38 騒動の顛末
ゴブリン・ロードを倒して……
転移の渦に巻き込まれないようにアテもなく走っていた兄妹は、いつの間にか2階層に昇っていく階段の付近までやってきていた。階層の反対側にいる上級生たちをこのまま放置できないので、メイン通路を歩いて4階層へ降りていく階段目指して引き返していく。
避難所と化した階段にいる上級生たちの様子を見る限り、あの光の渦による大規模な吸引現象は特に影響を及ぼしてないよう。ひょっとしたら各階層を繋ぐのは普通の石造りの階段に見えても、それ自体が別の空間として存在する場所と位置付けられているのかもしれない。だからこそ、よほどのことがない限りは魔物が侵入してこない安全地帯となっているのであろう。もっともこの話はダンジョンの七不思議の一つとなっており、階段にほとんど魔物が現れない理由はいまだに解明されていない。
階段に戻ってきた聡史たち兄妹の姿を見て、上級生たちは期待に満ちた表情を向ける。
「おお、無事に戻ってきたか! いきなり姿が消えたから、どこに行ったのかと心配したんだぞ」
「さっきまでは一人だったのに、なんで二人いるんだ?」
今まで聡史と桜が何をしていたかなど、上級生たちにとっては想像の埒外であろう。その中身を知らぬままに彼らはただ単に恩人が無事に自分たちの目の前の戻ってきたと、手を叩いて喜んでいる。
「どうやらゴブリンの異常発生は解決したが、まだ余韻が残っているから普段よりも注意して歩く必要はある。とはいえ、もうこのまま外に出ても大丈夫だろう」
「本当なのか! それは良かった」
「おーい、4階層で待っている連中にも声を掛けてくれ!」
命からがら退避してきて2時間近くこの場に待機していた上級生たちは、ようやく外に出られると聞いて肩を叩き合って歓声を上げている。1年生に比べたら多くの場数を踏んでいるとはいえ、今回のような大きな危機に見舞われた経験がなかった。それだけに、無事にダンジョンを脱出できる嬉しさを心の底から噛み締めている。
聡史が救助の手を差し伸べた上級生と、先に4階層や5階層に降りていて今回の一件に直接関わらなかった生徒が戻ってきて、総勢150人以上に膨れ上がった学院生の集団がメイン通路を帰っていく。
先頭には桜が立って最後尾を聡史が務める長い隊列は、約2時間後に無事に地上へと戻っていった。
その頃、ダンジョン管理事務所は物々しい雰囲気に包まれていた。屋外の駐車場には、最寄りの伊勢原駐屯地から駆け付けた装甲車と兵員輸送車が並び、小銃だけではなくて携帯型ロケット砲や重火器まで持ち込んで、厳重な警戒態勢を執っている。
これは、事務所に第一報をもたらした桜から「大発生の可能性がある」という情報をもとにして、ダンジョンから溢れ出てくる魔物を市街地に向かわせないように政府が事前に策定済みの措置となっている。大袈裟なように思われるだろうが、政府並びにダンジョン対策室が策定したマニュアル通りの出動。
このマニュアルに沿った自衛隊の基本方針は、ダンジョンの内部は冒険者に任せて自分たちは重火器を使用できる強みを発揮しつつダンジョンの外側で待ち受ける即応態勢を整える事にある。すでに攻撃ヘリまでが各駐屯地からいつでも飛び発てるように、対魔物用の弾薬をやミサイルを積み込んで待ち構えている。
そんな大騒ぎとなっている事務所に、出場ゲートを潜って桜を先頭とする魔法学院生たちがゾロゾロと戻ってくる。
「ゴブリンの大量発生は、もう解決しましたわ。詳しい話は、一番最後の私の兄から聞いてください」
「へっ?! 解決した?」
桜はまっすぐにカウンターに向かって、慌ただしく電話対応に追われている職員に報告するが、急にそのような話を聞いても要領を得ない職員は頭の上に???を浮かべるだけ。
すると、そこに…
「来たぞぉぉ」
「英雄の凱旋だぁ」
「助かったぜ」
「ありがとう、恩に着るよ」
ゲートの方向から響く歓声とともに、口々に感謝を伝える声が飛び交っている。桜が建物の曲がり角から様子を覘くと、最後にゲートをくぐった聡史を上級生たちが取り囲んで肩を叩いてその活躍を称えている。
ひとりの上級生が、聡史に向かって右手を差し出して握手を求める。
「俺は3年Aクラスの近藤勇人だ。こう見えても、ついこの間まで生徒会長を務めていた。どうか命の恩人の名前を聞かせてくれ」
聡史に話しかけている近藤勇人はゴブリン・ロードほどではないが、ガッチリとしたマッチョ体型をしており、上背も聡史より頭一つ高い。
彼が「こう見えても前生徒会長」と自身を謙遜したのは、どこからどう見ても体育会系の人間にしか見えない自分の外見を少々おどけて表現したゆえ。その見てくれのおかげで「類人猿に最も近い生徒会長」という異名を持つ3年生だが、誰にも慕われる豪放磊落な人柄と正義感は衆目の一致するところ。
「恩人などと呼ばれるのは気恥ずかしいので、止めてもらっていいですか。俺は、楢崎聡史です」
聡史は、まいったなぁ~… という表情で後頭部を掻きながら差し出された手を握る。面と向かってこのように人様から褒められるシチュエーションが、彼にとっては何よりも苦手であった。
「そうか… 楢崎だな。今回は本当に世話になった。1年生ながら、お前の信じられない勇気と能力には驚かされたぞ」
「人の命が懸っていましたから、必死になっていただけです」
「まったくそうは見えなかったな。お前は悠然と上級生を指揮していたじゃないか」
イタズラっぽい目で見られていても、聡史はまったく嬉しくない。視線の主がジャングルのボスゴリラのような元生徒会長なのだから。女子の先輩であったら聡史も違う感情が湧いたかもしれないが、男臭い視線は聡史の嗜好の範疇ではなかった。
だがそんな聡史の思いとは別に、なおも勇人は続ける。
「もし学院内で何か困ったことがあったらいつでも相談してくれ。元生徒会長の肩書きのおかげで、そこそこ教員にも顔が利くから、力になる」
「ありがとうございます。何かあったら相談します」
勇人は「そこそこ顔が利く」と言っているが、彼は実は、教員の間では絶大なる信頼を得ているのだった。それは何も生徒会長の肩書きばかりではない。外見とは全く不釣り合いなくらいな他人に対する細やかな配慮と、外見通りの並外れた度量の大きさを併せ持つ、いわば傑物と言って差し支えない。明治維新の偉人になぞらえて、西郷隆盛二世と密かに囁く教員も存在している。
手を振って学院に戻っていく上級生を見送ると、今度は管理事務所の職員と自衛隊の担当官が聡史を取り囲む。そこから長い事情聴取が開始される。
2時間後…
「いやー、やっと終わったな」
「お兄様、私まで事情聴取に巻き込む必要はなかったのでは?」
「いやいや、最初に事務所に異常発生を報告したのは桜だから、一緒に話を聞きたいと言われたんだよ」
「まったく、とんだ時間の無駄でした」
桜はまだ納得がいってないよう。面倒な事情聴取など兄に任せて食堂にオヤツを食べに行こうと思った矢先だっただけに、不機嫌になるのも無理はない。
事情聴取で聡史は、結局ゴブリンの異常発生はゴブリン・ロードの出現が原因となったという内容の話で押し通した。証拠として持ち帰った魔石と大剣を事務所に提出して、自衛隊関係者にも了承を得ている。
魔石は政府が引き取って研究用に保管されるらしい。鑑定に時間が必要なので買い取り代金は後日銀行振り込みとなり、すでに口座登録の手続きを済ませている。アイテムの買い取りは基本現金払いなので、振込扱いになるというのは相当高額な評価が期待できる。
大剣も研究用として自衛隊がトラックに載せて運んでいった。刃渡り3メートル、重量が200キロはある金属の塊は10人掛りでも持ち上げるのは危険なので、クレーンで釣り上げられて荷台に載せられてから、駐屯地にドナドナされていった。そもそも大きすぎて誰も引き取り手はないだろうということで、同じ重量の鉄屑と同じ代金であったのはちょっと悲しい。
ようやく解放された兄妹は、管理事務所を出て学院に向かう。二人で歩いていると、桜がスマホを取り出して通話ボタンを押す。
「もしもし、明日香ちゃんですか? はい、無事に外に出てきましたから心配はいりませんわ。わかりました、食堂で待ち合わせしましょう」
桜の話によると、明日香ちゃんは美鈴やカレンと一緒に食堂にいるそうだ。兄妹の無事を祈りながら待ってくれていたらしい。
二人は学院に戻って、その足で直接食堂へ向かっていく。まだ午後5時前で夕食時間に早かったので、生徒の姿は比較的少ない。
食堂の入り口に二人が姿を現すと、一斉に席を立ってこちらに駈け寄ってくる3つの人影がある。その影の主はもちろん美鈴、明日香ちゃん、カレンであった。
中でも美鈴は、顔を涙でグシャグシャにして、聡史に向かって一直線。そのまま勢いを殺さずに聡史に胸目掛けて飛び込んでいく。
「聡史く~ん! 本当に無事で…」
そこから先は声にならなくて、ワーワー大声で泣きじゃくっているだけの美鈴に、聡史は当惑の表情を浮かべたまま立ち尽くす。
「美鈴、そんなに心配しなくても、俺なら大丈夫だ」
「でも、でも…」
泣きながら縋り付く美鈴と、何とか宥めようとする聡史。もちろんこんな感動の対面を食堂の入り口でカマシていれば、当然周囲の目を引くこととなる。
「一体どうした?」
「泣いているのは、もしかして副会長か?」
「まだ夜には早いんじゃねぇ?」
とまあ、このような具合に興味本位の声が各所から上がる。だがそんな声など耳に入らない美鈴は「二度と離すものか」と、いつまで経っても聡史にしがみ付いたまま。
いきなり目の前で発生した美鈴の大胆行動に、桜、明日香ちゃん、カレンの三人はその場でフリーズしている。だがしばらくすると、明日香ちゃんの好奇心レーダーにアンテナが3本立つ。
「お兄さん、今のお気持ちを一言どうぞ!」
雰囲気に配慮して小声ではあるが、聡史に聞こえる声でマイクを向ける仕草… 聡史は小さく首を振ってノーコメントを貫く構え。
だがさらに明日香ちゃんが畳み掛ける。背後にはレポータースタンドが浮かび上がって、一歩も引かない明日香ちゃんの気合が聡史に届く。
「ムリ! 今ムリだから」
「そこを何とか! お兄さん、一言お願いしますよ~」
なおも、聡史と明日香ちゃんの小声のやりとりは続く。その間美鈴は、嗚咽を漏らしながら聡史に力を込めて抱き着いたままだ。
一方、桜はといえば…
「カレンさん、アホらしいから、席で待っていましょうか?」
「桜ちゃん、そうしましょう! 巻き込まれてしまわないうちに…」
二人が席に戻ると、明日香ちゃんも何かにハッと気づいた様子で、レポーター業は放棄して席に向かう。
「桜ちゃん、忘れていましたよ~。私も桜ちゃんが心配で、オヤツが喉を通らなかったんです」
「明日香ちゃん… 確か昨日は『お小遣いが無い』って、言っていましたよね」
「はい、だからオヤツが喉を通らなかったんです。今日ダンジョンでお小遣いをゲットしようと思っていました」
「言葉の使い方を間違えていませんか?」
「細かい事は気にしないでください。それよりも、あんな騒ぎで何もゲットしないうちにダンジョンを追い出されました」
「どうするつもりなんですか?」
「明日こそダンジョンに入って、お小遣いとデザートをゲットですよ~」
明日香ちゃんが、力強くコブシを握り締めている。このままではデザートを口にできないので、必死になっている様子が伝わってくる。だが…
「明日香ちゃん、残念ですが、当分ダンジョンは立ち入り禁止になりました。安全が確認されるまでは、私たちは入場できませんよ」
「そ、そんなぁぁぁぁ」
ガーンという効果音が聞こえるくらいに、明日香ちゃんはガックリしている。心の底からガックリしている。これ以上ない程にガックリしている。だが、この娘の立ち直りは尋常なく早い! 光の速度すら優に超越可能だ。
「それでは仕方がありませんね~。当分の間、桜ちゃんにたかります」
「は?」
「桜ちゃんにたかりますから、早くデザートをご馳走してください」
「言っている意味が分かりませんわ」
「桜ちゃん、深く考えないでいいですから早くご馳走してくださいよぉ~。デザート友の会の会員を失ってもいいんですか?」
「私は入会した覚えはないんですけど」
こうして明日香ちゃんは、無事に本日のおススメとなっている抹茶クリームあんみつを桜から勝ち取る。
桜と明日香ちゃんがデザートを食べ終わる頃、聡史に連れられて美鈴が席に戻ってくる。泣き腫らした顔を隠すように、俯いたままで聡史の隣に座っている。
ちなみにカレンも桜からオヤツに誘われていたが、夕食が近かったので飲み物だけを自分で自販機から購入している模様。そんなに度々明日香ちゃんに付き合っていると、自身の体重の心配をしなくてはならなくなる。
ようやく全員が揃ったので、聡史が何か言おうとするのを制して桜が切り出す。
「皆さん、明日から当分、ダンジョンが閉鎖になりますわ。このままでは金欠の明日香ちゃんに毎日たかられる私が困るので、何かいい案があったら発言してください」
「はい!」
「明日香ちゃん、どうぞ!」
「明日から土日ですから、よそのダンジョンに行くのはどうでしょうか?」
「採用します! お兄様、今夜のうちに家に戻って、明日から秩父ダンジョンにアタックします」
「お前ら、絶対打ち合わせていただろうがぁぁぁ!」
聡史に突っ込まれても、桜は方針を変えるつもりなどまったくない態度。すでに秩父ダンジョンアタックに向かって心の中が燃え上がる桜に引っ張られるように、五人は早めの夕食を取ってから荷物を準備して、兄妹の実家へ急遽向かうのだった。
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