【六十七丁目】「楽しみだわ…砂地獄フルコース」
「…ってな感じで、また数が減ったぜ」
窓の外に広がる冬の町並みを見ながら、飛叢さん(一反木綿)が、不機嫌そうにそう呟いた。
降神町市街地。
役場主催のセミナーからの帰り道、何となく集まったという飛叢さん、釘宮くん(赤頭)、三池さん(猫又)、余さん(精螻蛄)、沙牧さん(砂かけ婆)の一団と、出張帰りに偶然出会った僕…十乃 巡は、彼らに強引に誘われて、近くにあった喫茶店に入った。
業務時間は既に過ぎているので、まあ、少しくらいなら問題はあるまい。
皆は本日行われたセミナーの様子を、僕に説明してくれた。
それによると、本日も二、三人の特別住民が欠席したらしい。
名前を聞けば、割と熱心に受講していた妖怪達ばかりだった。
「こんなに数が減るなんて、ちょっと異常よね」
出された熱いココア(猫舌なのに注文した)と格闘しながら、三池さんが解せないように言う。
「うん…こんなのは、セミナー開講以来じゃないかなぁ」
心配そうにそう言ったのは釘宮くんだ。
彼は開講時から顔を出している常連さんである。
なので、昨年入庁した僕よりも、セミナーの歴史には詳しい。
「それに今回も鉤野殿は欠席でござったな。これでほぼ一カ月は欠席でござる」
店の女性店員を物色しながら、余さんが同意する。
お願いだから、店内でカメラを構えながらそういうことをしないで欲しい。
おかげで先程から、店員達があからさまに警戒の視線を向けてきていた。
「最近は私のところにもメールや電話も来ないですね。まったく、売れっ子になるとコレだから。その調子で早く自分も嫁ればいいのに」
楚々とティーカップに口をつけながら、沙牧さんが虫も殺さない様な笑顔で毒舌を吐く。
…確かこの人、鉤野さんと親友同士の筈だよな…?
「役場の都合なんざ知ったこっちゃねぇが…」
飛叢さんがジロリと僕を見た。
「このままじゃ何かとマズイんじゃないのか…?」
「ええ、まあ…」
僕は曖昧に頷いた。
先日「L'kono」で柏宮さんと話した事は、彼らには伝えていない。
それは、鉤野さんがセミナーに復帰した時、彼女の立場が微妙になるからだ。
特に血の気が多い飛叢さんが、彼女の会社が「K.a.I」へ出資してる件を知ったら、話がこじれかねない。
「一応、国から補助金を受けてやっている事業ですからね。成果が乏しければ、ゆくゆくは補助の打ち切りって事もあると思います」
「えっ!?そうなったら、どうするの?」
「当然、降神町の予算だけで開講することになるけど…」
不安そうな釘宮くんに僕は首を横に振った。
「正直、どこまで予算がつくかは僕には何とも…」
「つまり、下手をすればセミナー自体が閉講になる可能性もある訳でござるな」
特大パフェ「チョモランマ・インパクト」を食べながら、余さんが補足する。
僕は無言だった。
国は特別住民が多く住むこの町を「妖怪保護区」に指定しているので、その関連事業への補助金は潤沢だ。
セミナー事業の予算も、そこから捻出されているので、使える分に不足はない。
が、いくら妖怪保護の風潮が強くても、成果が出ない事業に、国も補助金を出してくれることはないだろう。
このまま受講生が減少していけば、先々で補助金自体がなくなる可能性は高い。
となれば、町の歳入で事業費を負う訳だが、これも難しい話である。
町の財政は悪い訳ではないが、セミナーの維持に割くとなれば、安い予算では決して立ち行かない。
予算要求をしても、当然、財政課は確実に予算削減に動くだろうし、引いては事業の縮小、最悪は余さんの言葉通り、事業そのものが終了ということにもなりかねない訳である。
それを聞いた釘宮くんが、思わず立ち上がった。
「ええっ!?そんな!」
「せっかくここまで勉強頑張って来たのに…!?」
三池さんも不服そうに声を上げる。
あっはっは…その調子でいてくれれば、僕がサボリ魔の彼女に手を焼くこともないのだが。
「二人とも落ち着きなさいな。今日明日で閉講になる訳でもないのですよ?」
窘める様にそう言うと、沙牧さんはニッコリ僕に笑いかけた。
「で、これまで特別住民達がセミナーに費やした時間に対する賠償金ですが、いかほどに?」
「すみませんまだ終わってませんからホントやめてくださいそういうの縁起でもないですから」
冷や汗を流しながら、息もつかずに僕がそう言うと、沙牧さんは口元を押さえてコロコロと笑った。
「いやですね、冗談ですよ、冗談」
この人に金銭問題を切り出されると、冗談に聞こえないから怖い。
「でも…このままセミナーが無くなっちゃったら、嫌だな僕」
釘宮くんが暗い表情になる。
余程セミナーに愛着を持ってくれているのだろう。
でなけでば、卒業していく同胞もいる中で、今日まで顔を出してはいまい。
その思いは他の皆さんも同じなのか、場に沈黙が落ちる。
うーむ…
これはますます鉤野さんの会社の事は話せないな。
「民間セミナーに役場の受講者が流れてるようです。そのセミナーには鉤野さんの会社も出資してます」…なんてバレたら、柏宮さんの懸念が本当になってしまう。
鉤野さんが帰って来ても、皆は今まで通りには接する事はなくなるだろう。
「にしても、何で急に人が減ったんだろうな?」
「知らないの?飛叢さん。ホラ、最近噂の民間企業が開いてる『K.a.I』ってセミナーが原因よ。あっちに鞍替えしてる妖怪が増えてるんじゃない?」
「ああ、あの鉤野殿の会社が出資してるセミナーでござるな」
ぶふううぅぅぅぅッ…!
「うおわっ!?」
「きゃあ!?」
盛大にコーヒーを吹き出した僕に、皆が悲鳴を上げる。
「あ、あああああ…」
言葉を失う僕に、飛叢さんが眉根を寄せる。
「汚ぇねな。何だよ急に」
「十乃君、そういうのはマナー違反って先生が言ってたわよ?」
三池さんも指を立てて僕に注意する。
構わず僕は余さんに詰め寄った。
「余さんっ!な、何でそれをっ!?いや、何でいまここで言っちゃうんですかっ!?」
口元にクリームを付けた余さんは、キョトンとして、
「何でって…有名でござるよ?この前の『月刊マドンナ』にも書かれていたでござるし」
「…え?」
「よく読んでなかったの?十乃さん」
沙牧さんが「あらあら」と頬に手を当てて、小首を傾げる。
「妖怪で、上場企業の女社長ってだけでは、いまどき特集なんて組まれないわよ?珍しいのは事実だけど」
「そう…なんですか?」
「妖怪の社長なんて、他にもいるだろうが」
真相を知ったら一番怒りそうな飛叢さんも「何をいまさら」みたいに僕を見ている。
えっと…
もしかして、知らなかったのこの中で僕だけ…?
「あの…皆さんは、それでいいんでしょうか…?」
僕の言葉に、全員が顔を見合わせる。
三池さんが不思議そうに、
「いいって…何が?」
「えっと…だから、鉤野さんの会社が、そういうセミナーに出資してて…だから、役場のセミナーから受講者が減ってて…」
すると、全員が合点がいった様に笑った。
「別にどうもしねぇよ。それとこれは別の話だろ」
飛叢さんが苦笑する。
「そんな事で俺達とあいつがどうこうなるってこたぁねぇって」
「そうそう。十乃君、心配し過ぎ!」
「雑誌に載るくらいの社長でも、他のセミナーに関わってても、鉤野姉ちゃんは鉤野姉ちゃんだよ」
「まったく。然りでござる」
「お静ちゃんとは付き合いも長いから、そんなのはお味噌汁の滓並みの心配ですね」
それぞれがそう答えた。
答えてくれた。
「そう…ですよね」
僕はホッとしながらも、自分の浅はかさを恥じた。
実のところ、柏宮さんにはああは言ったものの、内心、セミナー内での鉤野さんの立場については心配はあった。
だが、彼ら妖怪は、人間の様に他者を色眼鏡で見る事は少ない。
仲間を思いやる絆も深く、それは相手が人間であっても変わらない。
そこを利用される事もあるが、基本的に彼らは気のいい連中なのである。
日頃彼らと接してきた人間である僕だが、それを完全に失念していたのだ。
これは反省すべき点だ。
「そうですね…余計な心配でしたね!」
僕は頭を掻いた。
そして、余さんに向き直る。
「余さん、先程はすみませ…」
そこに余さんの姿は無かった。
代わりに…
「あの、お客様、困ります、そういうのは…」
「そこを何とか!ワンショット!ワンショットだけでもお願いするでござる!」
カメラを片手に、お店の女性店員へ迫る余さんの姿があった。
「貴女のその美貌!プロポーション!胸!そして、ヒップライン!百年に一人の逸材でござる!ぜひ、某の作品として記録させて欲しいのでござるよ!出来れば、今すぐに!赤裸々に!ホントに脱いでもいいんでござるが!?」
セクハラもなんのその。
言い寄られた女性店員が、顔をヒクつかせる。
「いえ、その、すみません、お客様、当店ではそのようなサービスはしておりませんので…」
「あ、某は怪しい者ではござらん。それにいかがわしい目的で撮る訳でもないでござるよ。なにしろ某、人呼んで『美の探…』きゅう~!?」
するすると忍び寄った飛叢さんのバンテージが、その首に巻きつく。
もがく余さんをグイグイと引っ張りつつ、飛叢さんが女性店員に言った。
「悪い。今のは聞かなかったことにしてくれ。こいつは少し脳をやられてるんだ」
「あ…は、はい…」
飛叢さんに声を掛けられた女性店員が、頬を赤らめてそう答える。
…さすがだ。
飛叢さんは、相手を締めつけておとすのも得意だが、その俳優みたいな外見でナチュラルに女性をオトすのも得意なのだ。
もっとも、本人はその自覚は薄いようである。
「それはそうと…十乃さん?貴方、何か私達に隠し事をしているのではありませんか?」
不意に。
沙牧さんが、チラリと色っぽい流し目でそう言う。
僕はそれにドキッとなった。
「な、何の事でしょう?」
「先日、静ちゃんの事務所に行ったようですね?」
「え?」
「偶然、出入りするのを見ていましたよ。出て来た時にはひどく深刻そうな顔をしてました」
…うあ。
そんなところ、見られてたんだ…
「何を聞いたのか知りませんが、隠しても無駄です。千尋ちゃんをちょこっと脅せばすぐに分かりますしね」
花の様な微笑みで、恐ろしいことをのたまう沙牧さん。
僕は戦慄した。
「お、脅すって…」
「あの娘、小動物みたいに怯えてくれるから、ついやりすぎちゃうんですけど」
まるで、楽しみにしている旅行の事でも語る様に、沙牧さんは手を合わせてウフフと笑う。
「楽しみだわ…砂地獄フルコース」
さんしゃいんっ!?
聞き逃せない物騒な単語に、僕は慌てた。
こんな事で柏宮さんを危険な目には合わせられない。
「ま、待ってください!話します!話しますから!」
「あら…残念」
ほぅ、と溜息をつく沙牧さん。
しっとりとした薄幸系未亡人の外見なのに、内面はドSで守銭奴、毒舌家。
それがこの女性の本性である。
これまで何人の男性がその毒牙によって廃人にされたか分からない。
「実は…」
僕は柏宮さんの推測で、という前置きをしつつ「mute」の件を話した。
一同がそれに各々思惑顔になる。
「考えれば極めて不自然なんですよ。いくら妖怪の人間社会への適合化につながるとはいえ、国がそんな正体不明の民間企業に補助を出すなんて」
僕がそう言うと、
「逆にいやぁ、その『mute』って会社には、それを可能にするくらい国との強いパイプがあるってことか」
と、飛叢さんが腕を組む。
「鉤野姉ちゃんは、それを知らないのかな?」
釘宮くんが心配そうに言った。
「お静さんは真っ直ぐなところがあるからねぇ。国の援助があればホワイト企業って思っちゃうかも」
ようやく冷めたココアを飲み干し、余さんの食べ掛けのビッグパフェを狙いながら、三池さんが頬杖をつく。
僕は溜息をついた。
「…僕が心配してるのは、そんな正体不明の会社に関わって、鉤野さん本人や彼女の会社にどんな影響があるのかという点なんです」
「成程…そうであれば、現状『mute』の正体や思惑を探るには、取れる方法は限られていますね」
そう言う沙牧さんに僕は目で問い掛けた。
「一つ目は『mute』の情報を得られるソースを探すことでしょうか」
「もっと、具体的に言えって」
そう飛叢さんが言うと、沙牧さんは、
「では、空を飛ぶくらいしか能のない布切れにも分かる様に言うと…」
「ああ!?やんのか、コラ!!」
激昂する飛叢さんを、釘宮くんが押さえる。
気にした風もなく、沙牧さんは続けた。
「まず『mute』が主催する『K.a.I』の協賛企業に当たるのが宜しいかも知れませんね。勿論、静ちゃんの会社は何も知らないようですし、話がややこしくなるのでアウトですけど」
そうか。
他の協賛企業なら、もしかしたら「mute」の情報を握っているかも知れない。
「二つ目は…この中の誰かが『K.a.I』に参加して、中から『mute』の実態をそれとなく探る方法です」
全員が目を剥いた。
「そんな事、出来るの…?」
釘宮くんが恐る恐る尋ねる。
沙牧さんは微笑み、
「それはやり方次第でしょうね。でも、相手の実体が掴めないなら、まず目に映るその影から追うのが筋ではないかと」
僕は慌てて言った。
「でも、今の話は何の確証もない話です。僕の心配だって、ただの杞憂かも知れませんし、そんな事に皆さんを付き合わせる訳には…」
「面白そうじゃない。あたしはやる価値あると思うな」
遂にパフェを無断で奪取し、上機嫌でクリームを味わいながら三池さんが言った。
「それに『K.a.I』の詳細が分かれば、十乃君だって役場のセミナーで何か対策は立てられるかも知れないでしょ?なら、結局無駄にはならないんじゃない?」
それは…そうだ。
対抗するにしろ、参考にするにしろ、いま話題の「K.a.i」のカリキュラムには僕自身も興味はある。
人間である僕が入り込むのは無理な話だから、皆さんにお願いするのは手だ。
更に、そこで「mute」の情報が手に入れば「棚からぼたもち」である。
「よし、じゃあ決まりだな!」
飛叢さんが立ち上がる。
「巡と鉤野のために、一つ協力してやろうぜ、みんな!」
「「「おー!」」」
釘宮くんや三池さんが揃って手を挙げる。
沙牧さんもニッコリ頷いた。
余さんは…グッタリとなったまま返事がない。ただのしかばねのようだ。
ともあれ。
こうして、僕達一同は調査に乗り出すことになったのだった。




