33 異変の前兆
ダンジョンの2階層に降りていく一行、初めてこの階層に足を踏み入れるカレンは、やや緊張の面持ちで階段を一歩一歩踏みしめながら美鈴の後ろを歩いている。
本日からメンバーが増えているので、桜を先頭にして、その直後にトライデントを構える明日香ちゃん、さらに美鈴とカレンが続き、いつものように最後尾を聡史が警戒する隊列を組んでいる。
新加入のカレンがいる関係で、奇をてらわずに5人のパーティーとしてはオーソドックスな隊形を選択しているといえよう。前方に気配察知と近接戦闘力に優れた人材を配置して、中央に魔法使いと回復役、一番最後を歩くリーダーが全体を見渡しながら指示を出す無難な隊形で歩を進めていく。
一応確認しておくが、このパーティーでリーダーを務めているのは聡史である。全員が彼の指示で動くように、パーティー間で確認されているのは言うまでもない。たとえ桜であっても、聡史の指示にない勝手な行動はしない。たった一人のスタンドプレーで、パーティー全体が危機に陥る場合もあるのだ。その分リーダーには、冷静さと経験に裏打ちされた状況判断が求められる。わずかな判断ミスが命取りになる場合も重々有り得るのが、ダンジョンといえよう。
他に類を見ない聡史と桜という強力な二人が所属していても、他のパーティーと同様若しくはより厳しい規律をメンバーに課しているのは、なにも安全のためだけではない。まだダンジョンに潜った経験が少ない明日香ちゃん、美鈴、カレンの三人に対する、冒険者としての心構えを養う教育の意味も兼ねているののはもちろんのこと。
何事も実地による経験に勝るものはない。一つ一つ身をもって体験しながら、ダンジョンで発生する様々な不規則な現象に対応していく能力を、各自に獲得させようという聡史と桜の意図もある。だからこそ、こうして浅い階層に何度もやってきては、わざわざ美鈴や明日香ちゃんに経験を積ませている。
「桜ちゃん、前からくる魔物を桜ちゃんが取り逃しても私がバッチリ片づけますから安心して任せてください」
「うーん、なんだか明日香ちゃんに頼るのは、私のプライド的になんとも微妙なんですが… お兄様、明日香ちゃんの意見はいかがでしょうか?」
「そうだなぁ… 突発的な事態に対応する訓練の一環としてアリかな~。2体以上出てきたら1体は明日香ちゃんに任せてみようか」
こんな会話をしているうちに、桜の気配察知能力がゴブリンの気配を捉える。3人の会話にある通り1階層は単体のゴブリンしか出現しないが、2階層では2体まとまって登場するケースが稀に存在するのは周知の事実。
「どうやら横道から2体出てきますねわ。それでは明日香ちゃん、1体はお任せしますよ」
「はい、大丈夫ですよ~」
なんだか力が抜けてしまうような明日香ちゃんの返事。とはいえこちらに向かってくるゴブリンが待っていてくれるはずもなく、その場で全体が一旦停止して接近してくる敵を待ち構える態勢に移行。桜はいつでも前進を開始できるように前方に意識を向けて、明日香ちゃんはやや前傾姿勢になってトライデントを構える。美鈴も念のためファイアーボールの準備を終えていつでも魔法を撃ち出せる態勢を終える。聡史は背後に注意を向けて、右手にはすでに短剣を握っている。
「こんな短時間で、迎え撃つ準備が完了するんですか?」
カレンは、初めて目の当たりにしたこのパーティーの本格的な戦闘態勢に目を丸くしている。ここまでくる間に通路に現れたゴブリンは全て桜が排除してきたので、全体がこうして一つにまとまって動き出すのは、今日は初めてであった。
カレンはクラスのパーティーに日替わりで参加しては、戦闘の邪魔にならないように一番後ろに控えて彼らの戦う様子を目撃してきた。こうして実際に聡史たちのやり方を目にしながら双方を比較すると、このパーティーとクラスの生徒たちのパーティとしての練度の違いがくっきりと浮き彫りになってくる。
まず第1に、普通の生徒たちは目視によってゴブリンを発見した時点から戦闘の準備に取り掛かる。この時点である程度相手に接近を許しているので、迎撃準備に要する時間的な余裕が相当削られるのはやむを得ない。時には横道から急に現れたゴブリンに対して剣を抜く暇もなく乱戦に陥るケースも何度か経験している。ヒドイ場合には、歩いているカレンの目の前に突然横からゴブリンが姿を現したこともあった。何とか後方に下がって事なきを得たが、冷や汗をかいた覚えがある。
2番目に、クラスの生徒たちの間には明確なリーダーシップが存在していない。一応パーティーのリーダーは決まっているのだが、急に現れたゴブリンに対して「俺がやる」「今度は俺の番だ」「私の魔法で倒すわ」といった具合に、リーダーの指示を待たずにめいめいが動き出してしまう。
戦闘開始までわずかな時間しかないので、必然的にその時にアドリブで誰かが対応しなければならないという切羽詰まった事情は理解できる。だが毎回このような調子では、通路を歩きながらカレンも神経質にならざるを得ない。瞬時に状況を把握して指示を出せるリーダーがわずか2か月では未だ育っていないのは事実として認めなくてはならない。
魔物を相手にする戦い方というのは大体こんなものだろう… クラスの生徒と同行しているうちにカレンはこのように考えていた。彼女は回復担当で戦闘に関する訓練をほとんど受けていないことにも起因するが、魔物を相手にする戦いの知識そのものが不足していたのも紛れもない事実。
そんなカレンはこのパーティー全体の意思疎通と暗黙の連携を目にして、新たな発見をしている。リーダーを中心にしてその指揮系統の下で、各自が的確な役割分担を徹底する。これが当然のように全員出来てこそ、本当のパーティーといえるのだと初めて気づかされた模様。
もちろん実技実習の担当教官がこのようなパーティーの連携や戦術を授業中に教えてはいるが、咄嗟に全員が出来るかといえば、答えは否というほかない。これは、経験が足りないという問題ではなくて、Aクラスの生徒の索敵能力に原因があるのではないかと、カレンなりに分析している。
桜という優秀なレーダーを保有している聡史たちと他のパーティーでは、魔物を迎え撃つスタート地点からして段違いなのだ。
Aクラスの生徒たちのパーティーとは名ばかりの戦い方では、おのずと限界が見えてくるのは明らかであろう。いずれは彼らも必要に迫られて、パーティーとしての戦術の根本を問い直される日が来るはず。それまでに誰かが痛い目に遭わなければいいと、カレンは心の中で願うしかない。
話が大幅に逸れてしまったが、桜の前に2体のゴブリンがその醜悪な姿を現してくる。
「邪魔ですわ」
いつものように、桜のパンチ1発で片方のゴブリンが彼方へと吹き飛んでいく。
「明日香ちゃん、右の壁沿いに下がりますから、反対側から前進してください」
「桜ちゃん、わかりました」
桜はそのまま残ったゴブリンから視線を離さずに壁際をへばりつと、今度はトライデントを手にする明日香ちゃんが前に出る。神槍は毎度の如くに蒼く発光して、自らの存在をアピールしている。
「えいっ!」
槍術レベル2のスキルを獲得した明日香ちゃんが突き出すトライデントの三つ又になっている穂先は、迫ってくるゴブリンの喉元を正確に捉える。
「ギギャアァァアァ」
バチバチバチ
突き刺さったトライデントの先端からとどめの電流が流れると、ゴブリンは体を硬直させてから直後に倒れていく。
「明日香ちゃん、ナイスですわ」
「えへへ、それほどでもありませんよ~」
桜と明日香ちゃんがハイタッチをしている。二人とも、滑り出しはこんな感じでオーケー… といった表情。
だがひとりカレンだけが、あっという間に倒されて徐々にダンジョンの床に吸収されていくゴブリンを見つめながら絶賛混乱の真っ先中。
Aクラスの生徒がゴブリン1体を倒すには、ファイアーボールを2、3発撃ち出してから炎に怯んだ隙に剣で体に傷をつけて、徐々に弱らせてから最後に止めを刺すのが、オーソドックスな戦い方とされている。大抵の場合めいめいが勝手に打ち掛って乱戦に陥るにしても、余裕があれば彼らもこのような安全な戦い方が可能だ。
それなのに、桜はともかくとして明日香ちゃんまでゴブリンを一突きとは… 訳が分からないカレンが混乱するのは無理もない。
自分の頭で考えていても埒が明かないと判断したカレンは聡史に振り返る。
「聡史さん… ゴブリンって、一撃で倒れるものなんですか?」
「当然だろう。ゴブリンに苦戦していたら、下の階層なんて降りられないからな」
カレンは、ようやく悟った。このパーティーは、いい意味でおかしいのだと。聡史と桜が、異世界からの帰還者というのは承知している。だがその二人だけではなくて、明日香ちゃんまでが絶対におかしい。Aクラスの生徒でも、おそらく勇者レベルでないとゴブリンを一撃など誰も成し遂げてはいないはず。それをあっさりとやってのけて、桜と笑顔でハイタッチしている明日香ちゃんをまじまじと見つめている。
絶対おかしい… なんだかカレンの中での従来の基準が大幅に狂わされている。
おそらくは美鈴もあの魔法を見る限り、明日香ちゃんと同類なのだろうと容易に想像がつく。
(一度お母さんに相談してみよう)
最も身近で頼りになる存在をカレンは思い浮かべる。彼女の母親も管理事務所からの緊急要請で何度かダンジョンに入っているはずだ。あの母親ならば、このパーティーの戦い方を理解可能なはず。
ここまで考えるとカレンはある意味開き直って、見たままを受け入れようと決心する。
こんな感じで、2階層を楽々突破したパーティーは3階層に降りてくる。
「ここからは、美鈴と明日香ちゃんの本当の戦いだ。俺と桜の指示をよく聞いて、慌てずに戦うんだぞ」
「「はい」」
こうして、桜が索敵しながら通路を進んでいく。
「3体向かってきますわ」
桜が指さす方向からゴブリン上位種が湧き出てくる。ゴブリンメイジ、コブリンアーチャー、コブリンソルジャーが黒い靄の中から突如姿を現す。1、2階層ではこのような登場の仕方はなかったが、3階層に降りた途端に今まで経験しない形で魔物が急に湧き出してくる。
「美鈴、魔法は?」
「いつでもオーケーよ」
「真ん中の1体を狙え」
「はい、聡史君。ファイアーボール!」
美鈴の魔法は、狙い通りに高速で中央に立っているゴブリンアーチャーに向かっていく。
ズドーン
爆発の衝撃でアーチャーはバラバラになって飛び散り、あおりを食らった左右の2体も壁に打ち付けられて瀕死の状態。
「明日香ちゃん、止めです!」
「任せてくださいよ~」
相変わらず力が抜けそうな返事をしつつも、壁際に倒れてもがいている2体のゴブリン上位種に、槍を手にする明日香ちゃんが駆け寄っていく。いまだ立ち上がれぬままの2体に頭上からトライデントを突き刺していく。桜も念のために明日香ちゃんのフォローで一緒に駆け寄ってその様子を見守る。
その時…
「美鈴、横から奇襲! 魔法は?」
「大丈夫よ! ファイアーボール」
横道から向かってくるゴブリンを美鈴の魔法が一撃で撃破する。
「お兄様、背後です!」
聡史が振り向くと、今度は後ろに黒い靄が湧き立って2体のゴブリン上位種が登場。
「俺がやる。美鈴は、次の魔法を準備してくれ!」
「はい」
音もなく駆け寄った聡史によって1体は短剣を突き刺され、もう1体は前蹴りで天井まで蹴り上げられる。頭を固い天井にめり込ませる勢いで蹴り上げられたゴブリンは、ドサリと落ちてきた時にはすでに絶命している。
「お兄様、なんだかいつもと様子が違いますわ」
「ああ、エンカウント率が狂っているようだな」
兄妹は秩父ダンジョンで当たり前のように3階層に何度も降りてはきたが、ここまで極端にゴブリンが登場する例を見たことがない。聡史と桜の経験に照らし合わせて考えられるとしたら、結論はただ一つしか導き出されない。
「大発生か?」
「お兄様、その可能性は大いにありますわ」
異常な状況を把握した聡史と桜は、深刻な表情で顔を見合わせるのだった。
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