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妖しい、僕のまち 〜妖怪娘だらけの役場で公務員やっています〜  作者: 詩月 七夜
第十章 人と妖怪と ~山男・コサメ小女郎・錬金術師・魔動人形・石塔飛行・古庫裏婆・野寺坊・遣ろか水~
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【百七丁目】「うん~ウワサの十乃くんに会っちった~」

「いてて…しみるぅ」


 湯船に浸かりながら、僕…十乃とおの めぐるは、腫れ上がった頬を押さえた。

 ここは「深山亭みやまてい」露天風呂(男湯)の中。

 悪友、七森ななもり 雄二ゆうじが中心となって企てた「女湯撮影決死隊」が無事に本拠地である自室に帰還してから、既に一時間が過ぎた。

 男性職員一同の夢と希望と劣情を背負い、見事任務を全うした雄二達は、喝采と共に迎えられたのだった。

 そして、早速破廉恥きわまる映像の上映会が実施されたのである。

 流石に問題だと思い、通報のために拘束から抜け出そうとした僕は抵抗空しくふん縛られて床に転がされる羽目になった。


「諸君、これは我々全員の勝利である…!」


 拳を握りながら、感極まったように、居並ぶ男性職員達にそう宣言する雄二。

 図らずしも明らかになった早瀬はやせさん(コサメ小女郎)による衝撃の告白が仇となり、決死隊員達からタコ殴りにされ、一時は決死隊隊長の地位を剥奪されかかった雄二だが、得意の口車と任務達成という実績から見事復権を果たしていた。

 まあ、その顔は、沙槻さつきさんの発言により、制裁された僕と同じくボコボコだが…

 雄二は快哉を上げる男性職員一同をなだめ、続けた。


「今から諸君が目にするのは、いわば我らが望んでやまなかった極楽浄土の風景。まばたきしたことを後悔する程の絶景だ…全員、ドライアイの覚悟はできただろうな!?」


「おう!」

「脳内レコーダーも準備OKだぜ!」


 一斉に声を上げる男性職員一同。

 用意のいいことに、室内にはどこからか調達してきた大きめの液晶テレビが運び込まれている。

 その傍らで機器の準備をしていた決死隊の一人が、親指を立てた。


「よし!準備完了」


「では…いざ、桃源郷へッ…!!」


 プレイヤーのスイッチが押され、映像の再生が始まる。

 固唾を飲み、身を乗り出す一同の視線の先で、テレビに映し出されたのは…


 一面のノイズだった。


「…」

「…」

「…」


 何とも言えぬ静寂に包まれる室内。

 その中で、雄二は仮面の様な表情で撮影係の男性職員へ目を向ける。

 それを受けたその職員は、呆然と呟いた。


「バカな…撮影は完全だった筈だ…!」


 だが、画面は無情にも砂嵐を映し続けている。

 雄二は一つ咳払いをすると、静かに立ち上がった。


「諸君…我々は重大な事実を受け入れなければならない。どうか落ち着いて聞いて欲しい」


 そして、極めて真剣な顔でゆっくりと告げた。


「どうやら、失敗ミスった」


 ドカッ!


 室内にあった湯呑みが、その顔面へ容赦なく直撃した。


「アホかぁぁぁっ!何考えてんだ、テメエっ!」

「んな真面目なツラに騙されるか!俺達がどんだけ苦労して段取ったと思ってんだよ!?」

「早瀬に告られて、脳みそ膿んでんじゃねぇのか!?頭カチ割んぞ、この残念大将!」


 かくして。

 復権もままならず、雄二は男性職員一同の制裁を受け、失脚した。

 まあ、悪が栄えた試しなし。

 自業自得といえば自業自得だ。

 ともあれ結局、僕も解放され、こうして独り、遅めの入浴と相成ったのである。


「やれやれ…こっちはとんだとばっちりだったなぁ」


 誰も居ない湯船の中で、身体を伸ばす。

 首を曲げると、肩がコキコキ鳴った。

 天逆毎あまのざこ事件に「絶界島トゥーレ」での一件、少し前の「六月の花嫁大戦ジューンブライド・ウォーズ」と、ここのところ色々な騒動が連続で起こったせいか、身体にもそこそこ疲労が貯まっているようだ。

 この「深山亭」に温泉があって幸いだったかも知れない。

 温泉もそうだが、月の光の下、彼方まで連なる山々と色鮮やかな紅葉も美しい。

 このままこうしているだけで、心身共にリフレッシュ出来そうな気がした。


カラリ


 と、くつろいでいた僕の耳に、湯殿の引き戸が開く音が聞こえた。

 他の宿泊客だろう。

 もういい時間になってしまったが、温泉が閉まるまでにはまだ少し時間がある。


ひたひた


 床を歩く音がする。

 見知らぬ客と一緒に浸かることには抵抗は無い。

 が、いい切っ掛けになったので、そろそろ身体を洗おう…そう思い、頭に載せた手ぬぐいを手に立ち上がる。

 湯が滴る音と共に、足音が止んだ。

 そして、振り返った僕の視線の先で、足音の主の姿が立ち尽くしていた。


「あれぇ~?」


 何とものんびりとした声が響く。

 最初に目に入ったのは、雪の様な肌と淡い栗色の髪。

 そして、ほっそりとした裸身。

 そこには二つの膨らみとなだらかな曲線があった。


「へ?」


 辛うじて。

 そんな間の抜けた声を出した僕は、思考停止した。

 な、なななななな…!?


 何で、男湯ここに女の人が…!?

 し、しかも、極めてダイレクトなお姿で…!?(温泉だからだけど)


「ん~…」


 女性は口元に指を当てながら思案すると、硬直フリーズしたままの僕に言った。


「ま、いっか~」


「いや、良くないでしょっ!」


 叫びながら、僕は湯船に没した。


「こ、ここは男湯ですよ!?表に書いてあったでしょ!?」


 すると、女性はひたひたと湯船に近い付いてくると、足先をちょんちょんと浸けながら、


「漢字、よく分かんなくて~」


 視界の端に、白く艶めかしい素足が映り込み、僕は慌てて反対側を向いた。


「と、とにかく!早く出ていってください!女湯は隣りです!」


「ん~…」


 女性はまた思案すると、


「また服着るのめんどいから、男湯こっちでいいや~」


 んなっ!?

 何考えてんだ、この女性ひと…!

 さっきの反応といい、何かズレてる…!?


「何言ってんです!他にも男の人が入ってきたら…!」


「あ、大丈夫だよ~。一人でゆっくり入りかったから“隠れ場マカシの印”を張ってきたし~」


 …え? 

 耳慣れぬ単語に、僕は思わずそう聞き返す。

 女性はにっこり笑った。


「でも~、君には効かなかったみたいだね~?何でかな~?」


 そう言いながら、片足を湯船に入れる女性。

 その気配を察した僕は、声を上げた。


「待ってください!」


「ほえ?」


「入る前に、かけ湯を!それがマナーです…!」


------------------------------------------------------------------------------------


 結局。

 出るにも出られず、僕は女性と距離を置いて、一緒に入浴する事になった。


「♪~♪♪~♪~」


 呑気に鼻歌を歌う女性。

 まじまじ見る訳にはいかなかったけど、さっき見た様子では、外国人っぽい感じの女性だったな…

 でも、日本語はとても流暢だ。

 もしかして、混血ハーフなんだろうか?

 そういえば、肌も白かったし、髪の毛も栗毛だった。


「は~…いいねぇ、温泉~♪」


 うっすらと上気した桜色の肌をお湯が伝う。

 僕はそんな扇情的な光景に背を向けたまま、応えた。


「あのぅ…一ついいでしょうか?」


「何かな~?」


「は、恥ずかしくないんですか…?」


「何がかな~?」


 …恥ずかしくないらしい。

 こういう女性は初めてだ。

 もはや取り返しようのない先取点アドバンテージを取られた感じだ。

 が、これに張り合う気概は僕にはない。

 もう、何とかやり過ごすしかない。


「…あの、もう一ついいですか?」


「何かな~?」


 全く緊張感のない声で応じる女性。


「さっき言っていた“隠れ場マカシの印”って、何ですか…?」


「ああ~…その名前の通り、人払い用の術式だよ~」


 「ん~」と、伸びをしながら女性は続けた。


錬金術アルケミーのね~」


 “錬金術アルケミー”…!?

 いま、確かにそう言った。

 すると、この女性は…錬金術師アルケミストってことか?


 “錬金術アルケミー”は、ファンタジーRPGなどのコンテンツでも有名な術式だ。

 現実には西洋で発達した神秘学の一つで「化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に金)を精錬する」という学問だ。

 その最奥は「様々な物質や、人間の肉体や魂すらをも対象に、より完全な存在に錬成する」ことを目的とする。

 しかし、未だその極致に達した者はおらず、その過程で生み出された多種多様な術式が“錬金術アルケミー”なのだ。

 特徴的なのは、他の西洋魔術や沙槻さんが使用する「神道」とは異なり「魔力」「霊力」をそれ程必要としない点である。

 彼ら錬金術師アルケミストは、膨大な知識と化学的な手法で魔術に匹敵する奇跡を発現させる…半科学者的な魔術師なのである。


「こちらにはどうして?」


 僕は少し声のトーンを落とした。

 日本国内には錬金術師アルケミストはほぼ居ない。

 それは、彼らの術式に必要な素材が国内では手に入りにくいからだ。

 ということは、必然、彼女は海外からの来訪者という事になる。


「お仕事と~、里帰りだよ~」


「里帰り?」


「そう~…ああ、あたし~六堂りくどう 那津奈なづな~、気安く『なっつん』でよろしく~」


「あ、十乃 巡です」


「…え」


 女性…なっつんさんが少し意外そうな声を出す。

 ?

 僕の名前がどうかしたのか…?

 と、不意に背後からジャブジャブと水音が近付いて来る。

 なっつんさんが、近付いて来てる!?

 慌てて制止の声を出そうとして、僕は横から両頬を手で挟まれ、強引に首を曲げられた。

 視界になっつんさんの上気した顔と…白い肌が入る。


「う、うわああああッ!!」


「ほ~…へ~…は~…君がね~」


 赤面して慌てふためく僕には構わず、僕の顔をまじまじと見つめるなっつんさん。

 ど!

 どうでもいいけど!

 まえ!

 前を隠して欲しい…!


「そっか~、君が十乃の~…か~」


 こっちの気も知らず、何やら訳知り顔で頷くなっつんさん。

 と、その時だった。

 その目が、不意に上空に向けられる。


「おや~?」


 彼女の視線を追う。

 その先には満月。

 そして、真円を描く月を背景に、小さな点が浮かんでいた。


「どうやら、お客さんだね~。ノゾキ・盗撮の防止用ジャミングに張っておいた“監視シェムーの印”が、役に立ったよ~」


「お客さん…?」


「十乃くんは下がっていた方がいいよ~」


 そう言いながら、彼女はイヤリングに手を添える。

 同時に、上空の黒い点はみるみる大きくなって突っ込んで来た…!


ズオオオオオオッ!


 派手に温泉の飛沫を撒き散らしながら、飛来した何かが湯船の真上で停止する。

 飛沫から顔を守っていた腕を下ろした僕は唖然となった。

 湯船の上を滞空するは…石でできた塔だ。

 日本庭園、あるいは古い墓地などにあるアレである。

 3メートル近いその石の塔は、重力を無視し、UFOのようにふよふよと浮かんでいる。


「ふや~、面白いものが降って来たねぇ~。日本も変わったもんだ~」


 眼前の怪異にも動じず、なっつんさんが石の塔を見上げる。

 いや…今も昔も、日本の空からはこんなものは降りませんが…たぶん。


「…奇襲にも動じずか。さすがは六堂。伊達に『斎貴十仙いっきとおせん』が一つを名乗っておらんな」


 石の塔の真上。

 そこに仁王立ちになっている人影があった。

 月光に照らされたその姿は、すらりとした青年だ。

 お坊さんの様な袈裟に、一振りの錫杖しゃくじょうを手にしている。

 特に目を引いたのはその眼だ。

 切れ長の双眸は、固く閉ざされている。


「ほえ?あたしのこと、知ってるの~?」


「とぼけるな。貴殿も我らのを狙う輩の一派だろう」


 青年僧は眉根を寄せた。


シャラン


 錫杖が美しい音色をたてる。


「拙僧は西心さいしん。“石塔飛行せきとうひぎょうなり


 青年僧が静かにそう告げた。


 “石塔飛行”!?

 ということは、この西心って人は特別住民ようかいか…!


「貴殿に恨みは無いが、これも我らが寺を守るため…お覚悟召されよ」


 言うや否や、西心さんの乗った石塔が宙に舞い上がる。

 そして、湯船の中で立ち尽くすなっつんさんに向かって突進した。


 “石塔飛行”

 その名の通り、この妖怪…いや、怪異は武蔵国(現在の東京都)多摩郡本郷村というところに伝わっている。

 この本郷村の田園地帯の東側に小高い丘がある。

 そこに夜な夜な火の玉が現れ、向いの山との間を飛び交うという。

 そのため夜になると人は恐れて近寄らなかった。

 この村に仏道の修行者がいた。

 この修行者が、火の玉の話を聞き、その調伏を行う事になった。

 そしてその火の玉が出ると 修行者は大きな筍笠を持ち、火の玉を笠で叩き伏せた。

 火は消えて、何かが田の中に落ち、そこには大きな石塔があったという。


 これが“石塔飛行”の伝承だ。

 そして、この西心という青年僧は、その伝承そのままに石塔を意のままに飛行させ、操ることが出来るのだろう。

 唸りを上げて迫る石塔に、なっつんさんはイヤリングに呟くように言った。


kumカムEveイヴ”」(※ヘブライ語で「来い」の意)


 その瞬間。

 神速の早さで何者かがなっつんさんの身を抱え、飛び退く。

 大きく間合いと取って着地したその姿は、ダークスーツに身を包んだ美しい女性だった。

 褐色の肌に銀の瞳が目を引く。

 そんな美男子系美女がなっつんさんをお姫様抱っこしていた。


「あは~、ありがと、イヴちん♡」


「お怪我はありませんか、我が王マイロード


 宝塚の男役も真っ青の美男子っぷりで、そう告げる女性…イヴさん。

 ちょっと待て。

 いま、この人、どっから現れたんだ?

 まさに目にも止まらぬ早さだったぞ…!?


「怪我はないよ~。でも、ちょっち寒いかも~…は、はっくちゅん…!」


 素っ裸で高速移動したせいで冷えたのか、なっつんさんが可愛いくしゃみをする。

 それを見た瞬間、 怒りも露わに西心さんを睨むイヴさん。


我が王マイロード!?…おのれ、化け物め!貴様のせいで我が王マイロードが死に瀕しているではないか!」


 …前言撤回。

 主に似て、この人も少しズレている気がする。


「ふむ…そうか。確か貴殿ら六堂家は、西洋妖術の流れを汲んでいたのだったな…差し詰め、そ奴は陰陽道おんみょうどうでいう“式神しきがみ”の類か」


 浮遊する石塔に乗ったまま、西心さんがなっつんさんを見下ろす。

 それにあっさり頷くなっつんさん。


「うん、そう~彼女は“魔動人形ゴーレム”だよ~」


 “魔動人形”!?

 ウソだろ、おい…!

 僕は改めてイヴさんを見やった。

 通常“魔動人形”は、もっとゴツイ外観をしていて、ロボットじみたものの筈だ。

 イヴさんの様に人間と寸分変わらない外見の“魔動人形”なんて、見たことがない。

 しかし…彼女が“魔動人形”なら、いまの神速の動きは納得もできる。

 彼らはその機能を限定方向に絞ることで、人間を遥かに凌駕する能力を発揮するのだ。


「あたしのイヴちんの限定機能【韋駄天足モード・スカンダ】は、発動したらそう簡単に捕まらないよ~」


 えへん、と胸を張るなっつんさん。

 …だ、だから、前を隠せとあれ程…!

 うわ、何かイヴさんがこっちを睨んでるし。


「成程。それは良い事を聞いた」


 そう言うと、西心さんは錫杖を鳴らし、何やら祈り始めた。


「これは少し疲れるのだが…さて、かわせるか?」


 その言葉と共に、天空に轟音が響く。

 見上げた僕は息を飲んだ。

 その視線の先に、20基以上の石塔が浮遊していた。

 なっつんさんも、それを見て目を丸くする。


「ほえぇぇ!?」


「妖力【石塔飛行】…!」


 瞬間。

 滞空していた石塔が一斉に降下を始めた。


 じょ、冗談じゃない!

 あんな質量兵器みたいなのが、こんな露天風呂に降下してきたら逃げ場なんてない…!

 思わず頭を抱えてうずくまる僕。


「如何しますか、我が王マイロード?逃げ切るのは可能でしょうが、このままでは他にも多数の被害が出ます。何より…御身がもちません」


 降下してくる石塔群を見上げながら、イヴさんが尋ねると、なっつんさんは口元に指を当てた。


「そうだねぇ~…仕方ない、ここは…」


 そう呟くと、なっつんさんはもう片方のイヤリングに囁いた。


kumカムAdamアダム”」


ゴゴゴゴゴ…


 遠く連なる峰々が鳴動する。

 そして、その一つが大きく動いたかと思うと、人型の姿をとり始めた。

 頭、肩、腕、胴。

 月の光に照らされたその姿は…


「巨大ロボ…!?」


 プールとか滝の裏とか、はたまた秘密の基地とかから姿を見せそうなフォルムの巨大な“魔動人形”が立ち上がった。

 再び胸を張るなっつんさん。


「あれはあたしの傑作の一つ…広域殲滅型“魔動人形”アダムだよ~」


 うわあ。

 何て趣味的なものが、こんな間近な自然の山系に…

 超ド級“魔動人形”アダムは、その両腕を振るうと一瞬で石塔群を破壊し尽くした。


「…むう。かような隠し玉があったとは」


 一瞬で形勢逆転に追い込まれたにも関わらず、西心さんは落ち着いた様子だった。


「ここが引き際か…六堂、今宵は貴殿の勝ちとしよう」


「うん、ありがとう~」


「礼をいう場面ではありません、我が王マイロード


 イヴさんにそう窘められるなっつんさん。

 そんな二人を見下ろし、西心さんは脱力した風も無く、毅然と告げる。


「しかし、我らが寺を狙う以上、次は手加減せぬ。よく心に留めておくがいい」


 上空へ遠ざかっていく石塔に、なっつんさんが手を振る。


「うん、またね~、ばいばい~」


 やがて、周囲に静けさが戻ると、なっつんさんは何事も無かったように僕に言った。


「さて、それじゃあ、お風呂しようか、十乃くん~」


「…はあ…」


------------------------------------------------------------------------------------


「随分、長湯だったわね」


 自室に戻った那津奈は、帰りを待っていた一人の女性にそう声を掛けられ、にっこり笑った。


「あは~、ごめんないさいね~、つい~」


 浴衣姿に外していた眼鏡を掛けた那津奈は、ふわっとした髪を手櫛ですいた。


「明日はいよいよ本番よ。あまり夜更かししないようにね」


「ふふ~、あたしなら徹夜した方が本調子だよ~」


 女性の忠告に、そう答えると、那津奈は手荷物からノートPCを取り出し、電源を入れる。


「♪~♪♪~♪~」


 鼻歌交じりにキーを叩き始める那津奈に、女性が尋ねた。


「…随分上機嫌ね。何かいい事でもあった?」


「うん~ウワサの十乃くんに会っちった~」


 瞬間、女性が息を飲む。


「会ったの、に?」


「うん~」


「何処で?」


「男湯~」


 女性は、また別の意味で息を飲んだ。


「…その辺の経緯は、個人的にとても興味があるけど…そう、彼も深山亭ここに居るのね」


 と、那津奈がキーを叩く指を止める。


「うん~…でも、そっちも何か嬉しそうだね~、涼香さん~」


 その言葉に、烏帽子えぼし 涼香すずかが艶然と微笑む。


「ええ…私も会ったのよ。奇しくも、貴女のお仲間『斎貴十仙いっきとおせん』にね。誰だと思う?」


「ん~…誰~?」


 のんびり反応する那津奈に、涼香が告げる。


「“戦斎女いくさのいつきめ”…五猟の巫女よ」

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