334 働く大魔王様
どこかで聞いたようなタイトル? いいえ、気にしてはいけません。
舞台はブラック企業と化した魔王城に戻る。魔法使いたちに「ひとりにつき10枚の模写が終わるまで部屋から出るな」という過酷な業務命令を下した美鈴だが、実はあの複雑な魔法陣の模写が無事に完成するにあたってちょっとした秘話がある。
魔法陣の模写を命じられた翌日、美鈴の元に魔法使いの責任者が出頭してくる。
「運搬ゴ-レムに必要な魔法陣の作成が予定通りに進んでいないようね」
「大魔王様、大変申し訳ありません。部下たちも必死に模写に取り組んでおりますが、何しろ我らの理解を超える難物でして、遅々として進まないのが現状でございます」
納期を守らせようと社員にサービス残業を強いる上層部と、現場を直接見ている中間管理職との間に生じる日本でもよくある軋轢がここでも発生中らしい。だが国中の民の食糧危機が間近に迫っているだけに、美鈴は一切妥協する姿勢を見せようとはしない。
「私の故郷では社員が何日も会社に泊まり込んで納期までに仕事を完了するのが当たり前よ。ちょっと認識が甘いんじゃないのかしら?」
「そ、そんなことはございません、全員が必死になって魔法陣に取り組んでおりまする」
責任者がいくら現場に発破をかけようとも出来ないものは出来ない… このように訴える中間管理職はまだまともなほうだろう。現場だけに責任をおっ被せて素知らぬフリをする輩が多々いるのは紛れもない事実。責任者の表情に苦悩の色が滲み出ている。だが美鈴もそこまで鬼ではないので、ひとつの案を提示する。
「仕方がないわね~。この国の魔法使いたちの作業能力を高く見積もりすぎていたようね。だったらやり方を変えましょう」
「やり方を変えるのでございますか。して、いかように変更いたしますか?」
「完全分業制にするわ。魔法陣の各パートをすべて分割して、ひとりの魔法使いはそのパートだけを描き続けなさい。出来上がったら次の担当者に引き渡して続きを描いていくのよ」
「そのような方法ですと逆に手間がかかるような気がいたしますが」
「ずっと同じ作業をしていたら自ずと作業効率が上がってくるわ。それに流れ作業は大量生産の基本ですからね」
「はは、承知いたしました」
とまあこのような経緯を経て、足掛け4日で美鈴が要求した魔法陣100枚の模写が完成する。確かに効率は上がったが、作業していく魔法使いたちの負担が減ったわけではない。むしろ作業に習熟するにしたがって今度は仕事の単調さとの戦いが始まる。すべて終わる頃には精魂尽き果てた魔法使いの形をした燃え尽きた物体が床に多数転がっている有様だった。
ちなみに作業の途中のキリのいい段階で、魔法陣が何枚か書き上がるごとに美鈴の手元に運ばれては細かな点がチェックされていく。当初は手直しを求められるケースも多々あったが、分業による流れ作業が確立されると不具合が大幅に減少していった。やはり同じ作業を繰り返していくと熟練度が上がって品質が向上していくよい例といえよう。
チェックが終わると魔法陣は石材が積み上げられている場所に持ち込まれて、即座にゴーレムの生成に取り掛かる。出来上がったゴーレムはそのまま軍の輜重部隊に引き渡されて、作動チェックが済み次第に荷車に荷物を載せて20台が一個中隊を組んで他の街までの輸送に取り掛かる。
従来の荷馬車だと1台当たりの積荷は精々400キロ程度。だがこのゴーレムの馬力であったら1トンまでの加重に耐えられる仕様。そのうえ速度も上々となると輸送効率が大幅に上昇する。これまで最も遠いデルッヘの街まで往復で6週間を要していたのが、その半分で戻ってこられるようになった。おかげで今年の食糧危機は何とか乗り越えられる目途が日を追うごとに明確になる。もちろん援助を受け取った街の住民から大魔王様宛に熱烈な感謝の言葉が伝えられたのは言うまでもない。
こうして食糧危機に対処すべく輜重部隊が躍起になって活動を開始した頃、クルトワと明日香ちゃんは今日も今日とて朝から部屋でお菓子三昧の日々。朝食を終えてまだ間もないにも拘らず、お茶とクッキーで優雅な時間を過ごしている。
だがそのお気楽タイムは、ひとつのドアのノック音で消え去っていく。
「クルトワ殿下、そして従者の方、大魔王様がお呼びです」
「わかりました。すぐに出向きます」
「もう、美鈴さんったら急に何の用なんですか」
大魔王様のお呼びとあらば何を置いても駆けつけるのが臣下の務めとばかりにキリリとした表情に打って変わるクルトワと不平不満を絵に描いたような顔の明日香ちゃん。お菓子を食べ終わるまで動かないと主張する明日香ちゃんの手をクルトワが無理やり引っ張るようにして美鈴の執務室へと出向いていく。
「大魔王様、いかがな御用でしょうか?」
「美鈴さん、ヒドイですよ~。せっかく優雅なお茶の時間を楽しんでいたのに」
畏まった態度のクルトワと膨れっ面気味の明日香ちゃん。たぶん明日香ちゃんの機嫌が悪くてこんな顔になっているのだろう。お菓子の食べ過ぎで顔がナチュラルに膨れているのではないと信じたい。
「実は二人にお願いがあるのよ。運搬用ゴーレムの燃費が当初の想定よりもどうやら良くないみたいなの。原因はおそらくデコボコ道にあると考えられるんだけど、今更道を造り直しているわけにはいかないのよ。そこでもっと内包する魔力が高い魔石を大量に確保する必要が出てきたの。というわけで、二人にはダンジョンに入って巨人種やレッサードレイククラスの魔石を確保してもらえるかしら」
「大魔王様のご命令とあらばこの命を懸けて務めを果たします」
「美鈴さん、面倒くさいですよ~」
対照的な反応を見せる二人だが、明日香ちゃんのヤル気のなさなど美鈴の想定の範囲内。ちなみにクルトワはデビル&エンジェルと同行してミノタウロス程度なら討伐経験はあるものの、さらに手強いサイクロプスやトロルといった巨人種やより強力なレッサードレイクと対峙した経験がない。そうなると必然的に頼りにすべきは明日香ちゃんなのだが、ここ最近怠惰な日々が続いたおかげでまったくヤル気なしのニート生活に精を出している。この辺で渇を入れておかないと大変なことになるのは言うまでもない。もちろん体重的に。
「そうなのね… 明日香ちゃんがそう言うのなら仕方がないけど、この件は帰ってから桜ちゃんに報告しないといけないかしら」
「さ~て、なんだかヤル気が出てきましたよ~。クルトワさん、ダンジョンに行きましょうか」
コロッと態度を変える明日香ちゃん。目の前にいなくとも、桜の名前を出すだけで抜群の効果を発揮するよう。だがこの明日香ちゃんの手の平返しには、桜の名前を口にした美鈴のほうが驚いている。同時に普段桜がどのようなシゴキを明日香ちゃんに課しているのかを思い、なんだか遠くを見遣る目になるのは言うまでもない。
ということで大容量のマジックバッグを手渡されて、騎士団の精鋭を10名ほど引き連れて魔王城を出発する二人。この分ならおそらく明日までには必要な魔石が手に入ると信じたい。
「明日香ちゃん、何階層を目指すんですか?」
「そうですね~、まずは体を慣らす意味で22階層に行ってみましょうか」
ナズディア王国のダンジョンも基本的には日本にあるダンジョンと同じ造りとなっている。というよりもこの世界のダンジョンを参考にしてレプティリアンが創り出したと考えられる。階層ごとに登場する魔物もさほど大差はないので、クルトワや騎士団が慣れる意味でミノタウロスが出てくる階層からスタートするらしい。だがこの話を訊き付けて驚くのはクルトワの護衛役で付いてきている騎士団員たち。
「殿下、いくら大魔王様のご命令とはいえ、いきなり危険すぎます」
「そうです。万が一殿下のお体に何かあったら、我々はどう責任を取ればよろしいのでしょうか」
当然ながら騎士団とてこのような深い階層に入り込んだ経験などない。自分の身すら守れるかどうか怪しいのに、クルトワの護衛どころの騒ぎではないだろう。
「大丈夫ですよ~。深い階層の魔物とはいっても、倒し方のコツさえ掴めればオークとそんなに変わりませんから」
「しかし、従者殿…」
明日香ちゃんの呑気な声に反論しようとする騎士をクルトワが遮る。
「心配しないでください。ミノタウロス程度でしたら私も討伐経験があります。それにこう見えても明日香ちゃんはとっても頼りになりますから安心して任せましょう」
「頑張りますよ~! その代わりお城に戻ったらお菓子の大盤振る舞いです」
こんなセリフを口にするものだから、騎士たちは「本当に大丈夫なのか?」という疑念を漏れなく抱いている。というよりもこれからダンジョンの深い層に入り込むとは思えない明日香ちゃんのあまりにお気楽な態度に不安を抱かない方が無理というもの。
ところが実際に22階層に下ってみると…
「私が動きを止めますから、皆さんでトドメを刺してくださいよ~」
と言いつつ、トライデントから稲妻を迸らせてはあっという間にミノタウロスを感電させて床に転がしている。電流によって体を痙攣させているミノタウロスは、数人掛かりで剣を突き立てられてその場でいとも簡単に絶命していく。
「スゴイ、これなら大魔王様の命令を何とか果たせるかもしれない」
「まさか従者殿がこれ程の使い手だなんて予想外過ぎる」
明日香ちゃんの手際の良さに目を丸くする騎士たち。だがクルトワが彼らに言ってのける。
「そこの騎士たち、明日香ちゃんに対して失礼にも程がありますよ。そもそも大魔王様が従者に任命したんですから、それなりの手練れに決まっているでしょうに」
「殿下、大変ごもっともでございまする。我らの認識が間違っておりました」
普段の生活態度があまりにダラけているので見落としがちだが、明日香ちゃんは大山ダンジョンのラスボスとの通算対戦成績が2勝15敗。思いっきりラッキーが重なったとはいえ、過去に二度も単独でヒュドラを倒している。ちなみにラスボスを単独で倒すなどという偉業を達成したのは、聡史、桜、美鈴、カレン、そしてあの怪物ジジイだけというとんでもない大記録と言って差し支えない。その能力に騎士たちの見る目が変わるのも、なるほど頷ける話。だが当の明日香ちゃんはそんな騎士たちの尊敬の眼差しなど一向に気にする素振りもない。
「そんなことよりも美味しいお肉が落ちていますよ~。いっぱい回収して今夜はステーキパーティーにしましょう」
「明日香ちゃん、ナイスアイデアです。皆の者もご相伴にあずかるように大魔王様に口添えしておくから、最後まで頑張ってください」
「なんという光栄なお話」
「騎士団の名誉にかけて最後まで戦い抜きますぞ」
見たことないような上質な肉がドロップアイテムとして登場。この食材を用いてパーティーを開くなど一介の騎士には夢のような話。同時に大魔王様が列席するパーティーへの出席とあらば、彼らのテンションが爆上がりなのは言うまでもない。いまやその士気は天井知らずの勢いに達している。かくしてミノタウロスを倒しつつ、大量の高級肉と魔石を確保していく。
「階段がありましたよ~」
階段を下りた23階層からはミノタウロスに混ざって時折巨人種の魔物が登場するが、これも明日香ちゃんの先制攻撃によって身動きを封じられてあっという間に討ち取られていく。トライデントは久しぶりに思いっ切り暴れるチャンスを得て青い光を発しながら獅子奮迅の働きを見せている。騎士団たちはトドメを刺すだけの実に簡単なお仕事だ。
かくして即席パーティーは25階層のボスのギガンテスも容易に倒して26階層へと。この間約4時間ほどが経過している。ここからは通路に出現するレッサードレイクを同じような方法で片っ端から狩っていき、大量の魔石を手に入れたところで悠々と地上に戻る。こうして無事に任務を達成した明日香ちゃんとクルトワはなんだか上機嫌。
「クルトワさん、お肉とお菓子が待っていますよ~」
「今日一日いい仕事をしましたから、お腹いっぱい食べましょう」
やっぱりご機嫌な原因は城に戻ってからのお菓子だった模様。とはいえ先頭を歩く笑顔の二人に釣られるように、騎士団たちの顔が思わず綻んでくる。こうして日が暮れるギリギリの時間に魔王城に戻ってきた一行は、約束通りステーキパーティーで思う存分お腹を満たしていくのだった。
◇◇◇◇◇
食料を山積みした荷馬車が次々と魔王城を出発するのを見届けると、美鈴の表情はこれで一安心という様子に。だが一仕事終えたとはいっても、ここで立ち止まるわけにはいかない。すぐにエリザベスに準備させていた次の仕事に取り掛かる。
美鈴が命じた新たな仕事とはこれ以上城の人間を酷使することではないようで、どうやら魔王城の外に出掛けていく雰囲気。車止めには20台以上の馬車が整然と出発の準備を整えている。もちろんこちらの馬車は通常の馬が引く屋根付きの豪奢な仕様となっている。
ズラリと並ぶ馬車に乗り込むのは大魔王様を先頭にして聡史とエリザベス。クルトワと明日香ちゃんは代理の謁見とダンジョンでの魔石の採取を継続してもらうので今回は魔王城に居残りとなっている。謁見は1日おきに組まれているので、空いている日はダンジョンに出陣と相成る結構ハードなスケジュール。やはり美鈴はこの二人を休ませようとは小指の先ほども考えていないらしい。その方が明日香ちゃんの生活態度を改める意味でも望ましいに違いない。
美鈴たち以外にその他の馬車に乗り込むのは農業や土木の担当を務める役人たちと、つい先日魔王城に招集されて連日酒盛りを繰り広げて上機嫌なドワーフたち。もちろん彼らのために酒樽を積んだ馬車も車列に加わっている。
大魔王様が乗車する馬車の車中では、エリザベスが今ひとつ要領を得ない表情で美鈴に問い掛けている。
「大魔王様、ご命令通りに馬車を仕立てましたが、いかような目的で城を離れるのでございましょうか?」
「まあそれは追々話をするわ。ひとまずは元々の東イーラ河が流れていた場所に案内してもらえるかしら」
「承知いたしました。全体出発せよ」
ということで馬車の一団は魔王城にほど近い場所にある500年前に流れが変わったせいで枯れ果てた河の跡が残る原野へと向かっていく。昔はこの国でも一番の穀倉地帯だったそうだが、到着してみるとそこは元々は本当に河だったとは思えない景色。多くの歳月を経る間に周囲から流れ込んだ土砂で埋まった幅30~40メートルほどの細長い窪地がどこまでも続く光景がある。
「なるほど… 確かに遥かな昔に干上がってしまった河の跡地ね。想像していた以上に土砂で埋まってしまって、このままでは使い物にならないわね」
「大魔王様、干上がってしまった河にいかような使い道があるのでしょうか?」
頭に???を浮かべたエリザベスが美鈴に質問をぶつけている。自然の力に対して美鈴が何をしようというのかまったくわかっていないよう。
「エリザベス、あなたは元々軍人でかつ政治の才能もあるわ。でもさすがに土木は専門外なのも無理はないわね。さて、口で説明するよりも見てもらった方が早いわ。この場所では巻き込まれてしまいかねないから、馬車をもっと後ろに下げてもらえるかしら」
「承知したしました」
ということで美鈴が何を始めるのかもわからないまま、エリザベスは馬車を100メートルほど後方へ下げさせる。準備が終わったのを見届けると、美鈴の周囲には夥しい魔力が充満し始める。
「大魔王様、魔法を行使なされるのですか?」
「ちょっと集中したいから、終わるまで黙って見ていなさい」
エリザベスにやや厳しい表情を向けて口をつぐませる美鈴。十分に魔力の集中を終えたかと思ったら、その口から今まで聞いたこともない術式名が飛び出していく。
「大地烈尖」
美鈴の周囲に充満した魔力がその言葉に従って枯れた河の底に向かって縦長の形状を保ったまま飛翔する。そして一か所からすべての魔力が地面に潜り込んだかと思ったら、地面の底から鈍い音が響いて小刻みに揺れ始める。
「な、なんと地鳴りか!」
日本とは違ってナズディア王国で地震の発生などまずを以って起こり得ぬこと。それが突然地面が揺れ出したものだから、その恐ろしさに魔族やドワーフなど種族を問わず血相を変えて地面にひれ伏している。この場に両足で立っているのは揺れを引き起こしている張本人の美鈴と隣で平然としている聡史だけ。あの女傑と謳われたエリザベスさえも地面に尻餅をついている。
次第に地面の揺れが大きくなり、それと共に川底の土砂が掘り返されたように盛り上がっていく。それが一か所に留まっているのならまだしも、魔力が地面に潜り込んだ場所から上流目掛けて一本の線を引いたように突き進みだす。
どうやら美鈴は魔力によって巨大土木工事を始めるつもりらしい。河の跡地に堆積した土砂だが、その中央部を一直線に掘り返されている。しかも視界が効く限りその掘られた跡がずっと上流に向かって続いている。
「どうやら本来の川底まで10メートル近く掘らないといけないようね」
ということで大地烈尖アゲイン。再び小刻みな振動を伴ってより深く川底が抉られていく。
「あとは邪魔な土砂を左右に寄せればオーケーね。流砂転遷」
再び美鈴が術式を発動すると、濛々たる土煙を引き起こしながら川底に堆積した土砂がまるで意志を持っているかのごとくに動き始める。まるでブルドーザーで圧し均したかのような具合に左右の川岸に土砂が積み上がって、ちょうどいい感じの土手が造り上げられた。堆積した土砂が取り除かれた川底を見ると、そこにはまだ水が流れていた時代を思い起こさせるような大小の石が敷き詰められており、あたかもこれから水が流れてきそうな河原の風景が広がっている。
「だ、大魔王様、これは一体…」
「見ての通りよ。元々流れていた河を新たな水路として復活させようと考えているの。この調子で上流に遡って私の魔法で昔の河を復元していくから、その後の細かい工事はドワーフたちに任せようと思っているわ。ああそうだった。ドワーフを呼んでもらえるかしら」
「わ、わかりました」
大魔王様が繰り広げた魔法の規模があまりにバカげているせいで、エリザベスの気はここにあらずといった表情。とはいえ部下に命じてドワーフを数人連れてくる。
「大魔王様、お呼びでしょうか」
「やっとあなたたちの出番よ。今から私が水路を整備していくから、あなたたちには数か所に橋を架けてもらいたいの。まずはここに造ってもらえるといいわね」
「お安い御用ですが、どんな形の橋にいたしましょうか?」
「頑丈な石造りで、ただし水路には小舟が通れるようにしてもらえないかしら」
「小舟ですかい。わかりやしたぜ、何とかしてみせます」
「橋が出来た暁には、あのお酒の製法を教えてあげるわよ」
「なんですってぇぇぇぇぇ! こうしちゃいられねぇ。おい、野郎共! すぐに橋の設計に取り掛かるぞ」
どうやら美鈴はこの枯河の流れを復活させて、治水、農業用水の確保、さらには小舟による水運まで役立てる意図があるらしい。確かに新たな水路として枯河が復活すれば、現在の東イーラ河が雪解けの時期に引き起こす洪水がコントロール可能になるかもしれない。河が定期的に洪水を起こすなら、もう1本流れを増やせばいいじゃない… 美鈴にとってはごく当たり前の発想なのだが、それにしても魔法の規模が大きすぎて一般の魔族たちにはなかなか理解が追い付かないよう。
美鈴が復元した新たな流れは水かさが増した東イーラ河の放水路として機能させるだけでなく、さらに夏の時期に雨が少ないこの地域に農業に必要な水を供給しつつ、それぞれの街を結ぶ水路として物資の運搬にも活用する意向のようだ。さすがにここまでの見通しているとは、魔族たちもその考えの深さに尊敬を通り越した表情を向けるばかり。
呆気に取られている魔族たちとは違って、どうやらドワーフたちは気合十分な表情でヤル気になっているようだし、というか、ウイスキーの製法を教えてもらえるとあって異常な熱意で橋の設計に関して議論を始めている。ちなみに美鈴は何もドワーフたちをこき使って橋や堤防の整備を行うつもりはない。ちょうど戦争が終わってヒマになった人材を活用する予定だ。
こうしてほぼ直線の枯河を遡っては、都合3回の大規模な河川の復活を行っていく美鈴。そして夕方になる頃には元々はイーラ湖の跡地に到着する。
「もう暗くなったから、作業は明日にしましょう。この場で野営の準備に入るわよ」
ということで天幕を張っての野営が始まる。聡史がアイテムボックスからバーベキューコンロを取り出して、明日香ちゃんとクルトワがダンジョンからゲットしてきたミノタウロスの肉を焼き始めると、どこからともなく全員が集まり始める。
「お肉は十分にあるから、全員お腹いっぱいになるまで食べてね」
「うおおお! さすがは大魔王様だ」
「その言葉を待っていた」
ヨダレを垂らさんばかりに列を作る魔族たち。その横ではドワーフたちがすでに一杯やり始めている。こんな光景は今までナズディア王国ではトンと見られなかった。身分や種族の垣根を越えて同じものを食べるという誰もが一体になれる環境を大魔王が率先して提供しているのだから、どこからも文句ひとつ出てこない。というよりも今までのようにギスギスした関係よりもこっちのほうがどれだけ気が楽なのかを魔族とドワーフ双方がしみじみと感じ取っている。
「新しい大魔王様はスゴイ人だな」
「あんな魔法で河を元の形に戻すなんて、俺たちには想像もつかないぜ」
「おい、そこの魔族の兄ちゃん! お前たちもこの酒を飲んでみなよ」
「ギャハハハハ、一口でむせ返っているとは情けねえぜ。男だったらグッといかなきゃな」
酒が進むにつれて打ち解けだした酒宴は、次第に魔族とドワーフが肩を組んで歌い出し始める始末。こうなったら徹底的にグダグダになるまで今宵は止まらないだろう。
◇◇◇◇◇
翌日、あれだけウイスキーを浴びるほど飲んだにも拘らずケロッとした表情のドワーフたちと明らかに二日酔いで立っているのも辛そうな魔族たちの姿がある。
「大魔王様、部下たちが不甲斐ない姿をお見せして申し訳ありません」
「確かにあまり褒められた光景ではないわね。まあいいわ、彼らは当面見学だけしかできないし。しっかりと私が考えている土木工事の内容を記憶に留めてもらって、この事業を引き継いでもらえればそれでいいわ」
「はっ、あとでキッチリと言い聞かせます」
昨日は美鈴の大魔法に度肝を抜かれてやや精彩を欠いていたエリザベスだが、一夜明けると普段のシャキッとした態度を取り戻して魔族たちを叱咤している。叱咤される魔族のほうがいい面の皮かもしれない。二日酔いで頭がガンガンしているところにエリザベスから雷を落とされたら、それは堪ったものではないだろう。まあそれもドワーフたちの勢いにノセられてしこたまウイスキーを飲んだ報いでもあるのだが。そんなだらしがない魔族たちの面倒はエリザベスに丸投げして、美鈴は本日の作業に取り掛かる。
「それじゃあ今からイーラ湖を元の形に戻していくわよ。昨日よりも地面が揺れるけど、みっともないから怖がらないでもらいたいわね」
と言いつつ、美鈴が昨日よりもさらに巨大な術式を組み上げてから発動開始。面積でいえば奥多摩湖に匹敵する規模の湖底に堆積した夥しい土砂を掘り返しながら、余計な堆積物は湖の周囲に折り重ねて積み上げていく。ざっと1時間をかけて大量の土砂を周囲に積み上げた結果、大昔の湖底と思われる地面が露になる。上から見下ろした感じだと最も深い場所で水深30メートル程度のよう。
「面積の割には意外と浅い湖なのね。まあそれでもこの広さがあれば、ひと夏に必要な水は十分に確保できそうね」
東京のような大都市ではないので、この湖が満水になれば高々30万程度の人口など十分に賄えそう。おそらく500年前はこのイーラ湖の水によってナズディア王国自体が潤っていたと思われる。水路の復活とともに美鈴が描いていた貯水ダムの役目をこのイーラ湖が十分に果たしてくれそう。
順調に作業を終えると、馬車に乗った一団は今度はイーラ湖と東イーラ河をかつて結んでいた流れの跡を辿っていく。もちろん美鈴の魔法でかつての河の姿を復元しながら進んでいくと、ついに500年前に山崩れが発生して流れが変わる原因となった場所に到達する。
「なるほどね~。かなり大規模ながけ崩れ… というか山の半分がゴッソリとなくなっているじゃないの」
当時の記憶がある魔族の話によると、その年は異常気象で例年にない豪雪だったらしい。長年の雪解け水による浸食が進んでいたところに例を見ない程の豪雪が重なった結果、斜面が大規模に崩れ去り河の流れを堰き止めてしまったらしい。ということでさっそく邪魔な土砂を取り除こうとする美鈴だが、山肌に一部分に目がとまる。
「聡史君、あそこはずいぶん切り立っているように見えるけど」
「そうだな。もしかしたら内部に巨大な岩か何かがあって、その岩と堆積した土砂の境目から一気に崩れたのかもしれないな」
山肌というのは最も崩れやすい箇所から崩れるのが当たり前。となると眼前にある山の内部には巨大な岩が隠れているのかもしれない。ということで美鈴は流れを塞いでいる土砂を取り除きにかかる。一部は現在の河の流れを維持するために残しているが、その土砂の大半をやや離れた場所に積み上げてみると… そこには切り立った巨大な岩が高さ300メートルに至るまで聳え立っている。
「エリザベス、ちょっとドワーフに訊きたいんだけど呼んでもらえるかしら」
「少々お待ちください」
人を遣わしてドワーフたちを呼び出すエリザベス。朝から酒でも振る舞われるのかと上機嫌でドワーフたちがゾロゾロやってくる。
「ねえ、あそこに見える岩は建築資材に使えるかしら?」
「大魔王様、酒を振舞ってくれるんじゃないんですかい」
「こんな朝から酒浸りになったら、用意しているお酒があっという間になくなっちゃうでしょうに。それよりも私の質問はどうなっているのよ」
「ああ、そうでやしたね。ふむ、ここから見る限りどうやら花崗岩でできた崖のようです。建築資材としては最もポピュラーな岩でさぁね」
「そう、よかったわ」
それだけ答えると、しばし何かを考えてから美鈴が聡史に向き直る。
「いいことを考えたわ。あの岩も全部崩しちゃいましょう」
「なんだか桜みたいな発想だな。そんなことして大丈夫なのか?」
「ええ。任せてちょうだい」
なんだか自信満々な表情の美鈴だが、そこにドワーフの長が待ったを掛ける。土木建築の専門家としては、ド素人の美鈴に言っておかなければならないことがあるのだろう。
「大魔王様、ちょっと待ってくだせぇ。石材の切り出しというのはこれはこれでなかなか難しい仕事でして、ちょっと間違えるとせっかくの石をダメにしちまうんでさぁ。慎重に切り出してキッチリと梱包して運ばないと、素材が使い物にならなくなりますぜ」
「その点は心配ないわ。あの岩をそっくり丸ごと平らな場所に運べばいいんでしょう」
ここまで自信満々に言われると、専門家を自任するドワーフも口をつぐまざるを得ない。
まず美鈴は余分な斜面の土砂をまるッと動かして邪魔にならない場所に積んでいく。土砂が意思を持って流れる水のように勝手に動いていく様は見ているだけでも中々壮観。
次にそこいらじゅうの地面に思いっきり重力をかけながら圧し固めていく。ガチガチに固まった頑丈な土地が出来上がると、今度は切り立った崖が剥き出しになった岩に向かって重力低減の魔法を放つ。100分の1以下の限りなく無重力に近い状況に置かれた巨大な岩だが、あろうことか美鈴はその大岩自体をゴーレム化した。岩を崩してから石材を切り出して運ぶのではなくて、まずは目の前にある巨大な岩の断崖まるごとゴーレムにして作業しやすい場所に運んでしまおうという、なんとも奇想天外な方法。これにはさすがのドワーフたちも呆気にとられるしかない。
「さあ、広い場所まで歩いてきてね」
美鈴の声に反応して山の半分ほどの大きさのゴーレムが動き出す。もちろん美鈴の重力低減アシストがあるので、その動きは思いの外なめらか。
「じゃあ、そこに横になってもらえるかしら」
美鈴が圧し固めた作業用のエリアまで自力で歩いてきた超巨大ゴーレムは、その言葉に従ってゆっくりとその身を横たえていく」
「ご苦労だったわね。元の岩に戻って」
ということで、高さ300メートル、横幅200メートル、厚さ50メートルの巨岩が一同の目の前にデンと置かれるというとんでもない事態となった。
「昨日から大魔王様には驚かされっ放しですが、今回はあまりに途方もなさ過ぎてこれ以上何も言えません」
エリザベスの弁が、この場にいる聡史以外の人間の心情を物語っている。大魔王がその気になれば、チョチョイッと魔力を行使して思いのままに何でも出来るという証明がなされたかのよう。
さて目の前に置かれている巨大な岩だが、このままでは建築資材にはならない。そこで美鈴はドワーフに尋ねる。
「どんな感じに切り分ければいいかしら?」
「へっ? 大魔王様がご自分で切るんですかい? こんな馬鹿デカい岩を?」
「ええ、どうやって切ればいいのか教えてちょうだい」
「え~と… 細長い石材が必要でしたら岩の面に対して垂直に切り出すのが鉄則でさぁ。四角いブロックにするなら切り出す向きにさほど気を遣う必要はありませんよ」
「わかったわ。それじゃあまずは細長い石材を創り出すわね」
ということで美鈴はデンと置かれている巨大岩を縦に真っ二つにする。使用した魔法はウオーターカッター。水の力で岩が切れていく様子を初めて目撃したこの世界の住人は開いた口が塞がらない。ちなみにこの術式は千里が得意としているが、彼女に出来て美鈴に出来ないはずがない。というか千里が術式を作成するにあたって真っ先に相談したのは美鈴という裏事情がある。
次に端のゴツゴツした箇所を切り取っていく。この部分は真っ直ぐな面が取れないので、土木資材としては使いようがない。精々細かくして隙間を埋める用途くらいなモノ。ところが美鈴はこのあまり使い物にならない部分を利用して、今度は体長5メートルほどのゴーレムを創り出す。この場での作業に用いるつもりらしい。
そして岩を端から順に縦に切っては、ゴーレムを用いて地面に寝かせていく。それを更に縦方向に斬り出すと縦横が2メートルほどの石材が出来上がる。あとは10メートルの長さに適当にカットして出来上がり。1時間ほどで大量の石材が、それも見事なまでの出来映えで完成したとあって、ドワーフたちの顔色が無くなるのも致し方なし。すべては大魔王様が規格外なだけで、あまり自信を失ってもらいたくはない。
ここまで出来上がると、美鈴は現在の東イーラ河との分岐点に足を運ぶ。ゾロゾロと付き添ってきた魔族やドワーフが興味深げに見つめる中、川底に思いっきり重力をかけて地盤を強固に圧し固める。ちなみに現在の東イーラ河の川岸とこの場所は20メートルほど離れており、長年堆積した土砂によって水がこちらに流れてくることはない。
「それじゃあ川底に石材を並べてちょうだい」
いつの間にか石材の切れ端で創り出したゴーレムは30体以上に上っており、美鈴の命令に従って細長い石材を隙間なく川底に並べていく。この時点ではまだ美鈴の重力軽減魔法が作用しているので、普通サイズのゴーレムであっても重たい石材を楽々運んでいる。
川底にしっかりと石材が敷き詰められたら、今度は護岸の整備に取り掛かる美鈴。石材を段々に岸の土手に沿って積んでいくと、ちっとやそっとの水の流れでは浸食されない立派な護岸が出来上がる。最後に河を遮るようにして石材を積み上げては、その途中の3箇所にゲートを造る。どうやらこの場に水門を築いて、新しい水路に流れ込む水の量を調節できるようにするつもりらしい。ただしこの辺の石の組み方については美鈴でも知り得ぬ知識が多々あるので、そこに関してはドワーフの専門知識に助けを借りている。
「これでいいわね。あとは水門を開閉する装置を取り付けてもらえればオーケーよ」
「へい、滑車と歯車を使って重たい門を開閉する仕掛けを取り付けておきやすぜ」
この辺はドワーフの技術でどうにかなるらしい。そうと決まればあとは丸投げする美鈴がいる。
「それじゃあ試しに水を流してみようかしら。全員岸に上がるのよ。それからゴーレム6体は水門の上で待機してちょうだい」
ということで各々が退避したり門の上に立ったりし終えると、美鈴の魔法で東イーラ河と新たな水路を堰き止めていた土砂が取り除かれる。
「それじゃあ水門を開けてちょうだい」
ゴーレムが命令に従ってその怪力で重たい石の仕切りを上に持ち上げると、大量の水が迸りながら新たな水路に向かって流れ込んでいく。約500年ぶりに、永らく枯河だった水路に水の流れが復活した瞬間だった。
「どの道イーラ湖に水が貯まるまで半年は掛かるでしょうから、それまでこの水門は開け放っておけばいいわ」
「へい、その間に我らが開閉装置をこさえて取り付けておきやす」
「お願いするわね。橋の工事と同時進行で忙しいでしょうけど、あなたたちの技術が頼りよ」
「お任せせくだせぇ。それよりも大魔王様、例の酒の製造法はぜひぜひよろしく頼んます」
「わかっているわよ。謝礼金とは別に必ず教えると約束するわ」
「聞いたか野郎共! 大魔王様と酒の製造法のために身を粉にした働くぞ~」
「「「「「「「おう」」」」」」」
威勢のいいドワーフたちの声が、久方ぶりに水の流れを取り戻した水路の水面に響き渡るのだった。
美鈴さんが現場の作業で大活躍。もしかしたら日本でもこのような魔王による工事が活用されるかも。でもたぶん銀河連邦の科学技術を取り入れるほうが先なのかもしれませんね。次回は美鈴が大仕事を終えて日本に戻ってくる予定です。でもまだまだやらねばならないことが多くて、無事に日本に辿り着けるか…… この続きは出来上がり次第投稿いたします。どうぞお楽しみに!
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