにされていた人物だ。
豪快かつ荒っぽく、喧嘩っ早いが、似た者同士の飛叢とは妙にウマが合った。
その夷旛が、太市と睨み合っている。
激昂する夷旛に対し、太市は冷めた目で大柄な夷旛を見上げていた。
「何事ですの!?」
慌てた様に鉤野が二人に近付く。
「このイタチ野郎が、俺の事を小馬鹿にしやがったんだ!」
夷旛は相当頭にきているようだった。
「こっちが下出になって飲みに誘ってやったのに、つけあがりやがって!」
「…本当ですの、太市さん?」
夷旛を宥めながら、鉤野がそう問うと、太市は鼻を鳴らした。
「『力以外に能がない』って事実を言ったまでさ」
「何だと、この野郎!」
掴みかからんばかりの夷旛を、鉤野が押し止める。
「落ち着いてくださいまし!太市さんも、そんな事を言うものではなくてよ!?」
「悪いけど、俺は人の領域にずけずけと入り込もうとする無粋な輩とは、慣れ合う気は無いんだ」
興味を失った様に背を向ける太市。
それに夷旛がキレた。
「上等だ、オカマ野郎が!」
夷旛の身体が膨れ上がり、毛皮で覆われていく。
顔も熊そのものに変化し、獰猛な唸り声をあげた。
【呀熊剛神】…任意で獣化し“鬼熊”としての本性を再現する妖力である。
夷旛は本気だった。
「夷旛さん、いけません!」
「退け!」
鉤野を振り払い、太市に肉薄する夷旛。
「くっ…仕方ありませんわ!」
鉤野の黒髪が伸びると鉤状に変化し、夷旛の全身を絡め取る。
あと一歩というところで捕縛された夷旛は、殺気漂う目で鉤野を振り返った。
「おい、こいつを解け!じゃねえと、あんたから潰すぞ!」
鉤野の妖力【恋縛鉤路】は、対象が雄性に属するものならその拘束力を倍増させる。
さすがの“鬼熊”も容易には動けないようだ。
「ここでの争い事はご法度です!原因が何であれ、私達は仲間ではありませんか!?」
「うるさい!そんなのは、あんたらが勝手に決めた事だろうが!大体、俺は女がリーダーってとこから気に食わなかったんだ!」
夷旛が怒気を納める様子はない。
その怒りの矛先も、邪魔をした鉤野へと向かってしまったようだ。
本人も激昂が行き過ぎて、何を言っているのか分からないのだろう。
「言葉が過ぎますよ、夷旛さん!鉤野さんは、『K.a.I』の顧問でありながら我々を見守るためにわざわざ同行してくださったのです!それに、リーダーが男とか女とか、そんな事はどうでもいい事ではありませんか!」
同じ女性として夷旛の暴言を看過出来なかったのか、弓弦が毅然と反論する。
「骨董品は黙ってろ!古いだけのガラクタが俺に指図するんじゃねぇ!」
「なっ!?」
付喪神としては最大級の侮辱に、弓弦が肩の弓に手を伸ばす。
「誰がガラクタですか!?訂正してください…!」
「はっ!この島にごみ収集車がなくて良かったな、ガラクタ!」
馬鹿にしたように笑う夷旛に、弓弦はついに矢をつがえた。
「下郎!吐いた唾を飲まされたいか!」
「おい、落ち着け。お前まで興奮してどうすんだ!?」
見かねた飛叢がそう声を掛けると、弓弦が殺気だった目で睨んで来た。
「飛叢さんは黙っていてください!」
弓弦は、武道を修める者として日頃礼節を重んじ、滅多に心を乱さない性格だ。
それが夷旛のやすい挑発に、ここまで過剰反応していることに飛叢は違和感を覚えた。
(そういやぁ…ここのところ、妙に落ち着きのない奴が多くなったよな)
これほどの諍いではないが、最近はメンバー内での言い争いなどが増えてきている。
今回の計画に際し「妖怪を日本古来の環境に近い場所に住まわせ、ストレスの軽減を図る」という説明が「K.a.I」側からあったが、これでは逆効果ではないか。
鉤野もその事で頭を痛めていた様だが…
「やるのはいいけど、そのザマじゃ話にならないな」
背を向けて立ち去る太市。
「待ちやがれ、貴様!」
吠える夷旛。
「相手なら私がしてやる!来い、畜生!」
矢を向ける弓弦。
「皆さん、落ち着いて!どうか落ち着いてくださいまし!」
鉤野は憔悴した顔で、何とか場を収めようとする。
結局。
飛叢や神無月が鉤野を加勢して夷旛や弓弦を諌め、相馬が宥め役となって、夜も更けた頃にようやく騒ぎは収束を迎えた。
そして、六日目の朝。
半数を超える特別住民達が、ベースキャンプから姿を消した。




