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妖しい、僕のまち 〜妖怪娘だらけの役場で公務員やっています〜  作者: 詩月 七夜
第六章 ともに手をとりて ~磯撫で・牛鬼・影鰐ときどき精螻蛄、そして“戦斎女”~
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【四十丁目】「二度とここに来るな」

 降り注ぐ太陽の下、賑やかな時間が過ぎていく。

 間車まぐるまさんは、ボディボードをひとしきり楽しんでいた。

 今は三池みいけさんや飛叢ひむらさん達とビーチバレーに興じている。

 僕…十乃とおの めぐるも誘われたが、妖怪の皆さんによる超人的な威力のアタックや物理法則を無視した空中殺法に晒されては命に関わるため、ていよく辞退した。

 黒塚くろづか主任や二弐ふたにさんは、ビーチパラソルの下で優雅に日光浴を楽しんでおり、時折近付いてくるナンパ男達を、得意の息もつかせぬマシンガントークや鬼女の一睨みであしらっていた。

 そして今、僕の視界の片隅では、先刻から不審な段ボール箱が、水着姿で横たわる女性達の周囲をちょこちょこ動いている訳だが…

 中から「デュフフフ…」といかがわしい含み笑いが聞こえてくるが…いいや、無視しよう。

 いざとなったら主任もいるし、何とかなるだろう。


 こんなのんびりとしたひとときに浸れば、僕だってそんなアバウトな思考になりもする。


 白神しらがみ海岸のロケーションは最高だし、天気もこの上なく良い。

 人と妖怪が笑いさざめく平和そのものの風景に、緊張も緩むというものだ。

 釣りが趣味の僕だが、海釣りはあまりした事がないで、同じ町にこんな海岸があることも知らなかった。

 今度、プライベートでゆっくりと釣りに来てみるのも悪くないだろう。


「あれ…?」


 ふと気が付くと、“赤頭あかあたま”の釘宮くぎみやくんと、“針女はりおなご”の鉤野こうのさんの姿が見えない。

 釘宮くんは、先刻まで三池さんと砂のお城を作っていた筈だ。

 鉤野さんは「髪がベトつくのが嫌なので、泳ぐのは遠慮しますわ」と、いつもの着物姿のまま、日傘を差して皆を見守っていたのだが…

 トイレにしては長いし、先に宿に戻るにも、何も告げずに帰るような二人ではない。


ぐり…


 僕は、動きまわる不審な段ボールに近付くと、何気ない風を装い、その端を踏みつけた。


「!?…!?」


 突然移動できなくなり、慌てふためく段ボール。


「…あまりさん…ですよね?」


 僕がそう小声で言うと、段ボールは静かになる。

 観念したか。

 それにしても。

 先刻「本番に備えて」とか言っていたのは、こういうことか。

 僕は水平線に冷めた目を向けたまま、続けた。


「ちょっとお伺いしますが、釘宮くんと鉤野さんの姿が見えないんです。どこに行ったか、知りませんか?」


 すると、段ボールの端が持ち上がり、手が現れた。

 手は、ビーチの西岸に広がる岩場をチョイチョイと指差す。

 どうやら、二人ともそっちに向かったようだ。

 更に、その手が「向こうに行け」とばかりに、シッシッと振られる。


「分かりました。ありがとうございます」


 そう告げると、僕は岩場の方に向かう。

 途中、黒塚主任に不穏な動きを見せる段ボールの事を報告するのも忘れない。


「にょおおおおおおおおおおッ…!?」


 背後から、恐怖の絶叫とも断末魔の悲鳴ともとれる男性の叫び声が響くのを聞きながら、僕は二人の後を追った。


----------------------------------------------------------------------------------


「おーい、釘宮くーん!鉤野さーん!」


 岩場に着くと、僕は二人の姿を探す。

 切り立った断崖を背負ったその岩場は、砂浜とはうって変わって進みにくい。

 潮の変わる場所なのか、波もビーチより荒い感じだ。

 打ちつける波しぶきが、時折霧雨の様に降り注ぐ。


「あれ…?」


 やっとこ進んだ岩場の先に、大きな砂浜があることに気付く僕。

 防砂林を兼ねた松林が広がる、静かな浜辺だ。

 先程の岩場が入り込む人間を防いでいるのか、人影が全くない。

 ビーチとは一味違う、手付かずの自然が残る風雅な景観に、僕はしばし見とれた。

 松林の緑と空の青、海の蒼が見事なコントラストを描いている。

 本当にきれいな浜辺だ。

 こんな風景には、なかなかお目にかかれないだろう。


「すごい。こんな場所が近くにあったんだ…」


 そう呟くと、僕は浜辺に降り立った。

 その時だった。


「誰だ!?」


 突然、背後の岩場から、鋭い声が飛んだ。

 振り向くと、岩場の上から三人の男女が僕を見下ろしている。

 一人は長髪の青年。

 ほっそりとした引き締まった体格に、足元まである長い髪の毛を一房後ろに束ねた美青年だ。

 歳は僕と同じくらいだろう。

 青年はまるで仇を見るような冷たい眼差しで、僕を射た。


「ここで何をしている?」


「え?あっ、スミマセン。実は連れがこの辺に向かったと聞きまして…」


「…アンタ、見ない顔だね。どこから来た?」


 これは唯一の女性からだ。

 とても大柄で筋肉質、金髪に浅黒い肌の野性的な雰囲気の女性だった。

 歳は青年と変わらないくらいか。

 腕を組み、やはり好意的とは言えない表情で、僕を見ている。

 何だろう?

 僕は彼らの不興を買うようなことをしてしまったのだろうか。

 なら、誤解を解く必要がある。

 僕は自分の身分を明かすことにした。


「あ、僕は降神町おりがみちょう役場の職員です。十乃っていいます」


「役場の人間?何で、白神岸に役場の人間がいるんです?」


 そう聞いてきたのは、最後の一人。

 全身黒づくめの耽美的なこれまた美青年だ。

 歳は、他の二人より少し上に見える。

 黒い衣装は暑そうというより、崖が落とす影に融け込みそうな冷たいくらさを放っていた。

 まるで、深海の闇の様だ。

 気だるげな口調が、その耽美な雰囲気に拍車をかけ、妖しい色香を放っている。


「え、ええと、実は合宿…」


「臭うね」


 僕の台詞は、大柄な女性に遮られた。

 女性はクンクンと鼻を鳴らした。


「何でそんなに妖気をまとってんだ、アンタ?」


「普通の人間じゃないな、お前」


 長髪美形の視線が更にきつくなる。

 え、ええと…

 この展開、何か、いやーな予感がする…

 それに、この人達…いま「妖気」って言ったよな。

 それが分かるってことは、もしかして…!


「もしかして…お前、奴らの仲間か?」


「や、奴ら…って?」


五猟ごりょうの連中だよ」


 五猟?

 何の事か分からず、立ち尽くしていた僕に、長髪美形が鼻を鳴らす。


「ふん…まあいい」


 後ろに垂らしていた長い髪を胸の前に持ってくる長髪美形。

 うわ、ホントに長い髪だな。

 鉤野さんより長いなんて。

 長髪美形は、目を細めて笑った。

 鋭い、刃物の様な笑みだった。


「試してやろう」


 クン、首を巡らす長髪美形。

 その瞬間、得も知れぬ悪寒を感じて、僕は地を転げた。


ズザン…!!!!


 一瞬後に、僕が立っていた場所で浜辺の砂が弾け飛ぶ。

 見れば、小さな爆発の様な跡が残っていた。

 な、何だ!?

 何が起こったんだ!?


「へえ!コイツ、なぎの【潜波討艪せんはとうろ】を避けたぜ」


 大柄な女性が感嘆の声を上げる。

 やっぱり!

 ここに至って、僕は確信した。


「貴方達は特別住民ようかいですね?」


「ああ、そうだ」


 長髪美形が答える。


「そういうお前も、妖怪慣れしてるな…今の勘の良さといい、本当に役場の職員か?」


 疑いの眼差しを向けて来る三人組。

 いやいや、買いかぶらないで欲しい。

 いま、避ける事が出来たのは、奇跡に近い偶然だ。

 頭から爪先まで凡人一色の僕にとっては、おそらく千回に一回のファインプレーである。

 

「正真正銘、役場の職員ですよ…身分証明書は置いてきちゃいましたけど」


「って言ってるけど、どうする?」


 凪と呼ばれた青年が、耽美系青年に聞く。


「いいでしょう…ちょっと調べさせてもらいましょうか」


 言うやいなや、耽美系青年の姿がかき消える。


「!?」


「失礼。殺しはしませんから」


 声が背後から響く。

 咄嗟に振り向こうとして、僕は身体が動かない事に気付いた。


「…!?」


 な、何て事だ…

 声すら出ないなんて…!


「では、早速…」


 耽美系青年が僕に近付こうとしたその時。


ザザザア…!


 横手の松林から、無数の黒い雨が降り注ぐ。

 黒い雨は、耽美系青年目掛け、恐ろしい勢いで迫った。


「おっと」


 さして慌てた様子も無く、耽美系青年の気配が一瞬で消える。

 辛うじて動く目で見回すと、元の岩場に戻っていた。

 背後に現れた時もそうだが…一瞬であの距離を移動したのか!?


「何をしてるんですの、貴方達!」


 こ、この声は…鉤野さん!

 ってことは、先刻の黒い雨は、鉤野さんの鉤髪か。


「大丈夫?十乃兄ちゃん。待ってて、いま助けるよ」


 続いて聞こえたのは、釘宮くんの声だ。

 彼は僕に足元を蹴るようにすると、途端に五体が自由になる。

 ふらつく僕を、鉤野さんが支えてくれた。


「鉤野さん、釘宮くん…どこに行ってたんです?」


 四肢に残留する違和感に、僕が頭を振りながら問いただすと、鉤野さんは申し訳なさそうに、


「御免なさい。景色のいい高台からの風景を見てくると言ったら、釘宮さんがお付き合いしてくれて…」


 岩場の上の切り立った崖を見上げる鉤野さん。


「そしたら、鉤野姉ちゃんの日傘が風で飛ばされちゃってね。あの松林に探しに行ってたんだ」


 釘宮くんが後を続ける。

 そうだったのか。

 きっと、泳ぎもせず、皆を遠巻きに見ていた鉤野さんに同情した釘宮くんが、気晴らしに付き合ったのだろう。

 優しい彼なら、それくらいは配慮しそうだ。

 まったく…何ていい子なんだ、君は。


「へぇ。他所者が増えたな」


 大柄な女性が面白そうに続ける。


「しかも…妖怪おなかまか」


 鉤野さんがキッと三人組を睨む。


「貴方達、地元の特別住民ようかいですわね。人間に暴力を振るうなんて、どういう了見ですの?」


「暴力、だって?」


 凪の表情が歪む。


「お前達こそ、何で人間なんかをかばう?」


 冷たいその一言に、僕は思わず絶句する。

 この三人組は一体…


「人間なんて…ここから居なくなればいいんだ!」


 クン、と再度、凪が首を巡らせる。


「はあっ!」


 気配を察したのか、呼応するように鉤髪で周囲を覆う鉤野さん。


ガキン…!


 何か固いものが、鉤野さんの鉤髪の壁にぶつかる音がする。

 よく見れば、それは大きな釣り針だった。

 鈍い光沢を放つ鋭い釣り針が、鉤野さんの鉤髪を何本も寸断し、僕達の手前で停止している。


「チッ…仕留めそこなったか」


 三度凪が首を巡らせると、釣り針は空間に溶けるように消失した。

 鉤野さんが、凪を睨む。


「その針…そう。貴方“いそで”ね」


「そういうお前は“針女はりおなご”か」


 凪が視線を返す。

 “磯撫で”とは、海に棲む魚の妖怪の一種である。

 波間を撫でるように泳ぎ、船に近付くと、鋭い針のついた尾鰭おびれで船乗りを撫でて針に引っ掛け、海に落として食い殺すという恐ろしい妖怪だ。

 面白そうに笑う凪。


「よく俺の針を防いだな。ま、手数ではそっちの勝ちだが、一撃の威力では俺の勝ちってとこか」


 凪の言葉通りだ。

 鉤野さんが敷いた髪の毛の防御壁を、凪の操る釣り針は、あと少しで貫通するところだった。

 伝承通りなら、あのまま釣り上げられ、食われないまでも地面に叩きつけられていたかも知れない。


「おいおい、凪。一人で楽しむなよ」


 大柄な女性が拳をボキボキと鳴らす。

 うあ。

 見るからに間車さん、飛叢さん系のにおいがする。

 そう、喧嘩ジャンキーのにおいだ。


「あたいにもやらせな!」


 女性が雄たけびを上げる。

 同時にその頭から、二本の大きな角が生えた。

 ま、まずい…!

 この女性ひと、鬼族か!

 鬼族は、数ある妖怪の中でも、怪力に秀でたパワーファイターだ。

 接近され、一撃でも喰らえば、ただでは済まない。


「ぃい行くぜぇぇぇぇぇッ!」


 岩場から駆け降り、こちらに突進チャージしてくる女性。

 砂煙を上げて迫るその姿は、鬼…というか闘牛の様だった。


「くっ!」


 鉤髪で迎撃しようとする鉤野さんの前に、釘宮くんが進み出る。


「鉤野姉ちゃん、ボクに任せて」


 ニッコリ笑う釘宮くん。

 その眼前には、迫り来る鬼女の姿がある。


「ガキは退いてな!」


 筋肉モリモリの腕で、釘宮くんを払い除けようとする鬼女。

 が、その腕は、釘宮くんの細い腕で簡単に受け止められてしまった。

 目を剥く鬼女に、釘宮くんが無邪気な微笑みを浮かべる。


「…ガキって、もしかしてボクの事…?」


 微笑んでいるが、声が若干強張っている。

 あ。

 この女性ひと、地雷踏んだ。

 見た目は可愛い男の子だが、釘宮くんは立派な成人男子だ。

 そして、本人はその外見の事を密かに気にしている。

 無邪気に笑ってはいるが、釘宮くんの手は、鬼女の剛腕をメキメキと締め上げた。


「な、なんだ…コイツの力は…!?」


 釘宮くんの思わぬ腕力に驚いていた鬼女は、一瞬で本気の形相になった。


「おもしれぇ…!」


 片腕だけでなく、両腕で掴みかかる鬼女を、釘宮くんも両腕で迎え撃つ。

 大柄な鬼女と五歳くらいの男の子が掴み合う姿は、一種異様だった。


「へへへ…そうか!この怪力とその姿…“赤頭”ってなぁ、お前の事か!」


「うん、そうだよ。お姉さんは、えーと…」


 目の前のもの見て、閃いたように続ける釘宮くん。


「あっ“牛鬼うしおに”だね」


 背の小さな釘宮くんの視線の先には、必然的に鬼女のバストがある。

 えー、まあ…皆まで言うと、彼女のバストは、その体格に見合う豊かさを誇っていた。

 …まったく、釘宮くんったら。

 それに気付いた様子も無く、鬼女…牛鬼はニヤリと笑った。


「ご名答!あたいはかがりってんだ!覚えておきな!」


 ニッと笑い、鋭い牙を光らせる篝。

 “牛鬼”は主に海や淵などの水辺、山にも姿を現した、牛の頭に蜘蛛の体(または鬼の体)を持つ妖怪だ。

 非常に残忍・獰猛な性格で、毒を吐き、人を食い殺すことを好むとされ、その伝承は日本各地に残っている。


「ボクはりくだよ。ヨロシクね、篝姉ちゃん…そして、サヨナラ」


 ぐいっ…!


 釘宮くんが、不意に組み合っていた腕を下から捩じり上げる様に変化させる。


「ちょ、なっ…!?」


 真っ向勝負の力比べにいそしんでいた篝だったが、突然そのベクトルを変えられ、一瞬で空中に持ち上げられた。

 お、恐るべし釘宮くんの【仁王遊戯におうゆうぎ】!

 やっぱり、彼を怒らせるのは絶対止めよう!


「せぇの…ポイッ!」


 組み合った姿勢のまま、真上に持ち上げた篝を、毬でも投げるように放り捨てる釘宮くん。

 派手に砂煙を上げて墜落し、篝は目を回した。


「まったく…何やってるんです。相変わらず“パワーおバカ”ですね、貴女は」

 

 呆れたように首を振り、耽美系青年が溜息を吐いて立ち上がる。


「まだ、やる気ですの!?」


 鉤野さんがそう言うと、耽美系青年は首を横に振った。


「いえ、どうも旗色が悪いですしね。ここは退くとしましょう」


 そう言うと、青年は岩場から降り、目を回したままの篝に触れる。


「先に帰りますよ、凪」


 凪を振り仰ぎ、そう告げる青年。

 そのまま、二人の姿は地面に沈むように消えた。


「チッ、まあ仕方ないか…おい、お前ら」


 凪は踵を消す途中で、僕達に告げた。


「二度とここに来るな」


 

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