92 個人戦決勝 4
茶番で始まった桜の決勝戦は、なんとも意外な方向に……
桜とマギーの対戦はここまではプロレスでいうところのマイクパフォーマンスであって、本格的な対戦はここからスタート。
どこからでも掛かってこいという鷹揚な態度でマギーを待ち構える桜と、どこから攻めかかろうかと桜の隙を探すマギーの真剣な駆け引きが始まる。無言で相手を窺う両者の間には、見えない火花が飛び散るがごとくの手の内の探り合いが行われる。
目を凝らして集中しながら隙を窺っているマギーではあるが、その内心では桜の隙の無さに舌を巻いている。体の重心や視線の配り方、予備動作なしでいつでも動き出せる素早さとそれをさらに加速させるかのごとくの反射神経、どれをとっても超一流の存在だとマギーには理解できる。
なぜこれほどまでにマギーが桜を理解可能かというと、実は彼女のステータス上のレベルは187。この数字は聡史や桜には及ばないものの、世界各国の冒険者の中にあっては突出した数値であろう。
美鈴に敗れたフィオレーヌのレベルが約50で、1年生の学年トーナメントを制したマリアも大体似たり寄ったりの数値である点を考えても、マギーのこのレベルの高さは異常といえよう。何らかの隠された秘密が彼女にもあるのかもしれないが、その点に関してはいまだに明らかにされてはいない。
決勝戦に話を戻そう。
無言で桜の様子を窺っているマギーの額にはじっとりと汗が滲んでくる。まだこれといって本格的に体を動かしてはいないのだが、桜から放たれる無言の圧力が彼女に影響を及ぼしているよう。
(果たして正体は何者なのかしら? こうして実際に対峙してみると本物の化け物ね! やはりそうかとでも言うべきだわ)
何やらマギーには納得がいっている様子。彼女自身がどのような事象に納得しているのかは、今のところは本人にしか知り得ないとしておこう。ヒントだけ明かしておくと、それは彼女のこれまでの経験に由来している。
「にらめっこは飽きましたわ。早く来てもらわないと、こちらから打ち掛かりますよ」
桜からシビレを切らした声が飛ぶ。マギーにとっては明らかに格上の桜に先手を取られるのは非常に不味い状況。何としても自分が先手を取ってその勢いのまま押し通すしか勝ち筋が見えない。それほどまでにマギーの目には桜が立ちはだかる高い山のように映る。
(こっちの気も知らないで、言ってくれるわね)
マギーの脳内には何万通りもの桜との対戦シミレーションが組み上げられていく。それは将棋やチェスの名人が数十手先の駒の動きを何十万通りにも頭の中に描くように、先に進むたびに枝分かれしていく無限の可能性を読んでいく膨大な計算となる。
(可能性としては、よほどの奇跡が起こらない限りすべて私の負けに至るわね)
だがマギーが頭に描く計算結果は、ありとあらゆる分岐を選択しようとも数手から十数手以内に自分が負ける結果しか導き出さない。全米ナンバーワンと称される優れた頭脳を持っているだけに、マギーには自らの計算結果を否定できない。
(大丈夫よ! 奇跡をもたらす妖精の尻尾は必ずどこにでもあるんだから、絶対にこの手で掴んでみせるわ)
弱気に傾きかける自分を励ましながら、ついにマギーは決意を固める。最初の一撃に全てを込めて、今自分が打ち出せる最高のパンチを桜に叩き付けようと決心している。もし躱されたらその時はその時。計算などクソ食らえという気持ちでゆっくりと体に魔力を巡らせていく。
身体強化によって極限にまで高めた瞬発力を発揮して桜に一撃を浴びせるしか今のマギーには勝利を掴み取る手段がないのは彼女自身が百も承知。
(いくわよ)
両足が地面を蹴り付けると体が一気に加速していく。風の速度を超えてさらにスピードは上がっていく。もうターゲットの桜は目の前。
「いっけぇぇぇぇぇ!」
今度は捉えた! とマギーが思った刹那、桜の体が視界から消え去る。
(どこ? 右? 左? 後ろ?)
眼球を動かして必死に桜の姿を発見しようとするマギーであったが、意外な場所から桜の声が響く。
「残念、下ですよ!」
桜は膝を大きく屈めてマギーが放ったパンチの下に潜り込んでいる。パンチを放ったまま伸ばしきっている腕を取ると、クルリと反転して自分の腰にマギーの上体を乗せる。
「とりゃぁぁぁぁ!」
鮮やかな一本背負いが決まって、マギーの体は大きく宙に放り出されていく。
(投げ技ですって! 打撃系の格闘術ではないの?)
マギーの頭の中には大量の???が浮かんでいるが、彼女も只者ではない。桜に投げられる瞬間に反射的に地面を踏み付けると、一本背負いの角度をわずかに上方向へと誘導している。その分だけ宙に浮いている時間的な余裕が生じて、彼女は体を巧みに捻って足から着地する。
「おやおや、私の投げを躱しましたか。これはこれは大変よくできましたわ」
5メートル先に無事に着地したマギーに拍手を送りながら、桜は生徒を褒める教師のようなセリフを口にする。対するマギーは桜に振り返ってキッとした表情を向ける。あんなタイミングで投げ技を放つなど、とても素人には不可能な超難易度が高い技だと見切っているよう。
「投げ技も使えるなんて聞いてないわよ!」
「それは当然でしょう。私が会得している古武術は、打つ、投げる、極めるでワンセットですから。今までの相手は最初の打撃だけで倒れてしまって中々お見せする機会がなかったのです」
「面白いわね! 私のマーシャルアーツとどちらが上か、比べるには相応しい相手だわ」
マーシャルアーツとは狭義の意味では米軍の戦闘術で古今東西のあらゆる格闘術のエッセンスを抽出してさらに体系化した徒手格闘術とされており、現在はロシア軍のコマンドサンボと並んで世界各地に広く普及している。ちなみに自衛隊にも戦後に考案された格闘術がある。武術的な色合いが濃い自衛隊徒手格闘から始まり、近年ではテロリストを武器を使わずに取り押さえる新格闘と呼ばれる技術に進化している。ベースは日本拳法となっており、桜が身に着けている古武術とは若干色合いが違っている。
余談はともかくとして、話を両者の対決の舞台へと戻す。
マギーがマーシャルアーツの使い手だと判明した途端に、桜の目がキラリと光る。
「なるほど… マーシャルアーツの使い手とは対戦した経験がないので、これは中々楽しみになってきました。ところでこの防具は邪魔ではないでしょうか?」
「確かに邪魔ね」
「もしよかったらお互いに外しませんか? その代わりに私は打撃を使用しませんわ」
「ハンデを与えるというのかしら? 喜んでいただくわ」
桜の提案にマギーがのっかった結果、一旦対戦は中止して二人は身に着けている防具を外し始める。審判は渋い表情で見ているが、両者が合意した以上は止められないルール。
「審判さん、もし私が突き、蹴り、パンチ、平手、手刀等を用いましたら、その場で反則を宣告して結構です」
「本当に変則ルールでよいのか?」
審判が両者に尋ねると双方は黙って頷く。かくしてこの決勝戦は桜のみが打撃を禁じられた変則試合として再開される運びとなる。
「決勝戦、再開!」
中断時間5分少々の後に試合が再開される。この成り行きをスタンドで見ている美鈴は苦々しい表情で聡史に問い掛ける。
「また桜ちゃんが調子に乗っているみたいだけど、一体何を考えているのかしら?」
「そうだなぁ… 相手の真の力を見極めたいんじゃないのかな。桜が打撃を使用すると勝負は一瞬で片が付く。それではあのマギーという留学生の力を把握しきれないだろう」
「相手の力を把握することにどういう意味があるのかしら?」
「桜なりに、何かに気が付いているんじゃないのか」
「何かって、どういうことなの?」
「まだ俺にも正確なことは言えないな。いずれ明らかになるかもしれない」
聡史は意味深な言葉を美鈴に残す。美鈴は聡史が言わんとしている意味が判然としないせいで、どうにも腑に落ちない表情で試合が再開したフィールドに視線を向ける。
ちなみに明日香ちゃんは、まだ白目を剥いたまま。厨2認定がよほどのショックだったようで、あれだけ立ち直りが早い明日香ちゃんをいまだに再起不能に追い込んでいる。
フィールドに戻ると、桜とマギーの睨み合いが開始されている。桜は自分から攻めていこうとはせずにマギーが出てくるのを待っている。防具を外して身軽になった分だけ、本来のキレを完全に取り戻しているよう。
対するマギーは渾身のパンチを簡単に投げで返されただけに、より慎重に桜の隙を窺う。桜の打撃技が封じられた分だけ接近は容易になったものの、迂闊に近づいたら投げ技なり関節技なりの反撃を食らいかねない。桜に対する警戒感はマギーの心中では一向に減じることはないよう。
マギーが警戒する素振りを見せていると悟った桜は今度は自分から距離を縮めていく。パンチが届く範囲にわざと入っては、胴タックルを放って密着若しくは寝技に持ち込もうというフェイントを仕掛けていく。
マギーは桜の接近を嫌ってジャブを打ち出して牽制するが、桜は逆にその手を掴もうと手を伸ばしていく。これはどこかで見た記憶がある試合展開。時々テレビでも放映される総合格闘技の試合そのものの状況がこの決勝戦の舞台で起きている。けっして派手さはないが、格闘技通が好むようなスリリングな試合展開といえよう。
そして試合はついに大きく動き出す。
(こちらがパンチを放ってもどうせすべて回避される。だったらパンチを囮にしてイチかバチかで…)
パンチをフェイントにしてマギーのほうから胴タックルに入っていく。もちろん桜はタックルを切って、足元に潜り込んでこようとするマギーの上体を上から抱えるような形になる。
上背ではマギーが165センチで桜は150センチ少々と、体格はマギーが圧倒する。だが桜からがっちりと抱え込まれたマギーの体はビクとも動かない。いや、動けない。そのまま桜は徐々に腰に巻き付いているマギーの左手を抱え込もうとする。そうはさせじと、マギーは桜の腰を引き付けようと懸命に力をこめる。
だがレベルが3倍以上ある桜に対してマギーは抗することができずに左腕を抱え込まれていく。こうなるとマギーは圧倒的に不利。桜はそのままマギーの腕をロックすることも寝技に引き込むことも自由自在に可能。
マギーが右手一本で抱えている桜の腰はあっという間に振り切られて、マギーの命綱はついに断たれていく。桜は巧みにマギーの左手をコントロールしながら、体勢を横方向に変化させてマギーの左足を払う。
打撃を用いなくとも終始圧倒している桜はついにマギーの背後を取ったままで地面に寝かせることに成功。左手を極めながらさらに右手をマギーの首に巻き付けていく。そのうえ右足でマギーの右手を抑え込むと、もうマギーは抵抗できずに桜にされるがまま。
最後には、桜の両手がマギーの首に巻き付いてチョークスリーパー、桜流に言わせると裸締めがきまって、ついにマギーがタップする。
こうして地味な寝技の展開でこの決勝戦の勝敗が決する。打撃を自ら封じても圧勝する桜の強さだけが印象付けられる一戦であったといえよう。
「勝者、青!」
マギーのタップを見た審判が裁定を下すと、桜はすぐに両腕を外してマギーに手を貸して起き上がらせる。その瞬間に誰にも聞こえないような小声でマギーに一言だけ告げる。
「密着してようやくわかりましたわ。あなたも異世界に渡った人間ですね」
「な、なぜそんなことを!」
明らかにマギーが動揺した態度に変わる。
「体内に流れる魔力の波長とでも言いますか… 地球の魔力とは少々毛色が違いますからね」
「ということは、やはりあなたたち兄妹もそうなのかしら?」
「ご想像にお任せいたしますわ。どうせあなた方留学生はそれを調べに日本へやってこられたのでしょうから」
「全部最初から分かっていたのかしら?」
「いいえ、最初にあなたを見た時に何となく直感で感じただけです」
「それが知りたいから、わざわざこんな試合形式を申し出たの?」
「それもありますが、マーシャルアーツの使い手との対戦も楽しみだったんですの」
「そう… どうもありがとう。ちょっとは私も認められていたのね」
こうして桜とマギーは握手をしてそれぞれの控室へと戻っていく。その途中で…
「どうも、勝者に対する歓声が足りないですわ」
「地味だから! 決着が地味すぎて、見ているほうがどうリアクションしていいかわからないだろうがぁ!」
聡史の声だけが、しんと静まり返った会場に響くのであった。
最後までお付き合いいただいてありがとうございました。続きは明日投稿する予定です。次回は、個人戦も終わって合間のひと時のお話の予定…… かな?
このところ仕事が忙しくなっておりまして、毎日投稿するのが難しくなっております。週に1~2日お休みをいただく場合がありますので、どうかご承知おきください。




