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39 閑話 美鈴の一夜

兄妹の実家に向かうと……



 学生食堂で夕食を終えた五人は、外泊許可を取ってから大急ぎで荷物をまとめて最寄駅から電車に乗っている。現在は、明日から二日間秩父ダンジョンにアタックするためにパーティーメンバー全員が兄妹の実家に向かっている最中となっている。


 聡史と桜の実家は、東京と埼玉の県境。すでに電車に乗車すること一時間以上経過しているが、依然として、ただ一人美鈴の胸中は未だに揺らいでいるのだった。



(あんなに大泣きして、本当に恥ずかしい… 聡史君に抱き着いて迷惑を掛けちゃったし、もしかしたら呆れられちゃったかもしれない)


 あまりにも理性のタガが外れていた自分の行動を振り返って、ズーンと効果音が響くぐらいに落ち込んでいる。彼女自身ひとりで3階層に向かった聡史が心配で心配で張り裂けそうであった気持であったところに、無事に戻ってきた彼の顔を見て感情が抑え切れなくなっていた。その結果、あのような突発的な行動に… 人前で思わず聡史に抱き着いてしまって、嫌われたとまでは思っていないが、自らの中で情けない気持ちが募っていく。


 だがそんな感情とは裏腹に、電車に乗ってからずっと美鈴の手は聡史と繋がれたまま。時折聡史の顔をチラチラと見上げるが、彼はずっと車窓の景色を眺めて特段の反応を見せずじまい。どうしていいのかわからない美鈴は、不安を誤魔化すために繋いだ手をギュッと握るしかなかった。



 午後9時前に、パーティーメンバーが乗り込んだ電車は目的の駅に到着する。



「それでは私は、自分の家に戻りますね。明日の朝9時に、ここで待っていますよ~」


 明日香ちゃんの家も同じ駅から歩いてほど近い場所にある。実家には娘を溺愛している父親と、小学校5年生の弟が首を長くして帰りを待っているので、今夜はこのまま自分の家に戻るそう。



「それじゃあ、また明日」


「はい、おやすみなさい」


 明日香ちゃんと別れた一行は10分ほど歩いて兄妹の家に到着。ドアのチャイムを鳴らすと、玄関には二人の母親が出てくる。



「まあ、美鈴ちゃん! 本当に久しぶりだったわね~。すっかりお姉さんになっちゃって」


「小母様、お久しぶりです」


 聡史の母親は久方ぶりに姿を見せた美鈴を相手にオバちゃんトーク全開。家族ぐるみで付き合っていたお隣さんの娘がこうして再び訪問したのを大喜びで迎えている。もう一人の娘が戻ってきたかのような歓迎ぶりだ。



「お母様、こちらはカレンさんですわ」


「はじめまして、神崎カレンです」


 桜から紹介されたカレンを母親は打って変わってボーっとした表情で見入っている。しばしの時間が経過して、ようやくハッとして我に返った。



「ごめんなさい。あんまりきれいな人だから、ビックリしちゃったわ。さあさあ、玄関で立ち話も何でしょうから、中に入って」


 こうしてリビングに通されて、ちょっとだけ晩酌していい気分になっている父親とも挨拶すると、荷物を置いてすぐに桜から順に風呂に入っていく。明朝それほどのんびりしていられないので、今夜は早めに休もうという話し合いの結果だった。



 しばらくして、風呂を終えた美鈴が聡史の部屋に入ってくる。髪を乾かしパジャマに着替えて、すっかり寝る態勢になって聡史を呼びにきていた。



「聡史君、お待たせしました。お風呂が空いたわよ」


「ああ、すぐに入る」


 聡史を呼びに来ただけかと思いきや、美鈴はそのまま部屋に入り込んで聡史のベッドに腰を下ろす。4年ぶりに入った聡史の部屋は、美鈴の目には全然変化がないように映る。



「聡史君、お隣には新しい家が建ったのね」


「そうだなぁ… 美鈴が引っ越した1年後ぐらいに、建ったような気がする」


 美鈴の表情には、お互いに別々の時間を過ごした寂しさが宿る。窓の外には自分たちが住んでいた家ではなくて、会ったこともない他人の家があるという事実が、彼女の胸に重たくのしかかっている。引っ越してからの4年間、別々に過ごした埋めがたい空白に対するやりようのない気持ちが、彼女の中で錯綜する。



「美鈴は全然変わってないな」


「えっ?」


 急に聡史が、昔を振り返るような表情で美鈴に語り掛ける。何のことかわからずに、美鈴は戸惑った表情を浮かべたまま。



「ほら、子供の頃に俺や桜が無茶をすると、いつも心配してベソをかいていただろう」


「あっ」


 美鈴の脳裏に、過去の様々な場面が思い浮かぶ。真っ赤な実を採るんだと言って高い木に登って降りられなくなった桜。いつも美鈴と一緒にいるとからかわれて男の子たちと取っ組み合いを始める聡史、そんな二人の姿をハラハラしながら見つめる自分。


 今振り返ってみると、確かに聡史が言う通りだった。



「美鈴は自分のことでは絶対に泣かないのに、俺たちを心配するときだけ大泣きしていたよな。だから今日、久しぶりに美鈴の泣き顔を見たら昔を思い出したんだ」


「うん」


 美鈴の心の中に、温かいものが流れ込んでくる。聡史がちゃんと覚えていてくれた… それだけで嬉しい。心が満たされるというのはこんな状態なのかなと、頭の別の部分で考えている。



「なるべく美鈴を泣かせないようにしたいとは思っているけど、これからも今日みたいな出来事があると思う」


「うん」


「でも俺は、美鈴が待っている場所に戻ってくるから、心配するな」


「うん… 聡史君、ありがとう」


 美鈴には、聡史の思いやりが伝わってきた。あれだけ人前で大泣きして迷惑を掛けても、聡史は全部わかってくれている… それだけで、今までくよくよ悩んでいた自分の胸の内が一気に晴れ上がるような気分になる。聡史が隣にいてくれる幸せを噛み締めたい。声には出せないが、そんな嬉しさで美鈴の胸はいっぱいに…



「それじゃあ、風呂に行ってくる」


「うん、いってらっしゃい」


 聡史が部屋を出ていった瞬間、美鈴は思わず緩んでしまう表情を抑えきれずに聡史のベッドにゴロリと横になる。子供の頃はしょっちゅうこのベッドに聡史と一緒に寝ていた。ひょっとすると自分の部屋よりもここにいた時間が長かったような気がする。



「うーん」


 寝っ転がったままで息を思いっきり吸い込むと、かすかに聡史の残り香が鼻腔をくすぐる。ここは、幼い頃の美鈴にとって一番落ち着ける場所。そしてたぶん、今でも…


(空白なんて、どこにもなかったんだ)


 確かに会えない期間はあった。でも、二人は思い出を今でも共有している。そして、これからも…


 そう考えるだけで、頬が火照ってくる感覚が伝わる。



(今日は色々あったなぁ…)


 聡史の枕に顔を埋めて、美鈴は目を閉じる。頭の中を今日一日の様々な出来事が駆け巡るが、それとは別に次第に美鈴は微睡みに引き込まれていく。そのまま、いつの間にか聡史のベッドでグッスリと寝込んでしまった。





    ◇◇◇◇◇





 風呂から上がった聡史が自分の部屋のドアを開くと、電気をつけっぱなしのままで自分のベッドに寝ている美鈴の姿がある。



「あーあ、占領されてるよ」


 後頭部を掻きながら、まいったなぁ~… という表情を浮かべる聡史。仕方がないので、美鈴にタオルケットを掛けてから電気を消して部屋を出ていく。


 そのままリビングのソファーに小さくなって、聡史は一晩明かすのだった。





   ◇◇◇◇◇





 翌朝、パタパタ階段を下りてくる足音が響く。



「聡史君、なんで起こしてくれなかったの」


「うん? ああ、美鈴か… 気持ちよさそうに寝ていたから、起こすのが気の毒だった」


 聡史がリビングのソファーから体を起こして、まだ眠そうな表情で答えている。そこに、ちょうど起きてきた桜とカレンが姿を現す。



「おや、お兄様は、リビングで寝ていたのですか? ということは、いつものようにベッドを美鈴ちゃんに占領されたんですね!」


「見ての通りだ」


 いかにも当然というこのやり取りに、カレンは不思議そうな表情を浮かべる。



「美鈴さんは、聡史さんの部屋で寝たんですか?」


「ね、寝たかったわけじゃないんだからね。気が付いたらグッスリ眠っていただけよ」


「どおりでいくら待っていても客間に戻ってこないわけですよね~。私も待ちきれなくって先に寝てしまいました」


 カレンは呆れ顔で美鈴を見ている。その横では、聡史が大きく伸びをしてソファーから起き上がる。



「あー、なんだか狭い場所で寝たから節々が痛むぞ」


「聡史君、ご、ごめんなさい」


 平謝りの美鈴、顔が真っ赤になっている。



「カレンさん、美鈴ちゃんがお兄様の部屋に寝るのは別に不思議でも何でもありませんわ。子供の頃から自分の部屋よりもぐっすり眠れると言っては、毎晩のように泊まりに来ていたんですから」


「桜ちゃん、昔のことをバラさないで!」


 美鈴が焦った表情で唇に人差し指を当ててシーというゼスチャーをしても、もう後の祭りであった。カレンがジトーっとした目を隠そうともせずに美鈴に向ける。




 こうして朝食を終えてから、準備を整えて一行は待ち合わせ場所の駅の改札へと向かう。すでに明日香ちゃんは到着しており、手を振ってメンバーを迎える。



「皆さ~ん、昨夜はグッスリ眠れましたか? 私は久しぶりの実家で、自分のベッドで爆睡しましたよ~」


 何も知らずに放たれた明日香ちゃんの言葉に、聡史、桜、カレンの三人は、まじまじと美鈴の顔を見つめるのだった。

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