40 秩父ダンジョン1
秩父ダンジョンは兄妹の家から電車で45分、そこからバスに乗り換えて15分程度の場所にある。もちろんその名の通りに秩父山地の入り口付近に所在しており、山のふもとの洞窟のような形でダンジョンの入り口が存在する。
さて、魔法学院に隣接する大山ダンジョンと比較して、ここ秩父ダンジョンには一般の冒険者の姿が数多くみられる。実はこのように各地のダンジョンは多くの冒険者を集めているのだが、大山ダンジョンだけは彼らから毛嫌いされている節がある。
その理由は、大山ダンジョンが現在確認されている国内のダンジョンの中で最大の規模を誇るということが一因となっている。大山ダンジョンの各階層の広さは3キロ四方となっており、他の国内ダンジョンの2倍の面積がある。となると下の階層を目指すにはおのずと時間がかかり、目的階層までの往復で大幅に時間を取られてしまう。
しかも3階層まではほとんど金にならないゴブリンばかりが出現するので、よほど酔狂な冒険者でなければ誰も寄り付かない、ある意味で冒険者泣かせのダンジョンなのだ。
その分学院生は他の冒険者に気兼ねせずにのびのびと腕を磨けるというメリットはあるにしても、閑古鳥が鳴く寂れたダンジョンという不動の評価は全国的にまったく揺るぎなかった。
対してここ秩父ダンジョンは、毎週土日となると500人近くの冒険者で賑わいを見せている。管理事務所には飲食コーナーも併設されており、アルコールの提供はないものの飲み物や秩父名物の豚みそ丼、地粉で打った蕎麦などを味わえるなど、観光地顔負けの設備の充実ぶりであった。
そして、午前10時過ぎに、聡史たちは管理事務所に入っていく。
「人が多いんですねぇ~」
「大山と雰囲気が全然違うわね」
「皆さん、やる気に満ちていますね」
ここに初めてやってきた明日香ちゃん、美鈴、カレンの感想が並ぶ。ほぼ学院生だけが入場する大山しか知らない三人は、これからひと稼ぎしようと目論む他の冒険者たちの熱気にあてられている。一攫千金を目指す鉄火場のような独特の雰囲気がここにはある。
受付カウンターに登録カードを提出して手続きを終えると、聡史がメンバーたちに振り返る。
「適当なクエストがないか探してみるから、みんなは飲食コーナーで待ってもらえるか」
「お兄様、了解しましたわ。ささ皆さん、どうぞこちらへ」
桜がいそいそとメンバーを案内する。目的は当然ながら名物の豚みそ丼であるのは言うまでもない。
女子たち四人が受付カウンターの奥にある飲食コーナーに入っていくと入り口から二番目のボックスに空席があり、各自が食券を購入して品物が運ばれてくるのを待っている。もちろん桜以外は飲み物しか頼んでいない。そこに…
「おいおい、久しぶりじゃないか。会いたかったぜ、桜の嬢ちゃん!」
席に座っている四人の頭上からコーナー全体に響き渡る大声。見上げてみればそこには、プロレスラーも真っ青になる体格の大男か立っている。
「おやおや、熊さん、どうもお久しぶりです」
顔見知りの桜は愛想よく挨拶をする。だが…
「おいおい、熊さんじゃないだろう。俺は半田だぞ」
「ああ、そうでした。パンダさんですわね」
「そうそう、目の周りと耳が黒くて笹が大好物の… って、違ぁぁぁぁう! パンダじゃなくて、半田だ」
明日香ちゃんにはバカウケ。こういう古典的な芸風が彼女のツボらしい。どうやら頼朝といい、この半田なる人物といい、桜はわざと間違えてからかっている節が窺える。どこかの「噛みました!」の小学生じゃないんだから。するとそこに…
「アンタ、若い女の子に鼻の下を伸ばしているんじゃないわよ!」
「イテテテテ」
半田さんの隣にはいつの間にかアラサーの女性が立って思いっきり彼の耳を引っ張っている。それはもう、まったく手加減とか容赦という観念は影も形も見られない。気の毒な半田さんは、涙目になって両手をバタバタするだけの哀れな姿。
「ああ、由香里さんもご一緒だったんですね」
「あら、桜ちゃんじゃないのよ! しばらく見なかったけどどうしたのよ?」
「魔法学院に入学しまして、大山に入っていました」
「そうだったの。たまにはこっちにも顔を出してよね。また一緒にクエストに挑みましょう」
「はい、よろしくお願いします」
ちなみにこのご両人はれっきとした夫婦である。この二人を中心として五人組のパーティーを組んで、秩父の事務所では知らない人はいない有名人であった。桜は気づかなかったが、パーティーメンバーが奥の席で待っているようで、そのまま半田夫妻は仲間のもとに去っていく。
そのまま席で聡史を待つが、中々姿を見せない。代わって今度は、あまり歓迎したくない輩が飲食コーナーに姿を現す。
金髪にピアス、魔物の討伐の邪魔になりかねない無駄なアクセサリーを手首に巻き付け、武器のナイフをこれ見よがしにひけらかす態度は、一般の冒険者からすると思いっきり浮いている。四人組の彼らは互いに目で合図をすると、桜たちが座っている席の前にやってくる。
「YO! そこの彼女たち。俺たちと一緒にダンジョンに入らない? 魔物なんか簡単に片づけちゃうYO!」
「一度魔物に襲われて、死んでから出直してもらえますか」
桜は取り付く島もなく斬って捨てている。こんなバカと一緒にダンジョンに入ったら、命がいくつあっても足りない。だが桜が口にしたフレーズに男たちの表情が変わる。
「おい、女だからって、俺たちは容赦しねえぞ! 素直に言うことを聞いておけよ」
「はて、どうしましょうか?」
桜が他の女子の様子を窺うと、全員が「この場はお任せします」状態。ここでひと暴れしてもいいが、桜はもっとスマートな方法を思いつく。
「熊さ~ん! こいつらしつこいから、ちょっと説教してもらえますか~」
「嬢ちゃん、熊さんじゃなくって、半田だぞ」
「なんでもいいですから、こいつらをお願いしますわ」
「おう、しょうがねぇなぁ~。おら、おめえらはこっちに来るんだよ。お~い、手伝ってくれ!」
半田さんは男たちの顔がスッポリと隠れるぶっとい腕を彼らの首に回して、二人の金髪を連れ去っていく。半田さんの後から同じような体格の仲間がやってきて、残った連中も飲食コーナーの片隅に連行される。その様子を観察すると、どうやら壁沿いに正座させられて某軍曹張りの形相で頭上から厳しい声を浴びせられている。
金髪ピアスたちは、強面プロレスラー集団に囲まれてガクブル状態。顔色は真っ青で、今にもチビリそうになっているよう。
桜たち四人は、その様子をニヤニヤして観察している。やがて5分が経過してようやく解放されると、金髪たちは逃げるように走り去っていった。するとちょうどそのタイミングで…
「おーい、お待たせ。あまりいいクエストはなかったな」
「いいえ、結構楽しめましたから問題ありませんわ」
何も知らない聡史が戻ってくるが、桜は詳しい経過を口にはしない。彼女の常識ではこの程度日常の茶飲み話にもならない些細な出来事に過ぎない。いちいち気にしていたら、ストレスが溜まってくる。
「それじゃあ中に入ろうか」
「お兄様、まだ豚みそ丼が届いていないので、もう少々お待ちください」
「しっかり朝飯を食っただろうに、なぜここで豚みそ丼なんだ?」
「次にいつ食べられるかわかりませんから」
こうして桜が食べ終わるのを待っていたら、時刻は11時近くになっている。予定よりもだいぶ出遅れたが、パーティーはゲートをくぐってダンジョンへと入る。
秩父ダンジョンの1階層と2階層は「魔物よりも冒険者のほうが数が多い」と言われるだけあって、通路のそこら中に冒険者の姿がある。1階層で腕を磨く初心者もいれば、下の階層に降りようとする者、逆に下の階層から昇ってくる者がひしめき合っている。
ある程度の腕がある冒険者が落ち着いて魔物と対峙できるのは3階層から下と考えてよい。
「今日は、軽く3階層を回って終わりだな」
「お兄様、最短距離で進めば3時間くらいは3階層で活動できますわ」
自分が余計な豚みそ丼を注文したのを棚に上げて先を急ぐ桜。約20分で2階層に到達して、さらに20分後には3階層までやってくる。ダンジョン自体がそれほど広くないので、下層に降りていく階段まで大して時間がかからないのが、秩父ダンジョン最大のメリットだ。
「桜ちゃん、ここはどんな魔物が出るんですか?」
「明日香ちゃんにしては大変珍しいいい質問ですわ。この階層は爬虫類系、ことにトカゲの魔物が多いんですの。まずは私がお手本を見せますから、その通りにやってみてください」
「わかりました」
金欠明日香ちゃんはいつになく張り切っている。トライデントを手にして気合十分の表情。デザートが最大のモチベーションになっているようで、初めてダンジョンに入ったあの頃と比べると、すっかり別人のよう。
「前からトカゲが来ましたわ。よく見ていてください」
「はい」
桜が前進すると、姿を現したグレーリザードは口を開きながら襲い掛かろうとする。トカゲ型の魔物としては最も下位の存在ながら、地面を這って進む速度はそれなりの速さがある。しかも体長が1.5メートルほどなので、パッと見は小型のワニのような迫力をしている
突進してくるグレーリザードを待ち受ける桜、その口が届く寸での処で(既の所で)サッと横に身を翻すと側頭部を蹴り付ける。たったその一撃で、グレーリザードは壁に叩き付けられて絶命した。
「ざっと、こんな感じですわ」
「マネできるはずないでしょうがぁぁ」
明日香ちゃん渾身のツッコミが通路に響き渡っている。こんな芸当を当たり前のようにこなすのは桜だけしかいないのだから、今回は明日香ちゃんの言い分に理がある。
「仕方ないですねぇ。それではもっと基本的な部分から教えましょう。グレーリザードは真っ直ぐにしか突っ込んできませんから、顔の正面に明日香ちゃんの槍を突き刺せば、まったく問題はありませんわ」
「そうだったらもっと早く言ってくださいよ~。一番大事なことじゃないですか」
こうして明日香ちゃんは初体験のトカゲ狩りに挑む。手にするトライデントは「すわ出番がやってきた」とばかりに全体が青く発光している。
「明日香ちゃん、来ましたよ」
「任せてください。えい!」
トライデントは、パックリ開いたグレーリザードの口に中に突き刺さる。
バチバチ
そして槍自体が電流を流しておしまいだった。
「なんだか呆気なく終わりましたよ~」
「教え方がいいんですわ」
こんなに簡単でいいのかという表情の明日香ちゃんと、その横でドヤ顔の桜。だがそこで明日香ちゃんがとあることに気が付く。
「桜ちゃん、魔石ではなくて変な物が落ちていますよ~」
「ああ、それは当たりですわ。グレーリザードの皮は魔石の10倍くらいの値段で買い取ってもらえるんですの」
「そうなんですか。ちょっとビックリですよ~」
明日香ちゃんは驚いているが、桜の説明は紛れもない事実。比較的安価な革鎧の材料となるこの皮は1枚で6千円相当で買い取ってもらえる。対して魔石は600~700円程度の価値しかない。冒険者にとっては、実は魔石などドロップアイテムとしてはハズレもいいところであった。
ピコーン
明日香ちゃんの脳裏にとある閃きが…
「桜ちゃん、桜ちゃん。この皮をいっぱい集めたら、パフェが食べ放題じゃないですよ~」
「ところが狙ってゲットできる物ではない点が厄介なんですわ」
グレーリザードの場合、皮がドロップする確率は約10パーセントと言われている。明日香ちゃんは初回にして運よく当たりを引き当てただけらしい。その後何回か試してみるが…
「うーん、今回もハズレの魔石でしたよ~」
とまあ、こんな調子。どこの世界にもビギナーズラックは存在するよう。
「明日香ちゃん、そろそろ私にもやらせてもらえないかしら?」
「ああ、美鈴さん。調子に乗って頑張っちゃいました。どうぞどうぞ」
満を持して美鈴が登場する。すでに百発百中のコントロールを身に着けた美鈴の前では、グレーリザード程度の魔物は全くの無力であった。
「ファイアーボール」
ドゴーン
「ファイアーボール」
ドゴーン
こちらも魔法1発で瞬殺の連続。しかも…
「美鈴さんは天才じゃないですよ~。2回連続で皮が出てきました」
こちらもビギナーズラックが炸裂する。だがこれ以降は魔石の連続で、まったく皮が出る気配はなかった。
「だいぶいい時間だから、そろそろ戻ろうか」
「そうですわね。ここまでお昼抜きで頑張りましたから上がりましょう」
午後3時が近づいてきたタイミングで、今日は早仕舞いにして戻ろうと昇り階段へ向かって歩き出す一行。
だが、隊列から一旦離れた桜が小声で兄に囁く。
「お兄様、いかがいたしますか?」
「誰かわからないが俺たちを追跡している。適当な場所に引き付けてから目的を吐かせようか」
「わかりましたわ。それでは人気のない場所にご招待しましょう」
聡史と桜は、先ほどから自分たちの後をつける人間に気が付いていた。聡史から方針を告げられた桜は、頭に思い浮かんだ地図を元に周到に場所を選んでいる。そしてダンジョンの外に出る前にこの階層でケリをつけようと、真っ黒なワルイ顔で罠を張り巡らすのであった。




