318 準々決勝と世界情勢
桜の後押しもあって順調に勝ち星を重ねていく学。もっとも桜が応援しなくともレベル100に達した彼の能力は1年生の間では断トツであるのは間違いない。それでも可愛がっている弟弟子ということもあって、桜は自身の対戦よりも力が入っているよう。その甲斐もあってか、準々決勝を危なげなく勝ってベスト4までコマを進めている。
そんな学は一旦横に置いて、2年生の個人戦の動向について詳しく述べよう。
1回戦を全員勝ち進んだEクラスの生徒だが、続く2回戦でも破竹の進撃を見せて4名を除いた全員が勝ち残っている。不運にも敗退した生徒はEクラス同士の対戦になったのと、現生徒会長の浜川茂樹に敗れたケースだけ。生徒会活動に追われてレベルを上げる時間が十分に取れない茂樹ではあるが、それでも現在レベル90オーバーを誇る。ブルーホライズンのメンバーや頼朝たちを除いた一般のEクラスの生徒たちには、さすがに太刀打ち出来ないのは仕方がない。
格闘部門の個人戦に参加した2年生の生徒128名。そのうち2回戦を突破してベスト32に勝ち残った生徒のうち24名がなんとEクラスで占められている。残りの数少ない席はAクラスの生徒が食い込んでおり、彼らとしてもなんとか面目をほどこした形。とはいえ3回戦が始まると、その残ったAクラスの生徒もあっという間に姿を消していく。もちろんEクラス同士の激しい潰し合いも行われており、その結果ベスト16に残ったのはEクラス15名と茂樹だけという結果となった。
さらに4回戦が開始されるとより強い者だけが勝ち残って、ベスト8はブルーホライズンのメンバーたち5名と頼朝、元原、茂樹という面々となっている。戦前の予想通り他を圧倒する高レベルの生徒たちが勝ち残った。
いよいよ準々決勝が開始される直前に、ブルーホライズンのメンバーたちが集まっている。
「いや~、しっかり体が動くし、なんだか絶好調だよな~」
「美晴はちょっと不調なくらいでちょうどいいのよ。次に対戦する私の立場になってもらえるかしら」
準々決勝の第1試合に登場する美晴に対して、対戦相手のほのかが噛み付いている。大型の盾を自在に扱って短剣を補助装備として使用する美晴に対して、ほのかは小型の盾と短剣という組み合わせ。互いの装備の組み合わせだけでも明らかに劣勢なほのかだが、本人が言う通り美晴は個人戦が開幕してから絶好調を維持しており、圧倒的な強さで勝ち上がっている。あんなパワフルな動きを見せつけられては、ほのかとしてもさすがに不利を自覚するしかないよう。
気合いがそのまま戦いに直結する脳筋娘を敗北に追い込むのは、同じパーティーメンバーとしても相当な困難を覚悟しなければならない。こんな感じで試合が待ち遠しくて仕方がない美晴に対して、リーダーの真美はどうにも浮かない表情をして黙っている。
「真美さん、どうしたんだ? なんだか元気がないみたいだけど」
「はぁ~… 試合のことを考えると気が重たいのよ」
「胸が重たいんじゃないの?」
不用意な美晴の発言に、周りにいる絵美、ほのか、千里が射竦めんばかりの視線を突き刺してくる。ちびっこトリオの嫉妬心満載のおっかない視線だが、美晴には全く通用していない模様。甚く劣等感を刺激された三人の細かい感情など、この脳筋娘には推し量る術がない。
美晴自身が思いっ切り地雷を踏み抜いたとはまったく気づかないので、なんとか三人を宥めようと横から渚が口を挟んでくる。
「美晴ちゃん、そのねぇ~… 試合前の大事な時間だから、そういうデリケートな話題には触れない方が…」
「渚、何がデリケートなんだよ?」
さらに地雷をこれでもかという具合に所かまわず踏み散らかす美晴。というよりも普通に口を開くだけで地雷原が大挙して押し寄せる感があって、ちびっこトリオは今にも歯軋りせんばかりの表情。
「いや、何でもないから」
「なんだよ、渚は変だな~」
お前が変だろう! …という声が方々から聞こえてきそうだが、美晴は一向に気にする素振りすらない。これにはちびっこトリオも諦めた表情に変わるのは致し方なし。ここで渚が改めて真美に尋ねる。
「真美さん、そんなに試合が心配なの?」
「う~ん… 何でもないから気にしないでいいわ」
妙に引っ掛かる物言いの真美。普段は前向きで冷静なリーダーのこの突然の変調に渚は眉を顰めるが、真美自身一向にその理由を明かそうとはしない。
実は真美、4回戦の勝ち上がりの際相当に精神的に疲弊していた。その根本的な原因を作ったのは対戦相手の横田。
真美と横田ではレベルが10程度違うので、通常であったら真美が圧倒的に優位に立つ。だが横田は勝敗を度外視して驚くべき手段に出ていた。それはセクハラ2大巨頭の名に相応しいあり得ない方法… 互いに剣を打ち合って脇をすり抜けるタイミングで真美の尻に触れたり、鬩ぎ合いのさ中に剣を握る手の甲を胸に押し当てたりと、とんでもないセクハラ三昧であった。しかも対戦者だけにしか感じ取れぬように巧みに剣技の中に取り入れているものだから余計にタチが悪い。試合には敗北したものの、横田は違う意味での満足感を得ていた。
それだけならば過ぎたこととして真美も流せるのだが、次の対戦相手がよりにもよって元原と来ている。当然横田と同じ手段に出てくるのが容易に想像できるだけに、真美としては再びのセクハラ戦法に辟易した気分となっている。
「大丈夫よ、そんなに心配しないで自分の試合に集中しなさい」
「はい、真美さんも頑張ってくださいね」
何も知らない渚が明るい声を掛けてくる。真美は力なく頷いて、元原への対策に頭を切り替えるのであった。
◇◇◇◇◇
準々決勝の第1試合は、美晴が絶好調宣言通りにほのかを瞬殺して終わる。立て続けに食らわすシールドバッシュにほのかのフットワークがわずかに乱れた隙を突いて、体ごとぶちかまして吹き飛ばしていた。芝生に尻餅をついたほのかの眼前に短剣を突き付けてあっという間に勝敗が決する。
ほのかとしては朝から劣等感を刺激された上に試合も負けて、どうにも踏んだり蹴ったりの日であった。この悔しさは将来胸を大きくして見返すしかない… 違った。チーム戦で晴らすしかない。
そしてやや時間をおいて第2試合の真美対元原の対戦が始まる。ブルーホライズンのリーダーとして堂々と試合をしたい真美に試合前から元原の煩悩に塗れた視線が突き刺さる。彼女の脳裏には前の試合で受けた横田のセクハラ攻撃が蘇って一瞬体全体に鳥肌が立つ。元原のどこからどう見ても純度100パーセントのイヤラシさに溢れた視線。「またか…」というような諦めにも似た感情が真美の胸に去来するのは無理からぬ話。真美の精神ゲージが試合前から1割ほど削られた。
「試合開始ぃぃ」
審判の合図で真美の準々決勝がスタートする。両手に細身の剣を構える真美に対して、元原はロングソードを両手持ちの態勢。その剣は真美が手にする細剣と比較して刃の厚みや幅が2倍以上もある。単純な武器の性能からすると、この時点では元原がやや優位かもしれない。
互いに徐々に距離を詰めつつ隙を窺うようにして睨み合う。だが真美の脳裏からは先程元原が浮かべたあの純度100パーセントのイヤラシい表情が離れなかった。
「とりゃぁぁぁ」
先に仕掛けてきたのは元原。ロングソードを大上段に掲げて真美目掛けて振り下ろしてくる。まともに受けると真美の細剣が容易にへし折られてしまう程の力が乗った一振り。真美は2本の剣を体の前でクロスさせて元原の剣の勢いを受け止めにかかる。両者が接近して鍔迫り合いに持ち込まれた、そんな時… 元原が大きく息を吸い込んだ。
(次の攻撃への準備か?)
真美が咄嗟にそう考えたのは無理もない。今はトーナメントの真っ最中。こんな時に余計な煩悩を思い浮かべるほうがどうかしている。
だが元原はそんじょそこらに転がっているタダの変態ではない。鼻腔を大きく広げては、真美のニオイを思いっきり堪能している。さらにもう一度息を吸い込んでは、クンカクンカと真美の香りを楽しむかのよう。その様子に気が付いた真美は2回目の鳥肌が湧き立つのは言うまでもない。真美の精神ゲージがまたもや2割減。
元原のセクハラに気が付いた真美は「これ以上ニオイなど嗅がれてたまるか!」という気持ちで後方に退避を試みる。だが元原は真美の剣から伝わる力が緩んだ隙に乗じてさらに前進して鍔迫り合いの状況を維持し続ける。それだけならまだしも、今度は真っ直ぐに突っ込まずに体を斜めにしながら左肘をやや押し上げた態勢に変化。
実はこの状態は元原としては当初の狙い通り。このまま徐々に左肘を押し上げれば、プロテクター越しではあるが真美の立派なオッパイに触れることが可能となる。
(あと5センチ)
元原は下からかち上げるように力を込めて真美がクロスしている剣を押していく。もちろん真美も元原の意図に気が付いており、懸命に上から抑え込もうと必死に力を込める。だがやや脇が開いて十分な力が入らない真美は徐々に元原の押し込まれていく。そして…
ムニュ
(いやぁぁぁぁぁぁ)
元原の左肘がついに真美のオッパイを下から持ち上げるがごとき状態に。心の中で悲鳴をあげつつ、真美の全身には3回目の鳥肌が立つ。
元原は敢えてそのままの態勢を維持しつつ、たっぷり30秒以上真美のオッパイの感触を楽しんでから今度は自分から後方に逃れていく。実は彼にとってもこの態勢はかなり体力的に厳しくてこれ以上無理は出来なかった。
ようやく離れた元原の視線を真っ向から食らった真美。まさかここまで露骨なセクハラ攻撃は想定していなかった。精神ゲージが再び2割減少。
互いに距離を取って一呼吸置いてから今度は打ち合いが開始される。真美は聡史から教えられた二刀流、元原は桜から仕込まれた剣技による息が詰まるような応酬。だがレベルが10違う分だけ、まともな戦いとなると真美が圧倒的に優位。元原もこうしてみると格上の真美を相手にしてよく戦っている。
火花を散らす剣の応酬で互いに踏み込んですれ違う瞬間、それは起きた。真美のオシリに変な感触が伝わる。ほんのわずかな時間を利用した元原は、剣を持つ左手を離して真美のオシリに這わせていた。それも中年オヤジにも負けない程の下から上にナゾリ上げるような本格的な手口。
(いやぁぁぁぁぁぁ)
これには真美も心の中で悲鳴を上げざるを得ない。声に出さなかっただけでも相当な自制心といえよう。真美の精神ゲージが2割減少。もう気持ちはボロボロで、元原のセクハラに耐えかねて涙目になりかけている。
元原としては真美を精神的に追い込んでいるという手応えがあるだけに相当自信満々の表情。しかも犯罪まがいの手口でセクハラが成功しているとあれば、劣情が満たされて気持ちの面でも大きく満足している。だがここまで来たら徹底的に追い込もうとさらに追い打ちに出る。
再び鍔迫り合いの態勢に持ち込むと、今度は剣を握る左手を徐々に緩めて手首の辺りで支えるような態勢に移行。さらに手首を返すと手の平が真美の胸の真ん前に迫るような位置に。これは直接真美のオッパイを触ろうという意図が明白。
もちろん元原の意図は真美にも伝わっている。
(いや、絶対いやぁぁぁ)
真美の頭の中はもう真っ白。ここまであからさまなセクハラをしかも試合中に働いてくるとは、元原のエロにかける情熱には頭が下がる… いや呆れ返ってくる。
あと3センチで元原の左手が真美のオッパイを鷲掴みに… そんな危ういタイミングまで追い込まれた真美は真っ白な頭の中に警報音だけが鳴り響く。このままむざむざと触られてなるものか。そんな本能的に危険に対処しようという考えがようやく脳裏に浮かぶ。そして本能が赴くまま左足を思いっきり振り上げていた。
ボスッ
「グホッ」
真美の足に何か柔らかいものに食い込む感触が伝わってくる。同時に元原の口からくぐもった悲鳴ともつかない変な声が。次の瞬間、元原は全身から脂汗を滴らせつつ、口から泡を吹いて前のめりに倒れていった。芝生に横たわった体を丸めながら、変な具合にピクピク痙攣している。
「勝者、竹内真美」
元原は男性の急所を真美に蹴られて失神している。その様子を目の前で見た真美は膝から崩れ落ちていく。すでに精神ゲージが空になっており、自分でも立ち上がれない程であった。
だがこの試合を観戦しているスタンドはこの熱戦に湧き立っている。元原のセクハラ攻撃があまりにも巧妙だったため、スタンドにいる生徒たちにはこの試合の本質的な姿が伝わっていなかった。
「恐ろしくレベルが高い試合だったな」
「あれだけの攻防となると勝ったほうも精魂尽き果てても仕方がない」
「最後は蹴りが決まったみたいだけど、剣で決着がつかなかったのは意外だな」
「それにしても第1試合といい、Eクラスは一体どんな鍛え方をしているんだよ」
「それだけじゃないぞ。準決勝にコマを進めたのは例のブルーホライズンだろう」
「去年八校戦で優勝したのはマグレじゃないと証明したな」
元原のセクハラはともかくとして、両者の剣技が一線級であったのは紛れもない事実。離れた場所から見ている生徒たちの目にこのように映っても仕方がない。
勝者の真美は盛大な拍手を浴びながら控室から飛び出てきた千里に肩を抱かれて退場していく。元原は担架に乗せられて医療棟へと運ばれのであった。
◇◇◇◇◇
医療棟に待機しているカレンと歩美は、担架で処置室に運ばれてきた元原を見下ろしている。口から泡を吹いたままの哀れな姿で白目を剥いて意識が戻らず、いまだに時折体を痙攣させている。
「カレンさん、かなり重たいダメージのようですね」
「歩美ちゃん、なんだか治癒したくない気分だからお願いできますか?」
言わずと知れた話だが、カレンは真美以上に元原のセクハラ被害者。いくら女神様だからといって、その慈悲が万人に届くわけではない。女神だって時には断りたいケースもある。
「はい、でも私の力では回復にかなり手間取りそうですけど、本当に大丈夫でしょうか?」
「いいです。時には痛みもいい薬ですから」
元原を見るカレンの表情は氷点下の冷たさを湛えている。ここまでカレンに悪し様に言われる存在は、変態コンビ以外にはないだろう。「このまま地獄に堕ちてしまえ」という声がカレンの口から発せられても文句は言えない。
こうして元原は歩美から回復魔法をかけてもらう。だがカレンの術とは効き目が違いすぎて、痛みが引くまで3日間ベッドの上で苦しむのであった。
◇◇◇◇◇
場所は変わってこちらは学院長室。本日の試合が終わった時間になって聡史、美鈴、カレンの三人が入室してくる。
「学院長、昨日の伊勢原駐屯地での被疑者の尋問に関して報告に上がりました」
「ああ、そうだったな。西川少尉とカレンはご苦労だった」
「学院長、自分は尋問には直接関わっていないのに、なんで呼ばれたんですか?」
「今回の件に関して楢崎も知っておくべきと私が判断したからだ。そのつもりで二人の報告を聞いてもらいたい」
「了解しました」
聡史には学院長の意図がまったくわからないが、一応理由を納得した表情でソファーに腰を下ろす。
「それでは昨日の尋問に関する詳細な報告を始めます」
美鈴の口から外務省のキャリア官僚から得た供述が事細かに説明されていく。
「なるほど、CIAが背後で操っている可能性が出てきたか」
「はい、伊勢原駐屯地の憲兵隊は戦略情報部門の協力を仰いで今回の一件の背後関係を洗い出すそうです」
戦略情報部門… これは伊勢原駐屯地に設置された自衛隊内部の情報収集部門。その役目は銀河連邦から供与された10基の量子コンピューターを用いて世界中を飛び交う通信網の中から特定のキーワードを含む通信を傍受及び収集する。膨大な量の通信が飛び交う中から必要な情報だけを的確に抜き出していくのは量子コンピューターとAI知能の組み合わせが最も効率がよいのは言うまでもない。戦略情報部門は圧倒的な高速度でこれらの機器を用いて各国の情報収集を始めている。
かつては「日本の情報収集能力は周回遅れ」と揶揄された時代が長く続いたが、今となっては世界でも最先端の方法を用いた極めて高度な情報の収集が可能となっている。
「そうか、そう遠くない時期にアメリカ政府の内部動向がわかってくるかもしれないな」
学院長は表情一つ変えないままで美鈴に返事をしている。どうやら今回の魔法術式持ち出しの件にアメリカが一枚噛んでいるのも想定の範囲内であったかのよう。さらに学院長は続ける。
「ちょうどいい機会だ。三人には現在日本を取り巻く状況についてどの程度の認識を持っているのか確認しておきたい」
「学院長、それはどういう意味でしょうか?」
「楢崎中尉、貴官は魔法学院の生徒であると同時に自衛隊の予備役将校だ。将校としてはある程度の国際情勢に関する知識を持っておくべきではないのか? まあ西川とカレンに関しては特段必要がないかもしれないがな」
学院長が「美鈴とカレンに関して必要がない」と述べた背景には、彼女たちは銀河連邦の情報デ-タに直接アクセス可能という特殊な事情を慮っての発言に相違ない。地球上どころか銀河のすべての情報が一瞬で手に入る存在にとって国政情勢のレクチャーなど釈迦に説法のごとし。だが美鈴とカレンは…
「いいえ、学院長。私たちがあらゆる情報にアクセス可能とはいえ、それは単にデータの羅列に過ぎません。学院長の経験に基づいた分析というのは大いに参考になります」
「私もお母さんが考えていることを少しでも知りたいですから」
美鈴とカレンは真剣な表情で学院長に自らの希望を伝えている。やはり長年日本の防衛の第一線で活躍してきたこの学院長の並外れた見識は、彼女たちにとっても無視できるものではないよう。
「そうか、まあそれなら聞いておくがいいだろう。この場は楢崎のレベルに合わせて話を進めるから、二人には少々退屈かもしれない。その点は承知しておいてもらいたい」
「「はい」」
「あの~、学院長。妹はこの場にいなくてもいいんですか?」
聡史はもうひとりの予備役将校の存在を思い出した。なぜ桜がこの場に呼ばれていないのかがちょっと気になっただけではあるが。
「必要か?」
「必要といいますと?」
「桜中尉に話したところで、所詮反対側の耳から抜けていくだけだろう」
「その通りでした。余計なことを口にして申し訳ありません」
戦場においては一番役立つ存在ではあるが、小難しい話にはさして興味を示さない点が玉に瑕の桜。国政情勢などハナッからつまらない話題だと片付けてしまうのがオチだろう。学院長の判断にぐうの音も出ない聡史。こと妹の実情に関しては納得せざるを得ない。
「さて、このところロシアのウクライナ侵攻などもあって世界情勢がますます混沌としている。ひとまずはこの件に関して楢崎の考えはどうだ?」
「はい、当初はロシアが圧倒的な勝利を収めて短期間で終結するのかと考えていましたが、予想に反してウクライナ軍もよく戦っているのではないかと考えます」
「中学1年生の発言だな。内容があまりにお粗末すぎる。少しは自分の頭で分析しろ。まずはロシアの戦略目標は何だ?」
「領土の確保でしょうか?」
「30点だな。西川はどう考えている?」
「短期間にウクライナ東部のロシア人居住区域を手中に収めて安定した統治機構を構築することです」
「いいだろう、合格だ。楢崎、お前のほうが西川よりも上官だからな。少なくともこの程度の回答は寄越してもらわないと困る」
「ぜ、善処します」
聡史の額には玉のような汗が吹き出している。同じような内容のニュースに接しても、自分と美鈴の間にはこれ程の受け取り方の違いがあったのだと愕然とした表情。
「では楢崎、ウクライナの戦略はどのように考える?」
「奪われた領土を奪還することでしょうか?」
「バカか? そんな誰にもわかる当たり前の話を戦略にするはずないだろう。占領地の奪還は最終目標であって、現状はロシア軍の侵攻を遅滞させることに注力しているのがわからないのか?」
確かに侵攻当初は破竹の勢いで占領地を広げていったロシア軍だが、このところ日を追うごとにその速度が鈍って、所によってはウクライナ側に押し返されるといった報道も目にする。
「侵攻を遅滞させることでロシア側にも出血を強いているということですか?」
「まあまあの質問だな。ロシア側の出血といっても色々とある。ひとつには軍の装備や人員の被害。それからロシアという国家の経済的な被害もウクライナは計算に入れているはずだ」
「経済的な被害ですか」
「ああ、自衛隊の試算ではロシアは今回の侵攻によって毎月6兆円以上の戦費を支出している。このままの状態が継続すれば、ロシアの戦費はあっという間に底をつくはずだ。銃弾やミサイル、それに兵士の食料にも事欠く状態でどうやって戦うんだ?」
「戦争っていうのはそこまで金がかかるんですか」
「その通りだ。あのアメリカだって、湾岸戦争の戦費が膨大な財政負担となった。国民総所得が精々日本の半分にも満たないロシアが今後どうやって戦争を継続していくのか… そのうちに面白いものが見られるだろう。しかもウクライナ側としては、ロシアの侵攻を遅らせるのは別のメリットがある」
「といいますと?」
「国際世論に呼び掛けて援助を引き出すことが可能になる。現にアメリカやヨーロッパ各国が武器の供与に乗り出し始めている。時間が経過すればするほど、ウクライナは自分たちが有利になると考えているだろうな」
「なんだか多国間の取引の裏側を見たような気になってきました」
アメリカや欧州各国はロシアとの全面戦争を恐れて直接の派兵は今の段階では考えていないと見られる。だが武器の供与に関しては次々に応じる動きが始まっており、教導役の人材が少数ながらウクライナに派遣されているとも聞こえてくる。欧米の最新兵器がロシア軍に対してどのような影響をもたらすのか、この点に関しては今後の動向を注意深く見守る必要がありそう。
「さて、楢崎の目にはロシア軍はどのように映っている?」
「大量の重火力兵器を動員しながらも、ウクライナを圧倒できていないように映ります。時間が経過するにしたがって泥沼の様相に陥っているのではないでしょうか」
「まあそうだろうな。ハッキリ言って私が想像していた以上にロシア軍はポンコツだった」
「ポ、ポンコツですか…」
「ああ、元々ロシア軍というのは第2次世界大戦以降の旧ソ連軍の流れを引き継いでいる。ヨーロッパ東部戦線でドイツ軍をモスクワ近郊から押し戻してベルリン入城を果たした成功体験の幻想にいつまでも囚われているのだろう。したがって現代のロシア軍の戦術も一貫して鉄の奔流で敵を押し潰すローラー作戦となっている」
「ああ、それは知っています。T34は有名ですから、戦車オタクには堪らない逸品です」
「楢崎、第2次大戦当時の軍事知識で思考停止している場合ではないぞ。そろそろ現代仕様にバージョンアップしておけ。それはともかくとして、現代でもロシア軍は機械化大隊が陸軍の中心を担っている。その分歩兵は戦車の付随物という扱いだ。この歩兵の数の不足と劣悪な装備が今回のウクライナ侵攻でロシア軍のポンコツさ加減を浮き彫りにしている」
「歩兵の重要性を認識していないんですか?」
「その通りだ。しかも『強力な戦車があれば無敵という』旧世代の認識がいまだに軍部内で幅を利かせているようで、部隊の情報化が驚くほど遅れている。今どき戦車などIT化された歩兵の携行ミサイルで簡単に撃破できる時代にも拘わらずな」
「歩兵が物陰で待ち伏せしただけで簡単に撃破できそうですね」
こういった戦術レベルの話になると、聡史にもようやく理解が及んでくる。先程と比べると明らかに口が滑らかに動き出す。
「その通りだな。自衛隊の火器管制情報統合システムなら1分以内に攻撃目標が決定されるが、ロシア軍ではいまだに目標の発見から砲撃開始まで20分かかるらしい。この時間があれば、自衛隊ならあっという間に航空機やヘリの手配を終えて上空からミサイルの雨を降らせているだろう。大雑把に言えば現状のロシア軍などその程度だ」
「学院長がポンコツと形容する理由が理解出来ました」
「まあこれだけでも内情はヒドイものだが、部隊の指令系統にも大きな問題が存在する」
「どのような問題でしょうか?」
「第2次世界大戦当時のソ連軍には、まともに文字の読み書きができる人材が少なかった」
「いやいや、学院長。当時とは違ってさすがに現在は文字くらい全員読めるのではないでしょうか?」
「最後まで話を訊いてから意見しろ。当時はスターリンによる恐怖政治が敷かれている最中で、資本家や知識人が粛清によって根絶やしにされていった時代だ。ことに学校の教師がやり玉に挙がって、学問を教えられる人間が一掃されてしまった」
「なるほど、だから読み書きがまともに出来ない兵士が多数いたわけですか」
「そうだな。そんな字が読めない多数の兵士を指揮するにあたって、旧ソ連軍は大隊規模での上意下達を徹底した。他国のように将校の下に下士官を設ける人材的な余裕がなかった。そして現在においてもこのようなトップダウンの指揮系統が生き残っている」
「上からの命令待ちでしか動けない軍隊ですか」
「その通りだ。現在のロシア軍がどれだけお粗末か理解したか?」
「はい、大体の事情は理解できました。ところで学院長、今回のウクライナ侵攻が日本に与える影響はどうでしょうか?」
「当分ロシア極東軍は何も出来ないだろう。というか、下手をするとロシア陸軍が消滅するかもしれない。それほどの危機を近い将来ロシアという国家が迎えるだろう。だが安心するのは早いぞ」
「どうしてでしょうか?」
「日本の近くにはまだまだ危険な国家が存在している。ロシアが脱落したからといって、すべての危険が去ったわけではない」
「それは中国や北朝鮮ですか?」
「ああ、それらの国は今回のロシアに対する欧米各国の動きを注視しているはずだ。仮に自分たちが日本や台湾に侵攻したら国際社会はどのような反応を見せるかという、貴重なシミレーションにしているだろう」
「ロシアの結果によって中国や北朝鮮が動き出す可能性があるということですね」
「北朝鮮に関しては実際にミサイルを打ち上げてはいるが、まあ放置して構わないだろう。本当に日本に向かってミサイルを発射しようとしたら、天の浮舟が発進して基地ごと更地にするだけだ。中国に関しては実際に日本に帰還者を送り込んだ事件を忘れるなよ。楢崎、お前もあの一件の当事者だろう」
「そうでした。兵器を打ち合うだけが戦争ではないと肝に銘じます」
「いいだろう。さて、表向きの話はこれで終わりだ。今度は今回のウクライナ侵攻に隠されたロシア大統領の意図について話そうじゃないか。西川、お前は何か聞いているか?」
しばらく聡史に対するレクチャーに専念していた学院長だが、話題の転換とともに美鈴に話を振る。
「はい、ウクライナがレプティリアンの重要拠点であるとは聞いています。主にマネーロンダリングや違法薬物の集積地として利用しているような話です。その他にもサイバーテロの拠点などにも活用されている可能性があるらしいです」
美鈴の口から飛び出した驚くべき事実に、聡史は思わず聞き返してしまう。
「美鈴、ちょっと待ってもらえるか。ニュースではロシアが一方的に悪者扱いでウクライナに正義があるという言い方をしているが、それはある種のウソだっていうのか?」
「聡史君、マスコミはレプティリアンの息がかかった資本家に握られているわ。そのマスコミが挙ってロシアを非難しているのは、逆説的にロシアの行動がレプティリアンの意にそぐわないという事実を証明しているんじゃないかしら」
「さすがは西川だな。実際にロシアの大統領が行おうとしている行為はレプティリアンに反旗を翻すことが目的だと私も考えている。だが現実に彼のやり方が上手くいっていない原因は、やはり準備不足であった点だろう。しかもあのポンコツロシア軍しか手駒がないとくれば、世界を相手に醜態を晒すしかない。あの大統領は目的は正しかったんだが、方法と手段を間違えてしまったのだ」
「学院長の意見に私も同意します」
「したがって日本としては、対レプティリアン戦略に関しては念入りに注意を払っていく必要がある。敵に勘づかれてどのような横槍が入るとも限らないからな。今回の魔法術式流出の一件も下手をするとレプティリアンが背後で糸を引いている可能性を排除できない」
「わかりました。学院長のアドバイスには留意いたします」
この裏話になると、大半が美鈴と学院長の遣り取りに移行して聡史の出番などほとんど見当たらない。というよりも驚くべきはルシファーさんを内包する美鈴と互角以上に話が出来る学院長のほうではないだろうか。単なる戦闘狂に留まらずに、その身の内に恐ろしい程の叡智を蓄えているような気がしてくる。
「さて、今日の所はこの辺でいいだろう。各自は今の話を自分なりに咀嚼して頭の中を整理してくれ」
「はい、それでは失礼いたします」
こうして三人は学院長室を辞していく。エレベーターを待つ間に…
「はあ~、まだまだ色々と不勉強なんだな」
「聡史君、そんなに気を落とさないでよ」
「そうですよ。私のお母さんが色々と知りすぎているだけで、聡史さんの知識は年齢相応ですから」
「当分二人から色々と学ばせてもらうから」
「それは構わないけど」
「聡史さんがご希望するのでしたら、私は喜んで」
肩を落としがちの聡史にニッコリ微笑む美鈴とカレン。二人の笑顔に慰められながら、特待生寮に戻っていく聡史であった。




