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妖しい、僕のまち 〜妖怪娘だらけの役場で公務員やっています〜  作者: 詩月 七夜
第九章 六月の花嫁達に祝福の鐘の音を ~目目連・舞首~
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【百一丁目】「それでも『誰か』を憎まないのですか?」

「あ痛っ…!」


 地面に放り出された僕…十乃とおの めぐるは思わずそんな声を上げた。

 二弐ふたにさん(二口女ふたくちおんな)によりゲリラ的に開催された「六月の花嫁大戦ジューンブライド・ウォーズ

 その優勝者が決定されようという最中、僕は当の優勝者である謎の銀髪眼鏡美女に誘拐されてしまった。

 煙幕で視界を奪われた中、両手足を呪符で拘束され、巨大な鳥の爪に引っ掴まれた僕は、程なく空の上を飛翔した後、小高い丘の上に放り出された。

 そこは「ウィンドミル降神」の外れにある、古代ギリシャ神話に出てきそうな神殿の複製レプリカがある丘だった。

 天気の良いこんな日には、彼方に蒼い海も見渡せる場所だ。

 その丘の上にある白亜の神殿の中に、僕は放り出されたのである。

 大した高さではなかったが、そこそこ痛い。

 痛みに顔をしかめていると、巨大な鳥は瞬時に消え失せ、一枚の呪符と化した。

 そして、呪符は鳥の背に乗っていた銀髪の眼鏡美女に収まった。


「乱暴にして御免なさいね、十乃 巡さん」


 薄く笑いながら、美女がそう言う。

 呻きながら何とか身を起こすと、僕は美女を見上げた。


「貴女は…!?」


「私は凍若衣。三ノ塚さんのづか 凍若衣ともえと申します。貴方なら“舞首まいくび”と言えば分かるでしょう?」


 そう名乗ると、凍若衣と名乗った女性は、短く呪文の様なものを唱えた。

 同時に、両手足の呪符が燃え上がり、僕は自由になる。

 やれやれ…イベント中に二弐さんに突然拘束されて以来の自由だ。

 しかし、こんなタイミングで自由にされても、素直に喜んでいいものか困るが。


「“舞首”…では、貴女は特別住民ようかいという訳ですね?」


「ええ」


 凍りついた滝の様な銀色の髪を掻き上げながら、凍若衣さんが頷く。

 僕は続けて尋ねた。


「こんな所に連れてきて、僕を一体どうするつもりですか?」


「率直に言えば、抹殺します」


 躊躇ちゅうちょなく、そう答える凍若衣さんに、僕は焦る前に呆気にとられた。


 ………完全に予想外の答えだ。


 しかも、彼女が向けてくる氷の様な視線からして、どうやら冗談とかドッキリとかという訳ではないみたいだ。

 予告なしで命の危機にさらされる事になったが、僕は気を取り直して、再び問い掛けた。


「あの…何故でしょう?」


「済みませんが、雇い主クライアントの依頼なので、理由は知りません」


 そう言いながら、凍若衣さんは懐から数枚の呪符を取り出し、扇の様に広げて見せると、ヒラヒラと煽ぎ始めた。

 …どうやら、 僕の事をすぐにどうこしようという気は無いようだ。

 よし…ならば、もう少し相手の真意を探ってみよう。

 幸い相手はいま、会話に乗って来ている。

 ひとまず、この流れを絶やさずにいくしかない。

 僕は、彼女の発した一言に食いつく素振りを見せた。


雇い主クライアント?…ということは、貴女はもしかして…」


「ええ。分かりやすく言えば『殺し屋』ということです」


 うわあ。

 「殺し屋」って、本当に居るんだ。

 漫画や小説の中には、ごまんといる存在だけど、本物を目にする事になろうとは。

 あっさりと白状する凍若衣さんは、僕に向かって続けた。


「先程『理由は知りません』とは言いましたが、経験上の推測でなら何となく分かりますよ?貴方、誰かから恨まれたりしていませんか…?」


 僕は考え込んだ。

 ごく普通に日常を生きている一小市民としては、仮に知らずに誰かの恨みを買っていたとしても、そんな物騒な事を考える人物に心当たりがない。

 考え込む僕に、凍若衣さんはクスリと笑った。


「例えば『誰か』の邪魔をしたとか?」


「そんな事は…」


 言いかけて、僕ははたとある事に思い至った。


 「誰か・・」の邪魔をした?


 そう言われると…実は思い当たる節は無い訳ではない。

 ただ、その「誰か・・」は僕の想像通りであれば「個人」ではない。


 …いや、ちょっと待てよ。


 仮に彼ら・・が彼女の雇い主クライアントだとして、何故「僕に目を付けたのか・・・・・・・・・」が分からない。


「…どうやら、少しは思い当たる節があったようですね」


 呪符を煽ぎながら、冷たく微笑む凍若衣さん。


「人の良さそうな顔をしている貴方も、結局は誰かの恨みを買い、そして誰かを憎まないと生きていけない…つくづく滑稽で哀れですね、人間というのは」


「…え?憎む?」


「ええ。だって、貴方も憎いでしょう?私に貴方を殺すように依頼した『誰か』が」


「いえ、別にそんな事はないですけど…」


 即答した僕に、呪符を煽いでいた凍若衣さんの手がピタリと止まった。


「…やせ我慢ですか?」


 ほんの少しだけ、その声に苛立ちに似た感情が混ざった。


「この状況で、貴方が助かる道はない。間違いなく私に殺されます。それは全て貴方を憎む『誰か』のせいでしょう。そんな『誰か』を憎むのは、人間として自然な感情です」


 そして、彼女は嘲笑めいた笑みを浮かべる。


「勘違いをしているようだから教えて差し上げますが、こういう場合に虚勢を張る事は『勇気』とは言いません。いまさら平静を取り繕っても、逆に見苦しいですよ?」


 僕は少し考えてから、それに首を横に振った。


「別にやせ我慢ではないです。僕は、本当にその『誰か』を憎む気が無いんです」


 凍若衣さんの目が剣呑な光を帯びる。


「…そうですか…なら…」


 不意に、凍若衣さんは僕の上に覆い被さる様に押し倒した。

 白銀の長い髪が流れ、僕の顔を覆う。

 日の光を遮られた青白い闇の中、彼女は氷そのものの目で真下にいる僕を見下ろし、囁くように告げた。


「改めて断言しましょう…私は、貴方が想像する百倍は残酷な方法で、貴方を始末する事ができます」


 「魂が凍る」というのは、こういう目の事を言うのだろうか。

 一体、どれだけの負の感情を貯め込んだらこういう目になるのだろう。

 女性に押し倒されるなんて、初めての経験だし、シチュエーション的に普段なら慌てふためくところなのだろうが、僕はその凍った瞳に息を飲むばかりだった。

 凍若衣さんは、一切の感情を込めない声で淡々と続けた。


「例えば、まず、私の術で貴方の意識を完全に繋ぎとめる。そして、式神の蟲共に全身を徐々に食い荒らさせる。貴方は気絶する事も叶わず、骨になるまで絶叫し続け、いずれ許しを請うでしょう。『早く殺してくれ』とね。でも、私はそんな願いは聞き入れませんし、発狂だって許しません。失血死もね。貴方の心も身体を生かさず殺さず、殺し、癒し、そしてまた殺す。無限に近い地獄の中でみっともなくのたうちまわる貴方。そして私は、その様を肴に極上のワインでも開けるでしょう」


 そこで彼女は再び微笑した。

 いままで見た中で、最も冷たい微笑みだった。


 本気だ。

 そして、本当だ。


 彼女は、全てそれを実行できるし、する気なのだ。

 そう考え、僕は思わずゴクリと喉を鳴らした。

 すると、彼女は満足そうに、


「それでも『誰か』を憎まないのですか?」


 眼鏡越しの氷の視線が、僕を射抜く

 僕は…意を決して答えた。


「はい」


 彼女の笑みが消える。

 が、構わずに僕は続けた。


「ところで、失礼ですが、貴方は僕の職業を知っていますか…?」


 不意にそう聞く僕に、凍若衣さんは一瞬意表を突かれた顔になった。

 そして、頷いた。


「勿論です。獲物ターゲットを丸裸にしてから追い込むのが『狩り』の基本ですから」


「なら、貴女は単純に僕の事を『知った』だけで『分かっていない』ようですね」


「…何ですって?」


 その一言に、凍若衣さんの目に明らかな殺意が宿る。

 だが、それにも怯まず、僕は続けた。


「僕は人間です」


「…そうですね」


「何の力も無い、ただの人間です。知恵も力もないし、すごい能力だって持っていない」


「その通りです」


「まあ、仮に異世界に転生しても、きっと無力なままの人間でしょう。それくらいに僕は平凡です」


「…結局、何が言いたいんですか?」


 僕は彼女の氷の瞳を見詰めながら言った。


「そんな僕ですが、ご存知の通りとんでもない能力を持った妖怪あなた達と対話し、共に歩んでいける様な世界を作るために働いています…凍若衣さん、ハッキリ言わせてもらいますよ」


 凍若衣さんは無言だ。

 僕は続けた。


「妖怪相手の交渉ってのはね、怪我もすれば、傷も負う。時に命懸けだし、僕みたいなただの人間には割に合うもんじゃないんです。でも、それでも、僕は僕を傷付けてくる妖怪かれらと向かい合わなければならない…いや、向かい合おうと決めたんです」


 彼女の目に、一瞬戸惑いの色が浮かぶ。

 僕はそれを見逃さなかった。


 ここだ…!


 敵意をもった相手との話し合いで重要なのは「飲まれて縮こまらないこと」

 そして、相手が揺らいだ時は、一気にたたみ掛ける。

 特に彼女の様な理知的な相手なら、考える隙は出さないように。

 僕は腹筋に力を込め、彼女を押し戻す様に上体を起こした。

 その間も彼女から目は逸らさない。

 身を起こし、奇しくも彼女と同じ目線になった僕は続けた。


「だから、いちいち『誰かを憎む』なんて考えに捕らわれていたら、この仕事・・・・は務まらないんですよ」


 凍若衣さんは大きく目を見開いた。

 そして、気圧された様に僕の腰の上にゆっくりと尻餅をつく。

 しばし向かい合う僕達。


「貴方は…」


 凍若衣さんが何かを口にし掛けた時、パンパンという音が不意に響いた。

 視線を巡らせる僕達の目に、黒衣の女性の姿が映る。

 その女性を見た僕は唖然となった。


「エ、エルフリーデさん!?」


 そこには。

 漆黒のウェディングドレスに身を包んだエルフリーデさん(七人ミサキ)が、笑いを堪える様な表情で、拍手をしていた。


「ククク…見事だ、十乃。そして、貴様の負けだ『CERBERUSサーベラス』」


「『SEPTENTORIONセプテントリオン』…!」


 凍若衣さんがそう呟く。

 『CERBERUSサーベラス』?

 確か…ギリシャ神話に出てくる「地獄の番犬ケルベロス」の異称だったような?

 何にせよ、凍若衣さんの目には、ハッキリとした敵意があった。

 しかし、それを気に介した風も無く、喪服の様なドレスにを風に揺らし、エルフリーデさんは微笑んだ。


「まあ、仕方あるまい。相手が悪かったのだ」


「…どういう意味でしょう?」


 エルフリーデさんを睨みつけながら、凍若衣さんが問う。

 それに黒衣の花嫁は答えた。


「その男はな、根っから妖怪を差別する意識がない『妖怪バカ』だ。そして、いま聞いた通り『究極の平和主義者』で『筋金入りの頑固者』だよ」


 …良く分からないが、褒められているのだろうか…?


「『憎悪』に由来する“舞首きさま”の在り様にとって、その男は猛毒・・みたいなものだ。気を付けろよ?そんな風に真っ向からまともに相手をしていると…」


 そこで、エルフリーデさんはニヤリと笑った。


骨抜きメロメロにされるぞ?私の様にな」


 凍若衣さんの顔に朱がのぼる。

 氷の様な彼女が初めて見せる表情かおだった。


裏切り者・・・・の忠告になぞ、耳を貸すつもりはありません…!」


 …えっ?


 「裏切り者」って…まさか、この二人は知り合いなのか!?

 一体どういう事だ!?

 思わぬ展開に言葉も出ない僕。

 エルフリーデさんは、凍若衣さんの銀髪とは対照的な黄金の髪を掻き上げた。


「酷い言われようだ…しかし、その件については最初に言った筈だ。『我々は好きにやらせてもらう』とな」


「ほざきなさい」


 凍若衣さんが鼻で笑う。


「独立愚連隊風情で、詭弁を弄するつもりですか?」


「貴様こそ、金さえもらえれば誰にでも尻尾を振る牝犬だろう」


 からかうようなエルフリーデさんの言葉に、凍若衣さんの目が更に剣呑な光を帯びる。


「忠告します。いま、私はとても気分が悪い。次に下らない台詞を吐き出すためにその口を開けば、無駄に現世を彷徨う貴女を、すぐに煉獄に突き落としますよ?」


「フッ…怖い怖い」


 エルフリーデさんは肩を竦めて笑った。


「だが『CERBERUSサーベラス』よ、あと一つだけ忠告してやろう」


 凍若衣さんが怪訝そうな顔になる。

 エルフリーデさんは、あらぬ方…丘のふもとを見た。

 

 ?

 何だ…?

 何かが丘を駆け上ってくる「ドドドド…」という音が聞こえるよーな…


 そして、丘を見下ろしていたエルフリーデさんは、凍若衣さんへと視線を戻すとニヤリと笑った。


「気を付けろ。以前、私も食らったが…の一撃は結構痛いぞ?」


「…何の事……ッ!?」


 そう言いかけた凍若衣さんが、何かに気付いた様に僕の上から飛び退きつつ身構えると、素早く呪文を唱える。


符転剛垣ふよてんじてかべとなれ急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」


バッ!


「見付けたぁぁぁぁぁぁッ!!」


 そんな声と共に、何者かが丘を登りきり、太陽を背に宙へと舞う。

 長い黒髪が広がり、影になって分からない顔の中で、二つの黄金の目が僕達を認め、大きく見開かれた。

 そして、凍若衣さんの放った符が、鋼の光沢を放つ障壁に変化するのと、そこに何者かが物凄いスピードで突っ込んできたのは同時だった。

 轟音と共に、障壁が粉々に砕けて降り注ぐ。

 もうもうと立ち上る土埃の中に、二つの影が見えた。

 一つは恐らく凍若衣さんだろう。

 もう一つは…?


「…えっ…?」


 次第に晴れていく視界の中に、僕はよく見知った人物の姿を見た。


「み、美恋みれん…!?」


 そこには。

 花嫁のヴェールを纏った妹…美恋の姿あった。


「何…してたのよ…貴女…」


 美恋がそう呟く。

 僕は目を疑った。

 美恋の目が金色に輝いている。

 そして、ヴェールとほつれた長い黒髪の合間から見えるアレは…鬼の角!?

 言葉を失う僕の前で、美恋はギン!と前を睨みつけた。


「お兄ちゃんを誘拐しただけでなく…馬乗りになって、一体ナニしてたのよ!?」


 ……


 いや。

 いま冷静になって思い起こせば、確かに傍から見るとそういう風にも見れなくもないが…


「絶ッ対に許さない…!」


 勝手な妄想で猛り狂う美恋。

 …何か、以前もこんな事があったよーな…

 一方の凍若衣さんの姿は、土煙に遮られて確認できない。

 どうにか防御壁が間に合い、直撃は避けられたように見えたが。


「…!」


 瞬間。

 土煙を裂いて、巨大な何かが突進してきた…!


キキイイイイ!!


 それは百足むかでだった。

 ただの百足ではない。

 目視できる限りで10mはある…!

 大百足は巨体に似合わぬスピードで美恋へと迫った。


 いけない!!


「美恋、逃げろ!!」


 僕は思わず絶叫した。

 毒牙を剥いて迫る大百足。

 一方の美恋は、立ちすくんだのか逃げる素振りも無い。

 たまらず、僕が駆け寄ろうとしたその時、

 美恋は迫る大百足をギロリと睨みつけた。


「うるさい!!」


ごすっ!


ギイイイイイッ!?


 …


 ……


 ………


 …う、ウソだ…


 い、いま…

 美恋が片手の一振りで…大百足をブッ飛ばしたように見えたんだけど…??

 理不尽極まりない暴力いちげきを受けた大百足は、なす術無く呪符へと変化する。

 そ、そうか。

 突然現れたので驚いたが、どうやら大百足は凍若衣さんが放った式神だったようだ。


「バ、バカな…」


 そんな声と共に、土煙の中から驚愕の表情を浮かべた凍若衣さんの姿が現れた。

 直撃は避けたようだが、呪符で編んだ障壁を美恋に砕かれてダメージを負ったのか、ウェディングドレスはところどころがボロボロだ。

 先程まで冷笑を湛えていたその美貌も、信じられないものを見る様に美恋に釘付けになっている。


「たかが人間が…私の式神を…素手で…!?」


「…そこにいたのね」


 美恋の黄金の瞳が、捕食者プレデターの輝きで凍若衣さんを射た。

 こ、これは…

 時折、家で見せる冷たい視線よりも遥かに迫力がある…!

 美恋はゆっくりと凍若衣さんへと近付いて行った。


「私を騙して、お兄ちゃんを誘拐して、挙句に破廉恥な真似まで…」


「は…れんち?」


 ワナワナと震える美恋の誤解に、凍若衣さんも一瞬キョトンとなる。

 美恋は、くわっと牙を剥いた。


「五体満足で帰れると思わない事ね、この泥棒猫…!」


「くっ…符転顕刃ふよてんじてつるぎとなれ急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」


 凍若衣さんが、美恋の迫力に押された様に数枚の呪符をばらまき、呪言を唱える。

 すると、呪符から幾重もの剣があらわれ、美恋を取り囲んだ。


穿うがて!」


 掲げた手を振り降ろす凍若衣さん。

 同時に数十本の剣が、まるで矢の様に射出される。

 三百六十度、全方位から迫る刃の群れを、美恋は…


「うりゃあああああああああああああああ…!」


 ガン!ギン!ゲン!ガアン!


 何と。

 飛来した剣を、両手で数本まとめて引っ掴むと、それを振るい、襲い来る刃の雨を片っ端から叩き落とし始めた…!

 手の剣が折れると、迷わず投げ捨て、飛来してきた別の剣を得物にして応戦していく。

 その動きたるや、もはや明らかに人間業ではない。

 反応するスピードも残像すら見えるレベルだ。


「ラスト…!」


 最後の一射を打ち落とすと、美恋は息一つ乱さずに両手の剣を投げ捨てた。

 そして、呆然となっている凍若衣さんに笑い掛ける。


「…で?」


「な…何て…非常識な…」


「貴女に言われたかないわね、誘拐犯」


 そこで、美恋の目が鋭くなった。


「さあて、もう変身わるさできないように、その首、ひっこ抜いてあげましょうか」


 バキボキと指を鳴らす美恋。

 …我が妹ながら、そういう台詞がシャレに聞こえないところが怖い。

 凍若衣さんは、一旦目を閉じると、観念した様に立ち上がり、両手を挙げた。


「…分かりました。降参です」


 美恋の歩みが止まる。


「…何ですって?」


「『降参する』と言ったのです。正直、いまの術をあんな風に破られては、私にも抗する術がありません。よって、ここは素直に降伏をさせていただきます」


 不承不承といった風に、凍若衣さんは続けた。


「私は術理戦に長けてはいますが、そもそも元々戦闘は苦手なのです。こうした荒事は『二の首』の分野ですしね」


「何を訳の分からない事を…」


「とにかく、降伏します。いかようにも好きにしてください」


 その様子に、しばし思案していた美恋は、ゆっくりと凍若衣さんに近付いて行った。


「…ったく。降参するならするで、最初からこんな騒ぎを起こすなってのよ」


 不服気にそう言う美恋に、一部始終を見ていたエルフリーデさんが呟く。


「まだ青い、な」


 その言葉が終らぬうちに。

 凍若衣さんに近付いていた美恋の足元に、八角形の呪紋が浮かび上がった。


「これは…!?」


「言ったでしょう?『私は術理戦に長けている』と。呪符だけが“陰陽道”の神髄ではありません」


 言い放ちながら、凍若衣さんが大きく飛び退る。


八将神はっしょうじん大将軍たいしょうぐん”!彼の者を塞ぎ止めよ!」


 印をきりながら、呪紋を指し示す凍若衣さん。

 すると、美恋の動きがピタリと止まった。


「か…体が…動か…ない…!?」


 それに凍若衣さんが勝ち誇った笑みを浮かべる。


「“八将神”は陰陽道における方位神のこと。そして、その一柱“大将軍”は『三年塞がり』を司る万事における大凶の神」


 薄い笑みを浮かべながら、凍若衣さんは続けた。


「その方位印の中にいる限り、貴女は全方位に動く事は出来ません」


「く…そ…この…お…」


 歯を噛み締め、渾身の力で動こうとするも、美恋は彫像となった様に棒立ちのままだった。


「諦めてください。貴女の馬鹿力でも、それは破れません。そこで、大人しく見ていなさい」


 そこで、凍若衣さんはチロリと舌を出して指先を舐めた。


「貴女のお兄さんが、私の餌食になるところを…ね」


 呪符を取り出しながら、凍若衣さんは次にエルフリーデさんを見た。


「貴女はどうします…?」


「お手並み拝見といこう」


 そう言いながら、腕を組んで笑い返すエルフリーデさん。

 ええええええ!?

 助けてくれるんじゃないんですか!?


「果たして、貴様に私の良人おっとるが出来るかな?」


 余裕綽々のエルフリーデさんに鼻を鳴らして背を向けると、凍若衣さんはゆっくりと僕に近付いてきた。


「お待たせしました、十乃さん。さあ、素敵なショーの始まりですよ?」


 怜悧な美貌が喜悦に歪む。

 僕は身動きできずに、立ち尽くしているだけだった。


「妹さんの前で、思う存分聞かせてくださいね…最高の苦悶ファンファーレを…!」


「させ…るか…ああああああああああああああああああッ!!」


 瞬間。

 死を覚悟した僕の目の前で、美恋の身体から炎の様な陽炎かげろうが立ち上る。

 そして、


「こンのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ…!!」


ミキ…


「そ…んな…」


 凍若衣さんの表情から笑みが消えた。

 身体を捕える目に見えない鎖を断ち切ろうとするように、身をよじる美恋。

 その足元に展開された八角形の方位印がきしみを上げる。


「破ろうというの、アレを…!?」


 呆然となる凍若衣さんに、エルフリーデさんが告げた。


「寝ぼけているのか?『CERBERUSサーベラス』」


 聞き咎めるように振り向く凍若衣さん。

 エルフリーデさんは腕を組んだまま続けた。


「見ての通り、奴は『鬼族』だ。貴様も連中に方位印を仕掛け、封じようとしても無駄だと知っているだろう?奴らは人間が定めた『方位』の外から来るモノ共だ。連中を『方位』の中で無力化したいなら、ある方位を閉ざさなくてはならん」


「…『鬼門きもん』!」


「そうだ。丑寅うしとら…つまり、北東の方位を塞がない限り、連中は方位印の中で力を失う事はない…そら、どうする?もうすぐ自由になるぞ?」


 エルフリーデさんの言葉通り、方位印の中で美恋の動きが徐々に滑らかになっていく。

 それと同時に、その足元の方位印が、少しずつ崩壊を始めていた。


ミキ…ミキミキ…!


 その様を見ていた凍若衣さんは、一つ嘆息した。


「冗談じゃありません。脳筋の鬼族と肉弾戦など、それこそ『二の首』の分野です」


 そう言いながら、手にした呪符をしまう凍若衣さん。

 そして、僕の方をじぃっと見詰めてくる。


「…命拾いしましたね、十乃さん。その命、しばし預けておきますよ」


「…」


「勘違いしないように。万全の装備なら、このまま仕事を続けてもいいのですが、今日はその装備がないだけです。私はプロですから、次に出会った時こそ、仕事は確実にこなしますよ?」


 そう言うと、今度はエルフリーデさんを見やる凍若衣さん。


「貴女もです。次はありません。今度私の邪魔をすれば、そのドス黒い魂魄を地獄の釜を焚くたきぎにしてさしあげますよ?」


に銘じておこう」


「…元より無い癖に」


 薄く笑うエルフリーデさんに、鼻を鳴らす凍若衣さん。

 そして、一枚の符を取り出して呪言を唱える。

 符は一瞬で巨鳥へと変化した。

 その背に乗りこむと、凍若衣さんは僕を見下ろした。


「では、また。貴方は私が折ります・・・・。必ず、ね」


 冷笑を浮かべると、凍若衣さんはそのまま宙へ舞い上がる。


「に、逃がすかあああああ…!」


 遂に自由を得た美恋が追いすがるも、巨鳥は既に空高く飛翔している。

 美恋は空を見上げたまま歯噛みしていたが、不意にその身体をぐらつかせた。

 ハッとなる僕。


「美恋!?」


 僕は慌てて駆け寄った。

 そして、崩れ落ちる寸前に辛うじてその身を抱き止める。


「…お…兄…ちゃ…ん」


 僕を認めると、美恋は安堵の笑みを浮かべた。


「無事で…よかった…」


 そして。

 ゆっくりと目を閉じる。

 ボロボロになったヴェールと黒髪が風に揺れた。

 その下から覗いていた二本の角は既に見えない。

 いつもの美恋だった。


「美恋…?」


 僕の呼び掛けに、美恋は軽い寝息で応えた。


「ふふ…まるで、幼子の様だな」


 それを見たエルフリーデさんが、クスリと笑う。

 僕はその髪を優しく撫でて囁いた。


「お疲れさま、美恋」


 ふと、遠くから鐘の音が聞こえた。

 園内にある鐘楼の鐘だろう。

 時報代わりに鳴らされていた筈だ。


カラ―ン…

カラ―ン…

カラ―ン…


 白亜の神殿の中、天と地に輝く蒼い空と彼方の海が僕らを包む。

 鳴りやまぬ鐘楼の鐘の音。

 それは、長い戦いを終えてまどろむ乙女達に向けられた、祝福の鐘ウェディング・ベルの様に優しく鳴り響いていた。


  

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